二
近く姫君が婚礼の儀を挙げるらしい、という噂が郷守連中の間で広まった。
先だってその姿を目撃した郷守たちにとって、あれ以来姫君は『顔も見たことのない存在』から『顔は見たことのない存在』へと若干変わり、それなりに身近に感じていただけに、少なからず落ち込んでいた。
「このあいだ姫様が奥屋敷から出てきたのは、婚礼について殿と話をするためだったって話だ」
「郷の花が、誰かのものになっちまうのか」
「ぬかせ。前々から婚約は決まっていただろうが」
誰かが姫君の話題を出す度に、ユキはあの時見た美しい瞳を思い出し、体温が上昇していくのを感じていた。
その熱を払うかのように竹刀を振ってみたが、忘れようとすればするほど、あの一瞬のまなざしがユキを捕らえて離さないのだった。
「なあ、由さん」
「どうした?」
打ち込み稽古を終え、周りに人がいないのを確認してから、ユキはそっと話しかけた。
「由さんは、誰かのことで頭がいっぱいになって、顔が熱くなったり、心臓がどっくどくしたり、そういうのあるのかなと思って」
てっきり剣術の相談かと思いきや、意外過ぎる質問に面食らったのであろう。もじもじする質問者を前に、由ノ進は持っていた竹刀を取りこぼしそうになった。
「な、なんでまた。誰か好いた相手でもできたのか?」
「そういうのとは少し違うんだけんど。その……由さんは女の人に目がないって平七のアニキが言ってたからさ。三夏村の美人とも仲良しだって。それに、前に皆で姫様を見に行ったことがあっただろ?そのときも張り切っていたし。おいらも、出遅れたけどあの場にいたんだ。身体が小さいから、皆の足元を潜り抜けて、生け垣の一番前まで行ったんだ」
要領を得ない話にも嫌な顔を見せず、一生懸命言葉を絞り出すように話す少年の肩にそっと手を置き、優しく続きを促す。
「そんなこともあったな。残念ながら、姫様の顔は見られなかったが」
「あのとき、鍛錬場に戻る前に……おいら、偶然なんだけんど……」
もじもじ少年は意を決したか、こぶしを袖ごとぎゅっと掴む。
「ひ、姫様と目が合ったんだ」
「なんと!それはそれは……。羨ましい限りだな」
由ノ進は心底羨ましいと悔しがってみせるも、当の本人は自慢する風でもなく、顔を赤らめて自分を見上げていた。
「もしや、先ほどの問いは……姫様のことなのか!?」
困惑しながら頷くユキに対し、流石の由ノ進も二の句を継ぐことはできなかった。