イオリの手紙
ロコー家に大蜘蛛の襲撃があって数日後
アンナはそれまで自分が世話をしていた主の部屋を整理していた。
毎日出入りをしていたはずの部屋だというのに、全く知らない部屋の様に感じる。
イオリ坊っちゃんが魔族に魂を売ったなどと誰が信じられるというのか。
しかし勇者の予言通りに事は運び、状況としては全く言い訳できなくなってしまっていた。
ロコー家でイオリ坊っちゃんが浮いていたのは家族のせいでは無い。
坊っちゃん自身が規格外過ぎたのだ。
年長者としての面目がある以上、墓穴を掘らないように遠巻きにしていた、ただそれだけの事だ。
もし、イオリ坊っちゃんの情報が家臣や領民に知れればそれだけで分断を生む。
優秀さも、水魔法しか使えないという欠点も、どちらも簡単に公表できるものではなかった。
それ故家族とは疎遠になってしまった。
とは言え、それを気にしている素振りなど無かったというのに、それが原因で魔族などとコンタクトをとろう等と考えるだろうか?
…いけないいけない。
ついつい考え込んでしまって、片付けの手が止まってしまう。
私一人だけが悲しんでいるのではないのだから。
そんな時にふと目に入ったのが、クローゼットの外に無造作に掛けてある作業着だ。
当然の事だが、普通貴族の子女は作業着など着ない。
坊っちゃんは様々な変革をロコー領に齎した。
その第一号がこの作業着だ。
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「アンナ!凄いものを近所で見つけたぞ!」
「まぁイオリ坊っちゃん、そんな泥だらけになって…その汚い草はなんです?」
「これはタデアイだ!これで藍染めができる!…って何かの本に書いてた!」
「ロコー領は染め物は産業なっておりませんが?」
「僕もどこで読んだかは覚えてないんだ!でもこれは良いものだよ!」
「随分興奮されてますね。」
「そ、そんな事はないよ!とりあえずやってみよう!」
言われるままに染め物の実験に付き合わされてしまった。
まさか、あんなに強烈な臭いの元で作業するとは思っていなかったけれど、完成した染料で染め上がった生地は鮮やかな紺色に染まった。
「これがアイゾメというものですか。」
「そうだよ、僕も若い頃に染め物が趣味でーなんて事は無かったけど、本に書いてあったよ。」
「若い頃?」
「この染め物はね!生地が丈夫になるし、虫除けの効果もあるしでとっても高性能なんだよ!だから外で作業する人にはもってこいの染め物なんだ!」
「それはすごいですね。」
「だからねアンナ、この生地で僕の作業着を作ってきてほしいんだ。成長期だし、オーバーオールみたいな奴が良いかな。」
「おーばーおーる?」
「あー、ズボンを長めに作って、紐で肩から下げるんだ。絵に書くとこんな感じ、作業用にポケットもたくさんつければ尚便利かな。」
「なるほど、これなら体が大きくなっていっても調整しながら使えるのですね。」
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この肩掛けズボンは農産者や鉱山などの民衆に大好評で、藍染め共々ロコー領の一大産業になっていった。
その作業着を手に取ろうとした時、作業着の胸ポケットに比較的新しい紙が入っている事に気付いた。
開いてみると、なんとイオリ坊っちゃんから自分への手紙だった。
『しんあいなる従者アンナへ
んー、どこから話すべきか迷うんだけど
だれにも言わないでほしい。
ふと気付いてしまったんだ。
りっぱなロコー家の息子には相応しくないって
でも僕は誰も恨んではいない。
たとえ学園に行っても無駄さ。
びっくりする位、僕には才能が無いからね。
にっこりしてるアンナが心の支えだった。
でも、もう限界だ。
また生まれ変わる事ができたら、次はもっと
すてきな男になって来るからね。』
こんな、支離滅裂な言葉遣いになってしまう程精神的に衰弱していたなんて…
それに自分は欠片も気付けなかったというの?
自問自答している内に、自然と涙が溢れて来た。
手紙を胸に抱きしめ、アンナは声を押し殺して泣いた。
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