タンポポ
楓太は、春の麗らかな日に店番をしながら、あくびをかみ殺していた。
客が来ねえ…
繁盛期との差が大きいんですよねと言いつつ、店長は配達に出ていった。暇な時期ではあるが、相変わらず店長は忙しそうだった。まだ新人の楓太では、任される仕事が少ないからだ。それでも、少しずつ知っている花の名前も増えてきて、知らないことを学ぶのは楽しかった。
ただ、知らない世界の扉も開けまくっているが…
不思議な花が集まる場所。
そして、一番わからないのはあの店長だったりする。
たまに見てても営利目的ではないかのような商売をするし、花の厄介事には金を貰っていないようだった。
もしかしたら、それ以外の目的や意味があんのかな…?
店を構えるきっかけは人それぞれだろうが、それなりに金も時間もかかる。店長に聞けば答えてくれるだろうかと思っていると、店のドアベルが鳴った。にゅっと顔を出してみるがドアが開いたのは確実だが人影が見えない。
「あれ?…ってうわあ!」
目の前に小さな女の子がいた。10歳くらいだろうか、小さなプランターを持っている。
「びっくりした…お客さん?それってタンポポだよね」
女の子がこくんと頷いた。…までは覚えているが楓太の意識は突如、暗転した。
「あいたっ」
パコンと音がして、何かで頭を叩かれた音と衝撃に楓太の意識は覚醒した。目の前には、それで叩いたのだろうバインダーを持った店長がいた。横にはさっきの女の子もいる。
「あれ?テンチョ…」
まだ寝ぼけたような様子の楓太に、店長は衝撃的な事を言う。
「びっくりしましたよ、帰ってきたら今井君が女の子襲っているんですから」
「はっ!?えっ!?ちょっ何のことっすか」
寝耳に水とはこの事だ。何も覚えてないのに、あらぬ疑いを掛けられている。
「冗談です」
いや、それ洒落にならんから。やめて。
ただ、一瞬記憶がなくなってたのは状況を見ても事実らしく、それ不思議花なんですかと少女のタンポポを見ながら、店長に目配せする。店長はいつものように、じっと花を見ていたが一瞬、悲しそうな痛そうな表情をした。…ように見えただけかもしれない。なぜなら、女の子に向き直っている顔は、いつもの営業用の笑顔だったからだ。
「ここに持ってきたという事は、何か相談事があるのでしょう?お話を聞かせてもらえますか?」
女の子にアップルティーを入れて、椅子をすすめる。子供用にポッキーやカールも出したので、女の子は嬉しそうに手を伸ばしていた。
少女の名前は、宮野理沙、11歳。このタンポポは、学校で植物の観察用に育ててる花らしい。しかし、最近、授業中にいきなり先生がおかしくなり、自分に抱きついてきたそうだ。それからも、周りの人間が同じような行動をとり、クラスで変な目で見られるようになった。ある時は友達、ある時は先生、本人たちは全く記憶がないので、とんだ災難である。
うわあ…さっき、俺もそうなってたわけかよ…人に見られたら、社会的に死ぬやつじゃん
「でも、よくわからん現象起こす花って怖くなかった?」
「うん…?みんなこのタンポポを見た後に変になったからびっくり は した…?」
女の子はよくわからないというように首をかしげる。そういえば俺も、花を見た直後から記憶がないと思い至る。
「幼い子供は敏感ですからね。理屈ではないのでしょう。逆に言えば魅入られやすいとも言いますが」
「えっ危なくない?それ」
「少なくても、危害を加える事はないでしょう、このタンポポは理沙さんの事がとても好きなようなので」
「ほんと!?」
理沙は嬉しそうに笑った。しかし、でも周りに迷惑はかけたくないと言い、不安そうな顔になった。ひとまず、学校にはもっていかず、家の中に置いておく事を了承してもらって花を持って帰ってもらった。
「店長、あれ、ここで預からなくて良かったんですか?」
「まあ…少し様子見ましょう。ここに置いておくと、今井君が変質者と呼ばれるリスクも増しますし」
「!!そうですね!」
いきなり憑依されて、俺の身体が女の子の学校に不法侵入されては堪らない。青ざめながら力強く頷いた。
※※※※※※※
理沙は、家に帰って、タンポポを自分の部屋の窓辺の隅に置こうと思った。そこが一番家族の目に触れにくい場所だと思ったから。
家族は、昔から何不自由なく育ててもらって不満はないが、共働きの父や母は帰るのも遅く、あんなに愛情をもって優しく抱きしめてくれたことも笑顔で見つめ返してくれたこともとても遠い記憶だった。だから実際、理沙はタンポポの行動に戸惑ってはいるが、嫌ではなかった。
「おかえり、遅かったね?今日はカレーだよ」
「こんにちは、理沙ちゃん」
若い二人の男女が笑顔で迎えてくれた。
親が遅いときに、ご飯を作りに来たくれたり、面倒を見てくれたのが近くに住む従兄の正樹で、一緒にいるのが5年ほど付き合ってる同い年の彼女だった。二人の事は理沙も大好きで、いつもお世話になっていた。
「それは?タンポポ?」
あっと思ったら遅かった。正樹の目の焦点が一瞬合わなくなったと思ったら、ぐらりと揺れて膝をついた。次に目が合った時は、理沙の顔を見て、こんなに嬉しいことはないというくらいの笑顔で頬に触れてきた。顔が、表情が違う。正樹は理沙の事をそんな風に見ない。そしてゆっくりと包み込むように抱きしめた。
「ちょっと、正樹?何してるの?」
彼女がびっくりして、正樹の服を引っ張ったり、叩いたりしているが彼は離れなかった。そして、腕を掴まれたと同時に彼女を振り払い、バランスを崩した彼女は後ろの棚に頭をぶつけた。
「いたっ…」
彼女は頭を切ったのか赤い血らしきものが見えた。それを見た瞬間、理沙はとてつもない罪悪感と悲しみで涙がポロポロと流れてきた。それを見た正樹は流石に驚いたのか、笑顔を消して理沙を見つめた。
「どうして、そんな事するの?お兄ちゃんの身体でお姉ちゃんに酷い事しないで!出て行って!」
理沙は抱きしめていた手を振り払って、自分の部屋に駆け込んだ。
※※※※※※※
次の日、学校帰りの理沙が花屋にやってきた、手にはあのタンポポを持って。
「いらっしゃ…げえ!!!」
楓太が寄生をあげて、タンポポのプランターを見て瞬時に顔をそらした。しかし、昨日のようなことは起こらず、少しほっとする。
「このタンポポを預かってほしいの。家に置けない」
「え…あ~でも今、店長留守で…っておい」
タンポポを置いて理沙は店から走り去っていった。
「…それで、これがここに?」
店長が帰ってきて、事情を説明すると何かあったのかもしれませんねと言った。確かに、少し目が赤かったから、泣いていたのかもしれない。そしてタンポポをジッと見つめて、ため息をついた。店長は小部屋にタンポポを運んで、楓太はしばらく小部屋には入らないように言われた。
それから1か月経ったが、少女は花屋に現れなかった。
ある日の夜、バイトの楓太も帰り、店長は一人店じまいをしていた。小部屋の管理を楓太に任せられない為、自分でやっていると少女が持ってきたタンポポが目に映った。
「会いに行きたいですか?…そうですね」
店長はエプロンを外して、小さなプランターを持ち、店を出て行った。
その日は満月で、暗い夜もほんのりと明るかった。理沙は、窓辺で考え事をしていると、家の前でゆっくり立ち止まる人影が見えた。怪しい人かなと少し隠れながら見ると、それは見知った人物で、急いで2階から降りて玄関に向かって行った。
「お花屋さん!どうしたの?」
店長はゆっくり笑顔で振り返って、理沙に小さなプランターを差し出した。くれるの?と受け取ると、それはタンポポだった。
「これ、私のタンポポじゃないよ?」
店長は綺麗なお辞儀をして、そのまま後ろを向いて去って行った。
それから数日して、理沙がやってきた。
「こんにちは、お花屋さん。この前は新しいタンポポをありがとう。…私のタンポポは元気?」
置いて行ったのが後ろめたいのか、少し声を小さくしながら理沙が尋ねた。
「ここには仲間がいっぱいいるので、あのタンポポにはこちらの方がいいらしいですよ。なので新しいタンポポを用意しました」
「そっか…友達いっぱいいるならそっちの方がいいよね!最後に酷い事言ったから、謝りたかったの」
店長がそうですかというとはにかみながら理沙は言葉を続けた。
「一人で留守番してる時、タンポポがいてくれて寂しくなかったよ、ありがとうって伝えてくれる?」
「タンポポもずっと孤独だった中で、理沙さんと会えて、笑いかけてくれて嬉しかったみたいですよ」
そして理沙は、何度も手をふって帰って行った。
「……店長言わなくて良かったんですか?あのタンポポ、もういないって」
「悲しませる事は、望んではいなかったので、わざわざ言う必要ないでしょう」
あのタンポポは、店に持ってきた時点で根腐れを起こしていた。生命力の強い花だが、もうどうしようもない状態だったらしい。残り少ない時間を彼女と過ごしてもらいたかったと店長が配慮したが、あんな結末になってあの花は満足できただろうか。
「彼女は別のタンポポが欲しいわけではなかったでしょうけどね、けれどあの子の望みでしたから」
いなくなってしまう自分の代わりに、ひとりぼっちの彼女が慰められるように
「そして最後に一目、会いたいと強く思ってたので身体を貸しました」
しんみりしてしまって、楓太は話題を変えようと必死で考えた。
「でもすごいな、タンポポの区別なんて普通つくものなんですか」
「タンポポは外来種、在来種共に何種類もありますよ」
「マジで!?」
店長にいつもの豆知識を教えてもらいながら、花言葉も教えてもらった。
タンポポの花言葉は真心の愛、そして別離だと。