カスミソウ1
今日は課題の終わった綾人が、ふらふらになりながらもバイトにやってきたのだが、先日クロユリの君が来たことを言うと、到頭その場でばたりと力尽きて倒れた。
「俺もクロユリの君に会いたかってん」
「いやでも、あの子普通じゃねーよ、そういう意味では俺も気になるけど」
モップで働けと突きながら、綾人と会話を続けていると、ドアの外に男子中学生が立っているのが見えた。客かなとじっと見ていると、少年は少し困った顔をして、踵を返して去って行った。
何だったんだ…?
まあ花屋なんて、男の子は入りにくいよなと思いながらも、何か言いたそうな表情が少し気になった。
しばらくして、店長が大量の花を抱えて、仕入れから帰って来た。その中でも見たことがある、小さくて白いフワフワした花が目に入った。
「それ、なんて花でしたっけ、えーとよく花束で人気の」
「カスミソウですか?」
「そうそう!主役ではないけれど、他の花を引き立ててくれるみたいな、俺結構好きなんですよね」
「海外では、カスミソウの花束はベイビーズブレスと言って、親しい人への贈り物として人気だったりするみたいですよ、花言葉も感謝や幸福など誰にでも好まれるようなものが多いです」
綾人が、幸せの象徴のような花やなと言いながら、スケッチブックを取り出してウットリと見つめた。そのスケッチブックどこから出した…!?
「そういえば、別室にもカスミソウありますよね」
あれはどんな…と聞こうとして、店長がメッというような顔をして、何故か綾人がビクッと反応した。
「聞いたら、君はまた首を突っ込んでしまいませんか」
前科があるため、うぐっと何も言えず、楓太が言葉を飲み込むと、店長がふっと笑った。そして別室から、例のカスミソウを持ってきてくれた。売りに出しているよりも純白で輝いているようにも見える。
「まあ、このカスミソウに関しては教えてもいいでしょう、これは愉快犯と言うか、特に明確な望みがあるわけではないのですよ」
「えっそんなのあるんですか」
「ええ、人の幸せな思い出が、好きなだけなのです」
特に、害を及ぼすものでも悪気があるようなものでもないように聞こえるが、それがなぜ不思議花になるのだろうと、楓太は首をかしげる。
「ただ…人の幸せな思い出を覗いて、それを夢として見せてしまうそうです」
幸せな夢を見せてくれるって良い事じゃないのか…?
楓太がまだ不思議そうな顔をしているのを、綾人が自嘲めいた笑みで答えてくれる。
「今が充実してる奴には、ええ思い出は糧になってくれるやろうけどな、絶望の中におる時や心弱ってる時に、そんな夢ばっかり見せられたらどうや?覚めたないと逃避したり、最悪…夢の住人になるのもおるかもな」
「流石にそれは大げさすぎないか?…夢だろ?」
「夢やなぁ、まあ、人間は弱い生物やっちゅー事や」
えらく絡むなと綾人を見ると、店長が思わず噴き出した。わけがわからず店長を見ると、綾人が必死に首を振っている。なんだこれ?
「まあ…宗森君は身を持って、体験しましたからね」
「あああああああああ」
「えっ!?」
綾人がバイトを始めてまもなく、別室の仕事を任されたのだが、その時そこにあるカスミソウに魅入られてしまい、店長が見つけた時はすやすや爆睡していたらしい。
「なかなか、起きなくて大変でした。余程、幸せな夢を見ていたのでしょうね」
「しゃあないやん!一人暮らし始めたばっかやったし、寂しいやん!メンタル弱弱やったんやっ!」
両手で顔を隠して、俺を見んといてと芋虫の様にゴロゴロ転がる綾人に、今は見知らぬ女性に拾ってもらえるくらい図太いのになと突っ込む。そういえば、楓太の家に泊まりに来た時も双子たちと大騒ぎしているし、普段そんな暮らしをしていたのなら、寂しいのも頷ける。
「実家が余程、賑やかだったんだな?そういえば、弟がいるんだっけか」
「…!あ、ああ」
少し気まずそうに笑った綾人を不思議に思いながらも、店長がさあ、お仕事ですと言ったので二人は真面目に仕入れされた花を仕分け、水切り作業を始めた。
次の日、綾人は遅刻しているようで、楓太が一人で店番をしていた。例のカスミソウが何故か昨日のままカウンターに出ているのをぼ~っと見ていると、昨日の男の子がまた店の前に立っているのに気が付いた。鏡越しに中をチラチラ見ているようだったが、しばらくしてドアをゆっくりと開けておずおずと店に入ってきた。
「いらっしゃいませー」
出来るだけ気安いように、笑顔で対応する。
「あ…あの」
思った以上に幼いように見える、まだ中学生になりたてかもしれない。
その時、ドアベルが鳴り、悠々と肉まんを加えて遅刻魔が入ってきた。急いで来ましたのポーズくらいしろ。
「向かい風やってん、遅れてすんま…」
意味不明の言い訳を言って入ってきた綾人だが、訪問者と目が合うと驚愕の表情で、肉まんを落とした。
「兄さんっ…」
少年が綾人に向かって、訴えるように言った。
えっ!?て事はこの子、綾人の弟?
今度は楓太が驚く番だった。弟がいるような事は言ってたが、なぜここにいるのか綾人に問いただそうとしたが、それよりも早く綾人は少年を振り返りもせず、店から出て行った。
ええっーーーー!?
少年は、後ろから見てもとても項垂れているように見えた。無理やり二人きりにされた、この気まずい状況をどうすれば…と楓太が考えていると、ふらりと少年は綾人を追いかけるように、ドアの方へ向かった。
「あっそこ、危なっ…」
先ほどまで掃除していたモップが立てかけてあり、足元もおぼつかない足取りの少年は、見事引っ掛かり転倒した。
※※※※※※※
「兄ちゃんは、絵が上手いから大きくなったら絵を描く人になったらいいよ」
弟がリクエストしたアニメのキャラを描きながら、兄は少し困ったような顔をした。
「画家の事?絵描くんは好きやけど、食べていけるか不安な仕事やからなあ」
「ダメなの?」
「ん~いっぱい勉強して、ええとこに就職した方が、家族になんかあった時助けること出来るやろ?」
「え~じゃあ和樹も一緒に頑張って家族を助ける!だから兄ちゃんは好きな絵をいっぱい描いてよ」
兄は嬉しそうに、笑ってくれた。
「ほな、和樹が母さんたちを助けてくれるなら、俺が和樹を助けたるで!和樹は何になりたい?」
「えっ?いっぱい勉強して家族を助ける人!?」
「自分意味わかってへんやろ。そうちゃうくて、和樹は何するのが好き?」
兄は盛大に噴き出して、和樹にチョップをかます。
「ピアノ弾くのが好き」
「あ~自分はピアノ弾くの上手いもんな?ほな、将来はピアニストか~どっちも安定職ちゃうけど二人でおったらどうにかなるかな」
和樹はずっと一緒にいるとぴょんぴょん跳ねながら笑っている。
「大きくなったら兄ちゃんと一緒にいっぱい、いろんな所に行きたいな!」
「全国ツアーか、そうやな~楽しみやな」
二人で夢を語り合い笑いあった日は、天気が良いというだけでなく、白い日差しの中で世界が輝いて見えた。
※※※※※※※
少年は、ゆっくりと目を開けると、まだ夢うつつに小声で呟いた。
「幸せな、懐かしい夢を見た…」
「そっか、あっ急に起きるなよ?転倒して気を失ってたんだからなーちょっとたんこぶ出来てるっぽいが大丈夫か?」
「!!?」
楓太を見て、やっと覚醒したのか少年が驚きの表情をしながら、事態を把握する。
「すみません、僕迷惑を…」
「いや、片付けてなかったこっちも悪いし、具合悪いなら店長が病院連れて行ってくれるって、えーと綾人の弟君でいいんかな?」
「あっはい。僕は宗森和樹と言います、綾人は僕の兄です」
大人しそうな顔立ちに、ストレートでさらさらとした髪をしている。猫毛でどちらかというと派手な顔立ちの綾人とは、あまり似ていないなと思った。
「兄は…僕の事を何か言ってましたか?」
「弟がいるってのは、聞いてるけど…」
和樹が身体を起こそうとして、痛っと腕を抑えたので、頭以外にどこか打ち身も負ったのかもしれない。
「どっちにしろ、店長が帰ってきたら送ってくれると思うから、もう少し休んどけ!なっ?俺も仕事あるから、後でまた声をかけるよ」
和樹は小さく頷いて、ゆっくりと目を閉じた。
店長が帰ってきて、店内でけが人が出たと聞いて眩暈を覚えたようだった。幸いにも、軽症だったので大事には至らなかった事を伝えると、厳重注意を受け、掃除道具などの取り扱いの決まりが増えた。ほんとすんません…
「店長は、綾人の弟君の事を知ってましたか?綾人は逃げるし…何か事情があるんですかね」
「まあ、各々事情はあるでしょうけど、店に関係ない事は雇用主が踏み込む領分ではないですから」
つまりは、知らないと。しかし今現在、シフトを放り出して逃げ出した綾人は、店に関係ないというか楓太に迷惑をかけている真っ最中である。
でも綾人と和樹の間に何があったのか、これは部外者が首を突っ込んでもいいのだろうか。他人の家庭事情はかなりデリケートな問題な気もする。自分の理念や世界観を持っている綾人だが、プライベートを口にすることは多くなかった。
いや、でも綾人は友達だしな…
ここまで、ちょっと無視できない事が起こってるのだから心配するのは当然だろう。綾人は楓太に何かしら問題が起こった時は、お節介なほど心配して助けてくれた。
綾人に聞いても、答えてくれるか怪しいな…逃げ出すくらいだもんな、弟君はどうだろうか
夢の中にいる和樹の顔を見ながら、先ほどの様子から弟の方は兄に何か言いたいことがあったのではないかと思う。
やっぱり何かあったとしたら、家を出たという高校卒業時期くらいだろうか?そういえば、以前に、綾人は花屋の体験をきっかけにして美大に進んだと言っていたな。
「綾人は大学を決めかねてる時に、店長がバイトに誘ったんですよね?」
「そうですね、バイトも募集してましたけど、彼に話しかけたのはその…彼が今にも消えそうな程、落ち込んで放っておけなかったからです」
「えっ?」
「理由は聞きませんでしたけどね」
綾人はそこら辺を端折って、楓太に説明してたらしい。本当にあいつは大事なことを言わない。綾人にどこにいるんだとラインを送ったが、返信はなかった。
何となく、一人で泣いてるような気がして、楓太は誰もいないドアの向こうを見つめた。