異界巡り
倒れるミュウを担ぎ上げて、メリーは止めた車に歩みを進める。
中からはか細い息遣いが聞こえてきて、メリーはひしゃげた扉をひっぺがすと、中には列車に乗っていた女が肩を震わせ涙ぐんでいた。
「お騒がせしたわ。だけど安心して、こちらに出てきなさい」
ふるふると、小さく首を横に振る女。メリーはこれでも怪談で、女はメリーの内に眠る恐怖を感じ取っていた。
このままでは埒が明かないと、メリーが女に腕を伸ばした時、担がれるミュウが両手にでんでん太鼓と鈴を持ち、瀕死の笑みを咲かせてみせた。
「にゃぁんにゃんにゃん……なごなごなご……二又三又猫又音頭……にゃんと和やか……猫多羅村のにゃんにゃん囃子……♪」
ごろごろと、優しい音が車内を包み、女の震えは恐怖から笑いに移り変わる。
「あは、可愛い……太鼓と鈴はあなたの出した音だったのね」
「聞こえていたのかにゃ? だったらにゃんで音のする方に来なかったにゃ」
「だって怖かったんだもの。どんどんと迫って来て、恐ろしかったんですもの」
メリーはそら見たことかと視線を送り、ミュウはぽりぽりと頭を掻いた。
「この通り、私たちは危害を加えない。あなたには携帯電話を借りに来たの」
「電話……でも、残りのバッテリーは少しだけ。万一の為に取っとかないと……」
「まさに今、万一に使うべき状況よ。私はメリー・テラフォン。メリーさんの電話って、あなたは聞いたことないかしら?」
人々の知る最たる都市伝説を耳にして、女の顔はすっと青ざめる。
「まさかあなたが……あのメリーさん……」
「その通り。でも襲う気はさらさらないの。襲うなら背後から迫っているもの。そうでしょう? メリーさんは――」
「確かに……そういうものだものね」
「私は電話先の相手まで瞬間移動できるのよ。それがメリーさんの怪談で、つまり電話を使えれば、この亜空間から脱出できる」
「ほ、本当に!?」
メリーは一つ頷くと、再び白い手を伸ばしてみせた。
「ほら、手を握って。そして携帯電話を貸して。大丈夫、先にあなたを元の世界に連れて行くわ」
女は恐る恐る手を伸ばしてみると、掴んだ白い手は思いのほか暖かかった。
「はい、メリーさん。これが私の電話」
「ありがとう。電話を掛けるのは親御さんで良いかしら?」
「うん」
メリーは電話帳の中から、父と書かれた電話番号を見つけると、外線のボタンを押した。
「もしもし、葉純か? 警察には電話したから――」
「私、メリー……」
「……え?」
「今、あなたの後ろにいるの」
その瞬間、辺りは光に包まれて、女はあまりの眩さに目蓋を閉じた。そして再びその目を開くと――
そこは女の最寄りの駅で、目の前には女の父がいた。振り返る父親はメリーを見るや否や、飛び上がって卒倒する。
「お、お父さん! 良かった! 私、戻って来れたんだ!」
「キュゥ……」
一人孤独に異界を巡り、その恐怖は計り知れないものだったはず。
女は倒れる父親に抱き付くと、わんわんと声を上げて泣きはじめた。
「ここは……」
「妖界とはまた別の異世界みたいね。父親は不安になって、娘を探しに駅まで来ていたということかしら」
生還の喜びに震える女だが、メリーとミュウは状況は違えどいまだ異世界。
女の肩に手を置くと、メリーは一つお願いする。
「助けたお礼と言ってはなんだけど、この携帯電話は頂くわ。私たちも元の世界に帰りたいの」
「うん! 是非使って頂戴」
女は快く承諾し、メリーは遂に携帯電話を手に入れた。
しかしここでミュウが首を傾げてみせる。
「あれ……でも、妖界に繋がる電話番号を知ってるにゃ?」
「覚えてる番号はないわね」
「ちょ! それじゃあ妖界には――」
「でも確か、貰ったパンフレットには駅の電話番号が書いてあったはず」
「あ! そういえば!」
ミュウは鞄からパンフレットを取り出して、不死三駅の横の電話番号を読み上げた。
メリーはそれを携帯電話に打ち込んで、耳には呼び出しが流れはじめた。
「さ、早く手を繋ぎなさい。この異界に残りたいのなら別だけど」
「い、行くにゃ! もう異世界は懲り懲りだにゃ!」
ミュウがメリーの傍に寄り添うと、もう一つ手が差し出される。
それは”きさらぎ駅”から生還した、葉純という女の手だった。
「有難う、メリーさん。本当に本当に……」
「ふっ、その手は握れないわ。私は正面に立つのが嫌いなの。次に会う時があるならば、それはきっと……あなたの背中――」
どこからとなく風が吹いてきて、閉じた瞳を開いて見れば、葉純の目には見慣れた駅の風景だけが残り、二人の姿は消えていた。