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砂は水の夢を見る

休日は夢を見る間もない

作者: 遠部右喬

「ねえ、クウガ、フウガ。お買い物に行かない? 貴方達、あまり街に行かないでしょう? 偶にはどうかしら」

 マイアが、珍しくそんなことを言い出した。

 大きな黒犬のフウガは寝転がっていた身体を起こし、のんびりと、

「いいけど、何買うんだ?」

「特に当てはないけれど、強いて言うなら服が見たいわ」

 神界にある湖の畔は何時も気持ちのいい風が吹き抜け、湖から反射した光は、フウガの毛皮やマイアの髪に当たり、きらきらと光の粒子をまき散らす。平和そのものの光景だ。

 フウガがきょとんとした顔になる。

「当てはないって、買うか買わないか決まってないのか? 欲しい服がある訳じゃないのか?」

 その疑問に、マイアではなく少年の声が答えた。

〈フウガ、買い物の楽しみは、商品を手に入れるだけじゃないんだよ。見るだけでも、面白いもんなんだ〉

 己の胸元から聞こえて来た声――クウガの言葉に、フウガは首を傾げる。

「そういうもんなのか。マイアもそうなのか?」

 マイアが微笑む。

「そうね、私は頻繁に行く方ではないけれど、それでもやっぱり楽しいわ。こんな着こなしがあるのかとか、下界ではこういった装飾が流行なのねとか、参考になるもの」

「カミサマに、流行が関係あるのか?」

「大いにあるわよ!」

 マイアの勢いに押され、フウガは一歩後退った。

「そりゃあ、滅多に生者の目に触れる訳では無いけれど、神が見える子達だって皆無では無いのよ。下界で仕事をすることがある以上、気を使うに越したことないわ」

〈印象って、大事ですよね。俺も商売の手伝いしてたから、最低限の身だしなみは気に掛けてたよ〉

「そうよね。勿論、それが全てでは無いけれど、無碍にするものではないわよね」

 クウガの言葉に、我が意を得たりとマイアが続く。フウガが小さく唸る。

「うーん、やっぱり解らん。俺、服着て無いしな」

〈じゃあ行かない?〉

「いや、行く。マイアとクウガが楽しそうにしてると、俺も楽しい。買い物、段々楽しみになってきたぞ」

 そう言うと、フウガは身体を揺すり、付いていた草を払う。

「決まりね。行きましょう」


 神界の一角にある街は、穏やかながら、それなりの賑わいを見せている。

 精霊や現役を引退した神、様々な理由で生まれ変わりの環を終えた魂などが暮らす街は、どの建物の壁も屋根も真っ白く、その分、色とりどりの意匠を凝らした看板や屋台が買い物客の目を楽しませている。

 マイアの隣を、浅黒い肌の少年が、時折もの珍しそうに屋台を覗き込んだりしながら歩く。フウガは街の暮らしに不慣れな為、クウガと入れ替わっていた。

 大通りを少し横にそれ、マイアはある店の前で足を止めた。服屋が多く連なる通りの中で、控えめながらも凝った色使いの看板を掲げている。

「『はなあらし』……この店が、マイア様のお気に入りなんですか? 不思議な雰囲気のお店ですね」

「ええ。服だけじゃなく、日用品なんかも少し置いてあるの。どれも素敵なのよ」

 店に入ると、「いらっしゃいませ」と、不思議な響きの声が出迎えた。空気が動き、衣擦れの音と共に一行の前に一柱の神が姿を現す。

「御機嫌よう、ザンセツ様」

「まあ、マイアちゃん、嬉しいこと。ようお越しになりんした。

 おやま、見慣れないお連れさまがいらっしゃる。初めまして、『はなあらし』店主の、ザンセツと申します。よろしゅう、お見知りおきを。

 当店は、わっちしか居りんせんし、どうぞ遠慮せず、ゆっくり店内をご覧下しゃんせ」

 店主がクウガに微笑み会釈すると、何とも言えない華やかな香りがふわりと広がる。

 ザンセツは美しかった。

 高目の位置で纏め背に垂らした銀糸の様な長い髪が、動く度にさらさらと音をたて、白い花の髪飾りが揺れる。クウガとフウガが初めて目にする衣装は、よく似た型の色違いの衣装を何枚か重ね着し、艶のある太めの布帯で纏められていて、その上から、やはり同型の上着を羽織る重量感のあるものだったが、統一感があるお陰か、重苦しさはそれ程感じない。一見、真っ白に見えるその上着は、よく見ると白地に白い糸で凝った花の刺繍があしらわれ、ゆったりとした袖からは、内に重ねて着ている柔らかい緑色と濃い桃色の布が少し覗き、真っ白な肌に色を映す。全体的に白を感じさせる中、切れ長の目尻と唇の赤味が視線を引き寄せ、優雅でありながら、しゃんとした立ち姿は甘さよりも清廉さが引き立ち、芯の強さを窺わせていた。

 その美しさに目を奪われていたクウガは、我に返り、慌てて頭を下げた。

「クウガと申します。初めまして」

〈クウガとくっついてるから、今は姿を見せられないけど、犬のフウガだ。よろしくな〉

 フウガの声に少しだけ驚いた顔をしたザンセツは、直ぐに合点がいったらしく、小さく頷いた。

「お噂は、かねがね伺っておりんす。神界での暮らしは、もう慣れんしたか?」

〈だいぶ慣れたぞ。でも、街に来たのはまだ三回目だし、何処に何があるか、さっぱりだ。特に、こんなに街中まで来たのは初めてだ。マイアに案内してもらわないと、何処に行っていいかも分からん〉

「ふふ、マイアちゃん、責任重大。街の楽しさ、しっかり伝授して差し上げなんし」

〈なあなあ、ザンセツ……様。あれ、何だ? あの丸いの〉

「『様』は要りんせん。どうぞ、呼び捨てで。あれは香炉と言って、中で香木なんかを焚いて、香りを楽しむ物で……」

 ザンセツは気さくな質らしく、ころころと笑いながら、楽しそうにフウガと話している。

 逆に、すっかり無口になってしまったクウガに、マイアがこっそり話し掛けた。

「香りで気付いたかもしれないけど、ザンセツ様は、花の精霊から神になられた方よ。今は現役を退かれて、このお店を、一神で切り盛りされているの。とてもお優しいのよ。私も、神界に来たばかりの頃から、色々と教えて頂いているわ。ふふふ、驚く程お美しい方でしょう?」

「はい。でも、吃驚し過ぎて、俺、失礼な態度でしたよね。お詫びしないと」

「気にしてらっしゃらないと思うわ。大抵の方は、クウガと同じ様な反応をするみたいだから。フウガの反応の方が少数派よ」

〈ん? 呼んだか?〉

 何でもないよ、とクウガが言うと、フウガは再び商品について、ザンセツにあれこれと訊ね始めた。

〈クウガは見ないのか? 面白いの、沢山あるぞ。ほら、目の前のそれなんて、運動不足の解消に良いんだって。あ、あれ、なんだ? あの、葉っぱみたいなやつ〉

「あれは、鳥の方用の帽子。その隣は、虫の方用の寝具でありんす」

 一通り商品説明をして貰い、フウガは満足気に呟いた。

〈確かに、見るだけでも楽しいもんだな〉

「それは良うおざんした。ついでに買い物もして頂けると、尚、有り難いんですが」

「そうですよね、すいません! おすすめの物はありますか?」

 クウガが慌てて謝ると、ザンセツは笑って言った。

「ほんの冗談。楽しんで頂ければ、わっちは満足なんで。

 神界は、どこも綺麗で穏やかで、誰もが優しくて、でも、ほんの少し退屈でしょう? だから、新顔さんは大歓迎。今後御贔屓頂ければ、結果、商売的にも成功って訳で」

 ザンセツが喋る度、良い香りが広がる。その香りと柔らかな笑顔に、マイアもクウガも笑顔になった。フウガが一言発するまでは。

〈なあ、ザンセツって、男? 女?〉

「な……? は……え? 何て?」

 相棒が何を言い出したのか、理解が追いつかず、クウガは珍しく言葉に詰まった。

〈嗅いでもよく判らないんだ。植物だからか?〉

 マイアが慌ててフウガを窘める。

「初対面でいきなりそんな事を訊ねるなんて、失礼よ、フウガ」

 フウガは、窘められた理由がわからず、少し困ったような声でマイアとザンセツに聞いた。

〈初対面で聞けなかったら、何時聞くんだ? そりゃあ、俺だって、性別なんてどっちでも構わないし、今迄も、嗅ぎ分け辛い相手に出会ったことだってある。でも、こんなに判り辛いのは初めてなんだ。もし俺の鼻が鈍ってるんだったら困るから、確認したいだけだ。聞いたら駄目だったのか?

 悪かった。聞いたらいけないって、知らなかったんだ〉

 しょんぼりと謝る声に、当事者のザンセツは怒った風もなく、にこにこと問い返した。

「そんなに知りたい? もっと近くで嗅いでも、ようおざんすよ?」

 しっかり匂いを嗅ごうと、クウガとフウガが入れ替わった。姿を現したフウガは、暫く真黒な鼻をひくつかせていたが、やがて首を振った。 

「駄目だ、判らない。どっちの気配も同じ位に感じる。判ってないの、俺だけなのか? クウガとマイアには判るのか? どうやって判ったんだ?」

〈男の方だよ〉

「女性に決まってるじゃない」

〈はい?〉

「えっ?」

 互いの答えに驚き、言葉を失ったクウガとマイアに、ザンセツは吹き出した。

「ああ、可笑しい。そんなに驚くとは、思いんせんした。

 わっちは、両性。元々の樹が、雌雄同株でしたから。だから、どっちも間違いじゃありんせん。フウガちゃんの感じた通りで正解」

 納得いったらしいフウガに、ザンセツが言葉を続けた。

「ただ、マイアちゃんの言う通り、その問いに傷付く方もいらっしゃるでしょう。それに、性別の無い方だって、地上にも神界にも沢山居る。フウガちゃんに悪気がない事は分かるけれど、あまり感心した問いではありんせんよ」

 フウガは姿勢を正し、ザンセツに詫びた。

「配慮が足りなくて、ごめん。それと、色々教えてくれてありがとう」

 どういたしまして、と微笑むザンセツは、どんな花よりも美しかった。

 一方、クウガとマイアは、お互いの見立てが違ったことが不思議だったようだ。

〈凄く綺麗な男性だと思いました。確かに、手や首元がほっそりしてるけど背もお高いし、声も低いし。それに、動作は優雅に見えるけど、しっかり筋肉がないとあんなに滑らかに動けないかなって。お店の商品も重そうな物も置いてあるし、あれをご自分で運べるなら、見た目程華奢じゃないんだろうと思ったんです〉

「ずっと女性だと思ってたわ。女性の方が大柄な生き物は、珍しくないでしょう? それに、衣装や香りもそうだけど、指先や輪郭の柔らかさと滑らかさとか、きめ細かい肌は、どちらかというと女性によく見られる特徴だし。なにより……」

 マイアがそこまで口にした時だった。入り口付近で話し込んでいた一行の耳に、店外から馴染みのある声が飛び込んで来た。

「何故、そんなに焦っているのだ?」

「いいから、早く先に行こう。ヨルダが行ってみたいって言ってた屋台は、屹度、もっと奥の方だよ。ほら、出来るだけ急いで……」

 突然、ザンセツが店外に走り出し叫んだ。

「チョウキ様! お会いしとうおざんした!」

「ひぃ!」

 マイアとフウガが店外を覗くと、光の珠チョウキと、それを頭に乗せた大きな茶色い犬、チョウキの眷属のヨルダが、ザンセツに詰め寄られているところだった。よく見ると、チョウキは震えているのか、ちかちかとせわしなく瞬いている。何時にない主の様子に、ヨルダは困惑しているようだった。

「一体、どうしたのだ、主殿。こちらの御仁は、何方なのだ?」

 ザンセツに、じりじりと追い立てられながら、ヨルダが頭上に問いかけたが、チョウキは上手く答えられない。その間もザンセツににじり寄られ、とうとうヨルダは壁に背をくっつける羽目になった。

 ザンセツは、ヨルダに覆いかぶさる様に壁にドンと両手を着き、彼等の逃げ道を完全に断つと、うっとりと呟いた。

「ああ、チョウキ様。今日も素敵。もしや、わっちに会いに来て下さった? 嬉しい……とうとう、受け入れてくれる気になりんしたか」

「ち、違います! 単なる通りすがりです! あー! そ、そんな所に息を吹き掛けないでぇー!」

 声も無くその様子を見詰めるフウガに、マイアは先程言いかけたことを続けた。

「……なにより、ずっとチョウキ様を慕ってらっしゃるから、何となく女性だと思い込んでいたのよね」

〈女性にしては、積極的過ぎやしませんか?〉

「あれ位、普通じゃないか? それにしても、物好きだな」

 困惑したヨルダは、ザンセツの衣装の隙間から周囲を見回し、すぐにマイアとフウガの姿を見付けた。

「おお、マイア殿、相変わらず美しい。お会い出来て、望外の喜びだ。フウガ、あまりご迷惑をかけんようにな。まあ、クウガ殿が一緒であれば、そう事が起こるものでもないだろうが」

「こんにちは、ヨルダ。貴方も元気そうでなによりだわ」

「迷惑なんて、掛けてないぞ」

〈俺達は平和なものだよ。ヨルダの頭上の方が、よっぽど事が起きてるって〉

 マイア達の目の前で、ザンセツはチョウキを右の指先でくすぐる様に撫で、顔を寄せた。

「近い近い近い! 離れてー! ヨルダ、助けて! そ、そこにマイアちゃん達が居るの? もう、誰でもいいから、助けて!」

 ヨルダは溜息を吐いた。

「何方か存じないが、少々距離を取って頂けないだろうか? 我はチョウキの眷属、ヨルダと申す。どうか、貴殿の名を聞かせてくれまいか。そして、その姿を見る機会を与えて欲しい。この距離では、貴殿の香りしか判らない」

「……眷属?」

 ザンセツは呟き、動きを止めた。その存在に初めて気付いたのか、壁から手を離し一歩後ろに下がると、まじまじとヨルダを見詰め、がっくりと肩を落とした。

「チョウキ様が眷属の契約を結んだって噂、まさか本当だったなんて……何時か、わっちと契って下さると思って、ずっとお待ちしてたのに……」

 ゆったりとした袖で顔を隠し、ザンセツは涙声で訴えた。

「そんな約束してないもん! ちょっとマイアちゃん、何でそんな目で見るの? ええ、これって、俺が悪い流れ?」

 焦るチョウキを尻目に、フウガがマイアに訊ねた。

「確かケンゾクって、一体しか契約を結べない訳じゃないだろ?」

「ええ。神候補としての引き抜きの際の仮契約だって、一時的な眷属契約に近いものだと言えるし」

 実際、何百と眷属、もしくは神使と呼ばれる者を従える神は少なくない。力のある神や、沢山の役職を兼任している神は、部下の他に、複数の眷属が居る事で円滑に仕事を進められるからだ。

 そもそも眷属は、部下とは仕事の性格が違う。主やその部下の仕事を手伝う事も多いが、本来、多忙な主の身の回りを整えたり、私的な用事を代行したり、時には主を諫めたりと、主を最優先に考える事が眷属の役割なのだ。その為、神の仕事と無関係の者と契約を結ぶこともある。契約方式も、神界とではなく神と直接結ぶ為、多様な形式がある。一時的な契約から半永久契約、制限はあるが、生者との契約も認められている。

〈私設秘書か家族みたいな感じですね。マイア様は、眷属はいらっしゃらないんですか?〉

「今の処、そんなに大掛かりな仕事に携わることはそれ程無いし、充分やっていけるもの。それに、神界から補助が出るとは言え、眷属の契約を結ぶとそれなりに経費が掛かるし。

 ただ、チョウキ様は、大神様の一族に名を連ねる方だし、お仕事の内容も多岐にわたるものだから、沢山の眷属が居てもいい筈なのよ」

 チョウキの眷属になりたがる者は、決して多くは無かったが、これまでも居なかった訳では無い。だが当神は、行動を把握されることを窮屈と感じるのか、「気持ちはありがたいんだけど、追われると、逃げたくなっちゃうんだよねぇ」と言って、のらりくらりと断り続けていた。やがて、ザンセツという熱烈な志望者が現れると、表立ってチョウキの眷属にと望む者自体が居なくなった。

 そのチョウキが、自ら望んで眷属の契約を結んだという知らせは、神界に瞬く間に広まった。

〈チョウキ様と契約したがる方、意外と居るんですね。正直、驚きです〉

 クウガの言葉に、フウガは大きく頷く。彼等が呑気に会話を交わしている間、チョウキの立場は更に悪化していた。

「あの、一寸、泣き止んでくれるかな、ザンセツ君。街行く皆が、心配しちゃうよ」

 実際は、街の住人とおぼしい面々は、彼等の様子を目にすると一瞬驚くものの、直ぐに何事も無かったように己の用事に取り掛かる。どうやら、初めて目にする光景ではないらしい。

「『君』なんて、他人行儀な……呼び捨てでって、お願いしておりますのに……」

「いやほら、礼儀っていうか、昔からずっとそう呼んでるでしょ?」

「わっちを捨てるお心算?」

「捨てる前に、そもそも拾ってない……ちょ、そんなに泣かないで」

 袖で顔を隠しながら、ザンセツはよよと泣き崩れる。動揺するチョウキに、ヨルダが助け舟を出した。

「ザンセツ殿、と仰ったか。貴殿の様な美しい方の哀しむ姿は、我も見たくない。芝居だと判ってはいても、心が痛む。もう、それ位で許してくれまいか」

 ぴたりと動きを止め、すっと顔を上げたザンセツの花の顔には、涙の跡一筋見当たらない。

「何時、気付きんした?」

「最初からだが」

 ザンセツは、溜息を吐いた。

「まったく、わっちも修行が足りないねぇ。あっさり見透かされるなんて、花の名折れさ。情けない」

「我は犬故、匂いで判る」

「あれ、思ったよりも、聡いこと」

 彼等の会話に付いていけないチョウキは、ただ「え? え?」と言いながら、ふよふよと空を彷徨う。そして、展開についていけないのは、チョウキだけでは無かった。

「嘘泣きだったなんて、判らなかったわ」

〈俺がまだ生きて居た頃、お隣の家のおばさんがあれ位の情緒不安て……情熱的な感じだったから、普通に信じちゃいました〉

「匂いを嗅いでも判らなかったぞ。頭、そんなに鼻良かったっけ? それとも、やっぱり俺、鼻の調子が悪いのかな」

 フウガは、ヨルダが自分には判らない何を嗅ぎ分けたのか、不思議そうだった。

「おぬしは昔から、しっかりしているようで、心の機微に欠けるところがある。

 別に、我の嗅覚がおぬしに勝っているわけでも、おぬしの鼻に問題があるわけでもない。誰かを想う喜び、哀しみ、恥じらい、時には憎しみ。奥の奥に隠された想い。確かに、心は様々な匂いを纏っている。その混じり具合の読み方で、見える本質もあるということだ」

 ヨルダは言外に、経験の違いがあるのだと語った。群れを率いていた頃の、優秀な頭としての姿を思い起こさせる言葉の重みに、(やっぱり、頭は頭なんだな)と、フウガは懐かしさを覚えた。

 ヨルダはザンセツに向き直り、改めて言った。

「だから、貴方がどれだけ本気で主殿を想っているかも、よく判る。

 我の存在は、決して愉快ではないだろう。だが、貴方から向けられる匂いは、包み込むような優しさと安堵が滲んでいる。嘘泣きは、ちょっとした悪戯心からではなかろうか。或いは、種明かしをした後に笑い話で済ませ、主殿の心に澱を残さぬ為の気遣いか」

「矢鱈と花に踏み込むもんじゃありんせんよ? 乱暴に暴けば、容易く散ってしまいんす」

 花の本性を持つザンセツにとって、水の質であるマイアは勿論、陽光の化身ともいえるチョウキは魅力的であり、出会いから彼等に対して好印象を抱くのは必然だった。

 当時まだ現役だったザンセツは、安心して仕事を任せられるチョウキの部下として千年近く、信頼以上の働きで応え続けた。

 何時の頃からだっただろうか。真っ直ぐなマイアと違い、チョウキの傲慢無礼にも見える態度の裏にある、大神一族としての責任感、そこに伴う苦悩と真摯な想いに、ザンセツは気付いてしまった。

 時に、道化の様に振舞うチョウキを、切ないと思ってしまった。

 それは時間をかけて形を変え、特別な意味を持ってしまった。

 想いが溢れ出しそうになり、ザンセツは現役を退いた。

 そして、チョウキに対する猛攻が始まったのだ。

 ようやく落ち着いたチョウキは、再び溜息を吐くザンセツの目線の高さで動きを止めた。

「君に真っ先に紹介するべきだった。彼はヨルダ。俺から、眷属にと望んだ子だよ。そして、これ以上眷属を増やす気は無いんだ。優秀な部下達のお陰で、仕事はまわせているしね。

 でも、気持ちはとても嬉しいよ。ありがとうね」

 真心を込めた言葉に、ザンセツは暫く俯いていた。そして、顔を上げると、瞳を輝かせ宣言した。

「チョウキ様のお心、確かに受け取りんした。

 眷属にだったらして頂けるかも……なんて思っていんしたが、やっぱり、まだるい小手先の浅知恵は上手くいきんせんね。これからは、潔く求婚すると決めんした。どうか、わっちの亭主になってくれなんし」

「へ?」

〈何で、難易度上げちゃったんですかね〉

 クウガが誰にともなく呟いた声に、ザンセツはニヤリとした。

「わっちら植物は強かなのさ。なにせ、まだ住み辛かった環境を、根本から変化させて繁栄した一族の末裔だからね。一つ策が駄目になった位、どうってことおざんせん……それに、チョウキ様、わっちの事、決してお嫌いではないでしょう?」

 それは勿論そうだけど、と小さく呟くチョウキに向け、ザンセツが今日一番の男くさい笑顔を向ける。

「亭主になるのがお厭なら、妻でも良うおざんすよ?」

「良くないよ? 俺的には、全然良くないよ?」

〈更に、難易度上げましたね〉

 そろそろ退屈になってきたのか、これまで大人しくしていたフウガがヨルダに訊ねた。

「そういえば、頭達はなんで街に来たんだ? 買い物しなくていいのか?」

「うむ、小耳にはさんだのだが、新しく出来た屋台とやらが気になってな。少々覗いてみようかと」

〈へえ。なんの屋台?〉

「下界の様々な食を提供しているらしい。無論、我々は実体がないからな、食材に似せた何かで、食べた気分に浸るだけなのだが。これが、中々美味いらしいのだ」

〈食材に似せた何か……何かって何なんだろ……気になるなあ……〉

「肉、あるかな?」

「魚や昆虫、草や果物、何でもありだと聞いている。人間の間で流行っている甘味などもあるらしい」

〈フウガ、行ってみたい?〉

「行きたいぞ! マイアも行きたいだろ?」

「そうね、ちょっと興味あるわね」

「では、皆で行くか」

 頭、奢ってくれよ、いやいや、今はおぬしの方が奢る立場であろうなどと、和気あいあいと相談を始めた彼等に、助けを求める声がする。

「ね、ヨルダ、俺、君の主だもんね? まさか、俺を置いてかないよね? マイアちゃん、ワンコ君、少年、俺のこと忘れてないよね? ね?」

「ヨルダさん……と言いんしたか、わっちとチョウキ様が夫婦になるのは反対かえ?」

 ザンセツの問いに、ヨルダは即答した。

「いや、別に」

 そして、己の主に軽く視線を向け、

「主殿、ザンセツ殿、我等は席を外そう。帰りにこちらに寄るので、それまで存分に話し合われるとよい……待たせたな。さあ、味の殿堂に行こうではないか。我は久しぶりに、カームの肉を味わいたい」

 そう言うと、上機嫌で歩き出した。

「行ってらっしゃい。この先二つ目の脇道を右折すると、近道でおざんすよ。

 さあさあ、チョウキ様はこちらにどうぞ。店の中でお話しいたしんしょう。じっくりと、ね? ふふふ……」

 ザンセツは皆に右手を振ると、その後を追おうと飛び上がったチョウキを、左の袖で器用に巻き取った。

 楽し気に歩き出した一行の背に、チョウキのもごもごとした悲鳴が聞こえる。

「たーすーけーてー!」


 やがて街は、いつも通りの静けさを取り戻した。

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