一
真昼の月は空に溶け込むように白い。
「いいかユキ、隙を見せるなよ。矢をつがえるときは狙われやすいんだ」
「おいらやっぱり矢はむいてないと思うんですよ、平七のアニキ」
「なあにが『矢はむいてない』だ。剣術だってからっきしのくせに」
ここは常春の地、夕月郷。どうやら弓も剣も残念な弟分に、兄貴分が指導しているようだ。
「それを言われちゃあなあ。でも、<刀守>になるには弓矢より剣の腕を磨いた方が――」
「なんだお前、刀守になりてえのか」
あの日、村を焼かれ追われた少年ユキは、この平七という男に保護された。
平七は夕月郷を治める月守一族に仕えており、一族が住まわれる郷屋敷で働いている。親切にも、平七が身寄りのなくなったユキもこの屋敷で働けるよう口利きしてくれたおかげで、ユキは<郷守>という役目を戴いた。
この郷守は、殿に仕える家臣の一番下位の者たちのことを指す。殿の住まわれる屋敷内に四百人ほど、外にはおよそ二千人いるという。村々に配置された郷守を管理し、夕月郷領内の統治を執り行い、殿に直接お目通りできるのが更に上の<刀守>という役職だ。
「まずはこの俺より強くならねえとな。まあ、先に刀守になってお前をこき使ってやらあ」
「よく言うぜアニキ、今でも十分こき使われてらあ」
「こいつ、恩人に向かって生意気な!」
あの夜ユキが顔を上げて見た月は、平七の装束に縫い込まれた月の紋章だった。夕月郷のお侍が助けに来てくれた、その時の安堵と感動は忘れられないものになった。
だから今、月の紋章をその身に着けていられることが何より誇らしいのだ。
「おいら、いつか刀守になって、お殿様に会ってみたいんだ。郷守止まりじゃあ、お仕えする月守一族の方々の顔は見られねえ。殿ってどんなお方なのかな」
「殿より姫の顔が見てみてえな、俺は。なんせ姫は“郷の花”だからな。こんな言い方したら不敬かもしれんが、ある意味殿より郷を支える存在ってやつさ」
(“郷の花”……そういえば、おっかあから聞いたことがある)
夕月郷では、姫は郷にとって“郷の花”と呼ばれる象徴的な存在であり、代々大切に守られている。郷の花がいなくなると郷は枯れるといわれている。夕月郷が常春の平穏な地であるのは、郷の花の存在があってこそなのだと。
「お、お前も興味持ったか。やっぱ男だなあ。だが残念なことに、なかなか難しいだろうな」
うっすらと髭の生えた顎を撫でながら、思案顔で言葉を続ける。
「今、姫様に妹君はいないからな、郷の花はただ一人。それはそれは大切にお守りされているそうだ。刀守になったところで簡単には会えはしねえよ。まあ……<剣役>ともなれば別だが」
「剣役?」
「あぁ、知らねえのか? 姫をお守りするお役目のことさ。刀守の中から選ばれる、最も優れた剣豪だけが登りつめることのできる最高の地位だ」
夕月郷の家臣には三つの位が存在する。郷守、刀守、そして剣役。代々月守一族に仕える家の息子たちや、商人や百姓の中でも力に覚えのある男たちは、まず郷守を志す。そして郷守から刀守まで出世することが彼らの夢であるのだ。任務に励み殿からの信頼を得ることができれば、一族や同盟郷の娘を嫁にもらうこともある。
更に、刀守の中でも武芸や才知に長け忠誠心を高く評価された者は、郷の花たる姫をお守りする<剣役>に任命される。
「いいか、剣役ってのは誉れ高き男のことだ。姫の数だけ剣役がいる、ってえことはだ、今は一人しかいねえんだ。刀守の中で最強の男たあ、一体どんな猛者なんだか」
「なんだお前ら、昼間っからいやらしい話でもしてるんじゃあねえのか」
「!」
ふいに横から郷守仲間、もとい軽口仲間がわらわらと二人を囲みだした。
「いやあ、ユキのやつが刀守になりてえって言ってよ、そんで姫様に会いてえっていうもんだから笑ってたんでさ」
「おいらはお殿様に会いたいって言ったんだ!姫様に会いたがってるのはアニキでさあ」
ユキは顔を真っ赤にして対抗する。
「俺は顔も見たことがない姫より、気軽に会える郷娘の方がいいなあ」
狼狽するユキをよそに、長身の男が横から口をはさんできた。
「そういや、このあいだも三夏村の村小町と懇ろになったそうじゃねえか。あんな上玉をものにするたあ、さすが郷守一の女たらし、妬けるねえ!」
「女はいいぞ、可憐で柔らかくて……おっと、ユキにはまだ早かったな」
長身男にからかわれ、ユキの顔がますます赤くなる。
「こいつ、茹でた蛸みたいになってら!」