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陰キャ男子の異世界戦記  作者: 伊佐治 あじ斎
一章 天使降臨、悪魔君臨
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一章 六話 天使〈1〉

 〈7〉


 それからの流れは早かった。たった一日で、タヴァレスタットの街から帝国に所属する兵士は駆逐された。たかだか一〇〇人程度では、この数十万人を擁する都市に、野火のように広がる反乱を鎮圧できる能力など皆無であり、濁流に押し流される木切れのように消えていった。

 タヴァレスタットに駐屯していた帝国軍の内、生きて街を出られた者はたったの二名。しかもその内一名は、逃亡の最中に獣に襲われて落命する。生き残りは、たったの一人。だが、その一人の生存を許した事により、状況は急速に動き出す。


 ともあれ、反乱の中核とも呼べる立場に立たされた女と天使に間違われている少年は、身の安全を保つ為にゴア商会という街を代表する大店の一つに匿われる事となった。反乱の主導者とも呼べる女を、ほぼ全裸に近い半裸の状態で、いつまでも放置しておけなかったのである。

 ゴア商会にて、男ものではあったが服を着た女は、改めて天使と向き合っていた。対する天使も、ようやく女性が服を着てくれた事に安堵していた。

 男としては、たしかに眼福の光景ではあったのだが、そんな状態の女性と一緒にいるというのは、童貞ネクラの少年にとっては刺激が強すぎた。ろくろく直視もできない以上は、コミュニケーションもままならない。

 だがしかし、彼女がこうして服を着た以上は、ファーストコンタクト時点で不足していたフェーズを補わなければならない。要は、忘れていた自己紹介のやり直しである。


「……」

「……」


 互いに無言。重苦しい沈黙が、室内を支配する。

 女からすれば、最下級とはいえ相手は天使である。みだりに話しかけるのは無礼だと考えていた。この辺りの考えは、身分の上下というものに敏感な町人らしい振る舞いだったのだが、少年が女に抱いた豪放磊落そうな第一印象からは大きく外れた振る舞いだった。それ故に彼は、彼女が自分を睨みつつも、なにも話さないという状況に戸惑っていた。

 そうでなかったとしても、少年からすれば初対面の女性といきなり二人きりにされても、どう話しかけていいのかわからない。コミュ障というわけではないものの、元々口下手な陰キャである少年は、第一声は陽キャに任せてしまいたいという逃げの姿勢が染みついていた。なんだったら、そのまま主導権を持っててもらって、全然構わないくらいの心持ちである。

 結果、お互いに相手が動くの待つ、後の先の姿勢を堅持。それはまるで、抜き身の刃を構えた二人の武士の如く、あるいはホルスターに手をかけんとする西部劇のカウボーイの如く、緊張感漂う対峙であった。

……――が、そこから事態は動かず、五分以上の時間が無駄に浪費された。流石にそうなると、女はともかく、少年の心労は大きくなる。いくら陰キャであろうと、ここまでくれば第一声を放つ方がよっぽど楽というまでに、沈黙というものは重いのである。

 結果、非常に長い沈黙を経て、ようやく口火が切られる。


「あ、あのぉ……」


 非常に頼りなさげな声音で、少年は声をかけた。


「ぼ、僕の名前はたちばな道雪みちゆきといいます。い、いまさらではありますが、その、よろしくお願いします……」


 かなり遅ればせながら、名を名乗る少年。立花道雪にちなんだ名であり、少年がとある趣味に没頭してしまう原因でもある。

 そして、そんなまったく耳慣れない名を聞いた女の勘違いも加速する。その名の響きに異国情緒よりも神秘性を感じてしまった女は、やはり眼前の存在はこの世のものではないのだと、確信した。


「アタシの名はアラナイだ。じゃねえ、です。えっと、ただのしがない鍛冶屋の娘だったんだが、もう親父も死んじまったし、アタシに鍛冶の心得なんざねえ。だから、今はもう他になんも残ってねえ、ただのアラナイだぜ。……です」

「あ、あの、む、無理に僕に丁寧な言葉を使う必要はない、ですよ……? そ、その……こっちの風習とかはわからないので、も、文句がある、とかじゃないのですが……」

「おお、そうかい? そいつぁ助かるよ。畏まった態度ってなぁ肩が凝るタチでなぁ。それにしたって、ミチューキ様は天使なのに偉ぶったところがなくて、随分と接しやすいぜ。帝国のクズ共は当然だが、王国の元代官なんかよりも断然懐が深いでいやがらぁ! いやぁ、やっぱ本物は違わぁな!!」


 そう言って、大口を開けて笑うアラナイ。意味もなく評価が上がった事に、道雪は喜ぶどころか、恐縮してしまう。


「あ、あの……。ぼ、ぼぼ、ぼ……――」


 これから告げようとしている内容は、もしかすれば道雪の今後を左右しかねない、下手をすれば命に関わるような重大事だ。だからこそ、彼の口の動きはいっそうぎこちなくなり、その視線は小魚よりも忙しなく泳ぐ。


「ぼ、僕は――」


 それでも意を決して、道雪は告げる。


「――僕は、天使なんかじゃありません!!」


 天使でない道雪に、反乱の旗頭としての価値はない。だからこそ、その事実を告げるには勇気が必要だった。だがそれでも、最後まで隠し果せるような内容でもない。下手なタイミングで周知されれば、それこそ反乱軍を瓦解させかねない弱点となるだろう。

 一世一代の告白といった雰囲気で告げた道雪を、アラナイはじっくりと見つめてから、口を開く。


「天使じゃねえ、か……」

「は、はい。その……、ご期待に沿えず、申し訳ありません……」


 アラナイの言葉に、道雪はボソボソと謝罪を口にする。『天使でなくてごめんなさい』などと謝罪するのは、どこか釈然としない思いがある。相手が勝手に勘違いしただけなのに、どうして自分が謝らないといけないのか、と。

 だが、実際問題自分が天使であるという前提で、人命は勿論、街の行く末すら懸けて、事態は動き出してしまっている。そうである以上、やはり謝らねばならないのだろう。

 対するアラナイは、その言葉の真意を考えていた。

 眼前の少年が、天使ではない。それは、この反乱において大問題である。士気を維持するという意味においても、人を集めるという意味においても、眼前の少年は天使でいてもらわねば困る。なにより、街の住人たちが納得するまい。

 天より降臨したのはただの少年でした、などと言ったところで、誰が信じるというのか。特に、あの場に集った面々にとっては、彼が天使であるというのは揺るがしようのない事実なのだ。彼らの口から、他の住民にもその意識は浸透しているだろう。

 もはや、それを覆すのはアラナイであっても不可能だ。下手をすれば、天使の失脚を目論んだとして、彼女が槍玉にあげられかねない。

 だが、それ以前として、この少年が本当に特別な存在でないのか? あの場において、的確に指示を発し、大衆を導いて見せた手腕をどう説明する? あそこで道雪が発した声によって、住民たちは最後の踏ん切りがついたのだ。

 帝国という巨大な敵に居竦んでいた連中も、さらに巨大な、神という後ろ盾を感じて立ち上がれたのだ。善悪はともかく、それが自分とこの少年の命を繋ぎ止めたのである。

 あんな事が、年相応のガキにできるものだろうか? 重い鎧の戦士との戦い方を、どうして知っている?

 やがて、彼女は一つの結論に達する。


「なるほど、よくわかったぜ」

「わ、わかってくれましたか……」


 人の身には背負いきれない程の、過剰な期待をかけられていた道雪は、思いの外あっさりと誤解を解くのに成功し、安堵の息を吐く。


「つまりミチューキ様は、まだ天使になれていない、過去の英霊の一柱ってこったな!!」

「違いますよっ!!」


 アラナイの誤解はまだ解けていなかった。


「なんだって、僕ごときがサーヴァントになれるんですかっ!?」

「うん? 過去の名軍師とかじゃねーのか?」

「NP配るスキルとかもないですからっ!!」

「やっぱなに言ってんのか、さっぱりわかんねーや。でもまぁ、それこそがミチューキ様のインテリジェンスの高さを物語ってるよな!」

「違います! 僕は日本語でわかる言葉を、無理に外来語に変換して知的ぶる連中を、指差して笑ってる側です!」


 なお、あくまでも当人の心中のみでの出来事であり、面と向かってそんな行動に移った事はない。


「そもそもそれって、ルー語とどこが違うんですか!? 笑いを取りたいのならまだしも、大真面目にそれをやられて、こっちにどんなリアクションを求めてんですかっ!? 笑えばいいんですか!?」

「いよいよなに言ってんのかわかんねーけど、なんかスゲー腹に据えかねるような事なんだな。うん、それだけはわかった」

「あ……、す、すすす、すみません、関係ない話をベラベラと……」

「いやいや、ムカついたときは当人に当たるより、関係ないヤツの前でぶちまける方が健全ってもんだぜ! 愚痴くれぇなら、いくらでも聞いてやるっての! まぁ、アタシはバカだから、ミチューキ様がなに言ってんのか、カケラもわかんねーけどな!!」


 そう言って、再び呵呵大笑するアラナイ。


「あの……、もしかして道雪って発音しづらいですか?」

「うん? ミチィぅキ?」

「ミチユキ」

「ミツキ?」


 発音そのものは、それ程日本語から離れているという感じはしない。というよりも、道雪にはアラナイの言葉は日本語に聞こえる。だが、やはり彼女が喋っているのは、日本語じゃない。その証拠に、意味のある単語と違って彼の名前を発音するのには、苦労しているようだった。

 そうなると、どうして道雪の耳に彼女の言葉が日本語に聞こえるのか、この国の人々の言葉が日本語に聞こえるのかという話だ。とはいえ……、その辺りはなんだかんだ日本のサブカルで慣れ親しんでいるパターンであり、あまり違和感を感じない道雪だった。


「ミチ」

「ミチ」

「ユキ」

「ユキ」

「ミチユキ」

「ミチューキ」

「なんでやねん」


 どうやら、チの後にユという音が続くのが良くないという点に気付くのに、さらに幾らかの試行錯誤を要した。


「じゃあ、家名の橘はどうです?」

「あれ? そっちが家名だったのかい? てっきりミチューキが家名なのかと思ってたぜ。貴人をいきなり名で呼んじまったな。こいつぁ失礼しやした」

「いえいえ、こちらこそ配慮に欠けていました。ええ、姓は橘、名を道雪と申します。僕のいた国で、知勇兼備の名将として名を残した方にあやかって名付けられたものです。まぁ、残念ながら中身はこんなですが……」


 もしも彼の母が結婚した相手の名字が、武田であれば信玄と名付けられただろうし、伊達だったら政宗だっただろう。歴女だったそんな母が、赤ん坊に託した想いは、しかし完全に裏切られた。とはいえ、その遺伝子は確実に道雪にも受け継がれ、その証に彼も今や立派な歴史オタクではある。彼の場合、その興味はやや西洋に偏りが強いのだが。


「タチヴァナ。うん、こっちの方が発音しやすいぜ!」

「うーん……、微妙に発音が違うような……。でもまぁ、そこまで違和感もありませんね」


 なんだかんだ緊張も解れ、アラナイとは随分と流暢に話せるようになっていた道雪。とりもなおさずそれは、下町気質で、さらにはガキ大将気質なアラナイの特性と、下っ端気質で引っ込み思案な道雪の特性が上手く噛み合った結果といえた。ガキ大将と陰キャは、意外とシナジーが高いのである。あ、相乗効果が高いのである。

 そして、いつの間にか天使云々、英霊云々の話がどこかにいってしまっている点に、道雪が気付かなかったのも、意外とすんなりコミュニケーションが成功した喜びに浮かれてしまったからであった。

 ネクラな陰キャ男子にとって、話しやすい異性ができるというのは、他の雑事を忘れさせてしまえる程に嬉しい慶事だったのである。察してあげよう。


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