サクラ4
紅梅の少女の言葉に二人は動揺を隠さず、詰問した。
「死ににってどういう事だよ!?お前何したんだ?」
「冗談でもたちが悪いで」
「私は何もしてないわ、ただ決めろと言ったのよ」
少女は嫌そうな顔をして、何を?という顔をした二人から少し間を開けた。
「本体がない以上、二人が共に助かる道はないけど、どちらか片方なら希望がないわけじゃない。男が死ぬか、彼女を切り捨てるか、決めなさいって言ったのよ」
「本体がない…?」
「藤にいろいろ聞いてきたのよ、思った以上に面白い過去を持った男だったわ」
「アンタは何故、そんな事を教えにきたんだ?」
わざわざ他の精霊に会ってまで、紅梅の精霊が一人の人間の死を重要視してるとは思えない。
「私達も同じ精霊の生末は気になるのよね、数年前彼女の死に際に、3人の精霊が立ち会ったように。仲間の終焉には人のまねをして…悼むというのかしら。不思議でしょう?」
精霊たちも仲間意識というものがあるのか。きっと、人間が考えている絆とは違うものだろうが、何百年もの時を過ごす彼女たちにとって、気持ちを分かり合えるのは同じ精霊だけなのだろう。
「媒体になってる状態って魂が交わってる状態なんですって。そのまま一緒に死んでも、精霊どころか何者にも再生できない。可哀相すぎるでしょ」
この場合の可哀相は多分、人間にではなく精霊だけに対しての言葉なんだろうな…
「再生…?転生てやつか?」
「いやでも、店長が生きる方法は分かるけど、精霊を助ける方法はないんじゃないのか?媒体は移せないんだろ?」
「今の状態で男だけ死ぬなら私が手を貸してもいいと言ったの、彼女の新たな木の苗床になれるでしょう、可能性は低いけど」
綾人が顔を大きく歪ませて、明らかな嫌悪を顔に出した。とにかく、少女はどちらかが死んでくれたらそれでいいらしい。彼女たちにとって、再生のある死は終わりではなく、新たな生の始まりなのかもしれない。
「返事待ちだけど、貴方たちを引き留めてくれって言われたら決めたのかもね」
楓太はそれを聞いて、立ち上がって玄関に走り出した。
「楓太君、どこ行くんや!?店長の居場所わかるんか!?」
「上宮だ!」
楓太は確信を持っていた。店長がここに帰ってきたら必ず行く場所、そして生気が豊富なパワースポット、数年前に倒壊した神社の木。
上宮にあったサクラが店長の精霊の本体だ。そしてきっとそこにいる。
楓太はやや日が陰った、神社への道を一直線に走った。早朝と違い、夕日に照らされた境内への石段は、夜を誘う入口のように、少し物悲しい雰囲気をたたえていた。
間に合うか…
さすがに石段を上った時には息も絶え絶えで、止まらざる終えなかった。もうかなり暗くなっている境内で山道はどこだったか見回すと、にゃーんと聞きなれた声が聞こえた。
「この前のキジトラか!なあ、また山道の入り口教えてくれよ!一刻も早く、上宮に行きたいんだ」
猫に人語が通じるはずもないが、そんな事はおかまいなしに楓太は必死で訴えた。猫は耳をぴるっと動かして、にゃんと鳴いたかと思ったら、楓太が今来た神社の石段の方へ走って行く。
「えっちょ…そっちは今来た方で…」
衝動的に猫を追いかけて走って行く。石段の手前、境内の入口に大きな鳥居があるのだが、猫を追いかけてその鳥居を潜った瞬間、白い光に包まれた気がして、楓太は目を閉じた。
次に目を開けると、今いた境内ではなく緑に囲まれた少し開けた場所にいた。横に顔を向けると、草木の隙間から、まるで山の頂上から見下ろすように、小さくなった村の家々が見えた。
は…?
そして真後ろには小さな祠の様なものが見えた。
ここって、もしかして上宮?俺どこから出てきた…?
そして祠から真正面に、山道の入り口のような暗がりが見える。もう辺りは大分暗く、目を細めないとよく見えない。山道の入り口の斜め前位に、人が立っていた。
「店長!」
呼びかけた人物は、まさか人がいるとは思わずとても驚いていた。山道の入り口側に店長が立っているので、そこを通らないと今楓太が立っている場所にいる事は物理的に不可能だったからだ。
「今井君…?どこから、ここへ?」
それは俺にもわからない、いやマジで
「猫を追いかけて、気づいたらここに…」
「猫…?ああ、この神社の神使は猫らしいですからね、僕には一度も姿を見せてくれませんでしたが。今井君は花だけでなく、神様にも好かれるのですか?驚きましたよ」
神使は神様のお使いで様々な動物の姿をしているという。じゃあ、導いて助けてくれたのか…
「俺は店長を止めに来ました」
「何を、というのは愚問ですかね?人間のふりをするというのはとても難しいらしいですから、バレるかなと思っていました」
「店長は、死にたいとは思ってないと言ってたじゃないですか」
「ええ、それは本当です。ただ、探しつくして本当に手段がなければ、共に死んでもいいと思ってはいました」
いつもの穏やかな笑顔を張り付けて、店長は答える。多分、もう隠す必要もないからか、何の動揺も見せずに本音で話してくれる。
「ねえ今井君、僕が何故、花屋を始めたかわかりますか?」
「!?」
「僕は昔、会社に就職しました。しかし、その時には既に精霊と共にいて、大量の生気が必要だったんです。僕一人では抱えきれなかったんですよね、なので一日一回は緑の多い公園などで、他の植物の助けが必要でした。ですが、残業などが重なるとそんな時間も取れず、しまいには倒れ、続けられなくなったのが退職理由です」
他の植物から生気を奪う…。確か紅梅の少女もやったことはあるし、店長も出来ないとは言ってなかった。実際、倒れた時は、枯れた花を大量に見た気がする。
「つまり花屋を始めたのは、大量の花から、少しずつ生気をもらうため…ですか」
「想いを持った花はかなり多くの生気が貰えますからね、願いを叶えるのはお礼も兼ねてでしょうか。僕を見損ないましたか?」
楓太は確かにショックだったが、本当にそれだけだろうかと考えた。少なくても店長はいい加減な経営はしていなかった。花の仕分けから個別の花言葉まで、ちゃんとプロの仕事をして花と向き合っていた。不思議花だって、願いなんて聞かずに生気だけもらってもよかったはずだ。
「いいえ」
楓太は、店長の目を見て否定した。反対に、店長はため息をついて、とても冷たい目をした。
「僕は、今井君の母親ではありませんよ」
楓太は、びくっと動揺して、無言で続く店長の言葉を聞いた。
「君は、懺悔をするように人を救おうとするように見えます。それは過去の後悔ですか?許されたいのですか?自分の為に?」
きっと楓太には自覚はなかった。けれど、この言葉は楓太にとって一番聞きたくなかった言葉かもしれない。けれど、踏みとどまらなければ、一生後悔することがまた増えることになる。
「僕が死ぬとしてもそれも、自分の為です。今井君には関係ないし、君が背負い込むことでもないのですよ?もう、いいではないですか」
死ぬ気ですか?とは聞けなかった。きっと、何を言っても楓太たちの説得なんて耳に入っていなかった。
多分、店長は彼女を助ける方法があれば、何を犠牲にしてもそうすると言っているだろう。そして敵わなければ、自分だけ助かる気はないと。
最初から今までこの人は彼女の為に生きてきたんだ、彼女を救うためだけに。きっと、人生で、楽しい事や嬉しい事、心許せる人にも出会ってきたはずなのに、それを全てたった一人の為に捨て、ぶれる事なく強く残酷に、想い続ける事が出来るのは花ではなく、人だからなのだろうかと楓太は思った。
全ては彼女の為に
「店長にとって、彼女はどういう存在ですか…?」
唯一振り絞って、出た言葉は単純な問いだったが、楓太にはよく考えても一番わからない事だった。しかし、店長はかなりの時間を黙して、どう答えようか考えあぐねている様だった。
店長の立っている場所にサクラがあったのか、倒壊した木は今は整備され何もないが、その場所を見て、店長は愛しい思い出を振り返るように答えた。
「幼い頃は、母のようにも姉のようにも思えました。成長するに従って、何でも話せる良い友のようでもありましたし、やはり僕にとっては一番大切な…女性だったと思います」
それは、楓太には見えない精霊に優しく語り掛けるような、大事な人を想う愛の言葉だった。
人には、絶対的な優先順位があると思う。他人に何を言われても、譲れないものを持っている人間は、滑稽に見えたり、愚かにも思えるが、誰よりも至福の時を知っている。
楓太は、そんな人間から大切なものを奪ってまで、生きている方が幸せですよとはもう言えなかった。
「話は終わった?」
どこからともなく紅梅の少女が現れて、店長の傍らに立った。綾人は?と聞くと置いてきたと言っていた。
「ええ、彼女を助ける手段があるなら使いたいと思います」
「もし、彼女を切り離すなら、藤は貴方に真名を返してもいいと言ってたわよ」
「彼女がいないなら、そんなものを後生大事に抱えても仕方ありませんよ」
真名って、精霊の名前だよな?どういう事だ?店長は人間だし…
店長と少女の会話に首をかしげながらも必死で打開策を考える。本当に何もないのだろうか、二人とも助かる方法はないのだろうか。
思い出せ、思い出せ…!ここに来て、得た情報で何かなかったか
“綺麗なサクラだったから勿体なくて…”
ふと、そんな言葉が思い浮かんだ。それは、店長の家の庭の大きなヤマザクラを見た日の事だった。
「あっ」
唐突に声を発した楓太に、紅梅の少女はなあにと聞き返した。
「なあ、媒体って他の木へ移すことは可能なのか?」
「全く別の木って事?無理よ、人間だってひとつの身体に二つの魂は宿らないでしょう?今だってこの男を見れば、どれだけ無茶してるかわかると思うんだけど。だから本体が、枯れることは死を意味するの」
「本体と全く同じ木なら?」
「どういう事?」
少女は何を言っているのかわからないという顔をして、楓太を見た。店長はもう覚悟を決めているのか、何も反応はしなかった。
「もしかしたら、店長も彼女も救う方法があるかもしれない」
二人にあと少しだけ、待ってくれと訴え、店長の家のサクラを見て欲しいと言った。店長は少し気乗りしないような顔をしたが、紅梅の少女は意外にもあっさりと承諾してくれた。