ばいばい大安町
図らずも天赦屋敷は崩壊し、座敷わらし達は大安町の民家にお邪魔することになる。町人はそれを喜んで受け入れて、あれほどの陰気はどこへやら、見る間に町は明るい活気を取り戻した。
「ほな! たこ焼き百人前やわ!」
「外はサクサク、中はとろけるような舌触り、悪くないわ」
「んみゃあんみゃあ! 食べると幸せな気持ちになれるのにゃ」
料理を運ぶのは化け狐の娘。
厨房の奥では化け狐の夫婦が忙しなく料理を作っている。汗水たらしながらも、顔は精気に溢れていて、生きる喜びを体現するようだ。
その様子を見るヒラコの目には、懐旧の念が浮かんでいる。
「ふむ、やはり大安町はこうでなくては面白くないの」
「狐さんはあの後、奥さんと娘さんに話をしに行ったそうだにゃ。もういじけないから、精一杯頑張るから、だからもう一度、戻って来てくれないかって」
「幸せは待つものではなく掴むもの。ちゃんと自分で動けたなら及第点ね」
幸せな空気に包まれる中、しげしげとヒラコを見下ろす白い巨女。
「ぽふふ、可愛い可愛い。よかったらこの後に、私と一緒にいいことしましょ?」
「ほっ、ご免被るわ」
ヒラコはたこ焼きを一つ摘まむと、だらしなく涎を垂らすユイの口に放り込んだ。
「ぽぽぽ!」
「にゃはは、それにしても傷も毒も完治して良かったにゃ。ヒラコの豪運と組み合わせれば、おやすみなさいも乱数調整のごとく一発で引き当てたのにゃ」
「熱っつ熱っつ! ぽっぽぉおおお!」
顔を真っ赤にして、蒸気機関車のように煙を噴き上げるユイ。
それも見るにヒラコは、思い出したように拳を一つ叩いた。
「ほっ、そういえば。大安町の北には鉄道が通るようになっての。うぬら旅の者じゃろ? よければ使うて行くがいい」
「鉄道!? ボクはじめて見るにゃ! メリーさん、ぜひ乗ってみたいにゃ!」
「そうね。歩くのにも飽きていたし、ここは一つ次の町までは、列車の旅というのも悪くないかもね」
「ぽぽ……そうした方がいいぽ。私も隣町から来たのだけど、歩くとなると山を越えなくっちゃならない」
「ユイはどこから来たんだにゃ?」
「不死三町だぽ。不死山のお膝元、妖界一の山の麓の出身だぽ」
西の妖怪であるメリーでも、妖界一の山の名は知っている。
それを思うに、メリーは店の壁掛け時計に目を向けた。
「結構距離がありそうね。今から出ても目的の町には辿り着けないかも」
「なぁに、夜間も走り続けるから安心せい。ほれ、これが時刻表と駅の一覧じゃ」
ヒラコの差し出すパンフレットを受け取ると、そこには時刻表に加えて観光情報や名産品も載っていて、住所や電話番号まで記されている。
さながら観光案内の小冊子で、末尾には不死三駅までの間を繋ぐ駅名がずらりと記されていた。
「あら、隣町と言った割には途中に降りる駅が幾つもあるじゃない」
「山村のあやかしが使う駅じゃよ。降りたところで何もない。それに――」
「それに?」
今や幸福に包まれる大安町だが、ヒラコの瑞々しい眉間には深い皺が刻まれる。
「降りてはならん、絶対に。不死三駅に着くまでは、ゆめゆめ列車から降りるでないぞ」
「降りにゃいよぉ。山の中で降りたって、困るのはこっちだにゃ」
「……ならば良い」
妖界には禁忌が無数に存在する。掟にしきたりに儀式に呪術。数えはじめたらキリがない。
するなと言われたことは、しなければいい。ただそれだけ。だからメリーもミュウも、ヒラコの忠告を別段深く掘り下げることはしなかった。
「ユイはこれからどうするのにゃ?」
「せっかく座敷わらしに会えたのだから、もう少し堪能させてもらうぽ」
「悪戯はしちゃ駄目だにゃ」
「もう不幸は懲り懲りだぽ。大人しく愛でるだけにしとくよ」
勘定は既に支払い済み。それを何故だとユイに問われてメリーが一言。私からのサービスだと答えると、ユイは感謝してメリーに頭を下げた。
その後方でミュウは人知れず、ユイの背中に頭を下げた。
「ばいばい! 狐さん! これからもお幸せに!」
「ほんま……ほんまおおきに! おたくらの旅の成功を祈っとる!」
化け狐の一家に見送られて、一行は大安町の北にある大安駅に歩みを進める。
遠目には二階建ての瓦屋根の駅舎が見えて来て、切符を買ってホームに登ると、そこには巨大で長大、漆黒の機関車が停まっていた。
「にゃっはぁああああああ! 凄いにゃ! こんな鉄の塊が動くなんて!」
「あなたって本当、世情には疎いのね」
「猫多羅村から出ることにゃんて、滅多ににゃいもん」
「ぽぽぽ、ミュウが不死三町に行ったら驚きっぱなしになるだろうね」
「こちらの風情とはまるで違うからの。楽しみにしておくと良いぞ」
メリーとミュウが列車に乗ると、機関車は黒煙を噴き出して、大安町には汽笛の音が轟いた。
機関車はゆっくりと動き出し、二人は窓際のボックス席に着くと、窓を開いてヒラコとユイに手を振る。大安町は次第に次第に遠ざかり、ホームが見えなくなったところで、ミュウは名残惜しくも車窓を閉めた。
ユイも最後まで見送ると、駅のホームを後にする。
「ぽら、ヒラコ。もう行こう」
「……鬼に呑まれんと良いが」
「ぽぽ? なんだって?」
「大安町を出れば、もはやわらわの豪運も通じん。”きさらぎ”の呼び声だけには、耳を傾けてはならんぞ――」