新王妃
「王。あなたの仰る通りの、恐ろしい娘でしたわ。あの殺気……並みの兵法者なら、あの場で正体をさらけ出していたかも知れません」
新王妃が、鋭い目で王に告げた。
つまり、自分は並みではない、との自信が言わせる言葉でもあった。
その目は、式の最中には決して見せなかった目だ。
何度となく死地をくぐり抜け、精神と肉体を鍛え上げられた者だけが持つ目だ。それは喩えるならば、何者をも凍り付かせる、冷たい炎のような目であった。
この夫妻の居室は、高い塔の上にある。会話は誰にも漏れる恐れは無かった。
「う……うむ。白雪は妻の血を濃く受け継いでおるのだ。しかも、母親を戦に行かせ、死なせたことで、わしを恨んでいる。あの姫に、首の骨をへし折られはしないかと恐ろしくてな……」
「それで、あたくしのような者をボディガードと妻を兼ねて迎えたんでしょ?」
「そそ……そうだ。だが、お前は噂以上に華奢で美しい。果たしてわしを守り切れるのか?」
「それはもちろん。安心してくださってよろしくてよ? でも、確認ですけど本当に始末してしまってもよろしいのね?」
「か……かまわぬ。あのような猛々しい姫。十九になった今も、縁談はひとつもない。もし、お前との間に嫡子が出来でもしたら、将来この国にとっても有害にもなる」
「まあ。ひどい父親……」
「我が娘だ。心は痛む。だが、わしは王だ。娘のことだけでなく、この国のことを考えていかねばならんのだ」
「でも、あたくしはあなたの子を産む、とまではお約束しておりませんわよ?」
「む?……うむ……そ……そうであったな。これはちと気が早かった」
王は真っ赤になって俯いた。
「いいえ。あたくしに恋していただけるなら、ちゃあんと考えさせていただきますわ」
新王妃は、これまでとは打って変わって艶っぽく、熱を帯びた目で王を見つめた。
「それには、まずあの姫を始末いたしませんとね。早速ですけど献策いたしますわ。隣国マクロセリドとの国境にある黒の森に、ゲリラ集団が出没していることはご存じ?」
「うむ。敗北した隣国の部隊が潜んでおると聞く。警備団も手を焼いておる。手練れ揃いで小部隊ではとても敵わず、大部隊で攻め寄せるとあっという間に逃散してしまい、どうしても殲滅できぬと……」
「そう。そのようにあたくしが仕込みましたからね」
「な……なんだと!?」
「彼らはあたくしの元部下。七つの部隊がそれぞれに役割を持って、あの森を守っているの。何も知らない姫を、あの森の討伐に行かせなさいな。それで、ジ・エンドよ」
「お……お前の元部下に、あの白雪を倒せる者がいるのか?」
「正直、一人一人では、白雪に及ばない者ばかり。でもね。戦は個々の戦闘力だけでは決まらないわ。ゲリラ戦の真骨頂、あの生意気な姫にとっくりと味あわせてあげましょう」
王妃は赤い舌を出して、口元をべろりと舐め上げた。
その瞬間、王は背筋を震わせた。可憐で美しく見えたその顔が、一瞬、無機質な面のように見えたからだ。
そしてその表情に、王は白雪の死を確信した。
*** *** *** ***
三日後。
白雪姫は一個小隊を率いて黒の森へと進軍を開始した。
王は大隊を伴うように言ったが、白雪は笑ってそれを拒否したのだ。
「充分に訓練されていない兵など、何人おっても役に立ちませぬ。それに、大軍で攻めかかれば、ゲリラどもはまた姿を隠してしまいましょう? ロキソドンタ小隊は、私の子飼いの猛将ばかり。今度こそ、ゲリラの頭目を仕留めてご覧にいれます」
心配そうに見送る王を尻目にそう言い放つと、白雪は悠々と出陣したのであった。
*** *** *** ***
「……妙だな」
黒の森に踏み込んで数刻。
ゲリラのものとおぼしき足跡をつけていた白雪は、独り言のようにつぶやくと首をかしげて馬を止めた。
ふわり、と馬から飛び降りた白雪は、念入りに足跡を調べ始めた。
ゲリラは生活物資を得るためか、定期的に森の周辺の民家を襲う。足跡はその時につけられたものだということであった。
その様子を見て、副官も馬から飛び下り、心配そうな顔で駆け寄ってきた。
「どうかしましたか? 姫?」
「この道……踏み跡が新しすぎる」
「それは、逃亡した賊の集団が近い、というだけではないのですか?」
「いや、考えても見ろ。近隣の村が襲われたのは三日も前だ。その間に雨も降った。なのに、この足跡は全く崩れていない。ついさっきか、少なくとも数時間前にここを通ったように見える」
「連中、林縁部のどこかに潜んでいて、逃げそびれたのでは? 敵が近いのは良いことではないですか」
「いや。どうも気に入らない。しかもこの足跡、同じような足跡が多い……まるで同じ人間が何度もつけたように……まさかっ!?」
白雪姫は、全軍に停止命令を出した。
「すぐに現在地を調べよ!! 今、我々はどこにいるッ!?」
「おそらくは……この位置です」
副官が指したのは、左右に丘がある窪地であった。
そうと分からなかったのは、いつの間にか林が落葉樹林に変わり、下草の茂みと密生する樹木の梢で視界が塞がれてしまっていたからだ。
「しまった。これでは丘の上から狙い撃ちだ。しかも前後を挟まれれば……」
白雪が後退を指示しようとした瞬間、最後尾から悲鳴が上がった。
「遅かったか」
こうなれば後退は難しい。
白雪は全軍に全速前進を命令した。
「ここに留まれば、誰も助からん!! 後方部隊は一切応戦するな!! 死にたくなければ、正面の敵だけを踏み散らして駆け抜けろ!!」
途端に甲高い笛の音が鳴り、それを合図に左右からも弓矢が撃ち込まれだした。
白雪の予想通り、谷間の出口には敵がいた。それも重装甲で身を固めた歩兵部隊が立ちふさがっていたのだ。
先頭を駆ける白雪に、何本か矢が命中した。だが、矢は堅い音を立てて弾かれる。白雪の鎧は特注で、通常の三倍の厚みを持っているのだ。
「私が先にゆく!! お前たちは後に続け!!」
叫ぶと、白雪はスピードを上げた。突進する白雪を迎えたのは、何重にもなった盾の壁。
正面から突っ込んだ白雪は、先頭の装甲兵を盾ごと槍で貫き、そのまま押し込んだ。
恐るべき突進力。白雪の乗馬もまた、尋常ではない。普通の馬の倍以上の体格を持つ重輓馬種を、騎馬用に調教したものなのだ。
三重に構えた盾の壁は、一瞬で突破された。
そのさらに後方に構えた騎馬兵を、白雪は抜き放った長剣で切り伏せた。右手に槍、左手に長剣を振りかざし、谷間を駆け抜けた白雪はすぐに馬を反転させた。
後続の味方は付いてこられていないが、敵兵団もまた振り返る余裕がない。
白雪は、長槍を小枝のように振り回した。一瞬で数騎を屠り、こじ開けた壁の穴を更に広げる。
背後からの攻撃に慌てた騎馬兵が、こちらを向こうとしたその後ろから、追いついてきた白雪の部下たちが襲いかかった。
兵達が敵陣を突破したのを見届けると、白雪は馬を返して逃げ始めた。
からくも危地を脱した白雪たちは、そのまま黒の森の奥へと駆け込んでいったのであった。