サクラ5
楓太達は一先ず家に戻る事になったのだが、紅梅の少女は先に戻ると言って消え、道案内してくれた猫はどこにも見当たらなかった。結局、帰りは店長と二人になってしまったのだが、気まずさがあまりなかったのは、店長が変わらず気さくに話しかけてくれたのと、楓太の店長に対する気持ちがあまり変わっていなかったからかもしれない。
「宗森君は、お留守番ですか?」
「最初から山登りを嫌がってたから…俺一人で来たんですがどうかな?変に動き回ると、アイツすぐに迷子になるから」
「ああ」
店長はクスリと笑って、綾人の日常を思い浮かべている様だった。
「先ほどはすみません、酷い言葉をぶつけました」
「いやでも、店長がわざと俺を突き放そうとしてたのは、わかりましたから」
自分なんか嫌っていい、もう見捨てて欲しい、せめて楓太が罪悪感など抱かぬように、自ら悪人を演じてたどこか優しい人を嫌いにはなれないのが本音だった。
「でもあれは、少しだけ本音でもあります。君はもっと自分の為に生きた方がいい」
「俺は結構、好きに生きていると思ってますけど」
「そうですか?君に比べれば、僕や宗森君は余程、自分の為に生きていますよ?自分の願いや望みを持つことは、自分を幸せにしてあげる事にも繋がるでしょう。花達だけでなく、自分自身の望みも顧みてあげてください」
楓太は綾人を見ていて羨ましいと、同時に自分にはないものだと感じた気持ちを思い出した。多分、店長は俺にもそういうものを見つけられたらいいと言ってるのだと思う。それはきっと、長い人生の中の糧や希望になるだろうから。
楓太は初めて、今後の自分の人生をどんな風に生きたいか、なりたいかを深く考えた。
話しているとあっという間に、家に帰って来れたようで、気付けば綾人が門の前で仁王立ちしていた。
「お前、何してるんだよ」
「めっちゃ探しに行きたかったけど、出たら迷うのは分かっとったからな、ここで待っとったんや」
綾人にしては賢明な判断だな…
待っている間、紅梅の少女に状況を説明してもらったらしく、こそこそと綾人が楓太に話しかけてきた。
「で?どないすんの?」
「朋子さんと話してた庭のサクラを覚えているか?」
「ああ…店長のじいさんの…あ?…あ!」
綾人は何かを思い出したように、楓太を見て軽く頷いた。3人で庭に出てみると、紅梅の少女がヤマザクラの木の上で腰かけている状態だった。寛ぎながらこちらをちらりと見たが、干渉する気はないのか思い切り傍観者の構えだった。反対に店長は、過去を思い出すのだろう、サクラの方をあまり直視しないように居心地悪そうにしていた。それを知っている楓太は、謝りながらも話を切り出した。
「店長、庭にまで来てもらってすみません。このサクラを見て頂きたかったんです」
「祖父の…ヤマザクラをなぜ…?」
「見て欲しいのはそっちではなくて、この挿し木の方です」
「この葉はサクラ?挿し木は難しいのですが、よく成功しましたね」
流石店長、一目でサクラだとわかったようだった。おじいさんが亡くなってから、本当に近寄っていなかったのだろう。初めて見たようで、しげしげと観察している。
「これは、数年前になくなった…神社のサクラの木ですよ。朋子さんが挿し木で増やしてくれていたんです」
店長が驚いて、楓太と小さなサクラを見比べる。そして楓太には見えないが、店長の傍にいる精霊を見て何か囁いていた。
「媒体は、同じ木なら移せるんだろう?これは本体の一部だし、出来るんじゃないのか?」
楓太は今度は紅梅の少女に向かって、尋ねていた。内心、どうか出来ると言ってくれと必死に願っていた。少女は目をそらして、少し思案するポーズを取った後に、にやりと笑った。
「そうね、その男を苗床にするよりは可能性はあるでしょうね」
「いけるんか!?」
場の空気が一変して歓喜に満ち溢れた。当の、店長はまだ状況についていけてないようで、少し放心状態だった。
「助かる…?」
店長が無意識なのか、ぽつりと呟いた。楓太はじわじわと湧いてくる嬉々とした感情に素直に従いながら、笑顔で店長を見て一瞬驚いた。店長が涙を流していたからだ。
大事な相手と死に別れたい人なんていない、まして店長は、一緒に死ぬことに喜びを抱ける人でもないと思った。きっと、長年ひとりで探して考えて絶望して、選んだ答えは、苦渋の選択だったに違いない。
「ただ成功しても、また精霊として姿を成せるまで数百年はかかると思うわ。長い長い眠りにつくから、貴方が生きている間に会う事は二度とないでしょうけどいいのね?そして、精霊が離れても貴方の寿命もそう…長いわけではないでしょう」
それじゃ店長は、大事な人ともう会えないという事か。
そして寿命も…。楓太と綾人が延命した時に死にかけていたのだから、予想はしていたが実際に聞くとやはりショックではあった。しかし、店長はそんな事はどうでもいいと言わんばかりに、傍にいるだろう精霊に語り掛けていた。それは、暗闇を永遠と彷徨っていた彼が、やっと暗夜の灯を見つけた歓喜と謝意そして安らぎに包まれた瞬間だったのかもしれない。
あまり人数が多くない方がいいだろうと、会話が聞こえない少し離れた所で、楓太と綾人は店長と紅梅の少女を見守っていた。
「あのサクラの挿し木、発根するのってすごく難しいらしいな」
「朋子さんのおかげやな」
「ああ、それに店長が媒体にならなければ、その時点で精霊は消えてたわけだし、今こんな選択もなかったんだよな」
「そうやな、全部無駄やなかったんや」
「ああ…」
ここからじゃ何をしているかよくわからないが、店長が誰かの名前のようなものを叫んだ気がした。それはきっと、店長と精霊の二人だけが知る大事な名であるのだろうと、楓太は聞かなかった事にした。
彼の歩んできた人生に、いつも寄り添っていた彼女との長い苦悩とそれ以上の幸福、様々な想いを含んだ店長の慟哭は、夏風に運ばれて、天高く真っ青な空に溶け込んでいった。
それから、数日店長は寝込み、甲斐甲斐しく世話をする朋子は、また無理をしたのねと説教をしながらも少し嬉しそうだった。ようやく動けるようになったのはもう滞在の最終日だった。そしてその夜、楓太、綾人と店長の3人は庭に出て、満天の星空を見ながら話をした。
「すごい星空やな~星が降ってきそうやん」
「都会じゃ見られないよな。店長は身体はもう大丈夫ですか?」
「ええ、もう大丈夫ですよ。それに不思議な気分です、ずっと傍にいた自分の半身を失った虚無感と安堵を含んだ解放感が、綯い交ぜになったような…」
店長は穏やかな表情で、サクラを見ていた。たった数日で沢山の事があった、それを思い出しているのかもしれない。
「店に戻ったら、もう花屋を閉めようと思っています」
「えっ!?」
楓太は驚いて店長に聞き返し、綾人は飲んでいた飲み物を噴き出した。
「今すぐではありませんけど、数年以内には…。僕の身体の事もありますし、余生はこのサクラの、彼女の傍にいたいと思います」
その決断は、楓太はそれでいいと思ったし、反対する気も全くなかった。それとは別に、ずっと考えていた事を言おうかどうかを少しの間思案して、声に出した。
「あの、俺も今すぐじゃないですけど、店長さえよければ俺が、あの店を継いだらいけませんか?もちろん覚える事も沢山あるだろうし、絶対無理だと言われたら諦めます」
今度は店長が目を丸くして楓太を見返し、綾人は飲み物を鼻に詰まらせてむせた。
「俺ずっと考えていたんです。綾人や店長みたいに、自分が絶対進みたい道なんかないし、自分が何をしたいんだろうって。そうしたら、今はやっぱり、店長に教えてもらった花達をもっと知りたいなって、これからも出来れば関わっていきたいなと思っています」
自分の人生を決める転機は、人から見れば他愛もないちょっとした出来事かもしれない。けれどそれは、大きな波紋となって、未来の自信と支えとなる何かの始まりかもしれない。店長はある意味、楓太と真逆にいる人だった。一人で全てを決めて、迷いなく進んできた人で、だからこそ楓太の人生の指針になったのかもしれない。
「君が卒業するまでに、その心意気が変わらなければ考えましょう」
「もしそうなったら、俺が手伝うたるで」
店長は、優しく笑ってくれて、綾人はいつも通りの軽い口調だった。そんな二人を見て、楓太も自然と和らいだ気持ちで笑っていた。
「綺麗に終わってよかったわね」
「うあっ!!」
風太と綾人が驚きの声をあげて、突然現れた紅梅の少女を睨んだ。
「いきなりぬっと出てくるなよ!夜に出たり消えたりしたら幽霊かと思うだろっ」
「まあ、せっかくお別れにきてあげたのに」
「え?」
「私は貴方の精霊が気になって、一緒にいたけれどもうそんな必要もないでしょう?元々、精霊は人の前に姿を現す事はないものだもの」
いきなりの言葉に楓太たちはぽかんと聞いていた。確かにそう言われれば、そうなのだろうが突然すぎないか。何となくまた日常に戻れる気でいたが、もう精霊はいないし、不可思議な現象に関わることもないのだと改めて気づいた。
「待ってえな、二度と会われへんのか?」
「そうね、今回はとても疲れたから百年ほど眠ろうかしら」
綾人がとても悲しそうな顔をして、何かを言おうとして口を開け閉めしている。何百年も生きている紅梅の少女にとってはたった百年だが、人間とっては一生だ。ここにいる誰もが百年も経てば生きてはいない。そんな綾人を見ながら、少女はふふっと笑った。
「でも面白かったから、貴方たちが死ぬ時は、見に行ってあげてもいいわ」
「いや、そらもう会われへんのと同じやんけ!」
綾人が盛大に突っ込み、せめて名前を教えてくれとせがんでいる。少女は面白そうな笑みで綾人を見返していた。
「そうねえ、もう私から会う事はないけれど、もし貴方が私の本体を見つけて会いに来るのなら考えてもいいわ」
…綾人やめとけ、あの顔はなんか企んでいる
心の中で止めてみたが、気遣いのテレパシーは空しく届くことはなく、綾人は絶対やでと張り切って答えていた。
「あ、俺からも一言、アンタ俺に、神社のパワースポットの事わざと教えてくれただろ?あれ聞かなきゃ、神社のサクラが精霊だったかもって確信は持てなかったと思うし、ありがとう」
「私は別に隠してたわけでもないから。あとでわかって文句言われても嫌だもの」
少女はプイと顔を逸らしたが、納得できる結末を迎えるために、協力をしてくれたのだろうと思う。
楓太は、沢山の星々が輝く満天の星空を見上げながら、未来もまた輝いているように思えた。この夜の星空を、いつか時が経っても空を見上げるたびに思い出すのかもしれない。その時は一人かもしれないけれど、受け取った大切な想いや幸せな思い出はいつも自分の中にあり、それは今後生きていくうえで自分の拠り所になるのだなと思った。
花達がたったひとつの拠り所を想い続けているのと似ているなと思ったが、人間もふと思い出して自分を奮い立たせてくれるものもやはり同じなのかもしれない。
次の日、早朝神社に挨拶に行き、楓太たちは長いようで短い一週間の滞在を終え、帰路に着いた。
それから五年の歳月が流れた。