クロユリ
今日のバイトは店長の配達を見送って、楓太一人で店番をしていた。綾人は課題に追われているらしく、またもや音信不通だった。
あいつ、卒業できるんかな…
最近はずっとバイトに出ていたし、楓太の家に泊まりに来たりと、学校に行ってる気配がなかったので不思議に思ってたのだが、後回しにしていただけだったらしい。あれは夏休みの宿題を最後の数日までやらないタイプだろう。
今日は雨かー帰りまでに止むといいんだけどな
ふと外を見ると雨は本降りで、この分だと、今日は客足も落ちそうだなと別室の世話をすることにした。不思議花も、普通の花よりは枯れにくいみたいだが、生物なのでそれなりの手入れは必要らしい。ただ、不用意に直接花に触ったりはしないようにと言われている。
また、何が起こるかわからないしな
別室に入って電気を付けると、色とりどりの花達が目に移った。やはり綺麗だなと思いながら、この花ひとつひとつにどんな想いが込められているのか、気にはなったが店長に無暗に肩入れするなと、以前注意されていたので楓太は黙々と仕事だけをこなす。
突如、ガチャンと何か割れるような音が、別室の隅に布のような物で区切られた方からしたのだが、ここは何もしなくて良いと言われている。このパターンはリンドウの時に懲りたので、近寄らないようにする。そう考えていると、次はパキッというような音がして楓太は目をむいた。
これ…ラップ音じゃないか?
怖いことに頻繁にあってきた楓太は、見覚えのある音に身震いする。またガチャンと音がしたが、今度は布の手前に置いてある花が倒れた。
流石にこれは、ほっとけないと鉢を起こそうと近づいた時に、ふわっと布の後ろにある花が見えた。透明なケースに入れられているようで、なぜこれだけ?と不思議に思う。
これはクロユリ…?
以前買いに来た少女を彷彿とさせたが、店に出していたものよりも黒い。売られていたものは、やや赤みや濃い紫色が入っているように見えたが、これは漆黒に近い。吸い寄せられるように楓太が手を伸ばすと、どこからか懐かしい花の香りと共に、店長の声が響いた。
「それに、触ってはいけません」
その声にはっと正気に戻って、楓太は思わず伸ばしていた手を引っ込めた。倒れた鉢などを見て、店長は現状を察したかのようにため息をついた。
「あ…れ?店長いつ帰って来たんですか?」
ちょうど今ですよと答える店長を見ると、所々服がぐっしょりと濡れていた。外は思いのほか、激しい雨が降り続いているようだ。店長は割れた鉢を手早く片付けながら、布で覆ってクロユリを視界から隠した。
「ここは触らないように言ったでしょう、このクロユリに魅入られると死にますよ」
ん?と何か物騒な言葉が聞こえてきて、楓太は店長の顔を見返す。
「ここには、少し危険な花もあるので気を付けてください」
「いや…さらっと言ってますけど、死ぬ?えっ??」
ここにあるのは、不思議花なので多少不可思議な現象を起こすのは分かっている。が、一度人の手に渡って、その理由で返されたものならば、それはこの花が人を殺したって事にならないだろうか。
「店長前に、花は人間が好きだからと言ってましたよね?なのに人を殺すんですか?」
「愛と憎しみ、相反する気持ちが同時に存在するのはおかしくないでしょう?あのクロユリはとても、人間を愛していた、だからこそ許せなかったんですよ」
クロユリの持ち主は若い女性で、とても花を大事にしていたそうだ。しかし、その女性の交際相手に、日常的に暴力を振るわれノイローゼ気味になり、ある日自宅のマンションから飛び降りたらしい。そしてしばらくマンションにいた交際相手も、数日後にくも膜下出血で死亡した。
「それは…偶然ではないのですか」
「その後も、花を譲られた人や魅入られた人が度々亡くなっています、お祓いなどもしたようですが…まあ、縁あって僕が引き取りました」
「引き取りましたって…多分、女性の代わりに憎い男を殺したんですよね?もう対象者は居ないし、望みは叶っているじゃないですか」
「憎しみや怒りは、自分の意思で昇華するのは難しいのでしょうね。なので、満足するまでここに置いておくことにしたんですよ。僕は魅入られることはないので」
誰かの為に誰かを憎み続けるのは、とても悲しい事ではないだろうか。人間だって、誰かを憎み続ける生き方なんてしたくない。
「今井君は、この花が可哀想だと思ったでしょう」
「思います」
「この花は自分がしたいことをしているだけです、憎む事も愛する事も、自分を蔑ろにしても想い続けたい人がいるのは、ある意味幸せだと思いませんか?」
「幸せでしょうか…俺は、俺が死んだら残された人は、自分のために生きて欲しいです」
「愛される方はそう思うでしょう、でも両者の願いは違うかもしれない、他者から見ればまた違うようにね」
店長は、何かを想うように目を閉じた。もしかしたら、この人も過去にそう思える出来事を経験したのかもしれないなと楓太は思った。
次の配達があるのでと、店長はまた花を積み込んで出て行った。この雨の中ご苦労様である。しばらくすると、ドアベルが鳴り、店長が帰って来るには早すぎるので、客が来たのかと楓太は急いで対応に走った。
「いらっしゃ…あっ」
「こんにちは」
綾人が名付けたクロユリの君だった。相変わらず、高そうな着物を着て優雅に笑って挨拶してくれる。ただこの子には前回の不思議な発言と言い、少し気になることがあったので、今日は何の花にしようかしらと言っている彼女に楓太は意を決して質問してみた。
「あの…すみません、聞いてもいいでしょうか?以前言ってた白い花って…」
「?…ああ、もういませんね」
少女は何のことか遅れて思い出したかのように、楓太を見ながら答えてくれた。いや、そうではなくて
「おかしなことを聞いていたらすみません。君は、もしかして、花の気持ちや姿がわかったりするんですか?」
後から考えてみると、多分、あの時彼女が言ってた花はきっとハナミズキの事だったのだろう、だとしたら店長と同じ様な力があったりするのだろうか。
「気持ち…というか、強い意思のようなものは聞こえやすいですね」
これはどうなのだろう、同じなのだろうか?店長がいればきっと話は早いのに、楓太では判断できない。
「意思…ですか?」
「ええ…奥にも何か…」
少女はちらりと別室の方を見て、少し怪訝な顔をすると、すっと楓太をすり抜けて別室のカーテンを開けた。
「あっちょっと…!部外者は入らないでください」
少女は何も聞こえていないかのように、水揚げされた花をスルーして一直線にあのクロユリの所へ行き、膝をついた。
「それ、触っちゃダメです…!ってかここ入っちゃダメですってば」
覆われた布を取って、ケースからあのクロユリを取り出す。直接見たクロユリは何とも言えない、妖艶な深い夜の闇の色に見えた。怖いながらも美しいとは、こういう事なのかもしれない。
うわあああマジかよ
心の中で悲鳴をあげながら、楓太は予想外の展開にどうすればいいのか、ここにはいない店長に助けを求める。
「悲痛な歌のよう」
「えっ」
「未だに怒りと悲しみの中で、泣き叫んでる、それこそ呪いの歌の様に。聞いているこっちまで悲しくなりません?」
なりませんとか言われても…。
楓太には、花の声を聞くようなことは出来ない、どうすれば…と呟くと同時に少女は花を鷲掴み、球根ごと引っ張り出した。楓太はびっくりして、声を出せずにフリーズしてしまう。すると、少女の手にある花は見る見るうちに、萎れていき、枯れてしまった。
「えっ!?」
「苦痛から解放するには、こうするしかない」
いやいや、花を瞬時に枯らすなんて、出来るものなのか?花の気持ちがわかるなら、こんな超常現象も可能だったりするもん?
何が常識で非常識なのか、バイトを始めてから境が曖昧な生活をしているので、もう何が何だかわからない。
「でも…確かに人が死ぬのは困るけど、何も枯らさなくても…」
「人?人の話なんてしてないでしょ、私はただ、花を助けたかった。人の為に恨み続けるなんて可哀想」
いや、確かに可哀想だけど、あれ?なんか違くないか…?
花を助けたいという気持ちは、楓太も同じだった。けれど、彼女と楓太は同じ事を言っているのに、何かが根本的に違うような気がした。枯らしたのでと少女は買取を希望したが、不思議花は料金を貰っていないので断った。そして少女は、では今日はもう花は頂きましたからと何も買わずに帰って行った。
30分ほどして店長が帰ってくると、さらに濡れており、雨はまだ止んでいないようだった。そこでふと、先ほどの少女は長い着物を着ていたが、少しも濡れた様子もなく、足元にさえ水の気配はなかったなと楓太は不思議に思った。
店長に、先ほどの出来事と枯れたクロユリを見せると、流石に困惑したような顔で、無言になった。
「店長と同じく、花の声?が聞こえるとか言ってました」
「僕と同じ…?そんな事は、あり得ないと思うのですが…」
店長に花を瞬時に枯らすことは出来るのか聞くと、そんなことはしませんと言われたが否定はしなかったので出来るのかもしれない。マジか。
「その女性に、会ってみたいですね」
店長はそれきり、少女の話を打ち切り、枯れたクロユリを撫でるように土を落とし、白い紙の上に置いた。少し悲しそうにもほっとしてるようにも見える。
「僕は死が救済というのを、否定はしません。このまま生き続けても、もしかしたらクロユリは永遠と恨みの渦の中を彷徨っていたかもしれない。ただ僕はこれからもそんな手段はとらないと思うので、肯定は出来ませんけどね」
苦しんでるなら殺してあげるとそれが出来る強さは楓太にもない、ただいつか助かるんじゃないかと苦しみ続けろというのも自分のエゴのようで、酷なようにも思えた。結局、思考の先に正解はない気がした。
「人をとても愛せたはずの花なのに、誰よりも人を憎んでしまうのは、どうしようもなかったんでしょうか」
「人間だって、全てにおいて合理的に生きているわけではないでしょう、矛盾を抱えていても、それでもどうしてもそれしか選べない事もあるのではないでしょうか」
花達はそれが辛い事だからやめよう、苦しい事だから諦めようとはきっと考えはしないのだろう。
それはとても尊い事のような、羨ましい事のような、そして少し悲しい事のような気がした。