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陰キャ男子の異世界戦記  作者: 伊佐治 あじ斎
一章 天使降臨、悪魔君臨
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一章 十三話 交易都市タヴァレスタット〈3〉

 〈12〉


 タヴァレスタットの城郭の外では、大規模な土木工事が進んでいた。といっても、壁に手を加えるわけじゃない。城郭の外部に、大規模な空壕を掘っている最中なのだ。ノッコ商船組合、アルナッツ商会の出資の元、人足を集めて順調に普請している。なにやらアラナイさんと因縁ありやなランドさんのゴア商会には別件で手を借りている。

 この世界において〝法〟というものの及ぶ範囲は、非常に限定的だ。行政の統括する範囲外、すなわち村、町、都市といった集落以外は無法地帯も同然だ。勿論、そこもまた国の一部であり、一応は法治の範囲内ではある。だが、それを取り締まる方法などなく、ある程度のコミュニティから離れれば、そこは法治ではなく放置状態なのだ。

 なにが言いたいのかというと、今現在、人足たちが大きな堀を掘削しているあそこは、そんな無法地帯の一部だという事だ。まぁ、普通城壁のすぐ側で無法を働くような輩はいないだろうが。


「アラナイさん、この人足たちは普段はなにをしているのでしょう?」

「あん? さぁなぁ。たぶん農民の三男以降の男手だろうから、畑でも耕してるんじゃねえの? まぁ、なかには街で食い詰めてる連中も混じってるだろうが……」

「軍で取り込めませんかね? 工作を専門にする兵は、邪魔になりませんよ」

「ふぅむ……。アタシの一存で決められる事じゃねえが、部下連中もそう反対しねえだろ。聞いてくるぜ」

「よろしくお願いします」


 たったと軽い足取りで駆けていくアラナイさんを見送り、着々と完成に近付きつつある空堀を眺める。

 この空堀の形状は、かの有名なフラウィウス・ベリサリウスがダラの戦いで構築したという、櫛状空堀の真似だ。鍋型の横堀に、いくつもの縦堀を加える事で、敵歩兵の動きを封じられる。

 勿論、敵だってそんな事は見ればわかるだろうから、まともに突っ込んではこないだろう。だが、それでいいのだ。大軍を真正面から突っ込ませない。堀一つでそれができるのなら防御能力としては上々だ。

 ベリサリウスは中世ヨーロッパ戦史において最高の将とも呼ばれる男だ。エドワード・ギボンは彼を指して『大スキピオの再来』と称えた程だ。ニカの乱鎮圧(三〇〇〇対三万)、ヴァンダル戦争(一五〇〇〇対二〇万)、イタリア侵攻(七五〇〇)など、寡兵で大敵を退けるジャイアントキラーである。才能も武功もあり、忠義にも篤かったが、主君には恵まれず、冷遇され続けた非業の天才である。

 彼の人生は、それはもう涙なしには語れない。知れば知る程、ユスティニアヌスが嫌いになる。その分も、ベリサリウスが好きになるはずだ。

 この櫛状空堀は、そんな天才が考案した代物だが、だからといって過信はできない。ベリサリウスも、この堀はあえて敵の警戒を誘う為に使った。これだけで、帝国軍をいなせるなどとは考えてはいけない。

 勿論、突っ込んできたら身動きできない敵に、正面からは矢を射掛け、側面から歩兵が攻撃。上手くいけば、貴重な軽騎兵で敵後背を扼し、鉄床戦術を完成させられるかも知れない。

 まぁ、無理かな。

 帝国にも騎兵はいる。それも、ほとんどが重騎兵だ。軽騎を真正面からぶつけるのは得策じゃない。騎兵の面では、量でも質でも完敗状態なのだ。

 この大陸において重騎は押しも押されもせぬ最強の兵種だ。地球においても、歩兵革命までは、騎士一人は雑兵十人分としてカウントされていたのだ。


「それにしても、広いなぁ……」


 僕は空堀から視線を右に向ける。そこには、長閑な農村が広がっており、その奥に森があるのも見える。

 タヴァレスタットの城郭外を大別するなら、三つに分けられる。拓けている平野だが、浜風が強くあまり農業に向かない北部。岬の中心部であり、タヴァレスタットの食糧を支える農村部である北東。最後に、鬱蒼とした森林分が大部分を占め、その中心を切り拓いて道を通した東部となる。

 これだけ広いと、敵が攻めてくる方向が絞れない……。

 単純に帝国方面を警戒するなら、このまま北部を固めればいい。だが、王国方面の兵と合流する事も考えれば、北東から攻めてくる可能性だってある。なんなら、多少時間はかかるが、こちらの不意をつく為に、あえて東部の森林地帯を進軍してくる可能性だってある。……面倒な。


「タ、タチヴァーナ様ぁ!」

「ル、ルーダン、さん……」


 とてとてといった雰囲気で、その丸っこい体を揺らしながら、協力者の一人であるルーダン・ノッコさんが駆けてきた。

 この人……、やたら僕に構いたがるのだ。いや、僕としてもアルノルドさんとかランドさんみたいな、いかにもやり手のイケメン社会人みたいな人より、気のいい近所のおじさん的なこの人の方が、接しやすいんだけど。無論、あくまでも他の二人と比べればであり、実際に相対せば……。


「いやぁ、本日はお日柄もよく、タチヴァーナ様もご機嫌麗しゅうございますね」

「……どうも……」


 この程度のコミュちからである……。だが、当然ながら僕のコミュ力はゴミでも、ルーダンさんはそうではない。というか、僕が勝手に近所のおじさん扱いしているだけで、この人はこんな見た目だけどすごい人なのだ。帝国と、大陸南西の半島と諸島郡を繋ぐ、カニバサミの内側、通称三日月海域の水運に強力な影響力を有している。さらには、タヴァレスタットを中継とした大陸東部との交易にも、かなり大規模に食い込んでいる運輸の巨人なのだ。


「……ノッコ殿も、ご機嫌そうですね……?」

「はっはっは! タチヴァーナ様、私めの事はルーダンと呼び捨ててくれて結構ですぞ?」


 毎回そう言ってくれるし、だからルーダンさんとは呼んでいるけど、いいのかなぁ……。この人、大企業の社長どころか、なんとかグループの会長クラスのお偉いさんなんだけど……。


「とまぁ、いつものやり取りはこの辺りで。届きましたぞ!」

「おおっ!」


 ルーダンさんの言葉に、僕はついつい歓声をあげてしまう。火山の多い地域から、ほとんど捨て値に近い値段で、凝灰石と石灰を集めてもらったのだ。これこそが、ローマンコンクリートの原料である。残念ながらと言っていいのか、タヴァレスタットの近郊には火山はない。おかげで地震もほとんどないのだが、その分ローマのようにべスピオス火山から持ってくるというわけにはいかなかったのだ。


「……あ、相手方には、ちゃんと?」

「ふふふ……。勿論、各地の火山灰から化粧品を作る研究用、と伝えてあります」

「ふふっ……」

「ふふふ……」


 二人して、悪い顔で笑っている。

 現状、凝灰石と石灰なんて二束三文もいいところだ。下手すりゃ、ただの石ころ扱いかも。売れるなら大喜びで売ってくれるだろう。問題は輸送だが、そこはノッコ商船組合の船団の出番だ。

 勿論、嘘なんていずれバレる。だが、そうなったときはそうなったときだ。それまでは、せいぜい買い叩かせてもらおう。それに、本当に石鹸を作ってしまえば、完全に嘘にはならない。ついでに、衛生的にもいい。

 内陸において公衆衛生がどうなっているかは、まだ怖くて聞けていない。中世と聞いて、現代人であり日本人である僕が真っ先に恐れるのは、やはり不衛生だ。

 暗黒中世のなにが怖いって、排泄物は窓から捨て、体は洗わず、頭に小麦粉を振ってシラミを飼うような連中だ。勘弁してくれ……。

 石鹸は、きっと役に立ってくれる。絶対作る!

 ちなみに、タヴァレスタットは飲料用の水はともかく、シロロー川という水資源に恵まれている事と、沿岸地域という事で衛生観念はそれ程悪くない。魚がすぐ悪くなるからというのと、生魚の匂いを消す為に頻繁に行水をするし、街は清潔を保っている。農村部に需要がある為に排泄物は汲み取りだし、貴族がいないからシラミを飼っている貴婦人もいない。

 ふぅ……。話を戻そう。


「……人足たちの俸給は、あ、あなたたち、の、お金からでています……。あ、ありがとう、ございます……」

「なんと勿体ない!! そのお言葉だけでこのルーダン! いくらでもご支援しようという気になりますぞ!」


 もういい加減、この人には僕の化けの皮の裏側が見えていると思うんだけどなぁ。なんだって、まだ天使扱いされてんだか……。


「……あの……。……あの人たちに、ご飯を食べさせるお店、とか出せませんか?」

「む、むぅ……? まぁ、飯屋くらいならば、どうとでもなるでしょうが……」

「……税金はナシ、です。こ、ここは、壁外ですから……」

「ほぅ! なるほど、それは道理ですな! 壁内であれば街の法に従わねばなりませんが、ここはそうではない! いやはや、道理も道理」

「で、でもそれは、その……、アルナッツ商会やゴア商会だけ、です。そ、そして、そこに商品を納入できるのが……」

「我ら商船組合の口利きのある商人のみ、という事ですな……? いやはや、タチヴァーナ様は戦術だけでなく、商売にも造詣が深いようで。極力、我らの資金を外に流出させぬ、という事ですな?」


 こくりと、僕はルーダンさんに頷き返す。

 ルーダンさん、ランドさん、アルノルドさんの出資で、人足たちに給金を支払う。その人足たちがお金を使う場所を、三人に用意させる。すると、三人と人足の間をお金が一回りするだけで、作業の成果が残るのだ。しかも無税。お上に上前をはねられる事もないから、ロスは最小限に収まるといった寸法だ。

 いうなら、ただ垂れ流すだけだと思っていた蛇口の下に、バケツを用意して水を回収するようなものだ。全ての水を回収するのは無理でも、ある程度を取り戻すのは不可能ではない。

 勿論、こんなのは机上の空論。理論上の効率性と、実用としての性能が乖離してしまう、スターリングエンジンのようなものだ。材料費や人足以外の人件費といった多くの摩擦によって、資金というエネルギーはロスしてしまうだろう。

 だが、そもそも回収する事を想定していなかった資金を回収でき、小規模ながら独占的な市場を形成できるという利点は大きい。狭い範囲で、大量の資金を高速で回せれば、擬似的な超好景気を演出できる。


「……たぶん、介入してこようとする者は、で、でてくると思います……」

「でしょうなぁ。金遣いの荒くなる人足たちを目当てに、落ちた果実に群がる蟻のように出てくるでしょう。我々が育てた果実だというのに……」

「……ふふっ」


 僕がおかしそうに笑い声を漏らしたのを、ルーダンさんが心底驚いた表情で見てきた。まぁ、アラナイさん相手でもないと、緊張でそれどころじゃないしな。


「……ちょ、ちょうどいい、です。きちんとお財布を持参で来てくれる分には、蹴り出す必要などないでしょう。その方々からは、きちんと税も徴収するのですから」

「その分割安な、我々よりも利益を得にくい、という寸法ですな!」


 むしろ、流れる川の水が増えた事によって、三人の得られる利益は大きくなるかもしれない。まぁ、それは努力次第か。


「ちょ、徴税するといっても、街の中より低い税率で、です……」

「入市税や諸々を加味して考えれば、ものによってはわざわざタヴァレスタット内で商売する必要はない、ですかな? しかしそれでは、他の商会に恨まれてしまうのでは?」

「で、ですから、ここに介入する為、ル、ルーダンさんや他の二人の口利きが必要、なのです……」


 間口が狭まれば、それだけで参入障壁になる。下手に群がられると、収拾がつけられなくなるからな。そうなると、引きどきを見極められない者も出てくるだろう。損をする人が多くなると、それはそれで困る。


「ふぅむ! なるほどなるほど! それに、規模がタヴァレスタットより大きくなるという事もありませんしな! おもしろい! やってみましょう!」


 ただでさえ影響力のあるノッコ商船組合やアルナッツ商会の影響力は強まるだろう。ゴア商会は、どちらかといえば街の内部に影響力の強い商会だが、そちらの参入がないとも思えない。やや職掌の範囲外だろうが、露天商や屋台の店主などはこぞってゴア商会の門を叩くだろう。

 おっと、まだまだこれは狸の皮算用だった。まぁ、失敗したところで、人足たちの腹が満たせれば、仕事の効率は高まる。僕としては、それだけで十分ともいえる。


 最終的に帝国が攻めてきて、全てが御破算になるまでの儚いバブルだ。商人たちは精々、短い書き入れどきに浮かれてくれ。




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