鏡
白雪も生き残った兵達も、城には戻らなかった。
黒幕の名を知ってしまった以上、それは死を意味したからだ。もし、白雪が生還した場合には、王の言うことを聞かずに少数で出撃し、部下を多数死なせたことで難癖をつけ、罪に問うつもりであることもプリンスから聞いていた。
だが、そんなことは実は白雪にとってはどうでもよかった。
新王妃が城内で事を構えるつもりなら、正面切って戦うまで。それよりも、仲間となったゲリラ達は犯罪者である。彼らを連れて帰るわけにもいかなかったことが、大きな理由だったのだ。
翌日から、白雪姫の特訓が開始された。
用兵の基本。
地形を読む方法。
罠の張り方。
特殊な武器の扱い方。
体術。
拳法。
ギリギリの交渉術。
それらゲリラの持つ戦い方のすべてを、白雪は綿が水を吸うように自分のものとしていった。
*** *** *** ***
「鏡よ鏡。なんとかあの恐ろしい姫を始末する手段はないの?」
城の中。王妃は、机の上に置かれた鏡をのぞき込んで言った。
鏡の表面には文字といくつもの画像が窓のように浮かび、指で触れるとその部分が拡大されたり、移動したりする。
それは、音声入力式の演算装置の一種であった。
先史文明の遺跡から発掘された鏡は、あらゆる状況を入力することで、状況を打開する策を提示してくれる。超小型の人造生命を無数に放ち、そいつらが見た画像を受信することで、世の中で起きている様々な事象を知ることも出来た。
ゆえに自分の配下であったセブン・ドワーフが、白雪姫に忠誠を誓ったことを、王妃は鏡を通じて既に知っていた。
まさか、隣国の系譜を持つ彼らが、自国を滅ぼした王族である白雪につくとは思ってもみなかった。
そしてそれ以上に、プリンスが白雪と一対一で戦い、敗北するなどとは想像もしていなかったのだ。
しかも白雪は日々鍛練を重ね、その強さに磨きをかけている様子。
充分に修行し、あの恐るべきパワーに加えて戦術や戦略までも身につけた白雪が、ここへ攻め込んでくるのも時間の問題と思えた。
「えええい。役立たずのゲリラどもめ。このままではあたしの首が危ないじゃないの。いったいどうしたら……ん?」
王妃の視線が、画面上の一点で止まった。
「……そうか……毒殺ね。なるほど。でかしたわよ鏡」
演算装置『鏡』の表面には、近海の毒魚からとれる、無味無臭の毒薬の名が浮かんでいたのだ。
王妃は口元をつり上げ、奇怪な笑みを浮かべて立ち上がった。
*** *** *** ***
翌日の昼。
黒の森に通じる道を、荷車を引く影があった。黒い布をフードのようにかぶり、顔は見えない。腰を曲げ、老人のように見せているが、その足取りにはどこか力強いものがあった。
かなり大きな荷車を、疲れた様子も見せずに引き続ける影は、白雪達の潜む黒の森の深奥へと、進んでいった。
『待て』
ふいに、頭上から声が降ってきた。荷車の主は体を震わせて、歩みを止めた。
『どこへ行く? この先には町も村もないぞ?』
「ひ……ひいっ!? さ……山賊!?」
荷車を引いていた者は、いかにも驚いた様子で尻餅をつき、そのまま這いずるようにして逃げ出した。荷車は置きっ放しである。
元来た方へと走り出し、その姿が道の向こうへと消えるのを見計らって、樹上から黒い影が舞い降りた。
影は、注意深く荷車を覆っていた分厚い布を引き剥がす。
「ふ……なんだ。青果商か」
それはセブン・ドワーフの見張りであった。
この道は彼らのアジトへとつながっている。たまに道に迷って通りかかる旅人は、こうして脅して引き返させるのだ。彼らは山賊ではないが、その際に旅人が落としていった食料や物品は、いただいてしまうことにしていた。
そもそも、森暮らしは栄養が偏りやすい。それでなくとも、この季節、新鮮な青果は手に入りづらかった。見張り達は、喜んで荷車をアジトへと持ち帰った。
「白雪様!! ご覧ください。これだけの野菜や果物があれば、しばらくは不自由しませんぜ!!」
しかし、その荷車を見て白雪姫は眉根を寄せた。
「お前達。まさか追いはぎの真似事をしたんじゃあるまいな?」
「いい……いやとんでもない。ちょっと驚かせたら、あわてて荷物を放り出して行っちまったんでさ」
「馬鹿者!! お前達も、私の配下となった以上は国軍同等だ。落ちていたからといって拾ってくる者があるか!! 返してこい!!」
「し……しかし……せっかくの野菜ですぜ? しかもこんなに大量に……」
口ごもる見張りの男の様子を見てプリンスが口を挟んだ。
「白雪姫。この季節、特に山の恵みは少ない。この野菜や果物は、我々にとって命をつなぐ貴重な栄養です。こうしてはいかがでしょう? この青果の代金を、支払いに行かせては?」
「なるほど。正当な対価を支払おうというわけだな? それならば良いだろう」
白雪が頷いたのを見て、プリンスが数人の男を指名した。
白雪は、自分の懐から金貨の入った袋を取り出し、惜しげも無く彼らに手渡す。
「これで足りぬということはなかろう。すぐに後を追い、代金を支払って参れ」
「はっ!!」
男達は、疾風のごとく走り出し、あっという間に視界から消え去った。
「では、この荷物は食料庫へ」
「待て」
運ばれようとする荷車へ、白雪が歩み寄った。
「リンゴなど久しぶりだ。ひとつ、いただこう」
その手にとった真っ赤なリンゴに、白雪は大きくかぶりついた。