プリンス
「生き残ったのはこれだけか……」
白雪の部隊は、五分隊、四十五人編成であった。そこに副官と白雪で四十七人の部隊だったのである。
だが、生き残ったのは白雪を入れても十九人。それ以外はすべて、討ち取られてしまった。
既に日は暮れようとしている。
森を脱出するなら、日が完全に暮れてから闇に紛れてということになる。だが、地の利は敵にある。森の地形を知り尽くしたゲリラが、そう易々と撤退を許すとは思えなかった。
「これでは……賊の討伐どころか、城に無事帰り着けるかどうかも分かりません。いかがいたしましょう……」
問いかける副官の表情は暗い。
白雪は腕組みをして考え込んだ。
「森の中には罠も仕掛けてあろうな……ここでバラバラになって逃げるか。一団で敵地を突破するか……」
「バラバラに逃げれば各個撃破されます。一団で突進しても、通り道には罠がありましょう……ここはもう降伏以外に道はないのでは……?」
『その男の言う通りだぞ、姫?』
副官の進言に合わせるようにして、森の奥から突然、よく通る声が響いた。
「何者だ!!」
「この森を守る者……セブン・ドワーフ」
嘲笑うような調子を含んでいるその声に、副官がいきり立って叫んだ。
「セブン・ドワーフだと? たいそうな名だな。ゲリラ風情が粋がるな!!」
「お前たちはすでに包囲されている。降伏しろ。そうすれば、お前たち兵士の命はすべて助けてやろう」
「何だと!? では白雪姫はどうするというのだ!?」
「依頼主のご要望でね……姫の首は絶対条件なんだよ」
「依頼主……だと? いったい誰に頼まれた!?」
「それを聞いたら……お前たちも生かしては帰せねえぞ?」
闇からの声の凄みが増す。
副官は絶句した。生き残った兵士たちは、誰もがその場に凍り付いている。
凍り付いた場の空気を破ったのは、白雪姫であった。
「……いいだろう。私の首、貴様たちにくれてやってもよい。だが、私も王家の血を引く者。みすみす殺されるつもりはない。どうだ? 正々堂々と戦わんか?」
柔らかな声でそう言い放つと、白雪は鎧を脱ぎ始めた。
そして、腰の剣までも放り捨てると、仁王立ちになって両手を広げた。
「数が減ったとはいえ、我が小隊は精鋭部隊。もし正面切っての戦闘となれば、貴様たちも無傷では済まん。勝ち戦で命を落としたくはないだろう? 見よ。私は丸腰だ。私の命が奪えればそれでいいのだろう?」
「ふふん。素手でかかってこい……とでもいうわけか?」
「べつに武器を使っても構わんよ。女一人に敵わぬと思うなら、鎧を着、剣や槍を使って襲い来れば良い。大勢で押し包むも、矢を射かけるも、貴様らの好きにしたら良かろう」
それは乾坤一擲のハッタリであった。
これで乗ってこなければ、それまで。そう白雪は覚悟していたのだ。
「見くびるなよ」
森の闇の中で、ひときわ大きな影が立ち上がった。重々しい金属音が響き、地面に鎧や武器が転がる。
「お前達!! 手を出すなよ? 俺に恥をかかせるな」
周囲の部下にドスのきいた声で命令し、のっそりと暗がりから現れた男は、筋量、体重ともに白雪と同等の逞しい男であった。
二人は、わずかに広がった平地を挟んで対峙した。
暫時見つめ合った二人は、無言のまま、どちらからとも無く突進した。激しく頭と頭がぶつかり合う音が響く。
暗がりの中で組み合ったまま、影は一つになって動かない。骨と骨、肉と肉がせめぎ合い、きしむ音だけが聞こえた。
そのうち、力では勝負が付かぬとみたのか、ゲリラのリーダーは、白雪の腕をふりほどいて飛び退いた。
飛び退きざまに胸を蹴られた白雪は、仰向けになりそうなところを踏みとどまり、拳を固めて再び突進した。
今度はパンチの応酬である。
白雪は顔のガードを固めた、いわゆるピーカブースタイル。
男は右のガードを上げ、左腕だけをだらりと下ろして距離をとるデトロイトスタイル。
鋭いパンチが交錯し、空気を裂く音が飛び交った。薄暗がりの中でよくは見えないが、リーチに分がある男に対して、懐に飛び込むタイプの白雪は分が悪いように見える。
致命的ではないが、何発かが確実にヒットしているようであった。
しかし、白雪が何かに気づいたように両手のガードを下ろした瞬間、男の動きが止まった。
一瞬、であった。
男の見せた隙を見逃さず、白雪は姿勢を低くして背後に回った。
鋼のような右腕が男の首に巻き付く。同時に脇の下から差し込まれた左腕が、男の左肩を完全に極めた。伸ばされた左腕が苦しげに宙を掻く。
「く……やるな……」
「足掻いても無駄だ。こうなれば逃れる術はない」
白雪に告げられ、男は諦めたようにもがくのをやめた。
「貴様の勝ちだ。だが、ひとつだけ聞きたい。何故、蹴り技を使わなかった?……どうして男の急所を狙わん……?」
「貴様も、私の顔を狙わなかっただろう? だから、こうして隙を狙えた」
「そこまで分かっていたか。さすがだな……もういい。殺せ」
その言葉に、周囲がざわめいた。
「頭目!!」
白雪達を囲む殺気がふくれあがる。白雪の部下たちも金属音を鳴らして身構えた。
しかし、その様子を察したリーダーが、大声で叫んだ。
「動くなお前たち!! これは正々堂々の勝負だ!! 手を出すことは許さぬ!! 俺に恥を掻かせる気か!!」
その一喝で、ゲリラ達の動きがピタリと止まった。
「それでいいのか? 女に負けて殺されるのは、恥では無いか?」
白雪の問いに、男は太い笑みで応えた。
「貴様は素晴らしい戦士だ。男女など関係ない。貴様に負けたのであれば、俺はむしろ誇りに思う」
「待ってくれ白雪姫!! 頭目を放してくれ!! 殺すなら俺たちを殺せ!!」
武器を投げ捨てる音が響く。闇の中でいくつもの気配がひざまずくのが分かった。
白雪は声を張り上げた。
「貴様達の命などいらん!! いったい誰の差し金でこの私の命を狙ったのか!? それだけ答えよ!!」
「く……」
「答えぬか? ならばこの男には死んでもらうしかないな!!」
白雪は部下を制しようとするリーダーの喉を絞り上げ、その声を封じている。
「……王妃殿……新王妃殿でございます……」
「なるほど……すべては義母上の仕組んだ罠、というわけか……」
「な……なんと……まさか?」
城の兵士達の間には動揺が走り、その一方で白雪は納得したように頷いた。
「ぐ……バカな部下どもめ。俺もプロだ。情報を漏らした以上、生きてはおれぬ。殺せ」
しかし、白雪はその丸太のような腕をゆるめ、男を解放した。
「何のマネだ!? 情けでもかけたつもりか?」
「もともと許す、という約束であっただろう。それに貴様のその力、惜しい、と思ってな」
白雪は笑みを浮かべると、ごつい手をさしのべた。
「なに!?」
「貴様の戦闘力は大したものだ。部下の忠誠心も素晴らしい。今回はかろうじて勝てたものの、もう少しこの肉体がか弱ければ、ここに横たわっていたのは私の方だっただろう。どうだ? 私とともに来ないか?」
「しっぽを振れ、というのか!? 見損なうな」
「仕えろ、と言っているのではない。むしろ、逆だ。よければ私の師匠になってはくれまいか?」
「師匠……だと?」
「そうだ。私は肉体とパワーを鍛えることだけを重んじ、スピードや戦術を軽んじてきた。何もかも力で打ち破る戦いをしてきたせいで、戦略的な戦いにも疎い。そのせいで今回も、あたら有能な部下を何人も失ってしまった……」
「本気なのか? 俺は、その部下を殺した張本人だぞ?」
「もちろん本気だ。あれは戦の上でのこと。お互い様だ。恨みに思う方が間違っている。私はお前だけではなく、セブン・ドワーフの者達、すべてに教えを請いたい。強くなるために」
「……あんたは俺に勝ったんだぞ? もう充分に強い。それ以上強くなってどうする? 周囲の国々に攻め込もうとでもいうのか?」
「いや。この国を……国民を守りたいのだ。それだけだ」
白雪のまっすぐな瞳をじっと見つめた男は、その目を逸らさないまま、後ろの部隊へと声をかけた。
「……ドッグ!! グランディス!! スムージー!! ガッシュフル!! スリーパー!! ハッティ!! ドーヴィー!!」
その声に反応して、遠巻きにした部隊の中や樹上、池の中などから、七人の戦士が次々に姿を現し、白雪の前に進み出てきた。
「こいつらが各軍団の長だ。俺はセブン・ドワーフのすべてを任されている。プリンスって呼ばれてるよ」
「王子? 本当か?」
「冗談みたいだろ? ま、もちろん本名じゃねえがな。それを言ったらコイツら全員本名じゃねえ」
呵々と笑って白雪を見たプリンスは、その場にひざまずいた。
それに続いて、七人の軍団長が、そして歩み出てきたゲリラ達全員がその場にひざまずく。
「白雪姫。たった今から、あんたが俺たちの頭領だ。ここにいる者全員、あんたのために命を張るぜ」