生前裁判 - 偶然の出会いも必然の内 -
窓の外を見ていると、不思議と吸い込まれるような感覚がする。
このまま身を乗り出せば空でも飛べるだろうか。
だけど、やはり億劫で。
「復讐屋って知ってる?」
クラスの誰かが噂している。
「あの古い寺の?」
「そうそう! 昨日行ってみたんだけどさ、別に何もないし、立入禁止だァ! っておっさんに怒られるし」
「行ったのかよ。ヒマだな。お前」
復讐屋。誰が流したのかわからない噂。
学校ではよくあることで、なんとも簡単な復讐を代わりに引き受けてくれるという都合のいい噂。
「七辻くーん」
「ちょっといい?」
気持ち悪い笑みを浮かべながら、俺の肩と腕を掴んで教室の外に連れていく。
「ちょっとお願いがあってさ」
いつもと同じ。雑用を押し付けられるか、金か。
断れば殴られるし、断るのだってめんどくさい。
「復讐屋って知ってる?」
少し意外だった。
「知ってるけど……」
「なら、よかった。代わりにトミセンの復讐の依頼してきてよ」
あの噂には続きがある。それは、復讐を依頼した人間は同じ目に合うというもの。
「依頼費も七辻くんお願いね。今月厳しくてさ」
「友達だからやってくれるよね!」
要は俺はただの使い捨てのコマ。わかりやすくていいが、本当にくだらない。
俺が逃げないように、噂の寺の階段の下まで来ると蹴り出された。
「じゃ、お願いね。ここで待ってるから」
「……」
階段をゆっくりと上がる。依頼をするのは、賽銭箱で依頼料は投げ込むものらしい。
賽銭箱の前で振り返れば、あいつらの姿は見えない。バカ正直にやる必要なんてないだろう。
少し時間をつぶしてから、戻ればいい。
「ん?」
今、壊れかけた扉の向こう側で何か動いたような気がした。
どうせ待つなら、少しくらい向こうに行ってもいいかと、扉に手をかけた。
「んにゃ?」
そこには寺の面影などなく、事務室のような場所。奥に大きな机、手前にはソファやテーブル。ファイルの詰め込まれた本棚に食器棚。
そして、ソファに腰掛けながらマフィンをかじりこちらに振り返る、金髪の女。
「にゃぁ~?」
しばらくこちらを見ながら首をかしげていたが、数度まばたきを繰り返すと、
「人間……だよね。うっはぁ……最近つながること多いから気を付けろって言われてたけど、マジじゃん。八重がとっとと直せって言ってるのにそっちに人員割かないからー」
文句を言いながらもマフィンを食べ終えると、ソファの上へ立つと俺を見下ろすように胸を張る。
「帰りなさい。人の子よ。ここは生者の訪れる場所ではありません。とゆーか、あたしだって忙しいんだから、とっととお帰りください」
「マフィン食ってたくせに」
「ものは食べてても仕事くらいできるし! そもそも、エネルギー補給なしでアクセル踏み続けろって言う方がおかしいでしょ!」
「復讐屋ってあなたですか?」
「復讐屋ァ!? なにそれ……」
なにやら驚いたように目を丸めたが、興味深そうに目を輝かせると、ソファに座った。
「金を払えば代わりに復讐をしてくれるって人」
「相変わらずそういうの好きだね。人って。で? 君も誰かに復讐しようって?」
「俺は頼まれて」
「……は?」
お気に召さなかったらしい。目に光が消えた。
「復讐屋に頼めば、頼んだ人も同じ目に合うって噂もあるから」
「で、代表してるわけじゃなくて?」
「俺はトミセンって奴、知らないし」
「……本気で帰って。武士道云々は言わないけど、それは全然そそられない」
気が付けば、外にたたき出されていた。
「――まもなく電車が到着します。白線の内側まで下がってお待ちください」
あのあとはひどいものだった。復讐屋から返事があったのかと聞かれ、なかったと正直に答えれば、財布を奪われ、罰金だと金を取られ、突き飛ばされて階段に背中をぶつけた。
この痛みもなにもかも、歩けば止まるのだろうか。それなら、少し面倒でも進んでみようか。
光る線路へ足を踏み出せば、痛む背中にまた衝撃が走った。
「――ッ」
思わずうずくまれば、目の前には足。
「陸奥に文句言われるかもしれないから、自殺は勘弁して欲しいんだけどなぁ」
聞き覚えのある声に顔を上げれば、そこにいたのはあの金髪の女。
「あの目に免じて、ほんの少しだけ猶予をあげる。あたしに復讐屋として働かせる唯一のチャンスと、これから何億と訪れる自殺のチャンス。どちらを取るか選びなさい」
どうして俺は、こう、おかしな連中に絡まれるのだろう。
だけど、だけど、もし選べるのなら。
「俺の復讐をしてくれるのか?」
「そうこなくっちゃ!」
襟をつかんで立ち上がらせると、その女は俺の飛び込もうとしていた電車に乗り込んだ。
不思議なことに乗り込んだ瞬間、女の服装は軍服のようなものからラフな服装に変わったのだが、それに驚く人は誰もいない。
「ところで、復讐ってどんなことやるんだ? 俺の要望聞いてくれるとか?」
「うぅ~ん……それは、ちょっと厳しいかもしれないなぁ……」
「なんで?」
自宅の最寄駅で降りれば、その女は頬をかくと、
「好みだよ。好み。復讐の方向性の違いってやつ?」
なんだそれ。
「とにかく! 仕事はするから、安心してよ。まぁ、君が何かすることっていうと特にないんだけど……」
「なら、ちゃんと復讐されるっての見せてくれよ」
「んー……おしおき部屋に入れられるところまでなら見せられるかな? あと、あたしの復讐は特殊でさ」
「特殊?」
「うん。記憶がなくなっちゃうんだ」
「は……?」
それじゃあ、なんの意味もない。
「ま、そんなわけだから、細かいことはまた明日! そろそろ戻らないと。八重が戻ってくるから」
「ちょっちょっとま――」
手を振って消えた女に、手を伸ばして、声を上げて、そこでようやく俺に集まる気味の悪い視線に気がついた。
その視線から逃げるように、俺は改札から出た。
*****
そいつが現れたのは、翌日の昼過ぎのこと。
「……」
「え、なに?」
今頃ではあるが、やはりこいつは人間ではない。昨日は突然消えるし、今日だって空中から現れた。
「あ、もしかして疑ってる? ちゃんと調べたってば……」
そういって取り出したのは、タブレット端末。
「昨日の三人は、久野皆人。佐藤雄樹。笹本道夫。経歴的に問題なし。復讐は可能な相手」
淡々と業務をこなすように読み上げた女は、口端をあげると、胸を張った。
「突然だったからね。いくら暇部署と言われていても、状況確認はまだなんだ。だから、これから調べるから手伝ってね」
そいつらの元に連れて行けという女に、腰を上げれば、また一瞬で服装が変わる。今度は学校の制服。
「それって変化?」
「まぁそんなもん。調べるときは周りに溶け込まないと」
「なら、金髪やめれば?」
「え?」
周りからは女の金髪を遠巻きに見つめては、小声で何かを話している。
女も驚いたようにそれをまばたきを繰り返しながら見つめたが、「はぁ~~……」なんて納得したようなしていないような声を吐き出しながら頷いた。
「なるほどなるほど。金髪っておかしいのか」
「学校じゃ校則で禁止されてるし」
「へぇ~~……地毛でも?」
「なんかそれはそれで書類があった気がするけど……知らね。見たことないし」
「ふぅーん」
あいつらはちょうど仕事中らしく、体育館裏にいた。
「ちょっと借りるだからさー」
「友達だろ?」
いつもの会話にセリフ。
「ボキャブラリーないね」
「俺もそう思う」
物陰から様子を伺っていれば、小柄な男子生徒は財布の中身を抜き取られ、財布は捨てられる。
女は別に助けようとするわけでもなく、じっとそれを見つめていた。
「さっき、状況確認って言ってたよな。それって必要なのか? 被害者がいる時点で加害者がいるのは事実だろ?」
「そうだね。それは正しいけど、要は天秤次第なんだけど……」
女は物陰から躍り出ると、久野たちも眉をひそめて女を見た。
「確認はOK。事務処理は同時に行えば問題なし」
「はぁ? 何言ってんだ? こいつ」
俺もそう思う。こいつは時々変なことを言う。でも、どこかで嫌な予感がする。
背筋が凍るような、生物として恐ろしいような、そんな感じ。
「ハァイ! こんにちは! 子供は元気に挨拶だよね!」
「は……?」
「あれ? 間違った? ま、いいや。時間もないし、要件に入ろっか」
「金返せとかか?」
「ありえねー!」と笑う笹本に、久野と佐藤は少しだけ青い顔。あぁ、きっと俺も同じ顔をしてる。どこか、恐ろしいんだ。この得体のしれない女は。
「法廷を開いて差し上げられないのは申し訳なく思いますが、裁定は公平。ご安心ください」
タブレットを取り出した女に、それを見つめる三人は状況が全く飲み込めていない。そりゃそうだ。この中で一番長く一緒にいた俺ですらわからない。
復讐屋が復讐をしているんだよな……?
「誠に勝手ながら――」
久野が必死な表情で逃げ出そうと駆け出したが、どこからともなく現れた鎖が首に巻き付く。悲鳴を上げた二人も逃げるが、同じように首に鎖が掛かり、吊り上げられていく。
「あー、誠に勝手ながら、現在、地獄は飽和状態となっており、新規での受け入れが困難な状態が続いております。そのため、生前の罪を生前のうちに清算しております。
久野皆人。佐藤雄樹。笹本道夫。三名の生前裁判を行わせていただきます。判決は有罪」
もはやそれは決められていたかのように、即答だった。
「よって、現時刻より刑を開始します」
吊り上げられている三人は、空に開いた穴から悲鳴と共に消えていった。開いた穴から聞こえてくる悲鳴と、生々しい音。それに熱気とむせ返る吐き気を催す臭い。
目に見えない光景に、女に目をやれば、タブレットに何かを打ち込んでいる。
「あ、あの……」
「貴方は無罪。正確には、昔の素行がいいから今回は免除。だから、次回はアウトかもね。自分の意見を全て捨てることも十分罪だよ」
「……!」
タブレットの画面を落とすと、女は振り返る。
「これで君の復讐は終わり。あたしの役目もおしまい」
「あ、アンタ、なにものなんだよ」
「なにもの? なんとなくわからない?」
人間ではないなにか恐ろしいもの。それしかわからない。
笑う彼女が恐ろしい。
ベチャリ……
後ろで聞こえた粘着質な音に、恐る恐る振り返れば、想像していた光景とは違い、三人が気絶して倒れていた。
「執行終了。それじゃあ、これで仕事も終わり。おつかれさま」
ニコニコと笑顔で手を振って去っていく女を、また止めることはできなかった。
*****
鼻歌交じりに廊下を歩く金髪の女は、今にもスキップをし始めそうだ。
「楽しそうだな」
「!!!」
できればあまり聞きたくなかった声に、足を止めて振り返れば、予想通りの人物が立っていた。
「わー八重ってばお仕事どーしたのー?」
棒読みで聞けば、いつもどおりの嘲笑が帰ってくる。
「なに、おもしろそうな処刑が行われてたから確認していただけだ。執行人にな」
「…………」
数回深呼吸をすると、
「復讐屋だからね!」
その言葉に八重はしばらくまばたきを繰り返すと、笑った。
「バイトの話聞きたい?」
答えは聞くまでもなかった。