一章 十六話 交易都市タヴァレスタット〈6〉
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なんとかアラナイさんを宥めすかし、ユーレスさんとシカトリスさんは一命を取り留めた。
一通り山狩りを終え、防衛軍は帰路についていた。今僕は、荷馬車の一つに腰かけて運ばれている。往路は頑張って半分は歩いたが、復路は最初から荷馬車だ。
「どうだいミチューキ様? 落ち着いたかい?」
「は……、はい……」
気遣ってくれるシカトリスさんに返事をしつつ、僕は荷物の上で横になっていた。さっきまで道端で吐いていた為に、どんどん輜重隊の後方に移動している。僕の護衛というか、付き添いとしてシカトリスさんに同道してもらっているのだが、悪い事をしたと思う……。
仕方がない。元々三半規管は強い方ではないのだが、荷馬車というのは乗組員の事を配慮して造られてはいない。人用の馬車だって「ユーザビリティ? フランス語はわからんなぁ」って造りなのに、荷馬車に快適性を求めてはいけないのだろう。ロベール二世でなくてもトホホである……。
正直、みっともなくとも、ゼーゼー行軍に同行した方が、ゲーゲーやって軍に迷惑をかけるよりはマシだ。僕としても、そっちの方が楽だったと思う。今後は、こんな事がないよう、もう少し体力をつけよう。乗馬も覚えよう。……やる事が多すぎる……。
そうだ。やる事といえば、この人からも話を聞かなきゃいけなかったんだ。
「……シ、シカトリスさん……、……ま、【魔術】について、お聞きしてもいいです……か……?」
元傭兵で魔術師のお姉さん。聞かなきゃならない事はたくさんある。まずは、【魔術】についてだ。
「あん? まぁ、別に構わねえけどよ。アタシが語れる魔術理論なんざより、学者連中が持ってる本の方が正確だぜ? そっちは、ミチューキ様なら自由に読めんだろ?」
そうなんだけど、今聞きたいのは理論よりも現場における、魔術運用のノウハウなのだ。
正直、【魔術】というものが戦争に及ぼす影響というものが、イマイチ判然としないのだ。個人差が大きいせいで、部隊単位で運用するのが難しい。弾数が少なすぎて、銃兵と同じように運用はできない。画一的な威力がないから、砲兵としても運用は難しい。
そもそも、社会に不可欠な魔術師は、生活が安定していて兵士になりたがらない。ただでさえ一〇〇人に一人くらいの割合でしか、【魔術】の才を持つ人間は生まれないと言われているのに、そこから兵士になるのはさらに一〇人に一人くらいのものなのだ。
それだけに、このシカトリスさんは貴重である。
「【魔術】なぁ……。簡単なのは、こんなもんだよ」
シカトリスさんはそう言って、長杖を振る。杖の先から蛍光イエローの光が飛び出し、空中に留まった。自由自在に、空中に図形を描くその姿は、もうそれだけで魔法! って感じで、年甲斐もなくワクワクしてしまう。
本当にファンタジーで、スペクタクルな光景に自然と身を乗り出して見ていた。そんな僕を見たシカトリスさんが、苦笑してから杖を止める。
そこには、蛍光色に光る線で描かれた、三角形の図形が残っていた。図形の内部にも複雑な図形が描かれているが、あまり幾何学的じゃない。数字でも文字でもない感じで、どちらかといえば模様だ。
「これが【魔術】だ。水より出で、風に運ばれ、土へと還る、三つの属性を合わせて作る、比較的簡単な【雷竜息吹】の魔導陣だね」
「これが魔導陣……。ちょっとイメージと違う……」
僕のイメージする魔導陣は、もっと数学的な、所謂魔法陣的な代物だ。それに、三つも属性を掛け合わせると聞けば高度に思えるが、シカトリスさんが言うには、そうではないらしい。これは謙遜? それとも本当に?
やっぱわからない。勉強不足だな……。
「……この模様に、意味がある、んですか……?」
「ああ。まぁ、【魔術】ってなぁそもそも、【魔法】の模倣から始まったもんだ。それは知ってっかい?」
「……は、はい。それくらいなら……」
それくらいなら本で読んだ。
【魔法】というのは、その生物が先天的に有する特徴に起因する能力だ。【魔術】の元となる力、【魔力】を流すだけで、なにをするでもなく超常の力が発現する。人間にも、ごくたまにそういう特性を有して生まれてくる者もいる。だが、それはただ魔力を操れる【魔術】の才を持つ人間よりも、さらに僅少だ。
【魔法】を有する顕著な生き物が、魔物と呼ばれる、所謂モンスターだ。そう、この世界にはモンスターがいる。
勿論、ポケットの中のモンスターや、ドラゴンなクエストのように、草むらに入るだけでエンカウントする程、生息範囲は広くない。一つの国に、片手に足りる程しかいないといわれている。当然ながら、タヴァレスタットのような狭い範囲にはいない。公国のような小さな国にも、たぶんいない。大抵は人里離れた、人跡未踏の地で縄張りを作って、ひっそりと覇者として生きている……そうだ。
「……【魔導器官】の模倣……」
「そうだ。魔物の肉体にある、魔力を流すだけで【魔法】になる部位である【魔導器官】。それを剥ぎ取って、バラして、調べて、真似た結果生まれたのが、この魔導陣だ」
この【魔導器官】の模倣から、【魔術】は始まったといわれている。正確に起源がわかっているわけではなく、これは通説だそうだ。現在においても、魔物の【魔導器官】は貴重な研究資産なのだ。それがいつからなのか、本当にそこから【魔術】が始まったのかは、まだまだ研究途上らしい。
「これは、雷竜の【魔導器官】である逆鱗が元になった魔導陣だよ。まぁ、長年研究され過ぎて、元の形はほとんど残ってないって話だねぇ」
そう言ってから、シカトリスさんは長杖でコツンと地面を打つ。それまで滞空していた魔導陣が、パリパリと軽い放電音を残して消えていく。それから悪戯っぽく、ニヒヒと笑うシカトリスさん。
よかった。ここで【魔術】を使うつもりは、端からなかったらしい。近くにいる輜重隊の兵士たちが、ビックリしちゃうからね。
「……戦場における、ま、魔術師の運用法について、は……?」
「戦場における魔術師? そらぁ、ここぞってときに一発くれて相手を乱すのが仕事だね。突撃してくる敵の鼻面にカマしてバラバラにしたり、逆にこっちの突撃を待ち受ける槍衾のど真ん中にぶつけて、陣に穴ぁ空けたりな」
用法としては、やはり銃よりも砲って感じだな。足が速いので、歩兵や騎兵と足並みを合わせやすいってのが、大きな違いか。
「なかには豆鉄砲みてえぇな【魔術】しか使えねえヤツもいるし、そういう魔術師のせいで負けたりする場合もある。まぁ、魔術師そのものが貴重ってなぁわかるが、だからってピンもキリも一緒くたに運用すんのは、違うわなぁ」
「……な、なるほど……」
やっぱり、個人差が大きいという結論らしい。言ってしまえば、パチンコもマスケットもロケットランチャーも、すべてを〝投射兵器〟という括りで運用するようなものだ。
……でも、そんな問題点、これまで誰も気付かなかったとは思えない。だとすれば、簡単な対処法があるのに、誰もそれを考えなかったとは思えない。
「事前に実力差を計って、個別に運用すればいいって? ハッハァ! そらぁそうだ。誰だってそう思う。だが、できない」
「……な、なぜ、でしょう……?」
「魔術師の資質ってのは、結構遺伝するんだよ。まぁ、模倣している元が【魔法】だかからねえ。【魔術】もなんかしらの【魔導器官】が必要で、魔術師ってのはそれが必要なのかも知れない。ま、知らないけど。そんで、だったらそんな貴重な才を、高貴なお歴々が放っておくわきゃあないわなぁ?」
「…………………………ああ。……なるほど……」
僕は納得と共に、呆れてため息を吐いた。
魔術師の才を受け継いだお貴族様を、身分の上下に捉われず、実力の上下で峻別するのは可能か? 考えるまでもない。
勿論、それが原因で戦に負けるのは避けるだろう。それが、現在の魔術師の運用だ。飲料水の生成、野営地の設営、汚物の浄化。こちらに魔力リソースの多くをつぎ込む為に、戦場での運用は消極的になる。
下手な魔術で戦術が狂うデメリットを軽減しつつ、補給を充実させるのは軍隊運用において大きなメリットとなる。そして、貴い身分のお方が死ぬ危険も、社会に必要不可欠な魔術師の損失も防げる。この世界には、中世とは思えない程疫病が少ないのも、魔術師の存在が大きいだろう。
無闇に魔術師たちを温存しているとは思わない。補給を重視する事で、軍の規模や行軍速度はかなりのものだ。
そして、鉄火場における魔術師の役割は、さっきシカトリスさんが言ったように、敵の足並みを乱す一撃を放つ事だ。必要な魔術師は最小限の人数ですむし、それくらいならお貴族様のなかから上澄みを抽出すればいい。
「……元々魔術師が少数である点を考慮すれば、そもそも一斉射に使えるような兵科ではない。なら、これがベターな運用という思想は理解できる。だが、それはやはりベストじゃない」
戦場でのドンパチより、補給を重視するこの姿勢は、納得できる話だ。この世界の先人たちに、感心していた程だ。だが、根底の運用思想が違う。魔術師という名の青い血の温存と、対外的に聞こえのいい名誉。
その運用思想は、補給の重視ではなく、貴族の重視にある。
「……なるほど……。……なるほど……」
考える。
タヴァレスタットには貴族はいない。当然ながら、魔術師といえる人材はシカトリスさんを含めて、数えられる程しかいない。だが、その分自由に運用できるだろう。
しかし、この人数で、テルシオを形成するのは無理だな。
テルシオというのは、別名スペイン方陣とも呼ばれる、太陽の沈まぬ国を形成した戦術である。十六世紀を席巻し、中世を終わらせたと言っても過言ではない。もしもテルシオを作る事ができれば、帝国だろうと王国だろうと、跳ね返せる力になるだろう。
だが、銃の代わりに【魔術】を使うというのは、やっぱり無理のようだ。魔術師を量産できない以上、テルシオに必要な遠距離攻撃能力は期待できない。
「銃の量産は、こちらでは難しい。生産そのものは不可能じゃないが、量産はたぶん無理だ……」
火薬そのものはあったが、量産されてはいない。利用価値が低いと思われているのだ。銃砲を研究するより、【魔術】の研究をする方が、安心安全なのだ。その理屈はわかる。
どうしたって、火薬には暴発の危険が伴う。敵の魔術師が火の玉を一つぶち込むだけで、軍事的にも財政的にも大損害を覚悟しなくてはならない。現在の技術では、そこまでのデメリットを覆せるだけの、メリットがないのだ。
硝石は高価だし、当然それが原料である火薬も高い。現在はほとんど、一部の研究者が使うくらいにしか、火薬は作られていない。
銃の有用性を確信している僕でも、運用に二の足を踏む程度には、デメリットが大きい。
「テルシオは、少なくとも短期間では無理……。でも、コロネリアは絶対無駄にはならないはず。まずはそこからだな。軍隊の運用法が固まってない、できて間もない防衛軍だからこそ、拙速にでも始めてしまおう。あとでアラナイさんに相談しておくか……」
魔術師の運用方法としては、やはり砲兵として活用するべき。だが、砲が戦場の主役になるのは、ナポレオン時代の話だ。中世の軍勢に、ナポレオンの用兵思想ぶちこんだらどうなるか……。それはそれで、面白い。
「……ふふっ、ふふふ……」
ま、それも無理だろうけどね。砲があっても、銃ないし。




