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蘇芳と真朱

千紘が物心ついた時には両親はいなかった、親はそれぞれ家庭を持って、子供はいらないと祖父に押し付けたのだと近所のおばさんが噂していたのを聞いた。それが本当かどうかなんてどうでもよかったので、わざわざ祖父に確かめる事もなかった。


「ちー坊おいで、神様に挨拶に行こう」


氏神様と仲良くしておくと、きっと困った時に助けてくれると、祖父と一緒に散歩がてらよく神社に行っていた。ただ、千紘は変なものが見えるその場所が少し怖かった。


「じいじ、小さな人が靴下を引っ張る!」


泣きながら祖父に助けを求めると、それは森の精霊たちだよと笑われた。祖父も小さい頃は見えてたけれど、大人になると見えなくなったと少し寂しそうに言っていた。


そして初めて上宮まで連れて行ってもらった日、桃色の花びらが舞い散るとても綺麗な花に目を奪われた。


「すごい、花が降ってくるみたい」

「これはシダレザクラといって、じいちゃんよりも長生きなんだよ」


祖父の家にあるのでサクラは知っていたが、それよりもとても鮮やかな桃色で、千紘はこんな幻想的で美しい花を初めて見たと思うくらい感動した。


数日後、どうしてももう一度見たい欲求に駆られ、千紘はひとりで神社の上宮にむかった。そして、案の定迷子になり、たまらず泣き出してしまった。


しばらく屈みこんでいると、ひとひらの桃色の花びらが千紘の前で舞って落ちる。そしてまた、同じように別の花びらが千紘の前で主張するかのように舞っては、今度は少し遠くに落ちる。まるでついて来いと言わんばかりに。千紘は無我夢中で、花びらを追っていた。


気付けば祖父と訪れた上宮のサクラの木の前にいた。同じ木なのだが、以前見た時と違うのは花の枝に寝転がるように薄く微笑んでいる少女がいた。


男の子(おのこ)が泣くな」

「誰…?」


これが、千紘と桜の少女との運命の邂逅だった。




「精霊さん、こんばんは!今日は学校で絵を描いたんだよ」

「また来たのか」


千紘は小学生になった。あれからほぼ日課で上宮に通いながら、千紘は少女と様々な話をした。少女の姿をしているが、とても古くからここにいるのだと、人間が好きらしく人々の昔話などを楽しそうにしてくれた。


「精霊さんは何でお名前を教えてくれないの?嫌いなの?」

「名前は精霊にとって大事なものだから、すぐには教えられないのだよ。お前は自分の名前が嫌いなのか?」

「…うん、僕の名前は両親から一文字ずつ貰ったんだって。でも二人とも僕がいらないんだって。なら僕もそんな親から貰った名前なんていらない」


少女は、少しだけ眉尻を下げて、敢えて表情には出さないように話した。


「では、私がお前に名前をあげよう。【蘇芳】私とお前だけの秘密の名前だよ」

「すおう…?どういう意味?」

「黒味を帯びた赤色で植物の名前でもある。私の真名が赤に通じるものだから、お前にも揃いで付けた、どうだろうか?」


千紘は、すおうすおうと何度も呟き、とても嬉しそうに少女にお礼を言った。


「さあ、もうお帰り、暗くなるよ」

「うん!精霊さんの名前もいつか教えてね」


足取り軽く山を下りていく中、何度も何度も贈られた名前を反芻した。これは千紘にとって生涯の宝物になった。



小学校に通い出して2年が過ぎた頃、千紘にとってちょっとした事件が起きた。


「蘇芳はいつもここに来るが、いいのか?お前くらいの年齢の子供たちは皆、一緒に遊んでいるぞ」

「僕は、精霊さんといる方が楽しいから。友達なんて必要ないよ」


少女は珍しく木から飛び降り、体重を感じさせない足取りで木に寄りかかっている千紘の目の前まで来ると、真面目な顔をして言った。


「ちゃんと聞け、蘇芳は人間だろう?何処でどんな生き方をしても自由だが、一人ではだめだ。人と関われ、今お前に必要なのは私ではなく、人間だ」

「…?どうして?」

「私の前に二人以上、友達を連れてこい。それまで、お前とは会わない。いいな?」


えっと千紘が何かを言う前に、少女は姿を消した。数日、ひとりで何度叫んでも、泣いても、少女は出てきてくれなかった。観念して、千紘は学校の友達を作ろうと思った。


田舎の学校なので、自分を入れても1学年8人しかいなかった。唯一千紘でも知っている子は、かなり年下の従妹の朋子で、その子を通じて友達を一人紹介してもらった。


「和馬くんだよ!のりちゃんのお兄さんだよ」


二人はよろしくと言いながらも、なんかいけ好かねえという副音声が聞こえた気がした。すぐに仲良くなることは出来なかったのだが、朋子の誕生日会を三人ですることになった時に転機が訪れた。


祖父の家で、千紘と朋子は和馬を待っていたのだが、遅れてきたと思ったら泥だらけで自転車が壊れている。多分、畑に突っ込んだのだろう、田舎あるあるだ。朋子がタオルを取りに急いで走って行くと、和馬は泣きそうな顔でどうしようと言った。


「プレゼントが…」


手の中の物が泥かと思ったら、ぐしゃぐしゃになった朋子へのプレゼントだったらしい。流石に気の毒になって、千紘は和馬を庭に連れて行き、朋子の好きな花をあげればいいと花束を作ってあげた。結果、とても喜んでくれて、千紘と和馬はそれを機に仲良くなった。しかしその後、祖父に庭の花を勝手に摘んだことがバレて、千紘は怒られたのだった。


三人で遊ぶようになって半年、千紘は二人を上宮のサクラの木の前に連れて行った。


「ここお気に入りの場所なんだ。このサクラが綺麗だろ?」

「眺めはいいけど、ここまで来るのは疲れるね」

「このサクラ知ってる!じーちゃんが子供時からあったんだって」


二人は上宮が珍しいのかちょろちょろと散策していると、木に取り掛かっている千紘に懐かしい声が響いた。


「友達が出来たな、良かったな」

「…うん、友達といるのも楽しいよ。また遊ぶ約束してるんだ!だから、毎日は来れなくなるかもしれない…」


桜の少女は、それでいいと、とても嬉しそうに笑った。そして、そろそろ帰ろうと二人が千紘に声をかけた。千紘が少女にまたねと声をかけて、木から離れようとした時、後ろから声がした。


「真朱」

「え?」

「私の名前だ。蘇芳またおいで」


頑なに教えてくれなかった少女の名前を知って、千紘は歓喜した。二人にどうしたのと不思議がられながらも千紘は、顔が緩むのを止められなかった。



千紘が中学生になった頃、上宮のサクラに会いに行くのは週一になっていた。あまり会えない為、二人の時は千紘はとても饒舌になり、真朱は微笑みながら静かに聞いているのがいつもの事だった。


「和馬の兄ちゃんが、理学療法士なんだよ。僕も少し興味あって話聞いてるんだ。じいちゃんもずっと足が痛いって言ってたし、僕がそれになれば、リハビリ手伝えるかなあ…」

「未来は自分の為に決めろよ、蘇芳がどんな道に進んでも、お前の祖父は応援してくれるだろう」

「うん、あと、ここに来れないのは少し寂しいけど、部活も楽しいよ!中学は隣町だから朝早く出ないとだからキツイけど」


そうかと笑って頷く真朱に、千紘はもごもごと言おうかどうか迷っている素振りで、顔を少し赤くしながら小さな声で話し出した。


「和馬に彼女が出来たんだよ、隣町の子なんだけど…なんか、なんか早くない?彼女とか」

「異性を好きになるのがか?人間の寿命は短い、番いは早めに見つけた方がよいぞ?」


つ…番い!?と千紘は今度こそ顔を真っ赤にして、叫んだ。


「真朱は、誰かを好きになったことある?」

「私に人間の感情の機微を聞かれてもな…ああでも、私のこの姿は2代前の神主の娘のものだった。幼い頃からここへ来ては笑って見上げていたな。子供を産んですぐに亡くなってしまったが、私はその娘の笑顔が好きだったのだと思う」

「真朱はその子が好きだったの?だからその姿なの?」

「人間はみな好きだよ、儚いのに強く生き抜くさまがとても、綺麗だ」

「僕たちから見れば、人間より花の方がとても綺麗だよ。もし、もし僕が死んだら、真朱は僕の姿になってくれる?」


少し考えて、真朱はかぶりを振った。


「蘇芳になっても、私にはお前の姿が見えないじゃないか。私はお前を見ている方が好きだ」


それを聞いて、千紘は少し泣きたくなった。けれど不快や悲しみではなく、どちらかというと嬉しい気持ちの方が大きい。不思議な気持ちに首を傾げつつ、この二人の穏やかな時間がいつまでも続けばいいと思った。



高校生になって、祖父も病気がちで衰え、家事全般を千紘がやっていた。たまに、朋子の両親も手伝いに来てくれるが、大事な祖父に出来る限りの事をして、自分が恩返しをしたかった。


その日も夕食の買い物をして、早めに帰ろうとしていたのだが、クラスの友達にカラオケに誘われた。いつも直帰する千紘だが、声をかけてくれたのが嬉しくて、少しだけならと誘いに乗った。


そして家に帰ると電気は消えており、祖父がサクラの木の下で倒れていた。




「和馬くん、ちー兄知らない?」

「見てないな、変に思い詰めてなきゃいいが」


葬式が終わっても、祖父と暮らした家には帰る気がおきずに、千紘は上宮のサクラの木の下で蹲っていた。


「蘇芳、もう帰れ。皆心配する」

「いないよ、もう誰も俺を心配する人は…。あんなに大事にしてもらったのに、ひとりで逝かせてしまった、僕が絶対看取ると決めていたのに…僕が、早く帰っていればっ…」


声をあげて泣き始めた千紘に、暖かな温もりが包んでくれた。人間よりも低い体温と仄かな花の香りに初めて触れて、千紘は少し顔をあげた。


「人はいずれ死ぬ、これは摂理だ。そこに誰かのせいは存在しない、もちろんお前のせいでもない。稔を大事に思うなら、悲しみでなく感謝でおくってやれ。今、お前が健やかなのは、彼のおかげだろう?」


稔は、祖父の名前だった。


「稔も幼い頃はよくここに来ていたよ、やんちゃだった子が妻を連れて来たときは、人間の成長の早さに驚いたものだ。そして、赤ん坊のお前を連れてここに来た。この子の人生が幸多きものである事を願ってな。そうやって巡る人間の一瞬にも思える生き様がとても綺麗だと思う、だからお前も私に見せてくれ蘇芳」


人間を好きだと言った真朱は、どれだけの人間を見送ってきたのだろう。きっと何も思わなかったはずはない。孤独な花は縁を結べる人間を、羨ましく、眩しく、そして自分を顧みて寂しく思ったかもしれない。


「お迎えだ」


後ろを振り向くと、千紘を呼ぶ、和馬と朋子の声がした。自分よりも泣きじゃくっている二人を見て、千紘は少しだけ笑った。




高校生も終わりに近づき、進路は進学希望で、今日は千紘の家で受験勉強をしていた。朋子は、少し遠くの県外の高校を希望していた。


「なあ、千紘今日泊まっていい?何か台風来てるみたいで、雨がすげえ」

「いいけど、あまり食料の買い置きはないぞ」

「私の家が近いし、何か貰ってくるよ!夜中のうちに通り過ぎればいいね」


風の音が凄まじくなるに連れて、家の軋みも酷くなっていき、古い家なので吹っ飛ばないかちょっと心配になってきた。その時、ものすごい轟音がして咄嗟に耳を塞いだ。


「きゃっ」

「なんだ、雷か?えらく近くなかったか?」


外が少し明るくなったと思い千紘が窓を覗くと、森の一角が燃えているのが見えた。


あの方向は…!?


千紘は妙な胸騒ぎがして、合羽だけを羽織って、嵐の中に飛び出した。台風が猛威を振るう中、山に行くのはかなり自殺行為だが、そんな事を考えている余裕はなかった。自分の人生でたったひとつ残った、宝物を失くすことに恐怖を覚えていた。


どうか、考えてる事が当たっていませんようにと願いながら、息せき切って上宮に着いた。そして、嵐で倒れたサクラと、その後ろの木々に燃え広がっている火の勢いに目を見開いた。いつもゆったりとサクラの枝に腰かけている真朱は、今は木の下で倒れていた。


「真朱っ…!!」


真朱は目を開けずに、姿もやや透けているように見える。千紘は、雨なのか涙なのか水浸しになった顔を拭いながら、何度も何度も彼女の名前を呼び続けた。


「これ、人間の子よ、それはもう無理じゃ」

「可哀想だけどねえ」


人はいなかったはずだと、怪訝に思って千紘が後ろを振り向くと、三人の男女が立っていた。一人はやや古めかしいがまだ現代的な恰好をしていた。後の二人は、着物を着ていて、女性が着ているのはもしかして十二単ではないだろうか。そして不思議なのが、この豪雨の中、彼らが全く濡れてもいないし、髪すらなびいてない。


「だ…誰…?」

「君が必死に呼んでいるものと同じものだよ」


一番現代的な恰好をしている、軽薄そうな男性が、千紘を面白そうに見ながら答えた。


「精霊…?なぜここに…」

「お前も別れに来たのじゃろ?不運な事よな」


十二単を着た綺麗な女性が言った別れの言葉をすぐには理解できなかった。自分が誰と?それを考える前に千紘は、無意識に声を出していた。


「助ける事は出来ないのですか?僕に出来る事ならなんでもします!彼女を助けてください、お願いします」

「そう言われても、私たちは神ではない。生きとし生ける物の命を操ることはかなわない。諦めなさい」


長い黒髪を結んだ着物の男性が、真面目そうな口調で千紘を諭す。


「ふふっ精霊を助けたい人間かあ、面白いね。そうだなあ、君がこの精霊の為に命を差し出せるなら助けてあげてもいいよ。助かるかはわからないけどね?」

「藤よ、またお前は何を言っている」

「杉はホント真面目で嫌になるよね」


軽薄そうな男性と、黒髪の男性が言い争うのを、女性はやれやれとため息をついた。


「僕の命なんて、全部使ってもいい。出来るならどうか彼女を助ける術を教えてください」

「私も杉に賛成じゃ、限りある命を簡単に投げ出すものではない」

「それでも、彼女が死んでしまったら、僕も死んだと同じだ。望みがないわけじゃないんだろう!?方法があるなら教えてくれ!」


最後はもう、敬語なんてかなぐり捨てて、必死で訴えていた。


「元気な坊やだな、では方法を教えてやろうか」


精霊は本体を失えば存在できない事、その代わりを千紘が担う事、それには命の危険が伴い、千紘の生命が尽きるまでの延命にすぎない事などを大雑把に説明してくれた。


「僕も初めてするからやってみたかっただけだけどね?ああそうだ、タダじゃないよ。君の一番大切なものを契約として貰うよ」

「大切なものなんて…彼女しか、もうないよ」


でもその彼女を救いたいのだ、だったら対価は何になるのだろう?


「彼女との記憶はダメだよ?本体を移すときっとこの精霊は君の事を覚えていない、君まで彼女を忘れてしまったら、本末転倒だろ?何もないなら、契約は出来ないな」


大切なもの、それは彼女に貰ったもので思い出以外にひとつだけあった。出来れば、誰にも知られたくなかったが、千紘はそれしか持っていないとも思った。


“私とお前だけの秘密の名前だよ”


「彼女に真名を貰った、それを差し出します」

「人間が真名を?それは面白い、いいだろう」


十二単の女性は少し、悲しそうな顔をした。精霊たちにとって真名はとても大事なものだと知っているからだろうか。


「では契約を結ぼう、真名と引き換えに。期限はお前の命が尽きるまで」



その後の記憶は、千紘にはなかった。上宮で倒れているのを、和馬と朋子が見つけて連れ帰ってくれたらしい。熱にうなされ、夜に目を開けた千紘の前に、薄ぼんやりと灯る見慣れた真朱の姿があった。助かったのだと、安堵の息を吐きかけた時に、彼女が声を発した。


「貴方は、だれ?」


彼女の声はもう、自分を知らない、呼んでくれない事がとても悲しかった。そしてもうひとつ千紘が絶望することが待っていた。


「僕は…僕の名前は…」


千紘ではない、思い出の中の彼女がずっと呼んでくれた名前がぽっかりと穴が開いたように思い出せなかった。大切だった、宝物だった、そんな彼女の一部を確実に失ったような虚無感に襲われ、千紘は涙を流した。


「僕はだれ…?」


目の前に大事な真朱がいるのに、彼女を失うと思った時よりも、今の方がずっと寂しかった。

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