一人かくれんぼ
再び悪夢のパトカーに乗り込み、シートベルトを巻いたミュウはエンジンが吹かされると同時に瞼を閉じた。
しかし前ほどの揺れを感じず、薄く目を開いて見てみると、窓の外には緩やかに流れる町の景色が映されていた。
「あ、あれれ? 暴走してないにゃ」
「少しは反省したのかしら? それとも市民を前に無茶はできないとでも?」
ふと寄せた視線の先、ハンドルを握るヨーコの手は酷く汗ばんでいる。
「情けない話ですが……実は私も行きたくないでぇす。いえ……見たくもない。マンションの管理人はお人好しすぎまぁす。私だったらマンションまるまる台無しにした、全ての賠償を請求してる」
「おいおい、警察の姉ちゃん。それは大袈裟だぜ」
「あんたは逃げ出してから一度も見ていないから言えるんでぇす。さ、そろそろ着きますよぉ。右側に見えてくる、五階建ての黄色のマンションです」
ヨーコは右側と口にしながら、しかし視線は左側に寄る。
メリーとミュウは言われた通りに右を見て、ヨーコの言った言葉の意味を肌で理解した。
「うぅ……これは幾らなんでも……」
「にゃ……にゃんて禍々しい怨念」
どす黒い瘴気が五階建てのマンションをまるまると包み込み、特に四階の右から四番目。呪術の行われた部屋から滲み出る底の知れない怨念は、かのメリーの背中ですら粟立てさせた。
「何をみんなビビッてんだ?」
車中の三人を順に見て、家主の男はあっけらかんと首を傾げる。
「あなたにはあれが見えない訳?」
「木の葉天狗は元々、そんなに力を持たない妖怪でぇす。山里から降りて社会に出て、力は更に弱まったと聞きまぁす」
「おい、馬鹿にすんなよな。俺たちの税金から給料を貰ってる癖によ」
ぐちぐちと小言を漏らす男を流し、ヨーコはマンションの敷地に車を停める。
一同は表へ出て息を吸うと、淀んだ空気が肺に沈んだ。
「一人かくれんぼって、こんなに恐ろしい呪術なのかにゃ?」
「世には力が無くても行うだけで、破滅に導く凶悪な呪術がありまぁす。が、基本的には禁止されていて、行えば犯罪として刑罰が下りまぁす。ですが一人かくれんぼは禁止されてはおりませぇん。この男は怖くなって逃げた腰抜けですが、本来は解呪方法も明確で、大した危害も現れませぇん」
一人かくれんぼは、人形などを介して行う呪術。
主にぬいぐるみが使われて、裂いて中の綿を取り出して、代わりに米と自分の爪を詰め込む。裂けた腹部は赤い糸で縫い付けて、ぬいぐるみを水の張った浴槽に沈める。ここまでが準備であり、午前三時になったらゲームスタート。
詳しい順序は割愛するが、まずは自分が鬼となり、ぬいぐるみを見つけて刃物を刺す。次はぬいぐるみを鬼として、自分はあらかじめ塩水を用意した場所に隠れる。
そこから先は珍妙奇天烈な事象が起きるといわれる。ぬいぐるみは鬼となり、部屋の中を歩き回るともされている。
解呪は塩水を口に含んで、ぬいぐるみを見つけた後に塩水を吹きかけて、相手の負けを三回唱えてゲームは終わる。
「心なの。呪術の危険度は心の在り方に比例する。殺害を企む蟲毒という呪術。呪殺を狙う呪いの藁人形。殺意を込めた呪術は当然その力も大きくなる」
「そういうことでぇす。対して一人かくれんぼは己に向けての呪術でぇす。だから殺意もあるはずないし、興味本位程度だから大した力は出せませぇん」
それらを踏まえた上で、メリーは家主の男をじろりと睨んだ。
「なのにこの規模の怨念。まさか死体で呪術を行ったんじゃないでしょうね?」
「だ、誰がそんなことするかよ! 俺は動画の配信者なんだ、死体じゃ公開できねぇだろ! だから熊のぬいぐるみを使ったんだ。信じてくれよ!」
「ほぉんとですかねぇ? その動画を見せてくださいよぉ」
「ここにはねぇよ! 機材と共にあの部屋の中なんだ」
男の言葉に目を細めるヨーコは疑わし気に鼻を鳴らす。
「ま、そういうことで。殺害の可能性もある以上、どうにか解決したい訳です」
ヨーコはこれを何かしらの殺害事件と捉えているが、メリーはというと神妙な面持ちを浮かべている。
「ぬいぐるみと言ったわね。仮にそれが本当なら、こんな呪いを引き起こす代物を、いったい何処で買ったのかしら?」
「買ったものじゃねぇよ。一人かくれんぼはパッと思い付いた企画でさ。だから家の中にあった、ガキの時分に誕生日で貰ったぬいぐるみを使って――」
気付けばメリーは、男の胸倉を掴み上げていた。
まっすぐに見つめる紅蓮の瞳は、恨みを糧に燃え盛る。
「貴様……自分が何をしたのか分かってるのか」
「うげ……な……何のこと……」
「分からないというなら殺してやる。今ここで、この私が――ッ!」
締め上げる腕に力がこもったその瞬間、脇から飛びつくミュウとヨーコが、昂るメリーの体を取り押さえる。
「お、落ち着いて……落ち着くんだにゃ……メリーさん」
「分かります。話を聞いていたから分かります。どうかお気持ちを鎮めて……」
メリーは珍しく息を荒げ、己の仇を見るように脅える男を凝視する。
「私をこのまま押さえていて……じゃなきゃすぐにでも、この屑を殺しかねない」
「分かった、分かったにゃメリーさん。絶対離さないよ。メリーさんを傷付けたりしない……ボクはメリーさんを一人ぼっちにはしないよ」
「…………ミュウ」
メリーの暴れる力は少しだけ緩まって、その後は脅える男の先導で、四階までを階段で登りはじめる。
「エレベーターの不具合が多いそうでしてね。閉じ込められるのも癪ですから」
三階まで辿り着き、踊り場を曲がって四階が目に入ると、より一層禍々しい空気が階段を伝って降りてくる。
「だ、駄目だにゃ……これ以上は上には行けにゃい」
「前より酷い……扉の前にすら辿り着けませぇん」
「これほどの怨念は……ヒラコの豪運ですら太刀打ちできないのでは……」
呪われし四層までの階段。ただ少しの段差が、限りなく高い壁となってメリーの前に立ちはだかる。
紅の瞳を閉じるメリーはマスクを外すと、大きく一つ深呼吸をする。
肺に淀む悪しき空気は、過去に己も生み出した、懐かしき最凶の味がした。
「ここから先は、私ひとりで行って来る。皆はここで待っていて」
「そんな……危険すぎるにゃ!」
「これは過去の私への挑戦だわ。呪いを乗り越え先を見据えて向かい続ける。もう背中は見たくない。私は頂点を目指す為にも、ここで背を向ける訳にはいかない!」
メリーは一歩踏み出すと、四階への階段に足を掛ける。
ぞわりと背中を悪寒がなぞるが、また一歩、また一歩と踏みしめるよう階段に足を着き、そして四階に辿り着いたメリーは、邪悪な四〇四号室の扉を視界に入れる。
「はじめましてじゃないようね。お久しぶり――愛しき呪いの怨念よ」