表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

プロトタイプのノート

猫と春と血生臭い街の屋敷

作者: マサ

 一匹の猫を腕に抱えながら、漢服っぽいデザインの服を着た男は歩いた。

 その手にある地図と携帯電話の画面を照らし合わせながら、周りを観察しずつ、彼は歩み進んでいた。

 そして、街の名前を示す看板に気づき、男は足を止めて、看板にある文字を確認した。

 男が止まっている事に気づくと、彼の腕の中にいる猫がゆっくり体を動かし、腕から肩へ、肩から更に前足を伸ばし、あっという間にその猫はバランス良く男の頭の上に乗った。


 猫にも重量はあるけど、頭が乗っかられている事をあまり気にせず、男は懐の中に地図を仕舞い、そして携帯電話を操作して、時間を確認した後、男は口を開いた。


「久々にここに来たけど、今回も外れな気がするな」

『でも、信頼できる情報屋さんから貰った情報でしょう? それに、前に来たの結構昔の事だったし、今回の捜し物は見つかるかもしれないよ』

「だといいけどな……前に来た時はまだ旅慣れしてなかったから、君に迷惑をかけた記憶しかないが」

『いいのよ、私だって似たようなものだし、お互いさま』

「ははは、結局私達って、いつもこうして助け合っているんだな」

『そうだね、いつもありがとう、(シュン)


 声だけを聞いていたら、男女の二人が普通に会話しているだけで、何もおかしい事はない。

 しかし、よく見てみると、この場に存在する人間は春と呼ばれる男性たった一人。彼の話し相手は、頭に乗っている猫だった。


 猫と喋る人間というのは実に奇妙な光景ではあるが、その場にいるのは春と猫だけ。周りを見てみると、他の人間ところか、まっ昼間だというなのに、街の中には動いてる物が全く見当たらない。

 ふっとその異状に気づき、猫は慎重に春の腕に戻った。そして、ペロッと彼の頬を舐めた後、小さな声で彼女はそう話した。


『ねえ春、気のせいと思っていたけど、ここの匂い、なんか変だよ』

「確かに、普通の異臭にしてはおかしいな、これは……血なまぐさい」

『うん。それにこの匂い、なんか嫌な感じがする』

「まあ、血の匂いもそうだけど、人の活気も感じられないなら、こうもなるよな……さって、正面から入るか、それとも回り込んでみるか?」

『下手に回り込んで悪い人と誤解されるより、正面から入った方がいいと思うよ』

「了解。携帯電話はマナーモードにしたから、話したい時は猫の鳴き真似をしてくれ」

『わかった』

 そう春に答えると、猫は春の頭から降りて、普通の猫のように、彼女は大人しく春の腕の中に収まった。

 そんな彼女の頭を撫でた後、春は改めて街の方へ向き、少し考えた後、春はそう呟いた。


「念の為に、一応偵察をしてみよう」

 その言葉と同時に春は懐から一枚の札を取り出し、右手の親指を噛んだ後、歯で破いた指から溢れた血を使って、春は札に模様を書いた。

 きちんと血が乾いたのを確認すると、春は札を空中に投げた。

 すると、その札は途中で姿を変えて、鳥のようになった札は春の使い魔として街の方へ飛びだった。

 しばらくして、街を一周してきた使い魔は春の元に戻り、見てきた景色を春に教えると、使い魔は札と一緒に消えてなくなった。

 使い魔が消えるのを横目に、春は今届いた街の様子を見て、眉間に皺を寄せた。

「どうしたの? 春」

「街の中、というより家の中だが、ほぼ全員体のどこかが欠損している」

「えっ、でも前に来た時は欠損している人なんて居ないはず」

「そう。前にこの街に来た時、豊かではないけど、人々は普通で温かい生活を送っていた……だから、少しだけ準備しよう」

 そう言って、春はもう一枚の札を手に取り、先程と同じように血で模様を書くと、すぐに春は漢服の袖をめくり、その札を自分の右腕に貼った。

 すると、すーと右腕が消えて見えなくなり、右の袖がぶらんと凹んでしまった。

 そうして、左腕しかない振りをした春は猫を抱えて、一度深呼吸をした後、春は猫と一緒に街の中に入った。


 先程は使い魔の力を借りて、一度街の様子を見たけど、実際に目にすると、春は強い嫌悪感を覚えた。

 どの家の窓も扉も木の板で塞いで、何も見えないようにしている。元々は空いてるデザインの壁や柱も同じように、視界を遮るように布や土で埋めている。

 そんな光景を見て、他の家や建物を無視し、春は真っ直ぐにこの街で一番広い屋敷の方へ向かった。


「ふーん、血生臭いな」

『にゃー』

「でも、多分ここに入るのが一番早い……ちょっと頑張るわ」

 ゆっくりと猫を下ろして、頭を撫でであげた後、春は左腕をあげて、屋敷の扉を叩いた。

 この屋敷は他の家と違って、扉は板で塞いてなかった。そのため、すぐに中から音が聞こえて、暫くすると、驚いた顔で誰かが扉を開けた。

 その使用人らしき少女の首元には包帯が巻かれており、彼女が口を開くよりも先に、春は懐から軟膏を取り出して、その欠けた右耳に軟膏を塗りながら、春はそう話した。

「じーとしてください。何故こんな怪我をしたのかは分かりませんが、きちんと手当をしないと、傷が悪化して、最悪死にます」

「あっ、ありがとう、って、そうではなく、どちら様ですか?」

「ああ、申し遅れました。私薬師の春と申します」

「薬師……もしかして医者さん?」

「そうとも言いますね。ところが、旅の途中で食料が足りなくなり、補充したいのですが、この街に店はありませんか?」

「あっ、ええと、店は……」

 少し困ったように笑う春を見て、右耳のない少女が口篭もっていた。

 しかし、すぐその後ろから怒鳴り声が聞こえて、その人と一緒に、春は声のする方を向いた。

「こら! 一体何をしておる!」

「あ、旦那様。旅の薬師がっ」

「薬師だと!」

 そう声を上げると、旦那様と呼ばれる男はドンドンっと人の足音とは少し連想しづらい音で春の前まで歩いた。

 そして、春が少女人の耳に手当をしていた事に気づくと、一気に男の態度が変わり、春の手を握りながら、男はそう言った。

「おお! まさに救世主! 丁度怪我人が多くいるので、是非是非、見てやってください、お金ならいくらでもあるから」

「怪我人ですか、分かりました。また、食料が足りませんので、お代よりも食事と、旅に充分な食料さえあればそれで構いません」

「おお、おおう! もちろん、もちろんとも、ささ、どうぞ、どうぞこちらへ」


 そう言い終わると、男は春の手を引っ張り、屋敷の中へ連れて行こうとする。

 特に抵抗する事なく、春は少女の方を見た。そして、わざと軟膏を落としてから、春は男と一緒にその場から離れた。


 男と春を見送った後、少女は周りを見渡して、慎重に軟膏を拾い上げた。そして、春の軟膏を懐に隠して、少女は逆の方の通路へ向かって走り出した。

 その光景をしっかりと目に写り、猫は屋敷の中を見渡した。そして、彼女はひっそりとその使用人の後を追い、その姿は影の中に消えていた。



「……はい、これで治療は完成です。傷口がまだ完全に塞がっておりませんので、出来るだけ安静にしてくださいね」

「はっ、はい、ありがとうございます、旅の薬師さん」

「いえいえ、どういたしまして。では、次の方どうぞ」


 屋敷の広い部屋の中で、春は病人をみていた。

 どうやって服の中に入れたのかは謎だけど、春は次々と薬箱の中から軟膏や薬を取り出して、左腕だけとは言え、テキパキと適切な処置を施して、春は病人の治療を終わらせた。


 穏やかな声で、落ち着いた笑顔で、春は治療する人たちに優し言葉をかけた。

 そんな春が片腕で治療しているのを見て、少し遠巻きで見ていた屋敷の主である男は部下の人と何かを話し、そして、その部下達は慌てて部屋から出ていった。


 後ろで何かの指令を出されたんだろうと呆れながら、春は怪我人の腕に薬を塗り、丁寧に注意事項を説明した。

「怪我はこれで大丈夫です。後はこの薬を食事の後で飲んでください、痛みを和らげる事が出来ます」

「ありがとうございます、薬師さん」

「どういたしまして。……これで全員ですか?」

「えっ、ええ……はい」


 煮え切らない態度でそう答えたその怪我人を見て、春は最初少し不思議に思った。

 けど、その瞳を見て、その視線の先に映る自分の背後にいる男の部下達の存在に気づき、春はただ目を閉じ、そして、そのすぐ後で春は後頭部からの打撃で倒れた。


「だっ、旦那様、この人治療してくださってるのですよ? 本当に贄として捧げるのですか?」

「黙れ言うことを聞け! それともなんだ! お前らが今回の贄になるというのか!」

「そ、それは……」

「分かったらさっさっとそいつを運べ! ああ、ちゃんとそいつを運べたら、この薬箱を使ってもいいぞ、どうせこの中の物も全部俺の物になるからな! ハッハッハッ!」

 傲慢な笑い声を上げながら、男は部屋から去っていった。

 残った部下たちは自分を治療してくれた春を見て、それぞれ躊躇はあった。しかし、結局男が怖くて、部下や使用人達は春の体を担ぎ上げ、隠された地下の牢屋へ向かった。


 罪悪感からか、後ろめたさからか、彼らは何も言わずに廊下を歩いた。

 屋敷の中はとても静かだったけど、彼らは気づかなかった。

 春の懐から、ひっそりと数枚の札が飛び出てきた。そして、春の体の右側でその札達は止まり、少しずつその上に謎な模様が書かれた。


 模様が完成した瞬間、札は次々と春を担いた人たちの背中へ張り付き、そして、面白いくらいに、札がついてる人が次々と倒れた。

 暫く春は同じように地に倒れたが、他の人が皆寝ている事を確認したら、気絶したフリをやめて、春はゆっくりと立ち上がった。

 一度服装を整えて、右腕が見えなくなる札を新たに貼り直した後、すんすんと屋敷の中の匂いを嗅ぎ、春の眉間に皺が寄せられた。

「中から感じる血生臭さは外の比ではない。けど、屋敷の連中の反応派至って普通……となると、呪いの匂いか」

 そう判断すると、春は慎重に袖を探り、先程使ったのと違う薬箱を取り出した。

 パカッと蓋を開けて、中から素早く幾つかの植物を選び、それを近くの花瓶の中入れた後、春はその植物に火をつけた。

 少ししたら、着火した植物から焚かれた香味が辺りを満たし始めた。

 血の匂いが薄れたのを感じながら、一度近くの窓が封じられた事を確かめると、春はその場所から離れて、血の匂いの出所を探りずつ、猫を探しに春は廊下を渡った。



 一方、春が怪我人の治療している間に、猫は使用人の少女の後をつけていた。

 少女は春がわざと落とした軟膏を大事に抱えて、どんどんと地下の方へ降りていき、そして、牢屋のような空間に入った時、少女は脇目も振らずに手前のベッドの方へ向かった。

「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」

「…………」

 いくら少女がベッドに横たわる兄に声を掛けても、ボロボロの包帯を巻いた彼からは何の反応もなかった。

 しかし、それを見ても、涙を目に含ませながらも、少女は一生懸命に声を掛け続けた。

「あのねお兄ちゃん、今日ね、すごい薬を手に入れたの。さき塗ってもらったけど、耳が痛くなくなったの」

 声が震えていても、少女はしっかりと軟膏の蓋を開けた。兄の顔の包帯を解いて、その凹んだ左側の目を見て、涙をこぼしながら、彼女はその顔の傷に軟膏を塗った。

「私ね、聞いちゃったんだ。明日お兄ちゃんを……処分するって、それで、次は私だって。だから、一緒に逃げよう、せめて死ぬ場所は私達で、決めよう……」


 そう言い終わると、少女は一回離れて、部屋の片隅の方へ向かった。

 そして、自分の服をナイフで切って、即席で作った包帯代わりの布を用意すると、少女は兄の傷口をその布で巻こうと手を伸ばした。

『待ちなさい』

「っ! だ、だれ!」

『通りすがりの猫神だよ。それより、そのまま巻いたら軟膏が布に全部着いちゃうから、これを使いなさい』

「えっ、猫……神?」

 誰かの声を聞き、少女の肩がビクッと跳ねて、不安そうな目で少女は声のする方へ向いた。すると、猫がいた。

 夢でも見ているのかと少女は目をこすった。けど、そんな少女の戸惑いを全く気にせず、猫はベッドの方へ飛び移った。

 一度少女の兄の様子を見ると、猫はその横で仰向けになり、腹の方に固定している袋を少女に見せながら、猫はそう教えた。

『この袋の中に白い布があるから、先にこれを使って、薬を塗った場所を被してあげなさい』

「は、はい」


 まさか猫と話しているとは信じられず、少女は戸惑っていた。しかし、猫が丁寧に教えてるのを聞いて、少女は慣れない手付きでも頑張って手当をした。

 汚れた服を脱ぎ、傷口の周りにある汚れや埃を拭き取り、改めて軟膏を塗って、そこに白い布を当てて軟膏を固定する。

 最初は固まった血や変な匂いを放つ傷口に驚いて、少女の手は進めなかった。けど、猫が慎重に、一つずつ教えてくれるおかげで、ある程度の応急処置が出来た。

 その時、少女はなくなってしまった兄の右腕を見て、また涙を流して、少女はそう呟いた。

「猫神さん、どうしてお兄ちゃんの右腕は取られたのかな」

『それはきっと悪いもののせいだよ。あなたも、あなたのお兄さんも何も悪くはないわ』

「本当? 旦那様は、私達兄妹のお家にお金がないから悪いって、だから売られたって、もう人じゃない、旦那様の物なんだって」

『そんな言葉を聞いちゃ駄目よ。金がなくても、あなたもあなたのお兄さんも頑張って生きてきた。あなた達は立派に人として生きてて、決して物ではないわ』

「……良かった、良かったよ」

 猫の言葉を聞き、少女の涙が次々と溢れて、顔を濡らしていた。

 そんな少女の姿を見て、猫はゆっくりとベッドから降りて、少女に寄り添うように、猫は少女の側まで歩いた。

 近づいてくれた猫に気づき、少女は涙ながら手を伸ばした。けど、手に付いてる血と汚れに気づき、少女の手は止まった。

 途中で止まった少女の手を見て、猫は一歩一歩と近づいた。そして少女の膝の前まで歩き、猫は背筋を伸ばして、触ってもいいよという風に、猫は顔を上げた。

 自分の手の汚れを気にしないように近づいてくれた猫を見て、少女は驚いた。けど、手を伸ばして、少女は猫を強く抱きしめた。


「ふーん、こんな場所があったんだ」

「あっ! ………薬師さん?」

 突然聞こえてくる足音に怯えて、少女は急いでベッドの下に隠れた。しかし、降りてきたのが先程見た春だと知り、少女はちょっとだけ安心した。

 そんな少女の声に気づき、春が視線を移した時、ベッドの方に居る少女の兄に気づき、春はベッドの方へと歩いた。

 施された応急処置を確認しながら、春は懐から札を取り出し、そしてそれを少女の兄の右肩と左側の顔に貼ると、春は少女にそう話した。

「私と君の手にいる彼女は、本当はこの街を酷くした悪いものを探しに来た。そして、その悪いものは恐らくこの屋敷の中にある……君の右耳とこの少年の腕はどこまで持って行かれたのか、教えてもらえるかい?」

『私からもお願いするわ。君と君のお兄さんが、これ以上ひどい目に合わせたくないの』


 いつの間にか猫は少女の腕からすり抜けて、春の元へ歩いた。

 驚きの出来事の連続で、少女は固まっていた。でも、春と猫を見て、その真剣な顔を見て、少女はゆっくりと口を開いた。


「実は…………」



「ここの床から降りれる隠し通路か、まあ、よくある事だと言えばよくあるけどな」

『他にも衰弱している人たちがここに居るのも、運びやすくする為なのかな』

「だろうな。しかし、この力の濃さ、子供たちを外に出す余裕はないな」

 そうため息をつくと、春は袖の中から一枚の鏡を取り出した。そして、その上に何か模様を書きながら、春は少女にそう教えた。

「私はこれからこの鏡を使って、扉を作る。その扉に入ったら、君と君の兄は私の知人の所まで移動する事ができる、それで治療を受けられるだろう……ただし、一つ気をつけないと行けない事がある」

「鏡が扉? それで移動? えっと、何に気をつけたらいいの?」

 あまりにも破天荒な言葉に少女はどこか困惑した。けど、猫とも喋れた事を考えると、恐らく春は本当の事を言っている事を感じ、少女は春にそう聞いた。

 そうすると、春は着ていた漢服を脱ぎ、それを少女の兄に着せた後、その体を起こしながら、春はそう答えた。

「中に入ると、すごく眩しいから、目を閉じないといけない。しかし、一度転んだら、二度と出れなくなる。……目を閉じるだけでなく、君が兄を背負って行くのなら、足元には気をつけないといけない」

「わ、私に出来るのかな」

「時間は気にしなくていいから、ゆっくりでいい。一歩ずつでもいい。途中で何回休んでもいい。音楽が聞こえたら、君たちは安全だ……どう? 行ってみるかい?」


 春にそう聞かれて、少女は暫く俯いた。

 正直に言うと、少女には自信がない。一人だけなら、最悪死んでもいいと少女は思った。けど、自分の兄の命すらも背負うことになると、少女は怖くなった。

 でも、このまま居ても何も変わらないし、何より自分の兄がここまま死ぬのは見たくない。


 そう思って、少女が顔を上げる時、ゆっくりと掠れた声が聞こえた。

「りり……おれは、いい…………で、にげって」

「にっ、兄ちゃん!」

 じわりと兄の顔からにじみ出る赤い染みを見て、りりと呼ばれた少女は必死に声を上げた。そして、春から兄の体を預けて、りりは泣きながらそう言った。


「イヤだよ! お兄ちゃんをここに残したくないの! 私、ずっとお兄ちゃんに守ってもらってばかりで、何も返せてないの、だから、だから! せめて最後はここじゃない場所で、お兄ちゃんと一緒に居たいの」

「……おれっ、重い、ぞ」

「バカ……今のお兄ちゃん、すごく軽いのよ」

「そうか、軽いのか……頼んだ、りり」

「うん、任せてよ、お兄ちゃん」

 そうやって自分の兄を大事に捕まって、りりは春の方へ向いた。そんな決意に満ちた少女の顔を見て、春はにっこりと笑い、そして鏡を手に掲げて、春は声を上げた。


「鏡よ鏡よ、我が要求に答えて、合わせのその先の世界へと繋げ!」


 春の声に応えるように、鏡が段々と大きくなり、そして、最後の言葉と共に、巨漢が簡単に通れる程大きくなった鏡は春の手から離れて、その下部分は少しだけ地面にめり込んでいた。

 自分と自分の兄よりも大きくなった鏡を見て、りりは目を丸くしていた。しかし、春の言葉を思い出して、りりはもう一度自分の兄の体をしっかり捕まって、少女は目を閉じ、鏡の方へと歩を踏み出した。

 まるで鏡などそこになかったかのように、少女とその兄は何かにぶつかることなく、あっという間に二人の姿は鏡の中へと消えた。


『行けたのね』

「ああ。悪いな、帰りは徒歩になった」

『いいのよ。あの子達を助ける為だもの』


 猫の言葉と同時に鏡の入り口が砕け散り、それを見届けた後、春と猫は教えて貰った床の方へ歩いた。

 そして、春は床に敷いてある一枚の石版をめくり、その時、中から風が吹いてきたのを感じた。横に掛けてある長いハシゴを見て、通路があることを確かめる事が出来た春は中の空気を分析し、どこか嫌そうな声で彼はそう言った。

「血の匂いと腐った肉の匂い、これは手遅れかもな」

『どういう事?』

「君には言わなかったけど、実は最初の探査の時、もうこの街に残ってる生者はこの屋敷の者しかいなかったんだ」

「ああ、欠損した人たちはいた。しかし、もう既に皆息絶えていたんだ」

『……だから、街があんなにも静かだったのね』

「ああ。恐らくこの屋敷の主が何らかの方法で『無名主』……名前も知らない死者の亡霊を見付けて、それを祀っている。そして供物として、人の体を選んだのだろう」

『無名主の供物に体って、それじゃ、あの子達の怪我はやっぱり人為的なものだったの?』

「……血肉は道術にも呪術にもよく使われてるから、本意はともかく、祓ってやらないと、あの兄妹についた呪いは消えないだろう」


 深くため息をつき、春はインナーに着たシャツのボタンを外して、ベルトにつけている札入れなどを確認した後、猫を見て、春はそう聞いた。

「今回はどうする? 一緒に来るのか?」

『そうね。追手はないみたいだから、今回は一緒に行くわ』

「わかった」


 そう答えると、春は左手を伸ばし、猫を腕に抱えた。そして息を吸い込み、一枚の札を先に投げた後、春は通路の中へ飛び込んだ。


 少し長い滞空時間が過ぎ、札を着地ポイントにして、春と猫は一番下までついた。懐から札を取り出して、その上に『明』を書いた後、春は札を空中へ投げた。

 そうしたら、札が簡易的照明になり、空中に漂う札は真っ暗だった空間を照らした。

 瞬間、足元や壁に散らばる人の血や骨が顕になり、その光景を見て、猫は小さな声でそう鳴いた。

『春、これって』

「弔う時間はない、今は一番匂いの濃い場所へ向かうぞ」

『……そうだね、行こう』

 怒りを孕んだ春の声を聞くと、彼も動揺している事を理解して、猫は大人しくその腕に収まった。


 そうしてベチャベチャと濡れている地面を踏み、春は血の匂いを辿り、奥へと進み付けた。

 途中で何回か明かりの札を交換したが、それでも着実に進んでいるようで、春の靴底に血の匂いが染み付いた頃、二名は一つの墓碑を見付けた。

 普通の墓碑なら、名前とか苗字とかが乗っている筈だ。しかし、その墓碑には何も書かれてないし何も刻まれてなかった。

 その墓碑を見て、春はもう一枚の照明札を追加し、そして墓碑の周りをくるっと一周してみて、春はそう口を開いた。

「無名主の墓だ。しかし、中身は空っぽだ」

『アレ? って事は中に誰も居ないの? 元凶はここの無名主ではなかったの?』

「もしくは誰かが無名主を吸収したとか……誰だ!」


「ほう、ここまで来たのは誰かと思ったら、旅の薬師ではないか、わざわざ自分から来てくれるとは、なかなか利口じゃねえか」

「あー、こっちのパターンか」


 後ろからの声を聞きながら、春はどこか呆れた声でそう呟いた。

 しかし、春の呟きに気づくことなく、闇の中から姿を表した屋敷の主は春と猫を見て、ゲス笑いを漏らしながら男はそう言った。

「町の外で見ていたけど、なかなか別嬪なのに、元から片腕なのは惜しいな」

「えっ」

「でも大丈夫、お前は最後まで遊んでやるよ」

「面倒だしこのままで行こうか」

 一度だけ意外な声を零したが、後ろから迫ってくる男の声を聞いても怖がることはなく、春は目の前の墓碑を見て、手のひらの皮を猫に破ってもらうと、春は手のひらを全体に使って、その墓碑の上に呪文を書いた。

 流石に春の行動が良くない物だと気づき、男はそれを阻止しようとしたけど、猫からの強い頭突きを食らって、男は後ろの方へよろけた。

 その隙を見逃すことなく、更に追撃の爪攻撃を与えながら、猫は声を上げた。

『春!』

「あいよ! これで完成だ」


 丁度最後の一筆が完成し、春が無名主の墓碑を叩くと、その墓碑から凄まじい力が放たれて、そのすぐ後に地揺れが起こり、男は蒼白な顔で春にそう叫んだ。

「お前! 何をしやがった!」

「簡単さ、ここに捕まってる無名主の幽霊さんを開放してやたんだ」

「ばっ、馬鹿な! いくら使って捕まえさせたと思ってるんだ!」

「さあ?」

「はあ? はあ! 何も知らない小僧が俺の計画を邪魔するな!」

 襲ってくる男を見て、春は淡々と一枚の札を取り出して、その男の顔に貼った。すると、男はすぐに動きを止めて、そのまま男の体は地面に倒れ伏した。

 男が動こうと藻掻いてると、春は猫と一緒に墓碑の近くまで歩き、暫く観察したあと、二名はそう結論をつけた。

「情報は合ってたけど、探している物ではなかったな」

『そうだね、じゃあ、もう帰る?』

「そうだな、上がろうか」


「おっ、おい! 待って! 置いていくな!」

 春と猫がそのまま帰ろうとした事に気づき、男は慌てて声を上げた。

 その声を聞き、春は何かを思い出したかのように男の方へと振り向き、そしてにっこりと笑った後、春はそう言った。

「私を捕まえようとしたのは知っていたけど、別に気にしていないから、札を取ってやろう。ただ、本当に良いのか? 取ってしまっても」

「おおおお願いします! ここで動けなくなるのはイヤだ!」

「わかった」

 そう答えると、春は男の頭の札を取り外した。しかし、相変わらず男は動けず、春を睨みながら、男は罵声を浴びせた。

「貴様この嘘つき! 動けないじゃねえか!」

「いんや、結界の札は外した、今のあんたを掴んでいるのは……心当たりあるだろう? あっ、そっか、見えてないのなら、手伝ってやろう」

「なっ、なんだこれ!」


 春に謎の液体をぶっ掛けられて、男は慌てて目を閉じた。そして次に目を開いた時、男の目の前に、人の腕、足、頭、体、様々なひとが男を掴んでいる光景が広がった。

 声のない悲鳴を男は上げていたが、もうそんな事に関心はなく、猫を抱えて、今度こそ春は猫と一緒に上の階へ戻り、そのまま二名は屋敷から出ていった。



 止まらない地鳴りを聞きながら、春は街の中を歩いた。

 建物の中を一つ一つ確認して、結局屋敷の中以外に生き残りがいる事を確認できず、一度ため息をついた後、春は携帯電話で一人の名前を呼び出し、通話ボタンを押した。

『……どうだった』

「確かに君の情報通りだった。しかし、探している物ではなかった」

『なるほど、泥の中に潜む一欠片はお前が探している霊躰ではなかったか』

「残念ながらな。でも、情報自体はあってるから、次も頼む」

『そうか、それは嬉しい知らせだな。またのご利用をお持ちしております』


 それだけ言うと、相手は通話を切り、春は暫く画面を見て、深くため息をついた。

 けど、自分のほっぺを肉球でぷにぷにしている猫に気づくと、春は猫を抱きしめながらそう聞いた。

「じゃあ、あの兄妹の居るところへ向かうか」

『そうだね……春』

「なんだ」

『私、このままでも大丈夫なのよ』

「けど、その体は君の使い魔の物だろう? 代わりの体が見付けられたら、君も少しは元の生活が出来るようになるし、あの子の埋葬もきちんと出来るうようになるから」

『……そうか、ありがとうね、春』

「いいんだ、ある意味これは私の自己満足だからな。……行こうか」

『うん、行こう』


 そうして鼻と鼻での触れ合いをして、春は猫と一緒に道を歩き、ひとまず二人は兄妹のいる場所を目指した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ