三
生け垣の向こう側で息をひそめる男たちの中に、ユキも混じっていた。
「なんでえ、やたら長い布をひっかぶって顔を隠していなさる。あれじゃ顔が見えねえ」
「いや、頭巾越しでもわかるぞ。相当な美人に違えねえ」
「あれが “風仁” ですかい? いかにも武人って感じの屈強な男でさ」
「やはり姫の素顔を拝顔するには刀守になるより他はないか」
「しかし一体ぇ、姫様は何のために奥屋敷からおいでなすったんでしょうな」
忍ぶ男たちは、ひそひそと、しかし興奮を抑えられぬ様子で囁きあう。
「おい、ユキ! おめえは小っこいんだからもっと前に行かねえと見えねえだろ。行くぞ」
(自分が前に行きたいだけだろうよ、アニキ)
心の中でため息をつきながら、ユキは平七に引っ張られるがまま前に進んだ。
「おい、見えたか」
地面に這いつくばりながら強引に男たちの波をかき分け、ユキはなんとか最前列にたどり着いた。腰の痛みに顔をしかめながら腕の力で上体を起こし、そっと生け垣の隙間から向こう側を覗いてみる。一方の平七は、静かながらも興奮状態にある男たちにもみくちゃにされ体は思うように進まず、首だけ伸ばした状態でユキの肩に顔を乗せている。
二人の視線の先には、殿が住まう屋敷の庭と、姫の住まう奥屋敷をつなぐ渡り廊下があった。
数人の男たちに囲まれながら、若竹色の長い布を頭から被った姫装束が歩いている。
「先頭の男、たしか半年前に刀守になったばかりのやつだ。実力はたいしたことないが、世渡りのうまさで由さんを差し置いて昇進したやつだからようく覚えてる。真ん中の頭巾が姫でそのすぐ後ろについている大男が剣役だな。ちっ、肝心の顔が見えねえ」
耳元で話す平七の声は、しかしユキに届いていなかった。
(あれが、郷の花……)
いなくなると郷が枯れるとまで言われている、郷の象徴。一生かかってもお目にかかることはないであろう存在が、今自分の瞳に映っている。生け垣越しの、なんとも不格好な体勢をしながらではあるが。
「頭巾をひっかぶって下を向いているんじゃ、望みはねえな。戻るか」
深窓の姫君の素顔が見えないとわかるやいなや、潔く諦めた男たちはぞろぞろと鍛錬場の方へ歩き出した。ユキは、自分の上に乗っかっている男(というよりユキが下から這い出たわけだが)が動き出すまで地面に伏している格好だ。
ユキを残し、ほとんどの男たちが生け垣に背を向けた。ユキもそろそろと起き上がる。
その時、庭の隅に植えてある桜の木の枝に止まっていた二羽の小鳥が、姫君たちのそばをさえずりながら飛び回りだした。小鳥たちの歌声に気を取られふと顔を上げた姫君、ようやく立ち上がり前を向いたユキ、二人の時が重なった。
(蒼いお月様だ……)
目が合った、と自覚したときにはすでにもう、姫君は再び若竹色の中に顔を隠してしまっていた。
「おいどうした、戻るぞ」
ユキはというと、一瞬だけ見えた姫君の瞳に心を奪われ、平七に腕をつかまれるまでその場に立ち尽くしていた。