八尺の怪物
純白のワンピースを身に纏う八尺の怪女。
不敵に笑うその女は目下のメリーを前に、親指で首を掻っ切る動作で宣戦布告を。
「ふん、上等だわ」
対するメリーは中指を立ててお返しを。
つまりこれが戦闘開始の合図となる。
「ぽぉおおおおおお!」
巨女は奇怪な雄叫びを上げると、メリーの顔面に向けて右のストレートを放つ。
メリーは軌道に合わせて左脚を上げると、踵と拳が鈍い音を立ててぶつかり合った。
「そこそこ重い打撃ね。だけどいつまで続くかしら」
「ぽぉぉぉおおお!」
続いて巨女は左拳も振り上げて腰の入った左フックを打ち込むも、メリーは俊敏なステップで足を入れ替えると、右足底のストッピングで迎え入れる。
しかし巨女はひるまずに、再び右拳を出すと同時に左拳を引く。
それを交互に繰り返せば、強力なフィジカルによる猛烈なラッシュへと移り変わる。
「ぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽ!」
「なかなかの速さじゃない。だけど私の足捌きは超えられない」
メリーは右足の蹴撃の連打のみで、巨女の猛打を全て捌き切る。
暫くの均衡が続くが、連打の中で特に力を込めた巨女の右拳。それを打つ瞬間の強張りに気付いたメリーは、直後に巨女の前から消えてなくなる。
「ぽ?」
拳が空振ると、戸惑う巨女は左右を見渡すが、メリーの取る位置は死角の背面。
「後ろだ!」
強烈なサイドキックが巨女の背中を貫いて、八尺もある体躯は向かいの店まで飛んでいき、豪快に扉を突き破ると砕けた壁の瓦礫に埋もれた。
「さすがメリーさんだにゃ! これであのデカ女も――」
「そう、デカ女。雪女とは訳が違うフィジカルの化物よ。この程度で倒れてくれるような柔な相手ではないわ」
がらがらと瓦礫を崩して身を起こす巨女。
前進すると軒やのれんごとへし折って、八尺の巨体を露わにする。
「ぽ……ぽぽ……」
「”ぽ”しか言えないの? まあ直ぐにくたばるのだから、言葉を交わす必要は――」
「仕方ないぽ」
「――え?」
これまで唇を突き出して、”ぽ”しか語らなかったその巨女は、滑らかに口を動かして人語を喋りはじめる。
「”ぽ”は口癖ぽ。人の声真似くらい訳ないぽ。私の名はユイ・フィート。今から本気を見せてやる」
ユイは正面に構えると、弧を描くように両手を回す。
そしてハイタッチをするように両手を頭上に掲げると――
「ポポポポ~ン」
直後にユイの背後には巨大なスロットが浮かび上がる。
高速で回転するスロットの目には、なにやら文字らしきものが記されている。
「こ、これは一体……」
「ACマギア。それが私の能力ぽ。そして見るがいい、スロットが選び出す凶悪無慈悲な結果をな」
次第に速度の落ちるスロットの目。
緩まる出目が記すその言葉の法則は。
「おはよう、こんにちは、こんばんは、さよなら、おやすみなさい……これは挨拶の言葉?」
「その通り。これらの魔法の言葉が示す解釈が、これからの貴様の運命だぽ」
「ちっ……」
メリーは再び姿を消すと、ユイの背後にまで移動する。
だが狙いはユイではなく、腰を捩って目線はスロットに。鋭い後ろ蹴りを浴びせた、その直後。
メリーの脚はスロットを透過して、体は勢いのまま前方につんのめる。
「ふ、触れられない……」
「甘い。そのスロットは虚像。誰にも結果は止められないぽ」
「だったら――」
再び振り向くと、メリーは本体であるユイに蹴りを入れた。
しかしメリーの言う通り、この八尺の化物はフィジカルに特化したモンスター。拳で蹴りを迎え入れ攻撃は阻まれる。
「この短時間で倒れる程、軟弱な体じゃないんだぽ」
「くっ……」
次はメリーの方からラッシュを仕掛ける。拳と脚の激突が轟音が奏でるが、互いに深いダメージには至らない。
ここで決めねばと、攻め急ぐメリーはアブソリュート・ビハインドを使って、ユイの背後に回ると決断した――はずだった。
しかしメリーの眼前の景色は変わらず。唖然とした一瞬の隙に、ユイの剛腕がメリーの腹に突き刺さる。
「あぐ……」
「タァアアアイムアァアアアッポ!」
みぞおちから体を震わす衝撃に、メリーは堪らず膝を着いた。
「な、なぜ……私の能力が発動しない……」
「ぽふふ……答えは私の後ろ。見るがいいぽ」
八尺の長身の更に頭上。虚像のスロットは出目を示し終えていた。
「い……いただきます?」
「必殺の出目ではなかったけど、十分強力な目が出てくれたぽ」
「ご飯を前に使う挨拶。いただきます……頂きます。まさか私の能力を……あなたが頂きます……ということ……」
「察しがいいぽ。厄介な能力は封じさせてもらった。そして頂くということは当然――」
にやりと嫌らしい笑みを浮かべた直後、ユイは忽然と姿を消した。
能力を知るメリーですら気付いた時には既に遅く、ノータイムで背後に回るユイは、メリーの背中に渾身のストレートを解き放つ。
規格外のフィジカルが生み出す会心の一撃を、無防備な背中でまともに受けると、メリーの体は平屋を何軒も貫いて、ユイの目の前から消失した。
「ぽぉおおおおおお! ぽっぽっぽぉおおお! 勝ったぽぉおおお!」
拳を突き上げ勝利を謳う。
そしてユイは残るミュウの前に立ちはだかった。
「ぽぽぽ……まったく、この町には可愛い子供がいると聞いたのに。てんでどこにもいやしない。小柄な君を見てまさかと思いはしたが、好みの年頃から外れてるぽ」
「にゃ……にゃわわわ……」
「なぜだか大安町に来てから、むしゃくしゃしてしょうがなくってね。ストレス発散に、私の拳の餌食になるがいいぽ」
「ひぃぃぃ……」
「ぽふふ……脅えちゃって……って……お前は一体どこを見てる……」
脅えるミュウの視線は八尺の高さに聳えるユイの方を見ておらず、琥珀の瞳は微かに震えて潤んでいる。
ユイはミュウの見る方角に覚えがあり、咄嗟に後方へ振り返った。
「ぽ……お前……」
突き抜けた穴の先から、緩やかに歩みを進める呪いの影。
わらわらと金髪を逆立てて、血に濡れるメリーは全身を真っ赤に染めている。
中でも特に、一点を射抜く見開かれた瞳は、紅蓮の炎に激しく盛っていた。
「貴様……私の後ろに立ったな……」
「ぽぽ……それが一体なんだって――」
「死ぬがいい」
腰を落としたメリーの姿がユイの視界から外れた刹那。
懐に潜り込んだメリーは下顎を貫くように足を掲げて、次にユイが見たのは青空に飛翔する赤い炎。
浮いたユイの体を踵落としで叩き落とすと、巨体が地に着く前に、鋭いサイドキックが脇を打ち抜き、吹き飛ぶユイを迎えるように胴回し回転蹴りが炸裂する。
「MARYAAAAAAAAA!!!」
「ぼぼぼぼぼぼ……ぼっはぁああああああ!」
止まらない、緩まない、地に着けない。
メリーの神速の蹴撃の嵐は、留まる様子をまるで見せない。
「は、速過ぎるにゃ……猫の動体視力でもまるで追えにゃい。能力に目がいってしまうけど、そもそものメリーさんの強さの根源は鍛え抜かれた圧倒的な身体能力!」
能力を消失したメリーの動きはノータイムという訳ではない。だが巨躯のユイからしてみれば、もはや瞬間移動と変わらない。
メリーの動きを追えぬユイは、がむしゃらにアブソリュート・ビハインドを使用する。そうすればメリーの背後に回れるはずだと。
しかし能力を使ったユイを待ち受けるのは、超反応で察したメリーの後ろ蹴り。残酷な足底がユイの顔面を蹴り込む間際の瞬間だった。
直後に顔を打たれて、鼻血を噴き出すユイはふと意識が飛びかける。
(こんな奴……見たことない……ここまでの力を持つ妖怪なんて……こうなったらリスクはあるが最後の手段……!)
「ポ……ポポポポォオオオオオオン!!!」
合言葉を唱えることで、再び現れるACマギアの巨大なスロット。
だが高速回転するドラムが止まるまでは、メリーの猛攻を受けきらねばならない。
反撃は不可能と直感し、ユイは頭を抱えて蹲る。
「し、死ぬ……死んでまうぽぉおおおおおお!」
屈んだところで的は巨大。メリーは一心不乱にユイの体を蹴り続ける。
腕は折れ、足はひしゃげ、背骨も砕けたユイの命を保つのは頭部と心臓の二つだけ。その二つの内のどちらかが砕かれてしまえば、ユイの敗北は決定する。
もはや風前の灯のユイ。もはやこれまでと諦めかけたその時、ユイの生を求める本能は一つの作戦を閃いた。
止めの蹴りが頭を砕くすんでのところ、メリーの目の前からユイは姿を消した。反射的に後ろ蹴りを繰り出すメリーだが、それもむなしく空を切る。
咄嗟に周囲を見渡すと、腰抜けたミュウの背後には、大きくはみ出た丸まるユイが、したり顔を浮かべていた。
「ぽひひ……何も攻撃だけじゃないってね……」
その瞬間、スロットのドラムは魔法の言葉を表示する。
『おやすみなさい』
その文字を見た時、メリーの頭には死が浮かんだ。
永遠の眠りを死に例える、そういう連想が頭を過った――のだが。
「ぽ、ぽぽ……ぽぉおおおおおおぉぉぉ……ぐぅぐぅ……」
「ほ、ほんとに……」
「眠るんかいにゃ……」
地面に寝転んで大の字でいびきをかく。そんなユイの体は瞬く間に回復し、骨も傷も全て元通りに復元していく。
それが”おやすみなさい”のメリットで、そしてデメリットは――
ひたひたと歩み寄るメリーは眠るユイの枕元に立つと、幸せそうな顔に一直線、力の限りの踏みつけで顔面を破壊した。
「おやすみなさい……」
「まいった……もうだめぽ……」