白雪姫
「ぬう……大胸筋の作り込みが甘いか。これではまだまだ敵には勝てんな」
独り言をつぶやきながら鏡の前でポージングする白雪姫に、王はそっと後ろから声をかけた。
「あの……姫? よいかな?」
「これは父上。いらしていたのですか。気づかず失礼いたしました。で? 今宵は何用ですかな?」
白雪姫は太い笑みを浮かべると、トレーニングマシンにかけてあったバスタオルをとりながら王に椅子を勧めた。
まるでジムのように改造された部屋の中で、唯一女性らしい調度品であるその椅子に、王はよたよたと腰掛けた。
「それがその……じつは人に勧められておってな……私もそろそろ再婚しようかと……」
「なんですと?」
白雪姫の大きな眼が、ぎょろりと王を見据える。
「いやいやいや。べつに好きな女性が出来たとか、そういうことではないのだ。ただ、我が国には跡継ぎとなる王子もおらず、姫が一人だけ。そんな状態で君主が妻に先立たれて独り者、となると、周りが放っておかぬでな……」
王は流れてくる額の汗を拭きながら、せっせと言い訳を続けた。
「あああ相手は、隣国マクロセリドの貴族の娘でな。ままだ会ったことはないのだが、気立ての良い女性らしい。年齢は十歳差。家柄も申し分ない。お前さえ納得してくれるなら、ささ再婚したいと――」
「父上。母が何故お亡くなりになったか、お忘れになったわけではありませんでしょうな?」
あたふたと説明を続ける王の言葉を遮って、白雪は言った。その表情は不機嫌さを隠す様子もなく、額には青い血管が浮いている。
「ももももちろんだ。お前の母は、病弱でふがいない私の代わりに、我が軍を率いて隣国と戦い、名誉の戦死を遂げたのだ。わ……忘れてなどおらぬ」
白雪の母、吹雪は武勇の誉れ高い女王であった。
領地の境界のことで揉め続けていた隣国との戦争で、女王は敵地に単身斬り込み、敵の将軍数人を斬り伏せ、敵国王を捕縛して勝敗を決した。そして、その際に負った怪我がもとで亡くなったのだ。
「では何故、その仇であるマクロセリドの女を娶ろうとなさるのか?」
「いいいいいやそれは……その……戦に勝利した我が国がマクロセリドを従えたとはいえ、かたちの上では同盟国。しししかも、まだまだ隣国国内には不満分子も燻っておる。しかし、向こうの貴族と血縁を持つとなれば、その不満も多少は解消されよう?」
「……あくまで……政略である。と、こう仰られるのですな?」
腕組みをして父王をにらみ据える白雪の筋肉が、音を立てて盛り上がった。
「そそそそれ以外に何がある。これも……政治だ……」
「分かりました。断腸の思いなれど、父上の決断を姫は支持いたしましょう……」
その答えを聞いて、ぱあっと明るい顔を見せた王の胸ぐらを、白雪はぐいとつかんで引き寄せた。
「ただし……それ以外の邪な思いがちらとでも見えたときには……たとえ父上といえども、姫は容赦いたしませんぞ?」
「わわわ……わかった……」
王は宙に浮いた足をじたばたさせながら、何度も首を縦に振った。
二ヶ月後。王の結婚披露宴は盛大に行われた。
その席には、周辺諸国の要人も招かれ、平和裏に終了したのであった。
国民もこぞって祝いの言葉を述べ、国中がお祝いムードに沸き返った。だが、白雪姫だけは、終始無言のままであった。
自室に戻った白雪は、真っ白なドレスを脱ぎ捨てると、サンドバッグに右ストレートをたたき込んだ。
「ぬうう!! あの女!! ただ者ではないッ!!」
四百キロ以上もある特製のサンドバッグが、ほとんど天井近くまで浮き上がる。
「あの女……おとなしそうな顔をして、私の殺気をこともなげに受け流しおった」
式の間、白雪は何度も必殺の気を放っていたのだ。
だが、新王妃は自分に向けられたその気を、まるでそよ風のように受け流してしまった。
色白で華奢な手足。可憐な容姿と大人しげな顔だち。
しかし、純白のウェディングドレスの下に隠された筋肉は極限まで絞り込まれ、鋼線のような強度と柔軟さを併せ持っていることを、白雪は一瞬で見抜いていた。
「父上はだまされているようだが、私の目はごまかせん。しかしあの女……いったい何が目的だ? 父の命を狙うなら、すでに何度もチャンスはあったはず……」
白雪は考え込んだ。
だが、戦闘ならまだしも、このような深謀遠慮となると、どうにも頭が働かない。
思えば母も、その肉体の強度と力にまかせた強引な戦闘で勝利をもぎ取り続けてきた。
『罠があったら噛み破れ』それが、母の教えでもあったのだ。
「……まあ、仕方ない。あの女の意図が分からない以上、うかつには動けんからな。取りあえずは、平穏を装ってみるしかないか……」
白雪は、固いマットを加工した特製のベッドに寝転んだ。