ネージュの秘密
「うぅん……むにゃむにゃ……」
冷たいネージュの白の頬。今は青痣だらけの白肌を、柔い肉球がちょんちょん突く。
「うふん……気持ちいい……はっ!?」
目覚めたネージュを見下ろすのは猫多羅村の猫たちだった。
咄嗟にネージュは身を退こうとするものの、体は絶対零度を封じる着物ごと、雁字搦めに縄で結ばれる。
集う村猫を裂いて前に出るミュウは腰を落とすと、雪女のネージュに鋭い視線を突き付けた。
「くっ……殺しなさいよ」
「その前に、捕らえたみんなの場所まで案内するんだにゃ」
「誰が素直に教えるもんですか」
「ほお、ならばこうしてやるにゃ!」
両手の肉球を頬にあてがい、ふわふわの尻尾の毛をネージュの顔に押し付ける。
「ほぉおおお! ふがふが……おっほぉおおおおおお!」
肉球と猫吸引の虜になり、ネージュはあっけなく口を割った。
「――ということで、北の山中にある私の屋敷に捕らえてますわ。話したから、もう一度肉球を……」
「駄目だにゃ。お前を屋敷まで連れて行って確認するまではお預けだにゃ」
「い、行きます行きますぅ!」
縛ったネージュを連れて、北の山へと向かう村猫の一同。
その団体の後にはメリーも続いている。
「メリーさん、どうも有難うですにゃ」
「お礼はいらない。私のやりたいようにやったまで」
「でも今だって、ボクたちに同伴してくれてるにゃ」
「これもやりたいようにやってるだけ。ネージュの屋敷から金目のものを頂くわ」
つんとして前だけを向くメリー。
凛とした横顔を見つめるミュウの顔は、薄く仄かに赤らんでいた。
「メリーさんはこれからどうするにゃ?」
「そうね。今日はあなたの村に泊めさせてもらって、あとは風の行くまま気の向くままかしら」
「……メリーさんの目的はなんなのにゃ?」
ぴたと足を止めると、顔だけをミュウに向けて見下ろすメリー。
不安を感じたミュウは肩を竦める。
「あの……言いたくにゃければ――」
「最強よ」
「え……」
「私は妖界の頂点を目指してるの。だからオロチはこの世に不要。私がこの手で葬ってやるわ」
それだけを言い放つと、メリーは再び顔を背けた。
ネージュの屋敷は山の麓にほど近くにあり、広大な面積を有していた。
メリーは先んじて屋敷を物色しはじめて、その間ミュウは仲間の居場所をネージュに聞き出すことに。
「男たちは殺したのかにゃ?」
「いえ、氷漬けにしただけですもの。地下の氷室に保管してるから、今頃は氷も解けて動き出しているはず」
「それはどこにゃ」
「崖の洞窟を下った先よ」
ミュウが仲間の村猫に目配せすると、頷いた数匹が崖の方へと走って行った。
「次は娘たちだにゃ。生きている猫娘たちの居場所を教えるにゃ」
「分かったけど……」
「けど?」
「全員生きてますわよ」
「……え? 血を搾り取ったって言ってたはずにゃ……」
「そうだけど、死ぬほど抜いたらそれまでじゃない」
予想外の返答に、ミュウは琥珀の瞳を丸める。
「そ、そうにゃのか……意外だったけど、じゃあその場所まで案内するにゃ」
ネージュの後に続いて屋敷に入り、奥を抜けた先の屋敷の裏手。そこには鉄の閂に閉ざされる、堅牢な倉へと続いていた。
生娘たちが生きていることは知れたが、無事であるとは限らない。生かさず殺さず、阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられているかもしれない。
息を吞むミュウは、仲間とともに閂を抜くと、閉ざされた扉を開け放った。
「おかえりにゃさい、ネージュ様――って、あれ? ミュウ?」
「その声はミャンかにゃ!? でもその姿は……」
倉の中には無数の猫娘。
その誰もがまぁるくふくよかに育っていた。
「ネージュ……これは一体どういうことにゃ?」
「私は美味しい血を飲みたいのですわ。不健康では血も不味くなりますもの」
「そういえば、スモーカーの血はお断りって……」
見ればところどころに皿が置かれ、山盛りの食料に清らかな水。
そして幾らかの猫娘たちは、流行りのチューブご飯を口に咥える。
「だからいいものを食べさせてたら、この子たち調子付いちゃって……今では食費も馬鹿にならないですわ。それにコレステロールの味が混じっちゃって。だから新しい生娘を探してたの」
「う、うう……」
ミュウの手は握り締められ、ふるふると震えている。仲間が全員無事だったことがそれほどまでに嬉しいのだろう――なんて、そんな悠長な安堵ではなかった。
「バッカもぉおおおん! おみゃあら、恥ずかしくにゃいのか! ボクらが心配する中、ぬけぬけと敵に転がされてちゃって!」
「えぇ……だって仕方がにゃいじゃない。それに餌を与えられた家猫にゃんて、所詮こんなもんだにゃ」
「ぐぬぬ……」
倉から出る猫娘たちはそれはそれは億劫そうで、のしのしと重い体を横に振らして村に向かって歩みはじめた。
「雄猫を凍らせたのもそれが理由ですわ。いざとなったら交尾をさせて雌猫をって」
「つまりネージュは誰も殺していにゃいと……」
「別に非殺生が信条な訳じゃないですわ。殺すことで煽る精神的不安が、血を不味くさせると思っただけ」
ここでミュウは思い悩む。
忌むべき仇に違いないが、果たしてこれ以上懲らしめる必要はあるのかと。
「これから先、ちゃんと大人しくするなら、お前を生かしてやってもいいにゃ」
「さっきは口を割ってしまったけど、今後の生き方まで指図を受けて堪りますか。私にも妖怪としての誇りがあるのです」
「だったら殺すしか……」
囚われの身でありながら、ネージュはぎらりと睨みを利かせる。
「殺しなさいと、はじめに申したはずですわ。妖怪たるもの一度死したところで、いつかは必ず蘇る。生き方まで変えるくらいなら、その時を待った方がずっとまし」
妖怪に死滅はなく、あるのは肉体の消失のみ。
そんな妖怪を半永久的に鎮める方法は封印という手段のみ。そして化け猫たちはその術を持たない。
とはいえ死から転生を果たすまでは長い歳月を要する。
ミュウは仕方なく得物を取り出すと、ネージュの首にあてがった。
「早くしなさい。こんな惨めな恰好を続けるのも懲り懲りだわ」
「わ、分かったにゃ……」
「だが覚えておくといいですわ。次に蘇った時には、必ず報復に打ってでると。その時は殺害も辞さないと」
「うぅ……」
ミュウの手に化け猫たちの未来が握られて、対してネージュは目を瞑り、死の瞬間を静かに待つ。
「妖怪としての誇りなど笑わせるわ」
その声は村猫たちの背後から掛けられた。
振り返ると真っ赤なドレスのメリーが、脇に小包を抱えている。
「まったく、湿気た金ね。見栄っ張りで矮小な妖怪だこと」
「なんですって?」
再び目を開いたネージュの顔には、厳めしい眉間の皺が刻まれる。
「オロチの配下にくだり、こそこそと弱者の血を啜る。妖怪の矜持も失くした駄女が、偉そうにするんじゃないってことよ」
「ぐぬ……」
わらわらと逆立つ青い髪。怒りに震えるネージュの冷えた肌は、生きる情熱に燃えはじめる。
「悔しかったら、私の背に追い付いてみせなさい。その時は全力であなたを殺してあげる」
「抜かしやがって……いいでしょう。ここは一つ、猫たちには何もしないと誓って、この場を生きることを選択しましょう。だがメリー、あんたは近い内に殺してみせる。転生など待っていられない、絶対にこの手で抹殺してやる!」
殺意に満ちた視線を送るネージュ。
メリーはたばこに火を点けると、すまし顔で煙を浮かべた。
縄を解かれたネージュ・フリージアは山の奥へと消えていき、それを見送ると互いに見合わせる化け猫たち。
両手を掲げて万歳三唱、つまりこれにて猫多羅村の雪女事件は――
一件落着なのである!