リンドウ
16時20分
とりあえず、店内を見渡し花は個別に値札が付いているし、レジもコンビニバイトを一応やってたのでまあわかる。むしろ花の名前がわからない。ジャングルかここは。
「俺が金盗んで逃げたらどうするんだよ」
無防備に寝ている店主に呟くと、カウンターの横にカーテンが引かれている小さな小部屋があるのに気付いた。覗いてみると、そこにも多種類の花が水揚げされた状態で置かれている。
これは、表に出さないのか?何か選別してんのか?
電気もつけていないのに、不思議と存在を主張するかのように色とりどりの花が目に映る。その内の小さな花が、特に枯れかけているわけでもないのに花首から落ちた。
「えっ」
花首から落ちる花は縁起が悪いと言われているのは知っているが、そう多くはないはずだ。何かしてしまったかと焦ったが、触ってもいなければ近づいたわけでもない。そう、俺のせいではない…はずだ。
落ちた花を摘まんで見てみると、小ぶりだが深い青紫色の星形に似たような花だった。
「何の花か知らんが綺麗なのになー勿体ねえ。何で落ちたんだ?」
捨てるのも忍びなく、カウンターのレジの横に置いて乱雑に置かれた帳簿やらを片付けたり、近くにあった掃除用具で床掃除などをした。我ながら真面目である。
17時25分
その後は本当に来客もなく、見よう見まねでラッピングの練習をしていると、着物を着た若い女性が来店した。女性は顔見知りなのか店主が男子高生になっているので、驚いたようだった。
「新しいバイトさん?いつもの生花をお願いしたいのだけれど」
「あーすいません、テンチョーはその…今はいなくて。俺はまだ花にそんな詳しくないんで、指差しでお願いしてもいいですか」
「まあ、そうなの。いつも着物に会った生花を髪につけさせてもらってるの。白い…そこのデンファレと何かアクセントになる色合いの花をお願いするわ。ここは時期じゃなくても欲しい花があるから不思議よね」
デンファレとか初めて聞いたぞ…ってかでか!ながっ!
心の中で突っ込みながら、指示された本数を丁寧にカウンターに持っていく。女性はその様子を見ながら、レジ横に置かれた青い花に気が付いた。
「あら、綺麗なリンドウ。今日のお着物の色にも合いそう。数があるならそれも頂きたいのだけれど」
この花はリンドウというのか。店内を見回し似たような花を見つけたが、やや紫っぽい色と白色しかない。深い青紫の色合いは表には出していないようだった。
結局、選んだのは紫のリンドウだったが、その青紫もとても綺麗だから欲しいと言われタダで付けた。
売り物にならないだろうし、いいよな?
ラッピングはかなり適当で、すぐ使うからと大丈夫と言われたが、もしクレームが来たらそこで寝ている店長に押し付けようと思う。
女性が満足して帰った頃、やっと店主が起きてきた。まだ眠たそうに目をこすっている。
「あれ?どなたでしょう?僕の店で何を…」
こちらのセリフである。ふわりと花の香りがしたかと思うと店主があっという顔をした。
「ああああそういえば!バイト君が入ってくれて安心したとたんに記憶が…。うわ~すみません。僕が起きるまで店番してくれてたんですか?」
それはアンタが倒れる前に言ったからなんだけど、正気に見えたが半分寝ていたのか?
「寝るというか気絶というか…いや、それはいいスけど、いや良くないけど、危ないですよ。初対面の他人に店を任せるなんて」
「ああそれは、君は大丈夫だと思ったから」
「は?」
「君が花たちに好かれていたので。実は、僕は花の気持ちがわかるんですよ」
ふふっと店主が笑って答えたが、楓太は笑えなかった。変な人とは思ったが、冗談でなければ頭がイっちゃってる人だったらしい。このバイトを辞めるか思案し出した時、今日の分の時給は2割増しにしますねと言われあっさり思考は放棄した。
「高田さんですね」
簡単に仕事内容の説明を受けながら、さっきの着物の女性の事も聞いてみるとやはり常連だそうで、数か月に一度、着物に合う花を求めてくるらしい。
「今日のお仕事は終わりです。帰り際にこの広告をカウンターに置いておいてください」
———花の悩みや困りごとお受けします。お気軽にご相談ください―—
何となく違和感に襲われて眉根を寄せる。アレンジ商品すら載ってない文字だけのポスターだった。
相談…花の育て方か?花屋の宣伝広告って普通イベント時に各種承りますとかじゃね?
店のコンセプトは自分が口を出す事じゃないので、まあいいかと素直に仕事をして帰路に着いた。兄からは遅くない!?と突っ込まれたが、相変わらず過保護だなと思いながら何とか納得してもらった。
次の日の学校帰りに花屋に向かっていると、出てくる客とすれ違った。小さな女の子と父親らしき男性で、ピンクをメインとした綺麗な花束を持っている。女の子が嬉しそうにきゃっきゃっと大事そうに花束を見つめている。
「ママ喜んでくれるかなっ」
ああ、母親にプレゼントなのか
眩しいものを見るように親子の後姿を見つめていたら、日傘を差した女性が近づいてきて、楓太の前で止まった。花屋の客かなと思ってお客様ですかと聞いてみたが女性は無言で、不思議に思って覗き込むとそれは見知った女性だった。
この人…昨日の高田さん?
昨日と違って、着物ではなく洋服だった。髪にはリンドウの花飾りを付けて、にこにこと笑っている。と思ったら、いきなりポロポロと涙を流して泣き始めた。
「えっ!えええええ!?」
思わず声が出てしまい、狼狽えてしまう。端から見たら自分が女性を泣かせている図である。おろおろしてると、店長が大きな鉢を抱えて店から出てきた。
「今井君?どうしたんですか、大きな声を出して」
「えっいや…高田さんが…」
「高田さんが?」
振り返るといつの間にか女性は居なかった。
バイト中に事のあらましを説明すると、高田さんは普段、能弁で愛想のよい女性でそんな様子は見たことないと言う。楓太も昨日の接客で同じような印象を抱いたが、今日は明らかに変だった。不思議に思いながらも仕事をして、兄に遅いと文句言われる一日を終えた。
それからも何故か高田さんを見かける日が増えた。頻繁ではないが、いつの間にかやってきて帰っていく。にこにこ笑ってるだけだが、相変わらず無言で流石に怖い。しかも、決まって店長がいない楓太一人だけの時だけなのだ。特に害はないので、お得意様に文句言うのもなと店長に相談できずにいた。
少しずつバイトに慣れた来たため、楓太がシフトに入ってるときに店長は仕入れや配達に行くことが増えた。今日も配達から帰ってきて、次のアレンジ仕事をしながら忙しそうにしている。
「最近予約が多いっスね」
「もうすぐ母の日だからね。よし出来た。少し休憩貰うね」
「はい」
なるほど母の日か…俺の母親はピンクのカーネーションが好きだったっけ
店長が休憩に行き、何となくひとりでカーネーションとメッセージカードを見ながら考えてると、ドアベルが鳴りいつの間にか高田さんが立っていた。しかもすでに泣いている。まじで勘弁してくれ。
「た…高田さん…?えーと」
おろおろしていると、今回はさらに近寄ってきて楓太の胸に顔を寄せてきた。思い切り動転して、間抜けにも後ろの棚に肘が当たり物が落ちてくる。
「今井君。高田さん支えてて」
「え?」
何故か休憩に行った店長が高田さんの背後に回り、髪飾りを丁寧に外した。そのとたん、操り人形の糸が切れたように女性は意識を失い、楓太は咄嗟に倒れそうになった体を支えた。
「てんちょ…え?あのこれ…?」
訳が分からず、店長を見ると、手の中にあの日購入していったリンドウの花飾りがあった。ドライフラワーにしたのか、未だ瑞々しい青紫の色に目を奪われた。
「別室の花を売ったのですか?」
「あ…いや、なんか一輪花だけ落ちてて、勿体なくてカウンターに置いてたら高田さんが欲しがって」
ヤバい。そういえば、言ってなかった気がする。怒られそうな気配に慌てて説明するが、動揺して上手く順序立てて話せず、よく分からないことを口走ってしまう。店長はしばらく無言でじっとリンドウを見ていた。
「…貴方が綺麗だと言ってくれたのが嬉しかったようですよ」
何のこと?と見つめ返すと、そういえばリンドウにそんな独り言まがいなことを言った気がする。しかし、店長は寝ていたし、声が聞こえる距離でもなかった。
何で知っているんだ…?
「彼女はどんな時に姿を見せていましたか?今井君はその時、何を考えていたか覚えていますか?」
「ええ…?どんな…大体笑ってて、たまに俺を見て泣き出したり…俺は別に泣きたいとか思ってなかったですけど」
そういえば、泣いたのは2回だけであとは、顔を見てにこにこ笑っていた。最初は、プレゼントに花束を買った親子を見た時だった。そして先ほど、カーネーションを見ていた時。何か共通点はあるだろうかと考えているとふと思い当たった。
あ。母親…の事を考えている時か?
楓太の母親は1年前に他界した。単身赴任の父に代わり、兄は仕事をいつも早めに帰ってきて幼い兄弟の夕飯を作る。そして母親恋しい年齢の幼い兄弟たちも、俺たち兄の前で母親の事で泣いたり愚痴を言う事もなかった。寝る前に静かに泣いてることはあっても。だから自分だけ悲しんでるわけには行かず、せめてバイトして家計の足しにしたかった。何か家族のためにがむしゃらに頑張りたかった。
「リンドウの花言葉に正義や誠実、そしてあなたの悲しみに寄り添うといものがあります。涙を流さない君の代わりに泣いていたのかもしれませんね」
特に楓太は問いの返答はしなかったが、店長はわかってるように言葉をつづけた。
「花が…?だって花だろ…?」
「ええ、花は手折られても文句も悲鳴もあげません。でも何も思っていないわけでもないのですよ。短い生涯の中で憂い、歓喜し、人を慕う事もあります」
そして手の中の深い青紫色のリンドウを愛しげに見つめた。
「別室の花たちはそんな想いが少し強い子達なので、売りに出してはいないのですが、先に説明していなかった僕の落ち度です」
にこっと笑いかけられてあの時の店長の不思議な言葉を思い出した。
“僕は花の気持ちがわかるんですよ”
そんなことが本当にあるのだろうか。人は自分に理解できないものを嘲笑すると言った格言を思い出す。だからと言って自分が理解できないものを否定するのは違う気がした。少なくても、店長が嘘をついてまで得られる益も意味もないだろう。
要はただ、信じてみたいのだ。
自分が言った何気ない一言に、喜んで泣いてくれた儚い生物をもう少し知りたくなったから。