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陰キャ男子の異世界戦記  作者: 伊佐治 あじ斎
一章 天使降臨、悪魔君臨
21/24

一章 二一話 前哨戦〈4〉

 〈20〉


 カタカタと、僅かに机が震えている。席に着いている者の貧乏ゆすりのせいだ。だが、他の誰もその者を咎めようとしない。理由は、触らぬ神に祟りなし、である。

 アラナイは苛立っていた。

 誰の目から見てもそれが丸わかりであり、触れる者皆傷付けそうな程に鋭利な怒気を放っていた。

 彼女は、血に飢えていた。新鮮な帝国兵の血と悲鳴を、この復讐劇で演じ、神に奉じなければならない。否。そんな義務感や責任感と、この衝動は遠遠いという自覚はある。

 ——アラナイはただ、帝国兵を殺したいだけだ。

 だというのに、ここ最近捧げた供物は、恐らくは帝国兵と思われる、山賊風の男二人だけ。全然足りないし、手を下したとき自分は、それが帝国兵であると思っていなかった。死体を見下ろしながら、道雪にそうかも知れないと言われただけだ。こんな殺しでは、全然スッキリしない。


 十万でも二十万でもいい……っ!! 今すぐかかってこい! 一人残らずぶち殺してやるッ!!


 悶々とそんな事ばかり考えていた。無論、現在のタヴァレスタットに、そんな大軍に抗する力はないという判断力は残っている。逆に皆殺しにされるだろう戦力比だ。だからこそ、道雪もアラナイも着々と準備を重ねているのだ。

 だが、往々にして準備とは大変でつまらないものであり、人は過程を厭い、結果を渇望する。

 それでも、これまでは自制心をフル活用してなんとか心を鎮めてきたアラナイだったが、最新の敵情視察の情報が届いて以来、その機嫌は急降下して今なお回復の兆しはない。

 昨今あまりいいニュースのなかったタヴァレスタットにとって、その情報は久々に届いた朗報だった。無論、アラナイ以外にとって。

 それは、帝国のタヴァレスタット攻略に当たるのが、壊陣セイロ将軍ではなく、帝国本土から派遣されたヴィンクラー将軍になったというものだ。ヴィンクラー将軍が与しやすい相手というわけではないが、少なくとも潰陣を相手にするよりはマシだと誰もが思ったのだ。

 だが、これは喜んでばかりもいられない情報だった。セイロ将軍は少数ながら王国方面に派遣され、そこで対王国への睨みを利かせる役目を負うらしい。これで、王国からの援軍は、極めて望み薄になった。

 王国にとっての悪夢。そんな男が、少数とはいえ軍を率いて王国方面に出張っているのだ。王国側からしても、無視はできまい。

 とはいえ、やはり潰陣、生ける伝説を相手にしなくても良くなった事で、タヴァレスタットの首脳部や軍部はおおいに喜んだ。アラナイとしても、そこは別にどうでも良かった。

 敵が潰陣だろうと怪人だろうと、それが帝国人であるなら灰燼に帰すだけである。

 だが問題は、そのヴィンクラーが指揮を引き継ぐ為に、帝国軍の行動が当初予想したよりもかなり遅れ気味であった事だ。無論、これもまた他のタヴァレスタットの住人にとっては朗報である。……アラナイ以外にとっては。

 待ちに待った、復讐の機会。それを、直前でお預けされている状況にあって、さらにそのご褒美の皿は遠のいてしまったのだ。それを知ったアラナイのご機嫌が、急角度に斜めになるのは仕方のない事なのかも知れない。

 だが、その刺々しいオーラには、老将ユーレスも歴戦の傭兵シカトリスにも、流石に対応できなかった。腹を空かせて唸っている猛獣を、撫でて宥めろと言われているようなものだ。無茶が過ぎる。

 そこで呼び出されたのが、道雪であった。


「えぇぇ……」


 よもやそんな理由で呼び出されたとは思わず、道雪は肩透かしの思いで情けない声をあげた。


「申し訳ございません……。ミチューキ様におかれましては、様々な勉学に励んでおられる時分。ご負担をおかけしまいと口にした舌の根も乾かぬうちに、斯様なお願いを申します事、誠に汗顔の至りにございます。然れど、最早我々には如何ともしがたく、団長閣下と気のおけぬ間柄のミチューキ様にお縋りする他ありませぬ……」


 言葉通り、羞恥に目を伏せながら言うユーレスに、道雪は黙る以外の選択肢を選べなくない。自分よりはるかに年上の初老の男性に頭を下げられてなお、その失態を論えるようなメンタルの強度は、道雪にはなかった。メンタル強度というか、厚顔さである。


「……わ、わかりました……」


 コソコソと話し合っていた二人は顔をあげ、元凶を見やる。

 腕を組み、その上に豊満な双丘を乗せて、窓の外を眺めている美女。それだけなら絵にもなろうが、その足元に視線をやれば、イライラと地面を打ち鳴らし、親の仇のように青空を睨みつけている様は、どうしたって見る者を威圧する。


「……ア、アラナイさん……」


 そんな彼女に、道雪は恐る恐る話しかけた。


「…………あん?」


 たっぷり間をおいて、アラナイは道雪に応答した。


「や、やる気がないなら、その……、邪魔なのでどこか別の場所に行っていてください……」


 気弱そうにそう言われたアラナイが、きょとんとした表情で道雪を見返した。


「じ、時間は有限で、準備はどれだけやっても足りるという事はありません。まして、現在帝国軍は続々と集結し、進軍する準備を整えています。開戦は目前、回避の可能性は限りなく低い。あなたのご機嫌取りに割く時間は、その……、ありません……」

「ミチューキ様!」


 それは流石に言いすぎだと思ったユーレスが、止めにかかった。


「……え? えっと……、ユーレスさんは僕にこれを言わせる為に呼んだのでは……?」

「ち、違います! ミチューキ様には団長閣下の無聊をお慰めして……っ!」

「え? だって、そんな暇ないでしょう?」

「……っ!」


 まるで「そんなの言わなくてもわかっているでしょう?」とでも言わんばかりの、道雪の真顔に気圧されるユーレス。なおも道雪は、自明の理を説くように続ける。


「ただでさえ劣勢なのです。足手まといに構っている時間はありません。まして、それが指揮官ならなおさらです。無聊をお慰めして、頭ナデナデして、あやして宥めてあげているような時間はないんですよ。邪魔なので、どこか別の場所で遊んでいてくださいというのが、優しさとしては限度でしょう。下っ端なら、適当に処分して終わりです」


 あまりにも辛辣で、そして道雪らしからぬ流暢な物言いに、アラナイもユーレスも、これまで空気だったシカトリスも、今道雪が時折垣間見せる集中状態であるというのを察した。彼がこうなるのは、戦について真剣に取り組んでいるときだ。つまり、道雪は今この時も戦っているのだ。


――否。


 道雪にとっては、今この瞬間こそが戦なのだ。道雪に槍働きはできない。だからこそ、それ以外の場所が彼の戦場なのだ。戦場での衝突など、重ねた準備の結果でしかない。その戦を、今阻んでいるのは、よりにもよってアラナイだ。

 口下手な道雪が、こうまであからさまにアラナイを面罵しているのは、その蹉跌に対する苛立ちの表れなのだ。


『真面目に戦争をしろ』


――という。そう、今この場においては、道雪もアラナイに負けず劣らず怒っていたのだ。


「くはははははははははははははははははッ!!」


 アラナイはそれまでの苛立ちもわすれて呵々大笑した。


「そうかそうか! やる気がねえか! そう見えるか!」

「ええ。やる事は山のようにあります。敵の動きが遅れているのなら、それは好機なんです。できた時間で、さらに準備を重ねられるのですから。今の、ただ苛立っているだけのあなたは、どうしたってやる気がないように見えます」

「そうか、アタシは懈怠してたのか! この苛立ちは、攻めてこない敵じゃなく、なにもしてねえ自分にムカついてたんだな!! 合点がいった! そしてすまなかったミチユキ様! くははははは!」

「十万でも二十万でも、相手どれるような準備をしましょう」

「おうさ! おうとも!! 十万でも二十万でも、鏖殺おうさつできるだけの準備を整えよう!」


 ケラケラと笑いながら立ち上がったアラナイが、バシンと道雪の背を叩く。道雪が痛そうに顔を顰めたのにも気付かず、アラナイは訊ねる。


「じゃあ、帝国兵を殺す為に、アタシは今、なにをすればいいんだ? 教えてくれ! その通りにしてやる!」

「まずは、鍛冶師たちに会ってきてください。あなたの鎧が概ね完成したようです。あとは、微調整だけです」

「おうよ! ようやく、アタシ用の鎧兜ができたのか!! そいつぁ楽しみだ!」

「それから――」

「おう、それからそれから?」

「――帝国兵をいくらか殺してきてください」


 その言葉に、アラナイは目を丸くした。帝国を相手取った戦は、今少し先のはず。そう思っていたからこそ、彼女は苛立っていたのだ。

 道雪は、あくまで淡々とそう言った。


「前哨戦です」


〈21〉


 鍛冶師たちの元を訪ねた僕たちは、すぐさま奥に案内された。アラナイさんは即座にマネキンと化し、僕はなにかを言いたそうにしている鍛冶師たちの目から身を隠すように、アラナイさんの陰にしゃがんでいた。


「ところで、前哨戦ってなにすんだ?」


 両手を水平に保ちつつ、アラナイさんはそう問いかけてきた。僕は彼女にもわかりやすいよう、少し考えてから表現を変える。


「前哨というのは、ええと……、そうですね……。露払い、と言えばわかりやすいですか?」

「おう、そういう事か。つまり、帝国本隊が通る道に、なんか仕掛けがされてねえか確認する部隊ってこったな?」


 その通り。軍というのは、前進するのも停止するのも一苦労なのだ。もし仮に、軍の前方で『止まれ』の指示がでても、後方にその指示が届いてなければ、玉突き事故のような混乱が起こる。それは、前進もまた然り。行進というのは、それだけ高度な軍事行動なのだ。

 そんな行進中に、最前列が不意に落とし穴にでもかかったら? 目の前で仲間が落とし穴に嵌まった兵は足を止めるだろうが、その事を知らない後続は前進を続けるだろう。そうなれば、前方の兵は後続に押されて自分も落とし穴に落ちるか、バラバラになって回避するかだ。大幅に進軍を遅れさせられるし、敵の士気を挫きやすくなるだろう。

 そんな罠や待ち伏せを防ぐ為に放つのが、前哨なのだ。軍隊の進軍路の保全を旨とする、重要な舞台である。


「自由にさせていいものではないので、こちらも兵を出して刈り取ります」

「そうだな。斥候どもに、帝国兵の為の絨毯を敷かせるわけにゃあいかねえ。敷くなら、真っ赤な絨毯だけだ」


 なるほど、斥候の血でできた絨毯、というわけだ。上手い事を言う。

 当然、そんな重要な兵をみすみす跳梁させるに如くはない。敵の進軍路を確定させる為にも、兵力を漸減させる為にも、きっちり殺すべきだ。アラナイさんの言う事に、僕も異論はない。


「ハハッ、それをアタシにさせようって? 悪ぃな。結局、気ぃ使わせちまって」


 まっすぐそう言われてしまい、僕はアラナイさんから顔をそらして、不必要な言い訳をしてしまう。


「……まぁ、アラナイさんの帝国兵を嗅ぎ付ける嗅覚を頼ってるって面もあります……。あのときも、狙いすましたかのように、帝国の斥候を倒してましたし……」

「照れんな照れんな! 」


 キヒヒと悪戯っぽく笑うアラナイさん。

 まぁ、あのまま不貞腐れられても困るし、ガス抜きは必要だろう。十分な兵力を当てれば、危険も少ないはずだ。

 いくら帝国が大軍を動かせるといったって、斥候の人数はたかが知れている。一万も二万も動かすようなら、それこそ罠を張って一網打尽にして、帝国軍に打撃を与えればいいだけだ。むしろ、少数で分散させてくるだろう。


「上手い事、前哨とかち合えるといいですね」

「あん? 普通に迎え撃てばいいんじゃねえのかい?」

「どこから来るか、わかりませんよ? 森林の中を進んでくるかも知れませんし、夜陰に紛れて偵察してくるかも知れません。五人くらいの部隊が、十もあればこちらの索敵網をかい潜れる可能性は高まります。さらに十もあれば、すべてを討ち取るのはまず無理ですね。帝国にとっては、たかだか一〇〇人の兵です。現状でも、十分に出せる数でしょう」

「うげ……っ、なんだぁそりゃあ……。面倒くせぇ……」


 まぁ、絶対に取りこぼしは生まれるだろう。そこから持ち帰った情報で、帝国はどこから攻めるかを決めるはずだ。

 さて、どこから来るかな?


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