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陰キャ男子の異世界戦記  作者: 伊佐治 あじ斎
一章 天使降臨、悪魔君臨
22/24

一章 二二話 前哨戦〈5〉

 〈21〉


 草むらに息をひそめ、間抜けが通り過ぎるのを静かに待つ。一人、二人、三人……。四人を見送ったところで、アタシは身振りで指示を出した。一斉に兵が立ち上がり、矢を射かけ始める。

 連中も襲撃されているのを察し、慌て始めた。もう静かにしている必要はねえ。


「行け!! 皆殺しだ!!」


 アタシも立ち上がって矢を射たが、どうにも上手くない。狙ったところに矢が飛ばないのだ。

 練習はしたのだが、どうもアタシは弓矢が合わないらしい。弓を捨てると、腰に下げたフランキスカを手に取り投げつけた。うん、こっちは性に合っている。兵には当たらなかったが、馬の首に当たった。

 馬が声にならぬ悲鳴をあげて倒れ、兵は上手く逃げられず足が下敷きになったようだ。動けなくなったそいつに、集中的に矢が射かけられる。そう時間をおかず、帝国の斥候部隊は全滅した。


 十人で隊伍を組んだ帝国兵の斥候を駆逐し、アタシの部隊は次の行動の準備にかかる。部隊の総数は三〇人だ。十人が相手なら、まず負けないだろう。馬の数が限られている為、敵斥候の索敵に出ている兵の総数は六〇〇人くらいだ。タヴァレスタットの総兵数から考えれば、かなりの注力ぶりだ。

 だが、見付けた敵部隊は、これで二つ目。殺したのは十八人だ。力を入れたにしては、少々情けない成果である。

 ミチユキ様の考えでは、一〇〇人くらいの斥候が放たれれば、防ぐ手立てはないという。アタシも、まぁ業腹だが、そう思う。それでも、ここで一人でも多く殺しておけば、帝国軍はその分自由に動けなくなる。

 ミチユキ様は、情報を最重視する。なんでかと聞けば、彼は誇るでもなく自明とばかりに答えた。


『情報っていうのは、軍の道です。あればある程、自由に動けます。逆に少なければ少ない程、選択肢は狭まっていく。選ぶ道が少なければ、どう動くのかも予想されやすい。だから、敵に渡す情報はできるだけ少なく、敵から得られる情報はできるだけ多く。こちらの道を増やし、相手の道を減らすのです。敵を袋小路に追い詰めれば、それが勝利です』


 そう言って心底おかしそうに笑ったその笑顔には、ゾッとする程の迫力があった。あれこそが、歴戦の軍師の纏う覇気なのだろう。

 そんなミチユキ様の笑顔を思い出すと、自然とアタシの口元も緩む。

 できるだけ多く。一人でも多く。できる事なら皆殺しにする。その為に、アタシは帝国兵ブタの死骸を()()()()()した。

 いいねえいいねえ! 趣味と実益を兼ねるってなぁ、気分がいいもんだ♪


 ここでの行動を終え、アタシらは索敵を再開する為に馬に跨った。鎧兜は思っていた程動きの妨げにはならないが、少し動くだけでガチャガチャと鳴る。多少煩わしいが、今はそれも祭りの喧騒のように気分がいい。


「行くぞ! 帝国兵を皆殺しにしろ!!」


 号令を発して、アタシは馬の腹を蹴る。おっと、杭を忘れないように言っとかなきゃな。


 〈22〉


「なんだとッ!?」


 タヴァレスタット攻略軍司令官、ニクラス・ズィーガー・フォン・ヴィンクラーは帰還した偵察部隊からの報告を受けて、思わず座っていた椅子を倒して立ち上がった。彼の言葉を『再度報告せよ』と受け取った帝国兵は、口にするのも忌まわしいとでも言わんばかりの表情で、同じ報告を繰り返す。


「……タヴァレスタットの反徒どもは、我が方の偵察兵を発見次第殺害、串刺しにして晒しております。見かねて埋葬を試みた者は一網打尽にされ、そちらも……」


 これ以上はさっき言った内容と変わらないと、兵士は沈痛な面持ちで黙り込んでしまった。恐らくは、仲間が殺され、串刺しにされる光景を見てきたのだろう。曖昧な報告では不真面目ともとられかねず、侯爵弟であり将軍であるヴィンクラー相手では、無礼と咎められても仕方のない態度だった。

 だが、誰もそれを指摘できない。その兵の心情は、誰もが察して余りあるものだったからだ。


「なんと野蛮なッ!!」


 誰かが金切り声を発した事で、ヴィンクラーは我に返った。あまりの事態に、茫然自失としていたようだ。近習が直してくれた椅子に、どかりと腰を下ろすが、心にはずんと重いものがのしかかり、ちっとも楽にはならなかった。


「たかが一都市風情が、我らが帝国を軽んじ、このような蛮行に及ぶなど言語道断!!」

「左様左様!! 彼奴らは帝国を舐めていますぞ!! これは明白な挑発でしょう!!」


 会議がヒートアップしつつあるのを、術士ヴェラは良くない兆候であると察した。だが、ここで無暗に口を挟むのは、火に油を注す行為だともわかっていた。元々の身分が低く、ましてセイロ将軍の元から派遣されたヴェラの言葉は、彼らの耳には入りにくい。

 馬鹿馬鹿しい事だ。戦場経験ならば、ここに集う誰よりも、ヴェラの方が豊富なのだ。

 ターレスの元であれば、そんな事を気兼ねせずに発言できたと、何匹目かもわからない苦虫を嚙み潰して、彼女は沈黙を保った。


「将軍閣下! ヴィンクラー司令官閣下! ここはもう、本隊でもって打って出る他ありますまい!!」

「左様ですぞ!! なぁに、既にこちらは四万。すんなりは勝てませぬが、さりとてすんなりは負けませぬ! タヴァレスタットの城郭を囲んで援軍を待てば、当初の予定とそう変わらりませぬぞ! むしろ、機先を制し、敵の跳梁をぴしゃりと抑える事ができまする!!」

「なるほど妙案! ちまちまと兵を削られるのも面白うないところ。ならば、手出しの出来ぬ大軍で進路を踏み固めるが上策! そのうえで前線で態勢を整え、敵を威圧しようとは、誠に冠絶の妙手でございますな!!」

「うむ! 聞けば、タヴァレスタットの軍勢は、一万に満たぬとの事。四万で進む我らに攻めかかる度胸はありますまい! 所詮、戦の作法も知らぬ無知蒙昧な民草の寄せ集め。我ら、名誉ある帝国軍の威容でもって、戦とはなんぞやと教示してやろうぞ!!」

「おうとも!!」


 いまだヴィンクラーが一言も発言していないというのに、いまにも出陣するかのような物言い。結論ありきのそんな議論に、ヴェラは心底呆れかえると同時に、セイロ将軍麾下の軍がどれだけ風通しの良い構造だったのかを再認識した。

 だいたい、四万だからと意気軒高ではあるが、その再編は完了していない。元々いた三万の兵に、本国から合流した五万。シロルゥォ地方の兵を対王国で使えない為、セイロ将軍は本国から来た兵二万を率いて王国方面に向かった。さらに二万が、連合王国、公国方面に派遣されている。

 残っているのは、シロルゥォ地方の兵三万に、帝国兵が一万。指揮系統を確立する為の作業は、大軍であるだけに時間がかかる。即座に動けるのは、半分よりやや多い二万と少しだ。

 どう考えても、今動くの時期尚早だ。待てば五万で進める道を、わざわざ少数で進むなど狂気の沙汰だ。

 ヴェラには意気軒高に叫ぶ諸将たちが、見た目だけ歳を取った子供に見えた。


「待たれよ」


 そこでようやく、攻略軍司令官が声を発した。


「諸君らの怒りはもっともなれど、今すぐ動くのは拙速であろう。我が軍は圧倒的に有利な立場にあるのだ。焦る必要はあるまい」


 もっともな意見だと、ヴェラは頷く。戦とは、衝突までにどれだけ準備ができるかが肝なのだ。たとえば、まともに再編が終わっていない今の帝国軍が、野戦にて一万のタヴァレスタット軍とぶつかったとする。まず負けないだろう。だが、その場合の勝率は良くて八割、悪ければ七割だ。

 裏を返せば十回中二、三回は負けるのだ。相手の士気と指揮次第では、さらに勝率は下がるかも知れない。

 状況を整えれば、九分九厘負けないというのにだ。拙速に動こうとする彼らを、狂気の沙汰だというのは過言ではない。


「しかし閣下! 彼奴らのやりよう、看過するには非道がすぎます!!!」

「同意します!! 我ら帝国は常勝無敗! このような嘲弄を許せば、帝国の名誉にも障りましょう!!」

「しかし、混乱のままに兵を動かせば、些細な蹉跌から軍が瓦解する恐れもある。慎重に事に当たれば、まず負けぬのだ。ここで下手に動くのは、悪手であろう」


 ヴィンクラーの発言は、ヴェラにとってはいちいちもっともに聞こえた。だが、周囲の面々にとってはそうではないようだ。

 ヴィンクラー将軍は、既に軍内部において確固たる地位を築いている。タヴァレスタット攻略軍の司令官に抜擢されたのも、必ずしも家柄ばかりが理由ではない。功を焦るという事はない。

 だが、その下にいる者らはそうではなかったようだ。彼らは、セイロ将軍の脚光の陰で、臍を嚙んでいた連中だ。こうして、せっかく功を立てる機会を得た事で、彼らは逸っていた。

 アラナイと違うのは、そんな連中を窘められる、道雪の代わりの人材がいなかった点だろう。


「臆されますな、閣下! 帝国の道を阻む者はなんであろうと、窈窕ようちょうなる膺懲ようちょうをもって踏み潰す!! その覚悟なくして、将軍が務まりましょうか!?」


 ああ、その言い方は良くない、とヴェラは眉根を寄せる。

 ただでさえ、ヴィンクラーは潰陣セイロ将軍の後釜として、派遣されたのだ。嫌でも、生ける伝説と自分を比べてしまう。政治派閥的にも、軍内の権力争い的にも、セイロ将軍には対抗心を抱かざるを得ない。

 そんな状況で、臆するだの、将軍が務まるのかだのの言い方は、彼の行動を縛る呪いだ。


「…………」

「閣下」


 案の定黙り込んでしまったヴィンクラーに、ヴェラは声をかけた。その声に反応したヴィンクラーがヴェラに向けた視線は、部下に向けるものではない。まるで、政敵に対する敵愾心だ。

 こんなところまで来て、仲間割れをしていられる観光気分に、内心呆れつつヴェラは続けた。


「タヴァレスタットの軍は少数なれど、結束は固く、統制はとれております。決して軽んじていい存在ではありません。ここで軍に損害を出しますと、この後に控えている王国攻略に支障をきたす事になりかねません。今、短兵急に動けば、勝ったとしても閣下の名誉に傷が付きかねません」


 この言い方なら受け入れられるかと思ったヴェラの思惑は、しかし逆効果だった。


「臆されましたかな、魔術師隊隊長殿?」


 それまで口角泡を飛ばして即時の進軍を提唱していた男が、せせら笑うようにしてそう言った。


「仕方ありますまい。フェルツェル隊長殿は女性ですからな」

「しかし、臆病風に吹かれて戦などできません」

「左様左様。慎重と臆病は違いますぞ」


 嘲笑交じりに飛ばされる非難に、ヴェラはやはりこうなったかとため息を吐く。不思議な程、苛立ちはない。

 自分を女だ臆病だと嘲笑している連中は、最前線で敵兵に【魔術】を打ち込む恐怖を知りもしない輩だというのにだ。慎重さと臆病の違いを説いているが、本当にその違いが判っているのなら、浅慮と即断の違いもわからないはずもない。

 腹が立たない理由の本質は、ヴェラがこの連中を、取るに足らない凡愚だと判断しているからであった。

 だが、まったく憤りがないわけでもない。軍の指針を話し合っているのに、それを感情と浅ましい功名心で決めようとしている。愚かとしか言いようがないし、危険だとも思う。

 ヴィンクラー将軍は、決して愚かな人物ではない。だが、その周りにいるこいつらは、間違いなく愚かだ。そしてこのままでは……――


「フェルツェル隊長。その言は、セイロ将軍閣下のものか?」


 いまだ四十代のヴィンクラーが、二回りも歳若いヴェラに、重々しい口調で問いかける。事情を知らねば厳粛な雰囲気であったが、言葉の端々から、まるで拗ねるかのような心情が垣間見えた。ヴェラは、まるで盤面を詰められている思いで答えた。


「はっ。敵を軽んじるな、と」

「……そうか」


 さらにヴェラを嘲弄しようとした面々を、ヴィンクラーは手を挙げて押しとどめる。今の帝国軍において、魔術師隊に恨まれる事程恐ろしいものはない。阿るつもりはないが、無暗矢鱈に貶めるのは悪手だと判断したヴィンクラーは、彼女を守る事を選択した。あわよくば、恩にも着せられるだろうと。

 勿論、ヴェラはこんな状況でそんな方向に考えはしなかったが。


「フェルツェル隊長。軍の掌握はどの程度進んでいる?」

「約半分かと」

「なんと!? 遅すぎる!! そんな事では、動かせる兵員は二万ではないか!!」


 ヴィンクラーの問いに答えたヴェラに、なおも噛みつこうとする諸将。だが、そんな事を言われても困ると彼女は肩をすくめた。急に指揮系統を入れ替えろと言ってきたのは本国、ひいては彼らなのだ。

 トップダウンの組織でトップを総入れ替えするという事は、《誰が》《誰を》《どう》指揮するのかがぐちゃぐちゃになるという事だ。ましてヴェラは、本来なら軍勢全体の指揮を執るのは不得手だ。セイロ将軍麾下の精鋭たちが申し送りはしていても、各部隊の混乱は必須なのだ。

 ヴェラが伝えるまでそれを知らなかった時点で、この連中に対する期待など徒爾であると覚った彼女は、せめて魔術師隊と自分の命は守ろうと、今後の方針を固めた。

 しかし、自軍の状況すら知らないで、この連中はなにを指揮して進むつもりだったのかと思ったが、それを口にすれば流石に明らかな侮辱であると、彼女は口を噤んだ。


「急がせろ。三万の軍が整った時点で、タヴァレスタット方面に進軍する」

「はっ……」


 こうして、魔術師隊隊長ヴェラが保身を決め、帝国軍は急進する事が決まった。


「なにが天使だ。タヴァレスタットに降り立ったのは、悪魔に違いない……!」


 最後に吐き捨てられたヴィンクラーの言葉には、ヴェラも異論はなかった。


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