なけなしの勇気と行き倒れの少女
「弱ったなあ。まだお昼前なんだよね」
ファキ達にコテンパンにやられたシオンは家路につきながらそうぼやく。
午後の授業をすっぽかして帰ったので何事かと心配をかけてたかもしれない。
ミラ先生に申し訳なく思いながらも戻る気にもなれなかった。
どこかで時間を潰そうか?
そう考えるシオンに名案が閃く。
「そうだ。せっかく森の近くまで行くんだし、帰りにハシバミ草を摘もう」
それなら時間を潰す理由になるし、ハシバミ草を持って返れば家計に
貢献することもできる。一挙両得の策だ。
「そうと決まったら森は迂回しないで、氷の泉を通って森に入ろうかな」
氷の泉。森を隔てる年中分厚い氷に覆われたその泉は
大人が乗っても決して割れるようなことはない。
森に入るためにはその氷の泉を通るのが近道なのだ。
シオンは進路を変えて、森に向かって進みだす。
普段は森への道は多くの大人たちとすれ違うが、今日は
降り積もった雪を取り除くので大忙しなのだろう。
誰とも出会うことなく順調に進み、前触れなく異変に出会った。
「犬狼?なんでこんなところに」
犬狼は森の深くを縄張りにする狼で、森から出ることなどまずない。
単独行動することが多い狼種の中では変わり種で
群れを作って狩りを行い、物を住処に持って返る犬のような習性を持つことから犬狼と呼ばれている。
迂回しよう。
そう決めたシオンは刺激しないように犬狼を避けるが、犬狼達が囲っている物が遠巻きに見て愕然とする。
同い年くらいに見える女の子がうつ伏せに倒れていたのだ。
「た、大変だ!?急いでそこから逃げて!!犬狼に食べられちゃうよ!?」
大声を張り上げるが黒い長髪の少女はぴくりと動くだけで
逃げるどころか立ち上がることもしない。
すぐ傍には彼女の荷物と思われる品物が散乱していた。
まずい助けないと、でもここから大人を助けに行く時間なんて絶対ない。
助けを呼んでいる間に少女が食べられてしまう。
ぼくが助けに行くしかない。でも勝てるのか?あの犬狼達に。
ファキ達にすら勝てなかったのに?
怖気づくシオンだったが、不意に腰元に下げていたナイフが目に入った。
もしもこの場に父がいたらどうしただろうか?
魔物と戦えるほどに強い父だ。きっと犬狼なんてものの数じゃないだろう。
「ああそうさ。ぼくは弱いよ。へっぴり腰だし、紋章だって使えないよ」
シオンは震える手を動かしてナイフを引き抜く。
抜き身の白刃が太陽の光を反射してキラッと光った。
「でも、目の前で困ってる人を見捨てて逃げたら、ぼくは本当に負け犬に
なっちゃうじゃないか!」
ここで逃げ出したら一生父のように強くなれない。
ファキ達にも一生馬鹿にされたまんまだ。
「助けるんだ!ぼくは絶対に逃げないぞ」
そんなの、絶対に嫌だ。
なけなしの勇気を振り絞り、シオンは雪を掴んで犬狼に向かって投げる。
今、まさに少女を毒牙にかけようとしていた犬狼達が慌ててこちらを見た。
「おら犬狼ども!その人に手を出したら承知しないぞ、ぼくが相手だ!!」
持っているナイフをぶんぶん振り回し、犬狼の群れに突撃する。
闇雲に振り回した、銀線が犬の鼻先を掠めて雪の上に赤い斑模様を作る。
傷をつけられた犬狼が憎しみを込めてこちらを睨んだ。
「くそっ、犬畜生の癖に人様を睨むなんて生意気だぞ」
ガクガクと足の震えが止まらないまま、怒る犬狼と対峙する。
野生の獣特有の俊敏性で肉薄する犬狼にナイフで応戦するが
碌に刃物を振るったことなどないシオンに素早やい犬狼の動きを捕らえられるはずもなかった。
「うわっ?この、離せぇえ!!」
胸元に潜り込まれて雪の上に押し倒される。
その際の衝撃でナイフが手元から飛んで行った。
「これでも喰らえ!」
噛みつこうと牙を煌かせる犬狼を防ぐため鞄を口の中に押し付ける。
「ガルルルッ!!」
シオンと犬狼の力比べ。
負けるものかと押し返せば、犬狼もまた前脚に全体重を乗せた。
その負荷に鞄の方が耐えられず鞄が犬狼の牙に切り裂かれると中身が飛び出た。
黒板に石筆。そして母様が作ってくれたお弁当に犬狼の目は釘付けとなる。
「ここだぁああ!」
今しかない。
直感的にそう思ったぼくは上に乗っている犬狼の腹を蹴り飛ばして脱出すると
食べ物に気を取られて動きが緩慢な犬狼の間をすり抜けながら倒れている女の子を目指して走り出した。
「捕まって!早くここから離れるんだ」
ぼくはボロボロになった女の子を背負うと一目散にその場から逃げ出す。
犬狼たちは逃げるシオン達には目もくれず、荷物を漁っていた。
「……なぜ、たすけにきたのか?」
「良かった!意識があるんだね。待ってて、すぐに傷の手当ができる場所に連れて行くから」
不意に背中の少女が掠れた声を出した。
ズタボロになっていて心配したが意識があるならきっと助かる。
応急手当くらいしてあげたいけど、生憎とシオンも荷物はすべて犬狼に奪われてしまい何も持っていない。
シオンにできることはアスガルドの元へこの少女を連れていくことだけだ。
「みすてればよかったのじゃ、そなたがあぶない目にあわずとも……」
「困ってる人を見捨てて逃げちゃったら後でしんどいだろ?絶対後悔しちゃうと思うしさ」
「……そなた、変な奴じゃな」
クスっと少女の口から笑い声が漏れた。
二人はそれ以降はしゃべることなく、ただ雪を踏むだけ音だけが聞こえていた。