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陰キャ男子の異世界戦記  作者: 伊佐治 あじ斎
一章 天使降臨、悪魔君臨
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一章 二話 嚇怒〈2〉

 〈2〉


――ピシリと、なにかに罅が入ったような音が聞こえた。アタシはその音につられて顔を上げる。

 そこには、信じられないような光景があった。空に亀裂が生じ、青空の狭間から夜空が覗いているのだ。アタシはそんな、あり得ない空模様に絶句する。その、あまりにも現実離れした光景に、しばし体中の激痛も、心を埋め尽くす憤怒と怨嗟も忘れて、空を仰ぎ見ながら固まっていた。

 どれくらいそうしていただろう。

 割れた青空の隙間から、なにかが落ちてきているという事に気付いた。芥子粒のような小さな影は、次第に大きくなっていく。だがそのスピードは、落下しているというにはあまりにも緩慢だ。ともすれば、静止しているとすら思える程だ。

 アタシは思う。あれは、落下ではない。木の実が枝から落ちるような、あたり前の光景ではないのだ。

――あれは、降臨だ。


「ああっ! ああ……っ!!」


 意識せず声が漏れた。それは、歓喜の声だ。万感の思いの籠った、満願成就を寿ぐ祝詞だ。神々に対する、感謝と崇敬の念の発露だ。

 ゆっくりとゆっくりと、それはアタシの前に降りてくる。芥子粒からゴマ粒、それから麦粒くらいの大きさになると、天より降ってくるそれが、人の姿をしているのがわかる。

 未だ黒いだけの人影を、アタシは喜色満面のままで待ち受けた。既に機能しなくなった両腕を広げると、体の揺れに合わせて腹から生えた槍がガチャガチャと騒音を奏でたが、耳に届いた音はそれだけではない。

 ざわざわと、喧騒が近付いてくるのに気付き、アタシはそちらに顔を向けた。この町の住人たちだ。誰もが、空を仰ぎ見ながらこの場所へと足を踏み入れ、大地を眺めてその惨状に絶句している。

 皆、この駐屯地でなにが起こったのかは知っているだろう。自分と家族の安全、そして財産を守る為に、アタシたちを見て見ぬフリをした。当然ながら、アタシたちはそれを恨んだりなんてしない。彼等には守るものが残っていて、アタシたちには残っていなかっただけだ。そう、アタシたちには、それだけの違いしかない。

 むしろ、帝国兵(ブタども)に密告されていなかった点を、感謝している。だからこそ、アタシ等はここにいた帝国兵を皆殺しにできたのだから。そして、だからこそ天恵を得るに至れたのだから。

 アタシは再び空を仰ぐ。もう随分と、その天の使いは近くまで降りてきていた。

 遠目だから黒く見えたのだと思っていたが、違った。夜を象徴するかのように、全身が黒い。艶やかな黒髪も、襟元も覆う、軍服のような上質な服も黒い。肌はむしろ、アタシ等よりは白いな。どこか『なまっちろい』という印象を受ける程に。伏せられた瞳の色は、この距離からは流石に確認できない。そもそも、男にしてはなかなかの長髪で、目元が隠れそうな程に前髪が長い。

 片方の肩から、なにやら荷物を担いでいるのが、天の使いの姿としてはやや違和感を覚えるものの、その一点だけで神聖性は薄れない。当然だろう。青空を割って覗く夜空から降臨する男が、只人であるはずがない。

 天の使いはとうとう、アタシの眼前まで降りてきた。アタシから一メートルくらい離れた場所、地面から一メートルくらいの位置に静止し、滞空する。

 死体の山に目を瞠っていた住民たちが、視界内にまで降りてきたその天の使いの存在を思い出しては、次々に平伏して彼を迎える。アタシも五体投地で御出迎えした方がいいのかとも思うが、今のこの状態ではそれも難しい。槍が支柱となって、かろうじて立っているだけの自分が、槍がなくなればどうなるかなど火を見るよりも明らかだ。というより、今槍を抜いたら、グズグズになった内臓が、槍が塞いでいた穴から零れてそのまま死ぬ。

 アタシの目の高さで滞空していた天の使いが、うっすらと瞼を開く。そこには、茶褐色の瞳があった。


善哉(よきかな)


 年若い少年のような容姿の人物から放たれたとは思えない、太く重厚な声が、大声を出したわけでもないのに、空間をビリビリと震わせた。住民のうち何人かは、そのプレッシャーに耐え切れず気を失ったのか、べしゃりと体勢を崩した程だ。

 たった一言でこれか……。

 そのプレッシャーを、一番間近で浴びせかけられたアタシは、しかし気を失わなかった。それが実際の圧力というよりも、精神的な圧迫だったからだろう。なにせ、いまのアタシの心には、彼に対して喜びと感謝しかない。気力が充実していたからこそ、倒れずにすんだのだ。

 気など失ええるか。あと数分、下手すりゃ一分以内にもこの命は尽きるだろうが、だからどうしたというのか。いまこの瞬間を見逃すなど、あり得ざる愚行だ。いっそ大罪と評してもいい。アタシの願い、アタシの祈りが届くこの瞬間を見逃すなど。


「――否」


 しかしそこで、天の使いはキッパリとナニカを否定する。ズグンと、弱々しくなっていたはずの心臓が、嫌な鼓動を立てた。


「我、其方の憤怒に呼応せり。人が人である証、心。その根源、枢要。そして、究極とも呼べる憤怒の熱量。善哉。誠に善哉」


 淡々と、厳粛に、それでいてどこか楽しそうに、天の使いは告げる。

 アタシはいま、どんな顔をしているだろう。歓喜の表情のまま固まっているだろうか。それとも、いまにも泣きだしそうなガキみたいなツラをしているだろうか……。

 そして天の使いは、決定的な一言をアタシに宣告する。


「然れど、我、其方の勝利を確約せず。其方の呪いを代行せず。其方の憤怒の炎、消沈を許さず」


――決壊する。アタシの願いは叶わない。その決定的な言葉を聞いて、一度は奈落へと落ちかけ、しかし天使の降臨によってギリギリ崖っぷちを掴んでいだ手を――離した。



「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!?」



 周囲で平伏する住人たちが、一斉に顔を上げてアタシを見た。知った事か。天の使いは一切表情を動かす事もなく、反応すら希薄だ。その奥にいる存在の様子など、わかろうはずもない。だがそんな周囲の反応に、いちいち頓着していられる程、アタシに残された時間は長くはない。


「――あああああああああ――なぜ――なぜですか、神よッ!?」


 あまりにも無礼に、あまりにも強引に、アタシは問う。その天使を通して、その向こうにいる超常の存在に問う。

 アタシは怒っていた。なにもかもに怒っていた。帝国に。帝国兵に。さっさと死んでしまった仲間たちに。仲間にならない街の住人に。弱い自分に。この世の理不尽に。そして今は、眼前の天使と、その奥でこちらを睥睨しているナニカにも。それはあまりにも不敬であり、不遜であり、自分勝手な思いだ。万死に値するような愚行である。下手をすれば、アタシ等が蜂起した理由すらも、裏切りかねない身勝手さだ。

 けれどアタシは止まらない。止まれない。あと僅かの命ならば、今このときすべて燃やしてしまって問題はない。否。今燃やさずして、いつ燃やす。お利口さんに口を噤んだところで、寿命が少し延びる程度でしかない。眼前の存在が天使だろうが神だろうが、もはや臆する理由にはならないのだ。

 例え、一切合切を無意味に踏み躙ろうと、アタシはアタシのエゴを肯定し、愚行に及ぶ。


「なぜ――ッ!? なぜ――ッ!? なぜ――ッ!?」


 初めからそのつもりだったのだ。自分たちの行いによって、街がどうなるかなど考慮の埒外だった。そう、アタシはアタシたちの行為に目を瞑ってくれた、街の住民たちを恨んだりはしていない。失望したりもしていない。そう自分に言い聞かせたのだから、彼等に理不尽な憤りをぶつけたりはしなかった。


 それでも――胸の奥に押し込んだ感情が皆無だったわけじゃねえ……――


 なぜ、アタシの家族が殺され、彼らの家族が生き残ったのか。そこに理由なんてないのはわかっている。帝国にとって、見せしめにする住人は誰でもよかったのだ。王国に武器を作って売っていた鍛冶師だったという、どうでもいい理由でアタシの父が殺され、母が殺された。

 幼馴染は、そんな帝国兵の前に飛び出そうとするアタシを、ぶん殴って止めてくれた。そいつは、あたしの代わりにアタシの名前で殺された。顔なじみのパン屋の一家も、よくつるんだダチとその家族も、何人もの友人知人が、帝国兵という名のゴミクズに殺された。

――そしてそのとき、誰もアタシの家族を守ってはくれなかった。

 仕方のない事だ。アタシも、他の仲間の家族が殺されるとき、命懸けで彼らを守ろうとはしなかった。誰だって、自分の事が、自分の家族が、自分の財産が大事だ。人様の為に、自分の持つそれらを危険には晒せない。仕方のない事だ。

 仕方のねえ事だ。アタシがそうしなかったってのに、誰かがそうしなければならない、なんて話はねえんだ。仕方のねえ事だったんだ……――。

 そう、言い聞かせた。そう、自分に言い聞かせて、胸の内に怒りを押し込んだ。

 だがそれでも、怒りってやつは消えちゃあくれねえ。どうして怒らずにいられる? それがどれだけ身勝手な思いだろうと、天に唾するような、鏡に向かって吠えるような、自らの無様を嘲笑うような真似だろうと、どうして怒らずにいられるってんだ?

 胸の内で燻ぶる埋め火のようなこの怒りは、どれだけ時間が経ってもその勢いを弱めはしない。むしろ、燻ぶれば燻ぶる程に、もっと愚かしく悍ましくも、暗く静かにその火力が強まっていく。

 アタシはアタシの家族が大事だ。アタシ以外の家族よりも、アタシの家族の事が大事だったんだ。アタシの家族を守ってくれ。他の誰かなどどうでもいい。アタシの家族だけは守ってくれ。アタシの大事な人だけ守ってくれ。アタシの事だけ守ってくれ。

 本当に自分本位な、愚かで浅ましい願いであろうと、そう願わずにはいられない。それがアタシだ。それが人だ。お綺麗な道徳や社会通念、倫理なんぞクソ食らえ。これがエゴと呼ばれるようなものだろうと、アタシはアタシの大事なものと誰かの大事なものであれば、アタシの大事なものの方が大事だったのだ。


――だが、そんなアタシの大事なものは、一切合切台無しになった。もう、アタシにはなにも残っていない。


 だから怒る。アタシは怒る。アタシのなかに残っていたなにかを燃やし、アタシという存在を一つの炎へと変えていく。アタシという存在を、奥の奥からグズグズと焼き尽くし、一切合切を燃料とし、別のナニカへと変えていく炎が燃える。もはや後戻りできない深淵へと、この身が落ちていく。焼け落ちていく。

 アタシは眼前の天使の顔を見つめる。こちらを睥睨する茶色の瞳を、その奥にいる超常の存在を、アタシは真っ向から睨め付けた。


「――善哉……」


 だが天使は、まるで嬉しそうにそう呟く。表情は一切変えず、声音も重々しいそれだが、この身を揺らす圧力が、彼の歓呼を如実に伝えてきた。


「我、其方の憤怒の行く末を希求せり。その炎が燃える様を、燃やすものを、燃え盛るままに供せ。燃え尽きるまで。いっそ、燃やし尽くすまで――人よ――人の子よ――人らしく、あれ。人らしく荒れ、人らしく猛れ。人らしく長けれ。おお、人の子よ。憤怒の大罪のままに、怒りという欲望のままに、恨みという原動のままに、妄執という未練のままに、人よ――人の子よ――愚かしくも愛らしい――我が子等よ、踊り躍れ」


 まるで歌うように、天使は朗々と告げた。それが託宣であるのか、それともちっぽけな虫けらのあがきを嘲笑う、超常の者の侮蔑であるのかはわからない。だが、アタシには無表情のままのその男が、微かに笑っているように見えた。

 そんな顔にもムカついた。


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