一章 二三話 悪魔〈1〉
〈23〉
「……う、討ち取った斥候は四二名、捕虜は五五名ですか……。……上々ですね……」
「おうよ。串刺しにしてやったら、餌に群がる虫けらのごとく、ワラワラ湧いてきたぜ。害虫退治にはうってつけの方法だな、ありゃあ!」
そう言って笑うアラナイさんに、僕は引きつった笑みしか返せない。
仮にも同じ人間を串刺しにして晒し者にするなど、たとえ必要に駆られての行いだったとしても、気が滅入るのが正常な人間の反応だろう。それを、まるで粘着シートに自ら飛び込んで身動きできなくなるオオスズメバチらを見るような、胸が空くとでも言わんばかりの良い笑顔を湛えているアラナイさんに、ドン引きである。
いや、スズメバチの粘着シート動画は好きだけどさ……。
「まぁ団長閣下の物言いはともかく、帝国軍は我々の斥候狩りにだいぶ難儀しているようです。ここ数日、我々の網に一切帝国兵の斥候はかかっておりません。どうやら、物見を放つのを停止しているようです」
「ふふん。当初の想定では五、六〇取れればいいと思ってたからねえ。まさか、一〇〇人近くも狩れたってのは、アタシらにとっても誤算だった。こちらにとったら嬉しい誤算、あちらにとったら苦い誤算だろうがね」
生真面目に報告の続きを述べるユーレスさんと、誇らしげに付け加えるシカトリスさん。彼らもまた、眉を顰めるような行いに、なんの感慨も抱いていないらしい。
「……ぜ、前哨は、どれだけ討ち取れたか、ではなく、どれだけ討ち漏らしたか、で、です……。……帝国側がどれだけこちらの情報を掠め取っていったのか、それを気にしましょう……」
このまま斥候狩りの手際の話を続けられると、気が滅入りそうだったので、多少強引に僕は話を変えた。
「まぁ、一匹残らず駆除できたとは思えねえよなぁ……。どんだけ逃がしたのかは、たしかに気になるところだ」
「左様ですな。ですが、情報の流出を最低限に抑えられたのは間違いありますまい。問題は、それを受けて帝国軍がどう動くかです」
「そうさねぇ。どう動くか、ねぇ。ミチューキ様には予想できているのかい?」
シカトリスさんに話を振られてしまった。どう動くかと聞かれれば、この先の敵軍の行動パターンは三、いや四通りかな?
このまま、進軍路の安全が測れるまで斥候を放ち続ける。それとも、斥候を放たず軍を進める。あるいは、こちらの斥候狩りを嫌がって、大幅に進軍路を変える。そして最後に、なにもしない。
このなかでもっとも嫌なのは、一番目のパターンだ。多少の損害を恐れず、根気強く情報収集に集中されるのが最悪。
もっとも嬉しいのは、二番目のパターン。理由は言うまでもない。
三番目もちょっと嫌だが、一応対策はしてある。
そして四番目のパターンは、一番目の次くらいには厄介だ。
帝国は強大な敵だ。時間をかけて態勢を整えられるのが、非常に困る。帝国がタヴァレスタットを攻略するもっとも確実な戦法は、セオリー通りに着実に手を詰めてくる事だ。地味だが、絶対的に有利な立場を堅持していれば、まず番狂わせはない。斥候を放ち続けられるのが困るのも、それが常道だからだ。
おまけに、タヴァレスタットは交易の中継地として優秀な立地だ。それはある意味で僕らの強味ではあるのだが、同時に内陸の国と違って軍の展開が簡単だという弱味にもなる。帝国がすんなりと十万の軍を動かせたのも、海を利用した輸送路があるからだ。
うーん……、やっぱり待たれるのが一番困るかなぁ……。しかも、これを選択される可能性が一番高いと思う。帝国には余裕があるからなぁ……。
斥候を放ち続けて兵を目減りさせるのは面白くないだろうし、危険を冒してまで性急に進軍する意味も薄い。迂回は安全策としては有効だろうが、タヴァレスタット北東部の農村部くらいしか選択肢がない。あとは、東部森林地帯か、シロロー川を渡って西側に出るかだ。
だが、森林地帯を通過するのもシロロー川を渡河するのも、危険が大きすぎる。そして、農村部を進んでくるなら、それはそれでこちらの術中だ。正直、今後の収穫量に影響しそうだから取りたくはないが、帝国に命を収穫されるよりもマシだと諦めよう。
とはいえ、今はどの手でくるのかはわからない。イニシアチブを渡すつもりはないが、ここは相手の出方次第。さぁ、お手並み拝見というヤツだ。
「……よ、予想外でなければ……、た、対応はで、できるでしょう……」
もしかすれば、僕の予想もつかないような奇策をとってくるかも知れない。ハンニバルがアルプスを越えてイタリア半島に侵入したように、こちらの意表を突いてくる可能性はあるかも知れない。こうして実際に采配を振るうようになって、つくづく実感した。僕は、セオリーとヒストリー通りにしかものを考えられない。所詮僕には、天稟などないのだと。
「ははっ。そうかいそうかい! 次はどんな作戦を立てるのか、楽しみにさせてもらうよ!」
だから、そんな風に全幅の信頼を寄せられると、ちょっと困ってしまう。
帝国兵を串刺しにして晒す戦法は、言うまでもないがワラキア公ヴラド三世の用いた戦術だ。そう、ドラキュラ公であり、串刺し公のヴラド・ツェペシュさんのお家芸だ。
ちなみに、彼の『ツェペシュ』というのは家名ではなく、串刺しにする者を意味するルーマニア語の異名だ。彼を最初に串刺し公と称したのはオスマン帝国の兵で、トルコ語で『串刺し・君主』と呼んだものを、ルーマニア語で『串刺し公』と呼び変えたらしい。
『ドラキュラ』というのも、ドラゴンの息子という意味の異名である。彼の父、ヴラド二世が『ドラゴン公』と呼ばれていたのがその名の由来だ。ヴラド公自身もこの異名は気に入っていたらしく、ヴラド・ドラクリアとサインしていたらしい。
ドラキュラという名にマイナスイメージが付いたのは、後年ブラムストーカーの作品から……とばかりもいえないか。ハンガリー王マーチャーシュ一世のネガティブキャンペーンと、宗教が絡む影響が大きいだろう。勿論、ある程度は当人の気質や行動にも起因しているだろうが……。
ヴラド三世は、ヨーロッパ侵攻を目論む大国オスマン帝国の大軍を、少数の兵で戦い退けた英雄だ。その大軍を退けた策とは、徹底した焦土作戦と奇襲。それから、敵兵の肝を液体窒素に浸すがごとき、見せしめだ。
なんといっても、ワラキア公国の首都すらも自ら焼いた程の徹底した焦土戦術だ。物資の現地徴発もままならないオスマン兵の士気は、ただでさえだだ下がりしていたというのに、そこに奇襲までかけてくるのだ。
これには、オスマン帝国の精兵イェニチェリも手を焼いたそうだ。そして、串刺しにされたオスマン兵は二万人とも三万人ともいわれている。それを目の当たりにしたオスマン兵の心中は、察して余りあるだろう。
そりゃあ、メフメト二世も兵士を目隠しさせて進ませるというものだ。
個人的には、メフメト二世のこういうところは嫌いじゃない。この人、コンスタンティノープルを攻略する為に、船で山を登った人だからな。手放しに絶賛されるような天才というわけでもないが、要所要所で大味な無茶をする人なのだ。それが吉とでるか凶とでるかは別として。
ともあれ、ヴラド三世のとった策は実に苛烈で、後年ドラキュラ伯爵の元ネタにされたのもむべなるかなといったやりようだった。その矯激さに、敵だけでなく味方までもが慄き、畏怖した程だ。
だが、歴史を知っていると彼のイメージは、幼少期から最後まで、ヨーロッパとオスマン帝国、正教とカトリックに振り回された一生という印象が強い。正直な感想としては、吸血鬼ドラキュラといった恐ろしくおどろおどろしいイメージより、統治にも戦にも功を挙げたのに、政治によって失脚し、悪名を背負わされた可哀想な英雄だ。
さて、ではこっちの世界の話に戻ろう。そんな可哀想な英雄ヴラド三世の真似といっても、丸パクじゃない。
そもそも、僕らに焦土作戦に使えるような領地などほとんどないし、帝国も、兵糧を現地徴発に頼ろうとは思っていないだろう。帝国の兵站線は、海を使ったぶっといものだろうし、帝国領であるテルロー地方まであるのだ。
今回の状況では、焦土作戦は費用対効果が悪すぎる。敵の士気を下げる効果は薄く、むしろ味方の士気の方が下がってしまう可能性が高い。
なにより、タヴァレスタットは首都を焼けない。ここしかないのだから当たり前だが、ヴラド三世のような思い切った作戦は不可能なのだ。
だから、十万のオスマン帝国軍を二万のワラキア公国軍が退けた戦法を、そのまま引用する事はできない。十万の帝国兵を、七〇〇〇タヴァレスタット兵で迎撃しなければならないのだから。それでも、敵の心を潰す作戦は利用できる。
それが、奇襲と串刺しである。
「……こ、ここからは、て、敵の兵士の心を、攻撃します……。そ、それは、敵がどんな選択をしても、です……っ!」
「敵の心、ねぇ……」
僕の作戦を聞いたアラナイさんが、心底から嬉しそうに、そして獰猛に笑う。この人には、杭を用意して欲しいと頼んだときに、作戦の概要を伝えていた。だから、このあと、僕がなにをするのかもわかっているのだろう。それを知っていてなお、こうして笑っているのだ。
怖い。人として大事なものが欠けてしまっているというのが、彼女の強さであり、怖さの根源であるというのはわかる。人を引っ張っていくのに、恐怖という感情を利用するのは、便利であるというのもわかっている。今のタヴァレスタット防衛軍にとって、一番必要とされているのは僕ではなく彼女なのだ。
だがやはり、どこまでそれが許容できるのかは心配なところだ。
ヴラド三世ではないが、あまりに苛烈なやり方は、周囲の反感を招く。僕の保身には、彼女は必要不可欠な存在だ。失脚されるのは、非常に困る。
この世界の歴史においては、彼女をブラムストーカーのように書かれるではなくドラクロワのように描いてもらわなくてはならない。そうでなければ、シェイクスピアを演じるしかないのだから。
「…………」
少し考える。だが、結論はもう出ている。
「……アラナイさん」
「あん? なんだよ?」
「やはり、最後の〆は僕が担います」
不思議だ。どうしてこういうときにだけ、僕の口は滑らかに動くのだろう。
「…………」
沈黙でありながら、表情が雄弁に疑問を投げかけてくる。
「この作戦は、僕が立てて、僕が命じたものです。僕が殺せと言い、だから敵も味方も死んでいます。その責任まで、他者に任せるのはあまりにも不実です」
「だがよぉ、ミチユキ様にはミチユキ様の体面ってぇもんがあるだろう? 変なイメージがついたら、タヴァレスタットとしてもあんたとしても、ちぃとばっかマズいんじゃねえのかい?」
アラナイさんの言う事は間違いじゃない。アラナイさんをヴラド三世のようにさせない為に、僕がドラキュラ伯爵になるなんてのは、勘弁してもらいたい。ただでさえ天使だ英霊だと勘違いされているのだ。これ以上、ご大層な肩書きはいらない。
だがそれでも、いや、だからこそ、悪名だけをアラナイさんに押し付けて、僕だけ小綺麗でいようというやり口が、単純に嫌なのだ。僕は天使でもなければ、既になにかを成した英霊でもない。そんな虚飾に縋り付いて、アラナイさんを貶めるような真似に加担するなど、虫唾が走る。
「どれだけの悪名を背負おうとも、必要であるならば、その行為に迷わない。その為に非情にもなります。僕に、その覚悟がないとでも?」
「……むぅ」
いまだ納得はしていないといった風情のアラナイさんだったが、ユーレスさんとシカトリスさんは頷いている。この人たちは元々軍人だからな。町の人たちとは意識が違う。
非常時に非情にもなれないようなヤツに、軍の指揮権など握られていては、不安でしかないのだろう。どれだけ悪逆無道と誹られようと、軍の為、仲間の為ならば躊躇わない。彼らにとっても、軍団の長というのはそういう存在であってもらわねばならないのだ。
その辺、アラナイさんはやっぱり町娘出身という事なのだろう。まぁ、学生出身の僕も、偉そうに言える話ではないが。
「……。はぁ……」
やがて、なにかを諦めたかのようにアラナイさんがため息を吐き、仕方がないとでも言うように肩をすくめた。
「では、そのように準備を進めておいてください。ここから先、アラナイさんとシカトリスさんは別行動ですし、準備の多くはユーレスさんに頼る事になると思いますが……」
「お任せください。でしたら、ミチューキ様も甲冑が必要になりますね」
生真面目そうに言ったユーレスさんの言葉に、僕は思わず声を上げた。
「え……? あ、ああー……、そう、なりますかね……」
「戦場に出られる以上は、当然の事です」
それはそうだ。だが、ただでさえ体力のない僕が、鎧兜なんて纏ってまともに動けるのだろうか……。どうせなら、ミラノ式甲冑がいい。あれなら軽いから、僕でも着用できるだろう。
まぁ、まだできてないんだけどさ……。はぁ……。




