アネモネ
高田さんはその後、店に来た記憶もなく最初に会ったような愛想のよい言葉を交わして帰って行った。まるで憑依されていたかのような変貌ぶりだった。いや、似たような感じだったのだろう。
「高田さんは花に身体を体を乗っ取られていたんですか?」
なんとなく店長に聞いてみると、うーんと考えながら、手の中のリンドウを見つめた。
「人の意識を完全に奪えるものは稀です。媒体者と何か共通の想いが作用しないと無理でしょう。少なからず心身に影響を及ぼすものが殆どです。中には顕現するものもいるらしいですが」
花ってそんな得体の知れないものだっけ…?
「花は何故そんな事をするんですかね」
「人が好きだからですよ」
「んん?」
「強い想いを持っている花達は人と関わり、望みを持った子達です。人間もそうでしょう?良くも悪くも影響を受けるのはいつも自分以外の誰かからでしょう」
仕入れされる花達にはまずない事だそうだ。ならば、不思議現象を起こす花は一度誰か人間の手に渡ったものとなる。
売る段階で選別できないのなら、なぜ別室に分けられた花があんなにあるのだろう?
———花の悩みや困りごとお受けします。お気軽にご相談ください―—
いつかの奇妙なポスターを思い出した。もしかしたら、店長はそんな摩訶不思議な花を引き取ったりしてるのかもしれない。滅多にない事なので大丈夫ですよとほざいてるが、まだバイト1か月も経ってないのにこの事件である。ただ、今回は楓太が原因を作ったような気がしないわけでもないので何も言えなかった。
そら、バイト逃げるわ…
学生の楓太は、休日は朝からバイトに入れるため、水揚げ作業を手伝っていた。冬場はきつそうだなと思いながらさくさくと水切りしつつ、作業中は店長と話すのが日課だった。
「えっ全部の花の気持ちがわかるわけじゃないんですか」
「まあ…表に出してる花々はわかりませんね。わからないというよりもあるがままに全てを享受しているだけというか。例えば今この場で、踏みにじられても恨むことさえないでしょう」
「それは…」
あまりに空虚だなと感じた。少なくても先日のリンドウは、笑ったり泣いたりしていたのに。何となく寂しさを感じながら黙ると店長がふふっと笑った。
「そう思ってくれる今井君だから、花達に気に入られたのかもしれませんね」
店長はたまに、花どころか人間の気持ちまでわかってるんじゃと思い頭を上げると同時に、勢いよく店のドアが開けられた。あまりの勢いにドア付近のチラシが吹っ飛び、当たったらしい鉢植えがゴワンゴワンいっている。強盗でも、もう少し優しく開けるのではないだろうか。
「いらっしゃいませ。今日はどのような花をお求めですか」
店長は何事もなかったように物怖じせずに、笑顔で対応した。すげえプロだ。初めて店長を尊敬する。
客は楓太と同じくらいの年齢の女性のようだった。制服のスカートはかなり短く、髪は金に近い茶髪で軽くウェーブがかっている。こんな田舎には珍しいギャルと呼ばれる人種が鉢を持って立っている。かなりシュールである。
「これ、返品。引き取ってくれるだけでいいから!」
そして、店長に無理やり鉢を押し付けて、店から逃げるように去って行った。鉢は緑色の葉が生い茂っているが、花を付けていないので何の花かはわからない。いや、多分見てもわからないだろうけど。
「これは…アネモネですね。数年前に僕の店から買ったものでしょう」
「ええ…?数年前に売った花覚えてんの!?」
売った花は大体覚えていますと気味の悪いことをいいながら、鉢をカウンターに置いた。そして表に出しているアネモネの花を見せてくれた。丸い花びらに中が少し白い可愛い赤色の花だった。値段の下に花言葉が書かれている。
“はかない恋”
「なんでこんなネガティブな花言葉つけるんだろ」
「花言葉は時代や国によって変わったりするんですよ。何種類もありますし、一概にこれという言葉は実はないんです。全体的にアネモネは切ない意味合いが有名ですが、赤いアネモネはあなたを愛するという意味もあって、贈り物には喜ばれますよ」
へえと思いながらまだ花をつけていないアネモネの鉢を見つめた。葉は元気に伸びていてそのうち蕾を付けそうな気配さえする。これから綺麗な花をつけるだろうに、あの子はなぜこのアネモネを持っていたくなかったんだろう?
次の日、学校帰りにバイトに向かっているとギャルが電柱の物陰から花屋を窺っていた。かなり怪しく、隠れ切れていない。
「おい、アンタ昨日アネモネ持ってきた奴だろ。何やってんだよ」
結局スルー出来ず、話しかけるとギャルはびっくりしてたが、昨日の様に逃げようとはせずに話しかけてきた。
「あの花、何ともなかった?」
「どういう意味だよ?あれ、手入れもされていたし、すごく大切に育ててもらってたんだろうと店長言ってたぞ?なんで返品なんかしたんだよ」
ふと、ギャルが悲しそうな困ったような顔になり、無言で俯いた。
「てが…」
「え?」
「あの花、手が生えるのよ!」
「ええええええ!?」
いきなりのホラー話に喉がヒュッとなる。怖い話は得意ではない。いやマジで。
「君たち、店の前で何騒いでいるんですか?」
店長に騒ぐのは迷惑になるとお叱りを受け、店の中に移動して話を聞くことにした。カウンターに置いてあるアネモネの鉢を見て、ギャルはサッと顔を背けた。
彼女の名前は橋本瑞樹、17歳。アネモネは3年前の誕生日に父親が買ってきてくれたものらしい。1年前くらいから、玄関に飾っていたアネモネだがたまに、手が生えているように見えるらしい。
「私が出かけようとすると、引っ張られるのよ!呪われてるんじゃないの!?」
「ホラーじゃん!俺こういうのマジ無理なんですけど!!」
「今井君、ちょっと静かに」
ふむ、と店長はアネモネを凝視する。瑞樹は?な顔をしたが、楓太は知っている。多分このアネモネの気持ちを探っているのだろう。
「異変が起こりだしたのはここ1年らしいですが、何か生活の中で変わったことはありましたか?」
「…パパが再婚した」
「ではもうひとつ、このアネモネ、今は特に変わった様子は見られないですよね?手に見えたり、貴方を引っ張る時はどんな時ですか?」
「そ…んなの、覚えていない。外出する時なんかいくらでもあるし」
楓太は質問の意味はわからなかったが、瑞樹が何か根本的なことを隠しているのはわかった。そして瑞樹はバイトがあると言って、急いで帰って行った。
「店長、何かわかったんですか?」
「んー…そうですね。彼女はなぜ、返品したのに再び花屋に来たのでしょうね?」
そういえば、そうだ。気味の悪い花を持っていたくないから返品した。まではわかるが、ここに来た理由がよくわからない。彼女が自分で気づかなければと言い残して店長は、鉢を戻して仕事を続けた。
次の日も瑞樹はやってきた。楓太に対応をまかせて、店長は奥でアレンジ仕事をしている。
「なぜまた来るんすか」
「いいじゃん~今日バイトないからさあ」
それ理由になってないから
「結構、花好きなんだよね。幼いころ死んだ母親が好きだったみたいで、パパがたまに買ってきて仏壇に添えてたから詳しくなっちゃったんだよね」
「へえ、奥さんの事、亡くなってからも大事にしてたんだ」
「そうよ。そんなパパを尊敬してた。なのに再婚とか信じられない。そのアネモネだって、再婚相手が好きな花だって言っててさあ!家に居られないから出かけようとしたら、今度はその花に引っ張られるし」
何となく、状況が見えてくる。父親の再婚を受け入れられない事、多分、夜遊びしたり、派手な装いは父親の気を引きたいのかもしれない。
「でもさあ、シングルでずっと頑張ってきた父ちゃんに相手が見つかったなら普通、祝福してやることじゃね?」
瑞樹は小さな声でそうだけどと言っていたが、まあ簡単に割り切れんよなと思う。自分は他人の親だからそう思えるだけで。それきり父親の話題をしなくなったのでこちらも触れないことにした。そして話題を変えて、花屋に来たんだから買わないのかと営業してみる。
じゃあ、せっかくだからとスプレーマムがあればと注文されたが何を言ってるのかわからない
「だっさ!アンタ花屋で働いててわからないの?」
「詳しいですね。色の指定はありますか?」
作業が終わったのか店長がやってきた。マムは主に洋菊の事だそうだ。花が好きだと言ってたのも本当なのだろう。しかし、1か月未満のバイトに無茶ぶりである。しるか。
「アネモネの鉢はどうしますか?これが気になって、毎日いらしてたんでしょう?」
「い…いらないし!あの女が好きな花なんかっ」
「違いますよ。これは貴方の父親が瑞樹さん、貴方のために買った花です。あの日、娘のために花を選んでると少しお話しましたよ」
3年前、いつものように亡くなった妻に花を買いに来た男性が、年頃の娘とあまり会話が出来ないと悩んでいた。行先も告げず夜帰ってくるのも遅い、母親がいないからだろうかと。では、話のきっかけに花をプレゼントしてみてはどうかと、花は自分の想いを込めて贈るものだから。
「紫のアネモネはあなたを信じて待つという花言葉があります。父親はずっと待っているのでは?貴方が向き合って、話してくれることを」
瑞樹の瞳が揺れた。何かを言おうと、口を開けては閉じて俯いた。
「それでも…これだけこじれたら何も話す事なんて…」
そう言って、店から逃げるように出ていこうとした瑞樹に、突如アネモネが手の形になり、襲い掛かるように掴もうとした。
「きゃっ…」
「ぎゃああ」
瑞樹と楓太の悲鳴が響きつつ、なぜか店長は焦る様子もなく静観していた。そして、瑞樹が勢いよく振り払うとアネモネの鉢は落ちて、大きな音を立てながら割れた。静まり返った店の中には、もう手なんてどこにもなく、割れた鉢に無残に投げ出されたアネモネの球根らしきものが見えた。
ビビったけど…これは俺にもわかるわ
「このアネモネが手になるのってさ、アンタが父親と向き合わず逃げようとした時、引き留めようとしてたんじゃねえの?」
少なくても、アネモネは危害を加えようとはしていなかったように思えた。迷い子を探すような母親を連想させたからだ。そして少しだけ、楓太も自分の母親を思い出してしまい、とっさに口に出していた。
「…親なんていつ死ぬかわからないんだから、伝えたい事は、言えるうちに言っといた方がいいよ」
瑞樹は少し驚いた顔をして、何か吹っ切れたような顔をした。この店に来て、そんな顔は初めて見る。手が泥で汚れたようで、店長に洗ってくるように促され、奥に入って行った。そして楓太と店長二人きりになり、落ちたアネモネを丁寧に別の鉢に移す。やや萎びた感じだが大丈夫だろうか。
「はあ…今回はマジビビった。なんで手なんかになるわけ?俺でも気味悪くて捨てそうなんだけど」
「でも、彼女は捨てられなかった。そしてこのアネモネも、気味悪がられようが捨てられようが、なんとか娘を父親と向き合わせたかった。ちょっと、実力行使でしたけど言葉を話せない花達は、選ぶ手段が少ないのですよ」
話せないのか…そういえば、リンドウも一言も話さなかったな
「この子は何とか父親の願いを伝えたかったんでしょうね。後は彼女次第でしょう。いくら花でも、人の気持ちをどうにかする事は出来ませんから」
そして彼女は、父親と少し話してみると言って帰って行った。手には父親がくれたアネモネを持って。
無理そうなら話くらいは聞いてやるからいつも来いと言ったが、その後瑞樹が花屋に来ることはなかった。報告くらいくれてもと思ったが、店長が恥ずかしいんでしょうと笑っていた。
きっとあのアネモネは、今も玄関で親子を見守っているのだろう。
父親の願いも、娘の望みも、ただ、一途に人の想いをのせて。