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1:Nothing else come close ~最強のルナティカン~

世界の合言葉は百合





 紅い月が地を這う獣どもをせせら笑うように傲然と天に輝いている。その日は丁度満月であり、空は血塗られたように真っ赤だった。


 じつのところ、周防月奈(すおうつきな)はこの紅い夜の雰囲気が嫌いではなかった。月奈は月が紅く染まる前の夜を知らなかったが、なんとなくこの夜は自分に馴染んでいると思っていた。血が沸き立つ、という訳ではない。むしろ心が冷えるような心持ちになる。仕事の夜となればなおさらそうだ。心は冷たく、身体は熱く。季節は冬であり、来週には雪が降るのではないかという予報もある。


 そんな寒い夜だというのに、彼女の格好は挑発的だった。黒の革ジャンとパンツ。ジャンパーは大きく広げて、これもやはり黒のブラトップを身に着け、引き締まった腰と臍を惜しげもなく露出している。挑発的というよりは戦闘的だと月奈は思う。そして腰には長い日本刀の鞘が携えられていた。


「こんな寒い日なんだから、大人しくみんな引きこもってればいいのに」


 月奈は今、大きいビルの貯水塔に立って眼下を睥睨している。高いところは彼女の好むところだった。高所恐怖症という概念は彼女には無縁のものだった。煙とナントカは高いところを好むと揶揄されても月奈は一向に堪えなかった。高いところに立つのは自分の力を再確認できるようだったからだ。


「さぁて」


 街の様子が一望できる高台にあって、月奈はひとり舌なめずりした。久しぶりの仕事だった。そして仕事は愉しんでやるべきだというのが彼女のモットーであり、事実彼女は愉しみ続けていた――その内容がどれほど容赦ない殺戮だったとしても。


 スマートフォンに着信があった。


「はい、こちら月奈」

宇田(うだ)だ。そちらから状況は見えているか?」

「好き放題暴れてるみたいね。まるで世界の王にでもなったかのように」

「最近はルナティカンどもも群れて行動することを覚えたようだ。こちらとしては頭が痛いよ」

「ふん。カスがどれほど束になったところで大きなカスになるだけだわ」


 月奈は眼下の暴虐なる宴を、思いっきり卑下して見ていた。十人ほどの暴徒である。力をあるべきところに制御することも知らず、ただ欲望のままに行使する、月奈の一番嫌いな性質の群れである。


「いけるか? なんなら応援を寄越すが」

「足手まといはいらないわ」


 電話の向こう側から苦笑するような声が聴こえた。


「きみにとっては確かにそうか」

「このくらいなんてことはない。10分でかたを付ける」

「頼もしいことだな、最強のルナティカン」


 宇田の言葉に月奈はなんの感銘も持たなかった。それは事実だったからだ。少なくともこの宇浪野(うなみの)市に彼女と比肩するルナティカンはいない。それは散々証明してきて、今夜もその流れに連なるものになるはずだった。


「さあ、さっさと終わらせて私はあったかいお風呂にはいりたいの。通話を切るわよ」

「分かった。よろしく頼む」


 私には誰も追い付けない――


 その確信と共に月奈は地面を蹴り、その戦場へと身を飛び込ませた。



        ◇



 その繁華街では暴徒と化したルナティカンたちが金属バットや鉄パイプを持って暴れていた。軒の飲食店やバーはガラスを割られ、彼らの望むままに略奪されている。大通りは完全に占拠され、喧騒が鳴りやまない。その中で逃げ遅れた人間たちが無惨な暴力にさらされていた。


「ああ、最初からこうしていればよかったなあぁ!」


 そのルナティカンたちのひとりがそう叫んだ。彼らは死の淵から持ち帰った力を行使してやりたい放題するという集団に成り果てていた。彼らに思想や目的はなかった。あるのはただ暴力と欲望を満たしたいという動物的欲求だけだった。


「ヒャッハー! こうなっちまえば誰も俺たちを止められないぜぇ!」


 若いルナティカンたちは散々暴れ、壊し、人間の男をあらかた殺戮したあと、残った女たちを1箇所に集めた。お愉しみはこれからという訳だ。ルナティカンになった者は生殖能力を失うことが確認されているが、性欲までもなくす訳ではない。むしろ生殖能力ななくなったことでその獣性は剥き出しのものとして哀れな犠牲者に襲い掛かるのである。


 力のない女たちはただ震えることしかできなかった。理不尽な暴力の前にただ無力だった。中にはすでに気を失っている者もいる。その誰もが、ルナティカンどもの襲撃前までは友達や恋人と楽しく夜の街を遊んでいた無辜の者である。そして幸せを享受していたはずなのだった。そのことが劣等感に苛まれる暴徒のカンに触ったのだ。彼らは自分たちの欲望が下劣なものであると理解していないし、またする気もないだろう。


「やめて、来ないでよぉ! この死にぞこないのゾンビまがいが!」


 女の中でも少し強気を残していた者が野盗の群れを罵った。ルナティカンが少数派であり、差別されている存在であることは彼女も知っていた。だがその強気さがむしろ彼らの下卑た下半身を刺激することを彼女は気付いていないようだった。


「へへっ、こんな状況でよく吠えるな。どうだ、こいつからやっちまうか?」


 ルナティカンどもの中でもリーダー格と思われるような痩せぎすの長身の男が言った。彼の手にもバットが握られていて、その身体には返り血が滴り落ちている。戦闘の結果ではない。ただ一方的な嬲り殺しの末に付いた血だった。それがこの場の陰惨さをより強調している。彼はバットを捨て、さきほど叫んだ女を平手打ちした。それだけでも強烈な膂力によって彼女の身体は大きく吹き飛んだ。


「おいおい、やりすぎるなよ? 死んじまうだろうが」

「手加減はしたぜ?」

「女は貴重品なんだからな」

「いや、俺は一度死姦ってのもやってみたいと思ってたんだよねえ」

「お前は本当にゲスだなあ!」


 人間を止めた、姿形こそ人間そのものだがその中身は野獣そのものの集団が下卑た笑い声を上げる。彼らを止められるようなものはいないように思われた。


 その時である。


 流星のような銀色が天から降り注いだかと思うと、それは精確にルナティカンのひとり、その心臓を突き破った。彼は断末魔を上げる暇もなく、口から吐血して絶命した。そしてその周りだけ時が止まったかのように、男に突き刺さった日本刀の柄にふわりと漆黒の装束を身に纏った女が降り立った。


 静止、静寂、それから――狂乱。


「す、周防月奈!」


 月奈の顔は十分に知られていた。日本刀を構え、常に黒の衣装を身に纏う死神。ルナティカン・ハンター。誰も並ぶことなき最強のルナティカン――


「調子に乗り過ぎたようね。あんたらはここで皆殺しよ」

「ふ、ふざけんなぁッ!」


 勇気と無謀を取り違えた男が鉄パイプを持って月奈に殴りかかった。しかし彼女は手早く最初の犠牲者に刺さった刀を抜くと、そのまま飛び上がり、ムーンサルトを見せる。男の鉄パイプは彼女にではなく、死んだ男が崩れ落ちるところに殴り掛かられた。


 月奈の身体が丁度紅い月の光に覆い被さった。


「くそっ、やれ、やれっ、()れぇぇぇぇぇェェェッッ!」


 月奈は丁度男どもの集団、その中央に降り立った。恐慌状態に陥ったルナティカンたちは一斉に彼女に襲い掛かる。だがその打撃はことごとく空を切り、逆に月奈の剣は的確に男たちの急所を貫いていった。1人、2人、3人と次々に血飛沫をあげて倒れていく。彼らは月奈の動きを見ることもかなわなかった。


 まさに神速。


 暴漢どもは月奈の圧倒的な力、そして玲瓏なる美貌に算を乱して逃げ出し始めた。しかし月奈の剣は彼らを逃がさない。その跳躍はじつにふんわりしたものだった。だがその距離は優に10メートルを越え、敗走しようとしていた男どもの先に立ち塞がった。


「言わなかった? 私に容赦はない。皆殺しって言ったからには、あんたらはみんなここで死んでいくの」


 その言葉を証明するように、月奈に退路を遮られて尻餅をついた男に彼女の刀が突き刺さる。


「さて、あと6分」


 ルナティカンの男どもは月奈がふと呟いた言葉の意味が分からなかった。いや、かろうじてただひとつの冷厳な事実だけは分かった――彼女の登場によって4分も経たない内に仲間の半数が殺戮された。


「死にたい奴から掛かってきなさい。同じ運命なら、遅いほうより早いほうがいいでしょう? ああ、なんて慈悲深いのかしら、私って」

「くそぉ、あんまり調子に乗んなよ、このアマがァッ!」


 張り上げた声には震えがあった。つい先ほどまでは暴虐の快楽に酔っていた男どもが、今は逆の立場になっているのだった。


「先生、先生! お願いします! このクソアマをけちょんけちょんにやっちまってください!」

「先生?」


 月奈が訝し気に呟くと、壊れたバーと思われる店からぬっと巨体を揺らした男が現れた。それまで気配を感じなかったのが不思議なほどの大男であり、その身長は2メートルほどもあって横幅も大きい。それまで酒をたらふく飲んでいたのか、その顔はほんのりと赤い。長い鉄条網を巻いた角材を持っているが、その巨体に持たれているため妙に小さく見える。首は脂肪に隠れて見えなく、豚鼻であり、その姿はどことなくファンタジー世界の異形、オークを思わせる。


 彼が「先生」と呼ばれた男だった。


「なるほど、用心棒ね」


 月奈は得心したように頷いた。「先生」は胡乱だ目付きで彼女を見やっている。よほど腕に自信があるのか、仲間たちの半分が月奈に瞬殺されたところを見てもまったく動じない。


「ぅおまぇがぁ、すおうつきなかぁ」


 随分と酔っ払っているようで、その呂律はうまく回っていない。月奈は肩を竦めた。


「先生! 先生! 先生!」 

「どうだ、てめぇの天下も今夜限りだ!」


 男たちは「先生」に全幅の信頼を置いているようだった。「先生」はその巨漢をずんずんと進ませて、月奈の前に角材を構えて仁王立ちする。月奈は涼しい顔を崩さない。


「あんたに私がやれるとでも言うの?」


 月奈は傲然と言い放った。「先生」はもしかしたら愛らしいとすら言えるような笑顔で返した。酒と戦いが好きだという、典型的な無頼漢である。彼が暴漢に与していたのも、酒を好きなだけ飲めるからだという理由にほかならない。


「おまえとはぁ、前々からやり合いたいと思っていたんだよぉ」


 そう言われても月奈はなんの感銘もうけないように、蔑むような顔を見せるだけだった。彼女にしてみれば、いくら強力な男だといっても、それはただの駆除対象であり、うしろで悪罵を投げつけながら「先生」を応援している暴漢どものなんら変わりはないらしい。


「舐められたものね。こんな三下に私が倒せると思って?」

「それはお前のからだで試してみるんだなァ!」


 という言葉とともに、「先生」は角材を振り下ろし、月奈の脳天に落とそうとする。それがまともに入れば月奈の頭蓋など粉々に吹き飛ぶだろう。だがそんなことは当然なく、彼女はまとわりつく虫をいなすようにして、軽々とその打撃を躱した。


 そしてそれだけではなかった。


 角材の打撃は標的をずれ、地面のアスファルトを破砕した。そしてそれをゆっくりと持ち上げようとする――その前に月奈がその角材を踏み付け、さらに地面にめり込ませた。常道でいえば、この時点で「先生」は得物を放すべきだった。だが月奈の疾風の如き速さがそれを許さなかった。


 まったく息をせぬまま、彼女はその角材を踏み台にして軽く跳躍した。そして誰も追い付けないスピードで剣を横に薙ぎる。


「のろま」


 その間抜けな声とともに、「先生」の首はあっという間に胴体から切断されていた。いかな超人的な再生能力を持つルナティカンと言えども、首を刎ねられては即死である。「先生」は首の根っこから鮮血を噴き出し、そのまま巨体を仰向けに倒した。そして勝利を決定付けるような仕草として、月奈はその物言わぬ屍となった腹に着地した。


「打撃力は質量掛ける速度の二乗に比例する。あんたは遅すぎたのよ」


 月奈は誰にも聞かれないのにそんな講釈を垂れた。実際のところ、彼女の言葉は誰にも届いていなかった。最後の希望をあっけなく打ち砕かれた暴徒たちはすっかり恐慌して四散し始めた。元々統率などなかったが、彼らはまったく烏合の衆に成り果てていた。


「逃がさないッ!」


 そんな負け犬どもを月奈は誰一人逃さなかった。まずは逃げ遅れた小柄の男の喉を刀で突き、斬り伏せる。そして駆け出して次々とほかの男どもに襲い掛かった。そこにあるのは一方的な殺戮だった。戦意を喪失した暴漢たちはただ為すがままに彼女の刀の露と消えた。


 そして最後の1人、リーダー格と思われる男が残った。


「や、やめてくれぇッ! 殺さないでェっ!」

「無様ね」


 足をもつれさせ、転んだ男の顔を月奈は無慈悲に踏みつぶした。それから両手両足も踏み抜き、彼の骨を砕いた。男は泡を吹き、紅い満月を背負った月奈の姿を怯えながら見ていた。


 月奈は為す術のなくなった彼の眼前に刀を突き付けた。


「なんだってんだ、なんだってんだよぉ! 俺たちは力を得たんだ! それを自由に使って暴れて、なにがいけねぇって言うんだよぉ!」

「そうね、あなたたちは自由だわ。そして私も自由。だから私は自由にあんたらを叩き潰す」

「こ、この権力の犬が!、てめぇ、警察に従って俺たちを狩ってるんだろうが! それがどの口で自由とか言うんだよぉ!」


 月奈は負け犬の遠吠えに付き合わず、正確に急所――心臓を貫いた。ルナティカンを殺すには急所を一気に貫かねばならないという原則を彼女は守った。


「お前らの言う自由と、私の言う自由は違う」


 それから月奈はスマートフォンを取り出して、その待ち受け画面をしげしげと眺め、それから少し顔をしかめた。


「二分余分に使ったわね。あの『センセイ』が余計だったか」


 月奈はこの光景になんの感慨も抱かずにそう呟いた。



        ◇



 じつのところ、自分が葬りさったルナティカンに対して同情がない訳ではなかった。超常的な力を芽生えさせながら、少数派として差別される彼らの鬱屈というものはどれほどものがあるだろう。しかし月奈は自身の美的感覚に鑑みて(決して正義感というものではないことを彼女は分かっていた)、罪なき者に暴力を振るうことは到底許されることではなかった。


 力は正しく行使されねばならない。


「そうは言っても、私も結局はこいつらと同じ穴の狢なのかもね……」


 物言わぬ骸と化した暴徒どもの姿を見て、月奈は皮肉気に呟いた。彼らは力なき人間をいたぶって鬱憤を晴らす。そして私はそんな暴漢を一方的に屠って留飲を下げる。そこにどれほどの心の違いがあるだろうか?


「ああ、全然らしくない」


 満月の日は柄にもなく感傷的になっていけない、と月奈は思った。という訳でその感傷は振り払い、事態の収拾に向かった。そういった気持ちの切り替えには自信があった。


 彼女は電話を掛けた。


「宇田さん? 敵はすべて排除した。後始末はよろしく」

「皆殺しにしたのか?」

「それでなにが問題でも? 今更でしょう。ルナティカンは法では裁けない」

「いや、それはいいんだ。だがきみの気持ちがどうかと思ってな」

「心配してくれているの? ありがとう」

「そういうことじゃないが……」

「なんでもいいわ。とにかく、生き残りもいるから、彼女たちの保護もよろしく。じゃ」


 通話を切って、月奈はその生き残りに近寄った。無力な女たちはガタガタ震えてなんの言葉も発せない。生き残ってはいても、精神に刻まれた傷はそう簡単には払拭されないだろう。しかしそれも仕方のないことだ。


「あなたたちは助かった。じきに警察が来て、みんなを保護してくれるわ」


 月奈は彼女らの怯えの顔が、自分にも向けられていることに気付いていた。それはそれでいい。感謝されることなど望んでいない。無法ルナティカンの排除は、彼女の生きる糧でもあるが、同時に趣味でもあった。自分に善性があるとは思っていなかった。いつものことだ。私を理解するものはどこにもいない。そしてそれでいいのだ。


 パトカーのサイレンが聴こえてきたのを確認して、月奈は再び飛び上がった。そして最初にいた貯水塔に降り立った。まだ煌めく街の明かりを眺めて、それから月に目を向けた。


「空気が冷えているわね」


 その空気は今の自分の気持ちに似合っているな、と彼女は思った。


 そして漆黒の魔女は住処に帰るために夜を駆ける。

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