異世界で料理を作ると危険です!~鉱石女子のずぼら飯~
「……ポトフ、食べたかったな……」
寒々とした石造りの堅牢な倉庫の中に、ぐううと恨めしそうなお腹の音がやけに大きく響いた。
咄嗟に周りを見回したけど、どうやらここには私以外は誰もいないようだ。
私はほっと息を吐くと、再び目の前にある大きな水晶の塊に目を戻した。
目の前の台に置かれているのは、両腕に抱えるほどの大きさの見事な水晶のクラスターだ。
クラスターとは、水晶の母体となる石英の上にある結晶の集合体である。
今回の依頼品である乳白色から透明になるグラデーションが美しいクラスターは、長年ここアルマートの地を護ってきた大切な魔石だった。
だがいまその魔石は一部にひびが入り、欠け、折れた無残な姿を晒していた。
私はクラスターの下に落ちた水晶の欠片を手に取ると、パズルよろしく元の水晶に合わせて欠けた水晶を合わせていく。
やががてカチリとピースが嵌るように形が合うと、そこに接着剤の代わりに自分の魔力を流した。
こうして一時的に水晶を仮付して、その後水晶全体に『ヒール』をかける。すると水晶は完璧に元の姿に戻るのだ。
本来『ヒール』は無機物には効かない治癒魔法。だけど不思議な事に、私の『ヒール』は魔石にも治癒が有効なのだった。
私甘利智恵は、関東地方のとある都市に住むごく普通で地味な社会人だった。
唯一の趣味は鉱石収集。化石や鉱石の標本から宝石のルースまで守備範囲は広く、貴重な休日を石の展示会や近郊の川の石拾いに費やす。そう、私は自他ともに認める鉱石女子、いわゆる石オタクだったのだ。
石さえ眺めていれば幸せだった私に当然彼氏なんていう存在はいるはずもなく、仕事と石のイベント以外は食材の買い物すら億劫がるようなずぼら女子。
それがある日突然この魔法と冒険の世界にトリップしてしまったのは、今から約3年前の事である。
この異世界にきてまず驚いたのが、日常生活のありとあらゆる場面で使用される魔石と呼ばれる魔力を含む鉱石だった。
多種多様なクオーツ類に内包物が美しいオパール達。あのアゲートにうっすら光が見えるのは、もしかしてイリス入り!?
日本、いや地球では滅多に見る事のない稀少な石がそこかしこにごろごろしている夢のような環境に、私は狂喜乱舞した。
それから様々な紆余曲折を経て自分の不思議な力に気がついた私は、アマリという男の結界師として生きて行く道を選んだ。
結界師とは魔石と呼ばれる魔力の籠った石を用い、結界を張る職業である。
金貨や宝石の様な小物から建物や土地といった大物まで、使用する魔石と術師の力量によって結界の対象は様々だ。
私はその結界の範囲と強度、そして私が持つ特別な能力で、この世界ではではちょっと知られた結界師だった。
私が持つ特殊な能力、それこそがヒールを用いた石の修復だった。
広い倉庫で一人黙々と作業を続けいた私のお腹が、再び大きな音で鳴った。
「食べたかったなぁ……」
盛大に音を立てたお腹を宥める様に摩ると、私は恨めしく深く溜息を吐いた。
さっきからずっと私の頭の中占めているのは鍋一杯の温かなポトフ。
今回緊急を要する依頼だったため慌ただしく家を出てきてしまったけど、本当だったら私はお腹いっぱいポトフを食べていた筈なのだ。
何故なら依頼が舞い込んだその日、私は朝から得意料理のポトフを仕込んでいる真っ最中だったのだからーーーー。
ずぼら女子でもある私が作る料理で一番重要なのは、いかに手間をかけずに美味しい物が食べられるか、それに尽きる。その最たるものがポトフだ。
まずは寸胴にたっぷり水を入れてぶつ切りにした肉を投入。ふつふつと沸騰したらアクを取り、皮を剥いた人参と玉葱それからセロリを加えて弱火で放置する事約2時間。
肉が柔らかくなったらじゃが芋を加え、じゃが芋に火が通ったら塩と胡椒で味を整えて完成だ。
ポトフの良い所は鍋に材料を入れるだけでいい事と、色々なアレンジを楽しめる所だと思う。
初日はまずそのままのポトフを楽しむ。
大きなスープ皿にたっぷりよそってパンと一緒に。
翌日はパスタを足して、スープパスタ風に。
パリッと焼いたソーセージを贅沢にトッピングにするのも好きだし、味に飽きたらトマトを入れてもいい。ルーを足してホワイトシチューに変えるのも有りだし、リゾットにしても最高だ。
つまり大量に仕込めば1週間は色々なバリエーションのポトフを楽しむ事ができる上に、しばらくは食材の買い物に行く必要も夕飯のメニューに悩むこともないのだ。
ポトフって素晴らしい!
私は出来上がったポトフを小皿に掬った。
湯気のたつ透明なスープをふーふーと冷ましながら口に入れると、肉と野菜の旨味たっぷりの滋味溢れるスープが身体に染み込むのがわかる。
ああ美味しい……どうしよう、今食べちゃおうかな……。
でもこれは時間を置いた方が絶対美味しくなる奴。うん、ここはぐっと我慢して今日の夕飯にたっぷりと食べよう。
私はそう決めて寸胴の蓋を閉めたのだが、結果として私のこの時の判断は決定的に間違っていた。
何故ならこの後すぐに、私は出かけることになってしまったのだからーーーー。
私が所属するギルドから急を要する手紙が届いたのは、正にポトフを作り終えたその時だった。
魔法で形作られた鳥が窓から飛び込んでくると、鳥は手紙となって私の手の中に落ちた。
見ればアルマートの地にある領主館の魔石が損なわれたとある。一刻も早い対応を望むとの一文に、私は溜息を吐いた。
アルマートに行くのはいい。普段は滅多に拝めない領主館の魔石に会えるのだから、寧ろ大歓迎だ。
でも困るのが朝から煮込んでいたこの大量のポトフだ。
依頼を終えてここに戻って来るまで、少なく見積もっても1週間。
この世界冷蔵庫なんて便利なものはないし、ラノベの世界でよくある時間停止、無制限かつ何でも入るアイテムボックスみたいな素晴らしい物もない。
つまり今すぐこの1週間分のポトフを食べる事が出来なければ、これは全部捨てるしかないという事になる。……なんて勿体無い!
そして私は熟考の末、向かいに住む名も知らぬ住人にポトフを全て託す事にしたのだ。
住んでることは知っていても、今までロクに挨拶すらしたことのない相手だが、背に腹は変えられない。
私が住む長期滞在者用のフラットは、半年毎に契約できるバストイレキッチン付きの2LDKだ。
一月辺りの家賃は200ゴルド、日本円にして約4万円だ。それぞれの部屋の間取りも広く、しかも4万で2LDKが借りられるなんて、この世界の住宅事情は日本とは比べられないくらい恵まれてると思う。
だけど唯一のネックは半年分の家賃の一括前払い。多少の割引はあるけど、半年分1200ゴルドという金額は、その日暮らしの冒険者にはなかなか厳しいのだ。
その所為かどうかは定かではないが、ここに住む住民は数える程しかいないようだ。だから当然そこに心温まる住民同士の交流なんて素敵なものは存在しない。
諸事情で自分の性別や素性を隠している私には、ある意味とても好都合な住処だった。
ーーそう、私があの日ポトフを隣人にあげるまでは。
「あの、よかったらこれ貰っていただけませんか」
「……なんだお前は」
「ポトフです」
「ああ?」
「私のポトフ……」
「あ、ああ……?」
「ポトフ……」
「わ、わかった。とくかくこれを受け取ればいいんだな?」
あの日私は大量のポトフが入った鍋を向かいの部屋に住む住人に託し、泣く泣く依頼に出かけた。
だがもしあの日に戻れるものなら、私は自分にこう言ってやりたい。
躊躇するな。鍋一杯のポトフを捨てることなんて、己の身の安寧と比べればなんの比較にもならない。
異世界で餌付け、ダメ。ゼッタイ。と。
予定より時間がかかり、2週間ぶりにフラットに戻った私は、旅装もそのままにベッドに倒れこんだ。
アルマートの依頼はとにかく時間がかかり、普段引きこもりの生活をしている私には体力的にも精神的にもハードだった。
疲れた……そしてお腹すきすぎて気持ち悪い……もう私のライフはゼロ……
だがしかし今日の私には素晴らしい獲物があるのだ! なんと超高級食材ジャイアントバッファローのサーロインの塊が2キロ!
自分ではとてもだけど手が出せないこの高級肉は、今回の仕事が成功したお礼にとアルマートの領主から直々に贈られたのだ。
ぐふふ、これは全部焼いてローストバッファローにして食べるんだもんねー。
そうと決まったらこんな事してる場合じゃない。肉を焼くには時間がかかる。
私はベッドからむくりと起き上がると早速調理にとりかかった。
美味しい肉のローストを作るポイントは、とにかく肉を常温にしておくこと。ただそれだけ。
たったこれだけの注意でいざ食べようとしたら中は冷たく生焼けでした、なんてことは大抵回避できる。
まずはオーブンを高温に温めておく。それから肉をオーブン皿に乗せると上からたっぷりの塩と胡椒をかけ、しばらくそのまま放置して馴染ませる。
オーブンが温まったらまずは15分程高温で焼き、それから今度は低温にして30分程じっくり焼く。
あとはオーブンから取り出して30分、布を巻きつけ保温しながら放置しておけば完成なのだ。
ロースト良い所は味付けした肉をオーブンで焼けばいい事と、色々なアレンジを楽しめる所だと思う。
初日はまず肉そのものの味を楽しむ。
贅沢に1センチ、いや2センチ位に分厚くカットして、たっぷりとグレービーソースをかけて。
次の日は薄くスライスした肉をパンに挟んでサンドイッチに。いや、せっかくだから白いご飯を炊いて、メガ盛りローストバッファロー丼にするのもいいかもしれない。
切り落とした端はサラダに入れてもいいし、細かくして炒飯やリゾットの具にしても最高だ。
つまり塊りで肉を焼いておけば数日は色んな種類のロースト肉料理を楽しめるし、しばらくは食材の買い物に行く必要も夕飯のメニューに悩むこともないのだ。
肉のローストって素晴らしい!
しばらくするとオーブンから肉が焼けるいい匂いが漂い始めた。うう、堪らない!
今日はせっかくいい肉なんだから、付け合わせにせめてサラダくらい作ろうか。
私は窓際に植えてある鉢を取ると、植えてある葉をぶちぶちとちぎった。
これは鉱石採取に行った時に偶然見つけた食べられる野草だ。
採集してきた野草に根が付いていたのを幸いに、家にあった鉢に植えたのはここに住み始めてすぐのことだった。
さすがの生命力というかなんというか、野草は無事根付き、お陰で私は小さいながらも野草の自家菜園を持つことになったのだ。
たかが野草と侮ることなかれ。新鮮な野草の生えたての葉はとても柔らかくて美味しいのだ。
ちぎったベビーリーフをざっと洗ってサラダボウルにこれでもかという位大量に入れる。これでサラダの準備はお終い。
後は食べる直前に保管してある固いチーズをナイフで薄く削って、オイルと塩胡椒を軽く振ればいい。
サラダの準備が終わった所でちょうど肉が焼き上がった。
オーブンから肉を取り出して皿に移し、大きな布で上から幾重も肉を巻いて保温しておく。このまま放置しておけばあとは勝手に中まで熱が通る。
ここまでしたら後は30分ただ待つだけ。
この間に旅の埃を落とそうかと、私はシャワーを浴びる事にした。
……やばい、視界が回って嫌な汗が出てちかちかする。無理やり転移で帰ってきた所為で魔力を使いすぎたかもしれない。これは典型的な魔力切れの症状だ。……はやく何か食べないと……。
シャワーから出た私はふらふらしながらキッチンに行くと、震える手でロースト肉の塊にナイフを入れた。
まずは端を切り落として中の色を確認する。そしてその端を口に入れると途端に肉の旨味が口の中に広がった。
流石は高級食材ジャイアントバッファローのサーロイン。赤身に脂のさしが綺麗に入り、脂の甘さがじゅわっと舌で溶ける。
美味しい! むちゃくちゃ美味しいよこれ! 端っこでこの美味しさなんだから、分厚くカットしたらどれだけ美味しいか……!
私は2センチ位に肉を分厚く切ると、豪快に皿に載せる。それからさっき作っておいたサラダの上でチーズを削ってオイルと塩胡椒をふったら準備は完璧。後は食べるだけだ!
ああ、これでようやくご飯にありつける……! 椅子に座った私は深く安堵の息を吐くとナイフとフォークを手に取った。……という所でドアをノックする音が聞こえた。
私がここに住んでる事を知っているのは、この家を斡旋したギルドの職員だけ。
そしてこの世界でもぼっちでひきこもりの私に、仕事繋がりの知人はいるが友人はいない。だから訪ねてくる人間などいる筈がない。
ーーーー誰だ、私の食事の邪魔をする奴は。何人たりとも私の食事を妨げる奴は許さん!
私は数秒の熟考の後、その闖入者を無視する事にした。
今は目の前の肉が大事。そう、汁をたっぷりと滴らせて、まるで私を誘っているかのようなこの赤い……
「おい、帰ってるんだろう? 俺だ。向かいの住人だ。鍋を返そうと思って来たんだ」
私は聞こえたそのセリフにがっくりと肩を落とした。
……そうか、鍋か。うん、確かにあれは大事だ。私がわざわざドワーフの職人に頼んで再現してもらった思い入れのある寸胴だ。……しょうがない。
私は重い腰を上げると玄関へ行きドアを開けた。
目の前に立っているのは確かに私がポトフを託した住人だった。
赤銅色のつんつんした短い髪に同じ色の目、筋骨逞しい身体をしたむさくるしくて目つきの悪いおっさんだ。そしておっさんは細い目を少し開いて、何故か驚いたような顔をして私を見ていた。
「……お、おう、嬢ちゃんすまねえな。俺は向かいに住んでるレオンっていうもんだ。怪しいもんじゃねえ」
「はあ」
「その、なんだ、2週間位前なんだがこの部屋に住んでる兄ちゃんからポト、いや、この鍋を預かったんだ。だから鍋を返そうと思ってな。嬢ちゃんはその、兄ちゃんの知り合いか?」
「はあ……」
知り合いも何も私が本人だと言いたい所だけど、ここでこのレオンとかいうおっさんにわざわざ詳しく説明する必要もないだろう。
私はてっとり早くお引き取りいただこうと思い、伝家の宝刀愛想笑いを華麗に披露した。
「わざわざ返しに来ていただいてありがとうございます。助かりました。じゃあこれで……」
「あ、ああ……」
そう言ってレオンから寸胴を受け取ったところ、その重さで私はぐらりとバランスを崩してしまった。
あっ、と思った次の瞬間には、スローモーションのように私の大事な寸胴は落ちていく。
そしてガシャンという派手な音と共に、憐れにも寸胴は石の床の上に転がった。
「あ、」
素早くしゃがんで寸胴を取ろうとすると、レオンは何を勘違いしたか慌てて私の肩を支えるように掴んだ。
「おい! 大丈夫か!」
「大丈夫、じゃない、です……(私の大事な鍋があぁぁぁ、高かったのにいぃぃぃ)」
ショックのあまり思わず涙目になってしまった私に気が付いたか、レオンは大げさなくらい狼狽えている。
傍から見ると落ちた寸胴を前に呆然とする私とオロオロするおっさん、というのはなかなか面白い構図になっているに違いない。。
でもその時寸胴が落ちた派手な音に気が付いたのか、廊下の向こうから誰かが走って来るのが見えた。
「おいお前! 彼女からその汚い手を離せ!」
「……お前、何者だ」
やって来たのは金髪碧眼で背の高い所謂細マッチョ、昔はさぞオモテになったんでしょうねって感じのおっさんだった。
さも私の事を知っているような顔をしているが、私の知らない人だ。誰だこいつは。何故そんなに怖い顔をしてるんだ。
レオンはすかさず後ろ手に隠すよう私の前に立つと、腰からすらりと剣を抜いた。
そしてそれを見た金髪のおっさんも、同時に剣を抜いた。
「お前……確かレオンとか言ったか? 有名なSランクの冒険者がこんな所で何をしている。か弱い女性に無体な真似をするとは……卑怯者め!」
「お前のその剣……確かギルマスの……白銀の遣い手か。お前こそここで何をしている」
「俺はここに住んでいる住人だ。さっきの音はなんだ。なんで彼女は泣いてる。お前が何かしたんだろう! 早くその女性から離れろ!」
「ああ? 俺だってここに住んでる住人だ。それに俺のこの女の知り合いだぞ!」
「嘘をつくな! お前みたいなむさくるしい男が女性と知り合いになれる訳ないだろう! それになんで彼女は泣いているんだ。お前が彼女に…………!」
「お前こそ剣なんか抜きやがって…………!」
私は後ろでごちゃごちゃ言い合う二人を無視すると、そっとしゃがんで寸胴を拾った。
この銅製の寸胴は私の大切な思い出の品。
ここに住んでしばらくしてどうしても日本で使っていた分厚い銅の寸胴が欲しくなった私は、鍛冶屋のドワーフの職人に頼みに行った。
こちらの世界では銅を鍋に使う事はないらしく最初かなり渋られたけど、それを1週間毎日店に通って拝み倒す勢いで粘りに粘って作ってもらったのだ。
完成までは1か月もかかったし、それこそ目玉が飛び出るようなお値段になったけど、そのおかげでこの鍋で作るポトフも赤ワインをまるまる1本使った煮込みも、お肉が信じられない程ほろほろと柔らかく絶品になる。
今ではポトフはもちろん私のずぼら料理にこの鍋はかかせないのだ。
寸胴を慎重にさすって確認すると、微かに傷が付いてしまったようだが、どこもへこんではいないようだ。……ああよかった。
私は寸胴を抱えて立つと二人に向き直った。申し訳ないけど私はお腹が空いてもう限界。鍋も帰って来たしこの二人なんだか知り合いみたいだし、私がここにいる必要ないよね?
「なんだかよく分からないけど、お二人の邪魔しては悪いので私はこれで失礼します。レオンさん、お鍋ありがとうございました」
私がそう言ってにっこり愛想笑いを披露すると、二人は慌てて剣を収めた。
「あ、ああ……。そんな礼を言われるような大したことはしてねぇけどよ。いや待て嬢ちゃん、さっきあんた倒れただろう。もう大丈夫なのか?」
「なっ、倒れただって? それはいけない! 私が部屋まで運んでさしあげましょう」
「へっ?」
いや部屋まで運ぶって、私の部屋はここなんですけど!
そんな私の心の叫びは気付かれる事なく、私はいきなりおっさんに抱き上げられた。
レオンのおっさんが私の部屋のドアを勝手に開けると、流れるような動作で私を横抱きにしたもう一人のおっさんがするりと部屋に入る。
そしてその後ろからちゃっかりレオンのおっさんも一緒に部屋に入ると、ぱたんとドアを閉めたのだった。
部屋に入った二人は物珍しそうに辺りを眺めている。なんだろう、何か珍しい物でもあるだろうか。
やがて二人の目線がテーブルで止まると、……どちらかの喉がごくりと鳴るのが聞こえた。
「あー、その、もしかしてこれから彼氏でも来るところだったか。邪魔してすまなかったな」
「ああ、そうだったんですか。なるほど、さっきからこのフロアに良い匂いがしてたのはそのためだったんですね。いやいや彼氏が羨ましい」
「いえ、特に来客の予定はないんですが……。あの、降ろしてもらえますか」
「ああそうでした、これは失礼しました」
床に降ろしてもらった私は改めて二人のおっさんを見た。
向かいの住人レオンと、同じフロアのどこかに住むおっさんか。……うん、やっぱり二人共知らない人だな。
「その嬢ちゃん、改めて自己紹介させてほしい。俺はレオン・マーカスター。ソロの冒険者だ。レオンと呼んでくれ」
「私はフッツベイの冒険者ギルドでギルドマスターをしてるコーネリアス・ヴァンダーと言います。その……お嬢さんのお名前を伺っても?」
「はあ、あの……アマリです」
「アマリーか、可愛い名前だな」
私が名前を教えると二人は何故か嬉しそうに笑った。だが気を付けろ、私はアマリーじゃない、アマリだ。
「ところでアマリー、体調はどうだ? 横にならなくて大丈夫なのか?」
「ええ、今日は旅行から帰って来たばかりで疲れてるのと、後は単にお腹が空いているだけなんです。食べれば大丈夫ですから……もう心配しないでいいですよ」
いや、そんなせっかくの御馳走を前にして寝るって有り得ないだろう。
正直言わせてもらうと、おっさん達の名前とかそんな情報どうでもいい。私は早くこのローストバッファローを食べたいのだ。だから可及的速やかにお前らここから出て行け。
「そうか、食べれば大丈夫か。それはよかった。実は鍋のお礼に良い酒を用意してあるんだ。今すぐ取って来るからちょっと待ってろ」
「お腹が空いていたのですね。それは申し訳ない事をしました。私も丁度これから食事しようと思ってニコで焼きたてのパンを買って来たんです。よかったらアマリーさんも召し上がりませんか?」
何故か嬉しそうにいそいそと部屋から出て行ったおっさん達は、あっという間に赤ワインとパンを手に部屋に戻って来た。
なんだその期待に満ちた目は。ご飯を前に『待て』と命令された犬の様なつぶらな瞳は。
お前らもしかして赤ワインとパンを提供するからこの肉を食わせろってことか? そうなのか?
私は二人の持って来たワインとパンをまじまじと見た。
ローストバッファローは全部で2キロ。私と同じ厚さに肉を切ったとしても、余裕で半分は残るに違いない。
メガ盛りローストバッファロー丼は無理にしても、普通盛の丼ならイケるはず……。
レオンの持ってる赤ワイン、あれは私だったら高すぎて手が出せない高級品だ。……うん、いいだろう。
コーネリアスとかいうギルマスのおっさんのパン、あのニコのパンは最近街で大人気であっという間に売り切れてしまう奴だ。私も目の前で売り切れになって何度涙を呑んだことか。それが焼き立てだと……? うん、焼き立ては直ぐに食べないとだよね。
頭の中で素早くせこい計算をした私は、そこで三度目となる伝家の宝刀を披露したのだった。
「……大したものではありませんが、よかったら一緒に食べていきませんか?」
ほんの10分後、私は自分のこのセリフを心から後悔することになる。
「すげぇ! むちゃくちゃ美味えなこの肉! いくらでも食えるぞ!」
「これは……! もしかしてジャイアントバッファローですか? しかもこの焼き加減、完璧です! アマリーさんは料理が上手なんですね。こんな料理が毎日食べられたらきっと幸せだなあ」
「……はあ」
「確かにアマリーの料理はいつも美味いな。この間のポトフも最高だった。なんつーか、中の肉がとろとろでよ。俺はあんなに美味えポトフは生まれて初めて食べたぞ。……なあアマリー、よかったらまた俺にポトフを作ってくれないか?」
「……無理です」
「アマリーさん、このサラダも美味しいですね。何の葉ですか」
「……野草です」
「このチーズもっと食いてぇな。どこにある?」
「……もうないです」
「ああじゃあ私は肉をカットしてきますね。アマリーさんもお代わりるするでしょう? ナイフお借りしますよ」
「おう、じゃあ俺の分も切ってくれよコーネリアス。お、このワインも美味そうだな。アマリーも飲むよな?」
「……それは私のワインだ! ていうかお前らいい加減にしろーーーーーーっ!」
結論。異世界で餌付け、ダメ。ゼッタイ。
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甘利智恵(26)
異世界での名前はアマリ、たまにアマリーチェと呼ばれたり呼ばれなかったり。
元庶務のOL(引きこもり系にして干物女子)だがある日突然異世界にトリップ。異世界でも引きこもり系干物女子を絶賛継続中。
類稀なる引きこもりの才能が異世界で見事開花した結果、こちらの世界での職業は結界師。
あらゆる外敵から身を守る強固な結界(しかも広範囲)が評判となり、気が付いたらAランクに。
黒髪で女だとばれると聖女認定されて大変なので、性別と外見を隠しているという設定。
ちなみに二つ名は「オニキスの護り手」。智恵の結界が見える人によるとオニキスの様に黒く輝いているからとか。でも本人は厨二病的二つ名を嫌ってる。
レオン・マーカスター(32)
向かいの住人でかつての英雄。いまはただの極悪顔のおっさん。実は嫁募集中。二つ名は未定。というか色んな設定が未定。
コーネリアス・ヴァンダー(38)
廊下の端っこの住人で怪我で引退した元Sランク冒険者。現在はフッツベイのギルマス。実は嫁募集中。二つ名「白銀の使い手」の由来は単にミスリルソードを持ってるから。
この後智恵の料理に惚れ込んだ二人は度々彼女の部屋を訪れるが、彼女の強力な結界に阻まれてなかなか料理にありつける機会はない。らしい。
そして二人の実年齢を知った彼女が驚いて、おっさんちゃうやんと呟いたとか呟かなかったとか。