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陰キャ男子の異世界戦記  作者: 伊佐治 あじ斎
一章 天使降臨、悪魔君臨
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一章 一話 嚇怒〈1〉

 〈1〉


 真っ赤な咆哮が上がる。

 それはさながら、手負いの獣の雄叫び。長く、力強く、しかしどこか寂しげに。一匹の復讐鬼が咆哮を上げる。


「見たか! これが、アタシたちの力だッ!!」


 鮮やかなオレンジ色の髪を振り乱し、女は天に向かって叫び続けていた。


「見たか、帝国よ! 見たか、同胞たちよ! 見たか、神々よッ!! アタシたちの姿を! アタシたちの戦いぶりを! 志を!! 魂を!! 敵は戦け! 同胞は続けッ! そして、神々よ! もしこの戦いをご照覧あらば、そしてもし些かなりとも我等が志をお認めいただけたのならば、切に願い(たてまつ)る!!」


 常ならば、その鮮やかな赤毛は燦燦と降り注ぐ陽光の下で、さらに美しい輝きを放っただろう。しかし今、本来ならば美しかったはずの女の髪は、血泥に汚されていた。

 女の周囲には、幾体もの(むくろ)が横たわっている。その亡骸を大別するなら、二種類に分けられた。統一された重装鎧に身を包んだ死体と、平服に雑多な革鎧を身に着けた死体。そのどれもが酷い有様であり、そして当然ながら全員死んでいた。

 そんな死のなかにあって、決然と仁王立ちしながら、女は叫ぶ。




「呪いあれ!!」




 神に願うにはあまりにも無作法に、そしてそれ以上に不穏当な願いを口にする。


「ああ、呪いあれ! 呪いあれ!! 帝国に呪いあれ――がふッ――げほッ――」


 願いを奏上する途中で、彼女は大きく咳き込み、喀血した。無数の亡骸のなかで、これまで唯一立っていた女が膝をつく。今の今まで、まるで勝者のように咆哮を上げていた彼女は、同じ口から(おびただ)しい量の血を吐き出して、(くずお)れた。

 血臭と死臭が漂う死者の園にあって、唯一生命活動を維持していた女。しかし、その姿は斃れているどの死者よりも、酷い有様であった。


「エホッ――ガハ――ゲホ――」


 えずくたびに喀血し、足元の地面を真っ赤に染め上げる。ようやくこみ上げてくる物がなくなった事で一息吐いた彼女は、その事に安堵し、再び天を仰ぐ。しかし流石に、これ以上叫び続けられるような力は残っておらず、悔しげに天を睨み、歯を食いしばった。

 普段は健康的な小麦色の肌には血の気がなく、土気色といった有り様になった顔は、ゆっくりと俯いていく。足元に視線が落ちれば、そこの惨状が目に付く。大きめの(たらい)にも収まりきらないであろう、大量の血液。そのほとんどが自分から流れた物かと思うと、ゾッとすると同時に呆れてしまう。これだけ血を流して、よくもまぁまだ生きているものだと。

 地面に流れた血潮から、命の温かさが失われる代わりに、むわりとした生臭さが立ち昇り、肌を撫でる。常であれば不快に感じるそれも、血液が失われ、冷えた体には存外気持ちのいいものだった。

 これまで自分を支えてきてくれた足を見れば、右足には槍が、左足には短剣が二本も突き刺さっている。他にも、張りのある両足には無数の傷が残り、今もだくだくと血が流れ続けている。自慢の脚線美は、どうやら墓に持ってはいけないらしい。


「……へへっ、なんつってな……」


 苦笑して、弱々しく吐き捨てた女が、額から垂れる血を拭おうとして気付く。

 そういえば、右腕は最後の帝国兵を倒した際に、持っていかれたのだった。地面に倒れている鎧の兵士を見てから、自分の右腕を見る。

 二の腕の半ばから先がなくなったそこからは、未だ鮮血が流れ続けている。兵士の死体の傍らには、先程まで自分の物だった腕が、剣を把持したまま転がっていた。

 左腕を見れば、これまで敵の攻撃を防いできたせいで、切り裂かれ、潰され、焼かれと、もはやまともに動かせるはずもない状態だ。ほとんど、腕という原形すらとどめていない。盾がなくなってからは、敵の剣や槍、魔術といった攻撃を、この左腕一本で防いできたのだ。むしろ、未だ肩から繋がっている事の方が、驚嘆に値するともいえた。

 そんな状態で、剣を握った右腕を切り落とされてもなお、最後の一人の喉笛を噛みちぎれたのは、彼女のあくなき闘争心の賜物だろう。倒れている騎士も、驚愕とも呆気ともつかないような表情を浮かべてこと切れている。

 しかし、その当然の代価として、彼女の肉体は急速に死へと向かっていた。

 とうとう膝立ちの姿勢すら維持できなくなった女の上体がぐらりと揺れる。だが、ガチャガチャという金属的な音が、彼女に倒れる事すら許さなかった。


「うがぁ……、クッソ(いて)ぇ……」


 今、女の体を支えているのは、女の力ではない。女の腹部を貫いていた三本の槍が地面につき立つようにして、その体を支える柱と化しているのである。女が身じろぎするたびに、その無数の槍が揺れ、けたたましい音をがなりたてた。

 満身創痍という言葉すら生易しい、ある種恐怖や悍ましさを体現するオブジェと化した女は、俯いたまま口を開く。


「ああ……、……流石に、ここまでかぁ……」


 諦観の滲む女の声が、弱々しくこぼれる。生者のいなくなったその場に、か細い声は意外と大きく響いた。

 彼女は静かに目を瞑ると、自分のこれまでの人生を振り返る――と、歯を食いしばり、力強く目を見開いた。先程までの、弱々しさなどそこにはない。映像を巻き戻すかのように、ギラギラと強い感情が滾る瞳を輝かせ、俯いていた顔を――どこにそんな力が残っていたのか、持ち上げて強く歯を食いしばった。

 まるで、今からもう一度戦えるとでも言わんばかりに、その瞳には気力が漲っていた。

 何人もの帝国兵を殺した女。多くの敵を倒し、多くの仲間が倒れ、そして今、自らも死の淵に瀕している彼女。しかし、彼女はこれっぽっちも満足はしていなかった。否。満足どころか、今女の内心に渦巻いているのは、不満のみである。

 帝国という名の理不尽に対する、憤怒という不満。なぜ神々は、この不条理を看過するのかという、絶望という不満。そして、どうして自分にはこの理不尽を覆せるだけの力がないのかという、無力感という不満。そういった不満によって、彼女の内心は埋め尽くされていた。

 目を瞑ると思い出す。

 自分を育んでくれた両親、街の人々、友人たち。多くの顔。だがそれは、決して走馬燈などではない。そのような、穏やかなものではあり得ない。彼等の笑顔が浮かんだ次の瞬間には、彼等の死に顔が浮かぶ。

 苦悶の表情。恐怖の表情。絶望の表情。

 女の人生の半分は、穏やかで優しかった彼等の笑顔に彩られていた。しかし、後半は正反対の絶望に塗り潰された。今は、大切だった者たちのその笑顔を思い出すたびに、彼等の死に顔までもが浮かぶ。その度に、女は自分の人生がそっくりそのまま、台無しにされたように思えてしまう。

 だからこそ、女はその絶望を吐き出した。この惨状は、タールのように真っ黒に汚濁した、女の人生を吐露した跡でった。

 彼女の顔からは、先程までの諦めや呆れは消え、怒りという唯一つの感情だけが窺える。


「あ――あぁあぁあああぁぁぁああッ! クソ、クソ、クソォ!」


 その身に宿る微かな生命力すら燃やし尽くす勢いで、彼女は再び咆哮する。もはやそこには、死の淵に瀕した女はどこにもいない。いるのは、憎悪に身を焼かれる、一匹の復讐鬼。憤怒に燃えるその目は、真っ青な天へと向けられる。そして、再び血反吐混じりの真っ赤な雄叫びが上がる。


「神々よッ! どうか、どうか聞き届けたまえ! 帝国に絶望を! 帝国に滅亡を! 背徳と悪逆に染まりし、帝国民という名の悪魔どもに鉄槌を! その元凶たる皇帝に、絶えぬ苦痛と不可避の死をッ!! ああッ、呪いあれ! 呪いあれ! 帝国に呪いあれ!!」


 怨嗟の絶叫が、周囲に響き渡った。……だが、その行為に、意味などない。女にとってすら、それは胸の内に蟠っている不満を吐き出しているだけの、いわば負け惜しみでしかない。

 ここで彼女とその仲間が、多少の帝国兵を倒せたからといって、それがなんになるというのか。彼等が全滅を覚悟してまで殺した三〇人余りの帝国兵が、その大元たる帝国にとってどれだけの痛痒になる。三〇人の兵を殺されたのなら、五〇人の兵士が補充される。一〇〇人の兵士を殺されたならば、五〇〇人の兵士を補充する。それが、帝国という国だ。

 あまりにも巨大な敵である。もとより、ただの鍛冶師の娘でしかない女が、仲間と合わせて十七人程度でどうこうできるような相手ではなかった。


 それでも、彼女は立った。帝国の暴虐と圧政に、家族と仲間の理不尽な死に、反逆した。


 勝利の目など、最初からない。生還など、元より考慮の埒外である。

 志を同じくした者と一緒に、死を当然のものとした、決死の反逆を敢行し、その成果がこの三〇人の帝国兵の骸である。ただの町人十七人が挙げた戦果と考えれば、なんとも誇らしく、しかし帝国全体で見ればなんともちっぽけな成果であろうか。

 だからこれは――これらの行為は、女とその仲間たちによる、負け惜しみだったのだ。不満の吐露であったのだ。この戦いそのものが、ただの咆哮だったのだ。力なき弱き民草にできる、精一杯の意思表示であり、唯一の政治手段が、この武装蜂起だった。そしてそれは、こうして彼女が死に臨んでいる時点で、ほとんど終わったのである。

 唯一できる事をやりきり、それでもほとんどなにも成し遂げられなかったからこそ、女は憤怒を糧に神々に希っているのだ。人事を尽くした結果、天命に縋っているのである。それしかできないから。

 幸福など一切合切いらない、穏やかな死など願い下げだと言わんばかりに、その代償として仇敵の絶望と死を望み、まるで無尽蔵であるかのように呪いと怨嗟を吐き出す。

 しかし、彼女は所詮町娘だった。いつの時代も、為政者の都合に振り回される、哀れな民草でしかない。神に祈ったところで、普通はなにも起こる事なく、彼女の命は潰え、歴史の波に呑まれて消えるしかなかった。


――その、はずだった。


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