ハナミズキ2
楓太は何度声をかけても目を覚まさなかったため、病院に運ばれ、しばらくして楓太の家族がやってきた。
「宗森君だったかな?楓太についていてくれて、ありがとう」
「そんな…一緒におったのになんも出来んですんまへん」
「いや、外傷はなかったし、突発的に倒れたみたいだから宗森君がいてくれて良かったよ」
なんでも、特に問題はないにもかかわらず、眠ったまま起きないらしい。原因はわからず、医者も首をひねっている。とりあえず今日は帰りなさいと促され、綾人は病院を後にした。別れた時は、元気そうに見えたが調子が悪かったのだろうかと、楓太の様子を思い出してみる。
そういや、女の子がどうやら言うとったな
しばらく考えたが、倒れていた場所が場所だけに、何となく花が関係しているように思えて、店長に電話してみたら詳しく聞きたいので店まで来るように言われた。
花降堂につくと、さっそく事のあらましを話したが、店長はいつもの笑顔でなく、深刻そうな顔で考えていた。倒れていた場所からあのハナミズキが怪しいのではないかと綾人が言うと、予想していたのか店長は軽く頷いた。
「ハナミズキ…楓太君と一緒に行った時も,少し妙な気配があったのですが」
「原因がわかってるなら、店長がその木にやめれ言うたらどうにかなるんちゃうんですか」
店長は少し歯切れ悪く、僕は何でも解決できるわけではないんですよと苦笑いしながら答えた。
「花達にも、多少不可思議な現象を起こすものから、顕現する程の力を持ったものがいると言うのは覚えていますか?あのハナミズキは樹齢60年のかなりのエネルギーを持った木です。今井君が見た、少女と言うのはその木が具現化した姿でしょう」
「つまり、樹齢が高いほどデカい力秘めとるって事ですか?」
「そう、人語を解せるとても位の高い存在です。宗森君に見えていなかったのなら、きっと憑りついた人間にのみ見えるものだったのでしょう。僕はそれを精霊と呼んでいます」
花屋のバイトが長い綾人も、流石にそんなものを見たことはない。
「楓太君は大丈夫やろうか…」
「助けます。ただこちらから、心を覗くことが難しいと思うので、そのハナミズキと直接対話しなければいけません」
は~と綾人は疲れたような長い溜息を吐いて項垂れた。
「楓太君はなんでこないにややこしい事に巻き込まれるんや」
「多分、彼は献身的というより、自己犠牲的な精神が過ぎるのでは?無意識でしょうけど、他者が助かるならと自分の存在を軽んじてる節があり、そこに付け込まれるのではないかと思います」
なぜ、そんな風に思うのかわかりませんけれどと店長は続ける。
「宗森君も花に心を砕いてくれますが、花のために自分がどうなってもいいとは思わないでしょう?描き続ける未来が君にとっての存在意義であり、譲れないのものではないでしょうか」
「そうやな」
「僕にも、たったひとつ叶えたい願いがあります。それが自分を保ち、生きるための強さにも繋がると思っています」
綾人は、楓太が自分を羨ましいみたいな事を言っていたのを思い出した。彼に何もないはずがない、じゃないとそんな風には決して思わない、きっとこれからなのだ。そう思ったら綾人は無性に腹が立ってきた。簡単に受け入れてしまう楓太か、それに付け込んでしまう花にかはわからないが。
―楓太は寂しいの?―
(寂しくないよ、ただ…)
―ただ…?楓太はなぜそんなに自分を責めているの?―
(責めてるかな?)
―何も考えなくていいよ、ずっとここにいればいい―
(ずっと…?)
ぬるま湯に浸かったような心地よさに、楓太はゆっくりとまどろみの中へ落ちて行った。
早朝、店長と綾人はグリーンパークのハナミズキの木の前にいた。まだ客もほとんど入っていない為、今この周辺に二人以外の人気はない。店長が木に手を翳してみるが、あまり芳しくないようで、綾人も一緒に木にしがみついた。
「ちょお、楓太君を返してくれへんか!家族が心配してるんや」
感極まったのか、綾人が叫ぶと同時に、木を強く打った。途端に、体が浮いたような感覚になり、木に激突するように倒れこんだ。綾人は衝撃を予想して、瞬間的に目を瞑ったが痛みが来ることはなく、ゆっくり目を開けると、そこは真っ暗な空間にハナミズキが白く浮かび上がった不思議な光景だった。
「は…?」
「ここは多分、ハナミズキの深層世界でしょう。招かれましたね」
店長が後ろで、あそこにとハナミズキの木を指さす。よく見ると木の下に少女が座っており、そこに膝枕されるように楓太が横になっていた。
「楓太君…!?ってどわ!!」
綾人が走って近づこうとすると、一定の距離で見えない壁に弾かれた。どうやら、会話は出来るけれど近づくことはできないらしい。
「うるさかったから、入らせてあげたけど、それ以上はだめ」
少女が呟くのを見ながら、店長がその場で、ゆっくりとお辞儀をしてハナミズキに挨拶する。
「初めまして、花降堂の花屋の店主です。うちの店のバイト君を迎えに来ました、今井君を返してもらえますか?」
「だめ、楓太はここにいるの、楓太が自分を嫌いだから、私が一緒にいてあげるの」
少女が眠っている楓太を抱きしめながら答え、綾人が困惑気味に店長を見ながら尋ねる。
「どういうこっちゃ?何言うてるんや」
「今井君本人も自覚していない、深層心理の事でしょう。彼の心とハナミズキが同化してるのではないでしょうか」
そういう店長の目線の先を追うと、楓太の上半身は少女に抱きしめられているが、足元は根が絡みついている。綾人が思わず、うげっと悲鳴を上げた。
「彼は人間なのです、どんなに居心地のいい場所だろうと、ここにずっといることは出来ないのですよ」
「楓太にとって外は悲しいことがいっぱい。わざわざ辛い目になんてあわなくていいじゃない、ここにいれば嫌な事なんて何もないんだから」
「人にとって生きる事は苦しさを伴うかもしれません。立ち止まる事も逃げる事も、後悔して消え入りそうな事もあるでしょう。心だけで見れば人間は貴方たちよりも弱いかもしれない。けれど、その弱さを抱えて進んでいくのが人間であり、必要な事なのです」
少女は怪訝そうに店長を見つめて、少し楓太を抱きしめている力を緩めて答えた。
「あなたの言ってることはよくわからない」
綾人がわかれや!と叫んでるのを店長は、彼女は感情を持っていても、同じ概念を持った生物ではないのですと諫めた。
「では、わかりやすく言いましょう、ここに閉じ込め続ければ、肉体が衰弱しやがて死にます。彼を思って下さるなら解放して頂きたい、それとも自身の意思を優先して、彼を共に連れていきますか」
連れていく…?
綾人が不思議そうに店長を見ると、今度は少女は、明らかに動揺を見せ、わかりやすく反応した。
「…ならあなたが楓太が自分を要らないなんて思わせないでくれる?必要としてくれる?」
「ええ約束しましょう、貴方は本当に彼が好きなんですね」
楓太は目が覚めると見慣れぬ天井に眉根を寄せた。横では、兄が号泣し、電話では綾人に何故かめちゃくちゃ怒られた。とても良い夢を見ていた気がするのだけど、夢の内容は全く思い出せなかった。
数日後、花屋のバイトに復帰して、楓太は綾人と店長に向き合っていた。綾人から電話で今回の事件を文句と一緒に何度も聞いていたので、寝ていただけだった楓太も概要は理解していた。
「いや、だからマジで死にたいなんて思ってなかったですって」
「いや、深層心理は自分じゃ気づかへんねん!死ぬときは他人の為ちゃう、自分の為に死ね」
「だから死にたくねーって言ってんだろ!勝手に殺すな!」
店長がヒートアップする二人の間に入って、落ち着かせてくれる。
「君の心は真っ白で純粋なので、簡単に花に心が染まってしまう。それは時にとして危険な事だと今回よくわかったと思います。花達の望みは決して正しい事だけではない、僕たちは、自分で考え、対等に付き合わねばいけません」
俺は汚れてんのかいと綾人が突っ込んでくるが、いつものようにスルーする。
「ハナミズキは、貴方の弱さを気にしていました。自分を責めていると、きっと今井君も普段気付かない心の奥底にしまい込んでいる部分でしょうけれど」
「いや…そりゃ俺は、強いとか言える部分の方が少ないですけど、マジで何のことやら」
「自分を許せないと思ったことは?自分の弱さを振り返ることは決して悪い事ではありませんよ」
綾人が店長が珍しく攻めるなと言い、店長はハナミズキとの約束なのでと笑顔で答えた。認めることで、楓太が少しでも自分はいていいのだと、悲しいことを思わなくなるのならと綾人は黙って見守った。
自分を恥じる事もダメな部分も多いけれど、許せないと思う強い感情に楓太は覚えがあった。
母親が亡くなるまで、実は楓太の家族仲はそんなに良くはなかった。父は居ないし、兄は就職して家を出た切りほとんど連絡もなかった。小さな双子を育てながら母親は仕事に出ており、受験生に託つけて楓太は、そんな家族を顧みなかった。だから、母親の病気にも気づけなかった、もう手の施しようもなく進行するまで。
父も兄も仕事に明け暮れた自分をせめて、誰もが母親に謝っていた。でも傍にいる自分が一番気づかなければいけなかったのに…自分が母親の代わりに死ねば良かったのに
自分は確かにそう思っていたのを思い出した、そして心の奥では今もきっと思っている。
「いつか自分の事を許してあげられるといいですね」
店長はそれだけを言い、楓太から具体的に聞きだすような事はしなかった。
楓太が帰った後、綾人は店長に楓太には伝えなかったことを話し出した。
「あのハナミズキ、もう寿命らしゅうて今年で植え替えされる言うてました。病気で中がボロボロやったと」
「…そうですか」
店長は気付いていたんだろうなと綾人は続けた。
“必要としてくれる?”
「あれは楓太君に自分を重ねて同情したんでっしゃろか」
「どうでしょう、人を慰めたり憐れんだりは他者がいて育つ複雑な感情ですからね。花達は自分がこうしたい、ああしてほしいとシンプルな望みの方が実は多いのですよ」
同情は他人を思いやる時に使うものだ。人が人を想い、同じ感情を自分の事の様に共有するために。
自分の寂しさを埋めるためだけに楓太を留めようとせず、助けてあげて欲しいと言ったあのハナミズキはその感情をきっと知っているような気がした。