32話 演技力
今回のお話は、演劇部(映像部)らしい場面が出て来ます。役柄名も出て来るので、ややこしいと思いますが、設定上今後も出す予定です。
役柄名がないと、役人物の説明が余計に複雑になりそうで。その為に、下の名前(苗字なし)をつけました。
本格的演劇の練習が、始まっている。舞台で上演する通常の作品と、DVDにする為の撮影する映像作品の分である。
その2作は、出演するメンバーの役柄が多少異なっている為、私も偶に混乱してしまう。もう1つの作品の方の役を、実際に演じてしまった部員も、結構いた。
中等部の時は、多くて2か月に1回ほどの上演だったので、十分に練習時間が取れていた。その頃と比べると、短時間に2作品の本番がある為、かなりのハードっぷりである。
これも部費を稼ぐ為、延いては進学・就職に続く道にもなる為、部員全員が気合いを入れて頑張っている。学苑側からも、部費を運営するには十分な額が、支給されている。只、我が部の場合、高価な映像機材の導入もしたばかりで、完全な赤字であり、生徒会に借金をしているのが、現状である。
因みに、舞台で演じる作品は、婚約者のいる男子を好きになる、自分に自信のない女子が主役のお話である。
そのヒロイン=主役を、私が演じる。ヒロインの相手男子は、残念ながら北岡君ではなかった。今回の相手役は、木島君なのである。
では、夕月は何の役かと言えば、何と相手役の婚約者であり、意地悪高ビーなお嬢様の役ドコロであった。つまり、私とは恋のライバル。私、敵認定される訳なの。途轍もなく悲しい…。
夕月が女子の役を演じるのは、実に久方ぶりである。中等部では、北岡君以外の役柄でも、男装していたのよね。自分で望んだというより、観客側からのそういう要望が強すぎて…。
だから、本人にとっては、演じたことがない役柄は、遣り甲斐を感じている様子である。この分では、本番では何を言われるのか、想像もつかない。私、上手く合わせられるのかな?不安でしかない。
実のところ、夕月のセリフは、完全にははっきりと決定していない。こういう感じの会話を、為るべくこういう行動を、というぐらいでしか決まっていなくて、セリフも演技も本人次第である。
夕月の場合は、かなり特殊な例である。芝居が開始した瞬間に、役柄の人物に完全に成り変わってしまう。本人にも、事前に想像出来ない状態に、陥るのである。
お芝居が終了した後に、劇中で演じた自分の行動やセリフは、しっかりと覚えているようで。只単に、自分で在って自分ではない、という状態であり。
一種のトランス状態にあるらしい。
お芝居が始まる瞬間にスイッチが入り、また、お芝居が終了した瞬間にスイッチが切れる。別人格が降りた感じなのだと、本人は語っている。
私も他の部員達も、集中力を高めて行き、役柄の人物に成り切って、ただ演じているのとでは、訳が違う。
夕月の演技に合わせる行為は、夕月の演技に合わせた経験もあり、演技に慣れている私でも、かなり難しい時もある。演技中の夕月は、一切の妥協の余地がないのだから。また、全く内容の同じ芝居を繰り返したとしても、その場の雰囲気やその時の気分で、夕月のセリフと行動も変化してしまう。幾ら練習しても、本番とは異なるのだから、事前に対応を決めても意味がない。
本人は憑依のような状態なので、結果的に、私達演劇メンバーが合わせるしか、方法がないのである。しかし、只1人、夕月の即興の演技に対処出来る人が現れた。その救世主こそ、赤羽根部長であった。
部長の役は、夕月の演技に誰も反応出来ない場合に登場する、お助けキャラ。
部長は、元々監督係だから、舞台には上がらない予定であった。でも、初めて夕月が演技した際に、誰もが予期せぬ演技に、舞台上で誰も反応することが出来なかったのである。部員達が固まってしまい、観客がおかしいと気が付き始め…。
逸早く異変に気が付いた部長が、通りすがりの一般人を装って、舞台に上がってくれた。会話も即興で熟し、私達部員のフォローを、自ら買って出てくれた。
お陰で、観客にバレることなく、部員全員で無事演じ切ったのである。
それからは、自分達だけでも、何とか対応出来るようにはなってきたけれど…。
今回は、夕月にとっても、初めての役柄なのである。本当にどうなるかは、舞台に上がるまで誰も見当がつかない。…大丈夫だろうか?
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「京香さん。あなた、ご自分の立場が分かっていらっしゃるの?あの方は、私の許婚なのです。これ以上、近寄らないで下さいます?」
「小雪さん…、誤解です。私は、元々近づくつもりは…。」
「まあ、図々しい!開き直るおつもりね!」
「いいえ。私は決して、そんなつもりは…。」
私こと『京香』の返答に激高したらしい相手は、手を振り翳す。一瞬、顔を叩かれるかもと思って、ギュッと目を瞑ってしまった。でも、すぐに我に帰り、ハッとして目を開ける。
恐れてしまった、『小雪』さんを。恐る恐る顔を上げて、彼女の顔を覗き見る。
『小雪』さんは顔を顰めたまま、手を上げたまま状態をキープしていた。
まるで本来の人物が、「彼女に、手を上げてるな。」と命令しているみたいに。
彼女の瞳は、相変わらず私に敵意を向けているのが、よく分かる。お互いに、数秒は見つめ合っていただろうか。やがて、彼女は手を下ろす。
この瞬間を待っていたように、この場に第三者が現れる。そう、今話題になっていた許婚殿である。『小雪』さんから私の姿を隠すようにして、私の前に立つ。
「小雪。今、何をしていたの?彼女に何を話した?」
「いえ、何も。私が、瞬司さんの許婚とぐらいしか、お話しておりませんわ。」
「…。その許婚の話は、親同士が勝手に決めたことだ。俺は納得していないし、君のことは許婚だとも思っていない。」
「そんな!酷いですわ!私は、これ程までに思っておりますのに…。」
許婚殿『瞬司』の登場に、『小雪』さんは、先程までの憎々しい顔は消していた。そして、愛らしい顔を、『瞬司』君に一心に向けていたにも関わらず。『瞬司』君は、全く気にも留めようとしない。
それどころか、『瞬司』君は、自分の婚約者=彼女の言葉に、あからさまに顔を顰め、許婚自体が無効だと言い放つ。
『小雪』さんは、一転して悲しげな表情になった。許婚の心無い言葉に、酷く傷ついたような顔をして、涙をポロポロ流しながら、小走りで去って行く。後に残されたのは、私と『瞬司』君だけ。『瞬司』君は私の方に向き直って、「ごめん。」と呟くように話し掛けてくる。
私が「いいえ。大丈夫です。気にしないで下さい。」と答えれば、「…そうか。」と、少し悲しげに笑いかけてくる。
その姿に、私が見惚れたように見つめれば、『瞬司』君もジッと見つめてくる。
そして、お互いに笑顔になって、一緒に舞台袖まで歩いて行くのであった。
実は、これはお芝居の一場面に過ぎない。私は、ヒロイン『京香』を演じている。婚約者である彼女は、何とまさかの『夕月』だったりする。夕月は、ライバル役の『小雪』を演じている。泣くシーンなんてなかったのに、即興で涙を流して、観客の視線を釘付けにしていた。お見事である。
そして、私の相手役であり、夕月の許婚という役を演じたのは、木島君である。
流石、イケメン木島君ですわね。お見事ですわ!夕月の婚約者役として、アドリブに狼狽えることなく、冷静に対処しましたわ。流石に、モテる男子は違うのね。
木島君は、学苑トップ3に入っていると思われる。勿論、人気イケメン度の。
本来だったなら、彼がこの部員の中では1番モテる筈だと思う。
実際に学苑外では、かなりモテているご様子だもの。ふふっ。だから、今回のこの役はピッタリだと思うわ。
何かと自分の許婚である『瞬司』が、『京香』のことばかり気に掛けるので、気に食わなかったお嬢様である『小雪』が、ライバル宣言をする場面だった。
このライバル宣言を機にして、『瞬司』が『京香』と本格的な恋に落ちる、という場面でもあったりする。
親が決めた許婚とは言えど、婚約者と碌に話し合いもせず、婚約者の気持ちも組まず、ただ単に冷たく接する男子。その男子に婚約者がいるのに、恋仲になる少女。
『小雪』が哀れでならない。私には、『京香』の気が知れないですわ!
観客の女子達は、このシーンを、うっとり見つめていたようだけれど。
このように思うのは、私だけなのかしら?
でも、本来ならば、婚約者がいる方を、取ったりしませんことよ?
今時、親が決めた婚約者なんて、極一部の上流階級の方達ぐらいでしょうね。
舞台袖に引っ込むと、夕月はまだ『小雪』として厳しい表情をしている。現在舞台に出ている人物達を、無言で見つめている。一刻も早く、夕月に謝りたい。
演技中に一瞬とは言えど、怖がってごめんね、って。あの時は、本当の夕月ではないのよ。怖がらずに、平手打ちを受け入れれば、良かったのよ。
夕月に、あのような表情をさせたくなかった…。
多分、誰も気づかない、気づけないほどの表情だった。それでも、私には分かってしまう。伊達に、長い付き合いではない。夕月も一瞬、悲し気な瞳だったわ。
夕月が顔を顰めた時、私が目を瞑って怖がり、悲しかったに違いない。
観客から見れば、ヒロインの怯えた顔で躊躇して、自分の怒りを抑え込んだ、迫真の演技に見えた事だろう。
役の人物に成り変わっていたとは言え、いつでも私に優しい夕月は、お芝居中でも怖がらせた事で、自分自身が許せないと思うだろう。
人には優しく自分には厳しい、そういう人なのだから。
私は、そういう夕月だからこそ、心から謝りたいと思うのよ。
上演中の場面なので、出演者のセリフがありますが、よくある学園恋愛物語を題材にしています。服装などは記載していませんが、取り敢えず学苑の制服を着たり、私服を使用したりして、演じています。
また、上記人物以外も、脇役として演じています。アドリブありなので、単に『夕月』に合わせるだけではなく、皆も自分なりの演技方をして工夫しています。
脇役と言えど、この部には、俳優並みの演技力を持った人物が沢山いますので、結構本格的なんです。
『夕月』だけは、上演が終わるまでは憑依状態に近いですが、他の皆は舞台袖に戻った途端、一度リセットした状態です。
ですから、舞台袖で厳しい顔をしている『夕月』は、まだ登場人物に成り切った状態となります。なので、この状態の時には、誰も話し掛けません。
また他のメンバーも、他の人の演技を見ては自分も集中している状態で、誰も彼もお互いに話しをすることは殆どないでしょう。
以上、補足事項でした。機会があったら、本文に入れたいと思います。




