幸運をお届け
町の中心に佇む立派な屋敷。天赦屋敷といわれる御殿には、メリー達より先に一人の町人が訪れていた。
町人の化け狸は大広間で頭を下げ、その先には奥へと続く襖が閉じている。
広間には何処からとなく、おかっぱ頭のわらべが二人現れて、襖に手を掛けると恭しく左右に開いた。
「ヒラコ・テンシャンス様のおなぁりぃいいい!」
現れたのは初心から逸脱した、けばけばしい艶女の成りをした幼女。
摺り足を追って這うのは長大な十二単。白の頬には薄ピンクのチークが乗り、目元はアイシャドーとアイライナーで肥大化する。
ぱっつんヘアはそこらの座敷わらしと変わらぬが、頂点には二つの輪っかが備わっていて、それはさながら乙姫を思わせる稚児髷が咲いている。
「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃん――じゃ。わらわこそ偉大なるヒラコ・テンシャンスなり。苦しゅうある故、そちは面を下げておけ」
「へ、へへぇぇぇ……」
座布団に腰掛けるヒラコは、片手に持つ扇子を口元へ添える。
「実は此度訪れた理由は――」
「だぁれが喋って良いと申した。頭が高いぞ化け狸。なほ頭を下げよ」
「へへぇ!」
懇ろに頭を床に擦り付けると、まぁるい体の化け狸は、ころんと一つ前転し、ヒラコの前で尻もちを着いた。
「…………あ」
「…………死刑じゃ」
どこからとなく現れた二人のわらべが、化け狸の脇を左右から掴み上げる。
「ままま、お待ちくだはれ! わてはヒラコ様に座敷わらしを返して欲しいと!」
「痴れ者が。うぬらの商いなぞ知ったことか。代わりにわらわが、剥いだ狸の皮算用をしてやるわ!」
すると化け狸の前にはまた一人、すうと透けたわらべが現れて、その手には鉈を握っている。
「ぽんぽこぽぉおん! 助けてくれぇえええ!」
「ほほほほ! ああ可笑しい。まこと人の不幸は腹を捩るほど笑わせよる!」
もはや扇子で隠す気もなく、大口を開いて嘲るヒラコは、笑い過ぎて涙まで浮かべる始末。
その悪しき様を見るに、化け狸の胸中に宿るのは怒りではなく哀しみだった。
「なんでや! 昔は優しかったヒラコ様……なんで変わってしまわれたんや!」
「……世の理ぞ。じゃが冥途の土産は好かんのでな。今から程なく死すうぬが、それを知る必要はないわぁあああ!」
わらべが腕を振り上げると、化け狸は涙に暮れて目を瞑る。そしてヒラコが”やれ”と一言、頭に鉈が振り下ろされた。
赤に染められる大広間。
しかしその血のように鮮やかな赤は、ゆらゆらと炎のように滾る赤。
「う……うぬは……」
鉈を振る座敷わらしの後ろには、いつの間にかメリーの姿が。その手には狸の頭を砕く直前にすり取った鉈が握られている。
狸は慌てて逃げ出して、振り返るメリーは鉈を投げ捨てると、ヒラコのけばい瞳に鋭い眼光を飛ばした。
「背後に立つなぁああああああ!」
「え……えぇえええ!? 勝手にうぬが割り込んできただけじゃろ! しかもわらわ座ってるし!」
「言い訳無用! あなたは今すぐこの私が――」
するとメリーの行く手を遮るように、一つの長い手が伸びる。
「ぽぽぽ、まあ待ちなよ。先にこの私に行かせて頂戴」
「ユイ……」
見上げるメリーの目に映るのは、先行を切る勇ましき戦士の姿――ではなくて、物欲しそうに舌なめずりをする、欲望に駆られたユイの歪んだ笑み。
「厚化粧だけれど、紛れもない子供だぽ。ぽふふ……可愛い可愛い……可愛くって……ぽぽぉ……攫っちゃってもいいかなぁああああああ!」
「ほっほ……気持ち悪いと言いたいが、妖怪は須らく子供狙う”ろりこん”集団。わらわを欲すると――」
畳んだ扇子を空に向けると、ヒラコ・テンシャンスは書を走らせる。
「抜かすなら、殺してやろう、八尺女ぁ」
対するユイ・フィートは、拳を鳴らして身構える。
「ぽぽぽぽぽ、ぽぽぽぽぽぽぽ、ぽぽぽぽぽ……」
肩慣らしは互いに季語なしのドローにはじまり、そしてここからが戦いの本番。
巨拳を振り上げて迫るユイに対して、ヒラコは座した姿勢を崩さない。
閉じた扇子を優雅に持ち上げて、ただただユイに差し向けるのみ。
「ぽほぉおおお! 可愛いのぉおおお! 今すぐ着物を剥いでぇぇぇ……ぐっちゃぐちゃにしてあげるねぇえええ!」
昂るユイの足は急いて絡まって、前のめりに倒れ込む。”ぽ”っと、一言だけ驚き声を発して、直後にユイの喉は言葉を発せない状況に陥る。
「ひゅー、ひゅー」
転んだ拍子のことだった。鎖骨の間の少し上の薄皮を、ヒラコの扇子が貫いた。
ヒラコは微動だにしておらず、ユイがはしゃいで勝手に転んで、偶然当たり所が悪かったと――そういう風に見える。
「ほほほ、いみじき不運。いや、わらわにとっての幸運といったところかえ」
碌に息も吸えぬ中、ユイの左手はヒラコの首へと伸びる。着物の襟を掴んで引き寄せると、固めた右拳を振り上げた。
するとヒラコはちょいちょいと、扇子を持つ手とは逆の手で、掴まれた襟を指差したのだった。
「なにやらむずむずしておっての。何故だと思うたが、ちょうど今それが収まった」
「!?」
掴んだ手に痛みを感じて、ユイは襟から手を離すと、開いた掌には一刺しで絶命に至るほどの、凶悪な毒蟲が握られていた。
直後に頭がぼやけて、ユイの巨体は畳に崩れ落ちる。
「やや、これは蟲毒を勝ち抜いた蠍ではないか。どこぞに逃げたと思うたら、こんなところに潜んでおったとはな」
数多の毒蟲を共食いさせる蟲毒という呪術。生き残った毒蟲は神霊となり、稀なる毒を宿すという。
「そ、そんにゃ……一時はメリーさんをも苦しめたほどのユイが、戦う前に倒れるにゃんて……」
「いいえ……ミュウ……戦いは既に、はじまっているのでは……?」
攻めあぐねるメリーを前に、ヒラコは裾を捲し上げて立て膝を。目元の化粧はまるで隈取で、見得を切る様はさながら歌舞伎役者。
「じゃじゃん♪――じゃ。わらわの幸運配達の前に儚く散れ」