絶対零度と絶対背後
突然のメリーの宣戦布告に、あっけらかんとする雪女。
次第に顔は緩んで、ぷっと息を漏れ出すと、高らかに笑い声を張り上げる。
「おっかしい……とんだ命知らずですわ。なかなかの美人ですが、あなたは生娘かしら? 少しやさぐれているようにも見えるけれど」
メリーはたばこを咥えて火を付けると、冷たく白い息を吐き出した。
「生娘だとしたらどうするというの?」
「いえ、やはりどうでもいいですわ。スモーカーの血は好みではないのでね」
興味を失くした雪女は、”くい”と顎を差し向けると、配下の餓鬼どもがメリーを目掛けて飛び掛かる。
「バァイ……メリーちゃん……」
くるりと背を向けて、駕籠の戸を開く雪女。
背後の音はすぐに鳴りに止んで、駕籠の中に座して出発の時を待つ。
「……遅い。餓鬼どもは何をちんたらと……」
深い溜め息を一つ、待ち兼ねた雪女が小窓から外を覗いてみると――
目に映るのは地に伏せる餓鬼どもの群れ。メリーの姿はその場にない。
「なっ……これは一体……」
「私、メリー。今、駕籠の轅を掴んでいるの」
その声を耳して、雪女は脱出しようとすぐに戸に手を掛けるが、その前にメリーは駕籠を持ち上げると、両手で掴んで360度、ジャイアントスイングをぶっ放した。
「ぎぃああああああ! 目が……回るぅうううううう!」
駕籠の中でしっちゃかめっちゃか叩き付けられる雪女。
最後にメリーが轅を手放すと、飛んでいく駕籠は屋敷に残る石垣を木っ端みじんに吹き飛ばした。
「す……すごいにゃ……」
餓鬼どもの手を離れ、地に膝を落とすミュウの目は、まるで信じられないといった様子で見開かれている。
手を払うと、咥えたたばこを手に取って、ふうと一つ息衝くメリー。
「出て来なさい。その程度でくたばりはしないはず」
大破した駕籠と瓦礫を押しのけて、雪女が這い出て来る。
冷たく白い顔には青筋が浮かび、頭には燃えるような血が滲む。
「くそ女が……私を……この雪女を……麗しきネージュ・フリージアに歯向かうなど……身の程を思い知るがいい!」
ネージュを中心に、辺りは荒れ狂うブリザードが取り巻いていく。
額の血は即座に凍り、ぱらぱらと風に舞い吹き飛んだ。
「|タンペート・ド・ネージュ《荒れ狂う雪の舞い》。猛吹雪を前に、踊る間もなく凍り付けぇえええ!」
ネージュが指を立てると、取り巻く冷気はメリーを目掛けて押し寄せる。
たばこの火は明滅し、赤のドレスは揺らぐ隙もないまま瞬く間に凍り付く。
だがメリー本人は眉一つ動かさない。それは凍りついた訳ではなく、寒さに震えることもなく、一歩たりとも退くことなく、ネージュの瞳を見据えている。
「この程度? 東のオカルトモンスの実力は」
「なにをぉおおお!? 小賢しい!」
ネージュは手を胸に置き、着物の襟をはだけると、辺りの空気は瞬時に凍り付く。
それは青の結晶が宙に浮かぶ、ダイヤモンドダストだった。
「私はねぇ、この着物で力を封じているのですわ。全てを凍らす絶対零度。それがこの私、ネージュ・フリージアの能力よ!」
「全てを……ね」
そしてネージュが着物を脱ぎ去ると、猫多羅村の時は止まった。屋敷も全て何もかも、凍り付いた青の世界。
「あぁああああはははははは! 私に逆らうからですわぁあああ!」
ネージュを除いて全てが凍りつき、空気すらも青く固まった。
これが決まれば絶対必殺、天を仰いで高笑いをするネージュは、その目を前に向けると――
「あああぁぁぁ……あ……れ……メリーが……いない……」
ネージュは雪女で寒さに強い。
寒気とは無縁で、だから悪寒に気付けなかった。
「私、メリー。今、あなたの後ろにいるわ」
気付いて振り向いた時には既に遅し。
メリーの振り上げる右の蹴撃が、ネージュの顔面に突き刺さる。
「ぶが……な、なぜ……凍っていない……」
「あなたは寒さに強いのかもしれないけれど、凍り付けば動けないのは同じこと。つまりあなたの周囲は、アブドリュートゼロから守られているということ」
それが弱点で、絶対零度はネージュですらも凍り付く。だから身の回りだけは一定の温度を保たねばならない。
しかし大きな欠点とはなりえない。なぜなら接近を許さなければいいだけの話なのだから。
だが、メリーはネージュの背後に回っていた。ネージュが勝ちを誇るほどに、気付けぬ速さで動いていた。
「目に映らない……そんなスピードが……足が速いとか……そんな次元では……」
「あなたが絶対を名乗るように、私の能力も絶対なの。絶対確実に相手の背後を奪い取る、絶対背後。それが私の能力」
「問答無用で背後で取る……そんな力が……」
「全てを凍らせるあなたは、自分が凍るのを恐れたわ。恐れる妖怪など恐るるに足らず。そして、喰らうがいい――」
メリーさんの電話。
それは如何なる距離を離そうと、絶対に捉える無限の追跡。
ゴミ捨て場だろうが、たばこ屋からだろうが、国を跨ごうが、海を越えて星すらも跳躍し、次元を貫く強靭無比な脚力。
その蹴撃の連打が、ネージュの五体に襲い掛かる。
「MARYYYYYYAAAAAA!!!」
「あばばばばばばばばば……」
何発叩き込んだかも分からない、無数の連打の末に、メリーの脚はネージュの顔面を貫いた。
「ぶっはぁああああああ!」
民家の壁を貫いて、大木をへし折り、猫大明神の像にめりこむネージュは完全に意識を手放して、そのまま地面に倒れて沈んだ。
そして能力の解除された猫多羅村は、氷の呪縛から解放される。
村猫たちは再び動き出し、しかしメリーは目もくれずにネージュの側まで歩み寄ると、頭を赤い靴で踏み躙り、勝利の言葉を宣言する。
「私、メリー。今あなたの上に立ったわ!」




