三
「姫様のお相手は、萌黄郷の当主の弟君だとさ」
由ノ進に打ち明けてからも、ユキの頭はあの神秘的な瞳のことでいっぱいだった。頭の中から追い払おうとしても、姫君の話題でもちきりの郷守連中の中にいては、どだい無理な話である。
萌黄郷は、夕月郷と川を挟んで反対側にある同盟郷である。夕月郷には同盟郷が複数あるが、その中でも最も結びつきの強い郷が萌黄郷だ。それには萌黄郷の成り立ちが大きく関わっている。
その昔、月守家当主四代目の治世、“郷の花” を狙う不届き者が現れた。その者は自らを「黒夜叉」と名乗り、郷を枯らして夕月郷の領地を奪おうとしたが、当時の刀守随一の剣豪によって討たれた。
その戦いで功績を収めた刀守に褒美として川向こうの領地を分け、その地を萌黄郷と名付けた。さらに、この時助けられた姫と刀守が結婚し、冬守という名を与えられた。これが萌黄郷当主、冬守家の始まりとされている。
「冬守の若ってことは、年の頃は確か姫様より五つほど上だったはずだ」
「あそこは祖が刀守だからな、武芸に秀でたお方だろうな」
「それなら、我らが姫様のお相手として申し分ないな!」
見ず知らずの未来の婿君を、あれやこれやと好き勝手言い放題だ。相も変わらず、鍛錬よりおしゃべりに熱心な郷守たちである。
「まったく、あいつら何をやってるんだか。おいユキ、打ち込みやるぞ」
珍しく稽古に熱心な平七と共に、ユキも頭の中を真っ白にすべく竹刀を振るう。何故か平七は、結構面倒見が良く、武術の心得がないユキに対し手取り足取り教えてくれる。平七が屋敷の外の見回り番でいない時は、由ノ進が剣術を指南してくれた。その甲斐あって、郷守になりたての頃と比べると、ユキの腕前はずいぶん上達した。
「アニキ、おいらやっぱり弓より剣の方が好きだな」
「けっ、すこうし腕が立つようになったからって調子に乗るなよ」
鍛錬と、見回りと、時々おしゃべり。小さな村で家族と暮らしていた頃に比べると、ユキの日常は随分変わってしまったが、気の良い兄貴分たちに囲まれたこの生活を、ユキはそれなりに気に入っていた。