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第5話【約束】

 クリスは驚いてかおりに引っ張られるがままに。ステージでは、先ほどまで騒がしかったストリートスタイルの若者達の姿は無く、パーティードレスの女性やランニングシャツといった暑がりの若者がポップポップのテンポによく。体が反応するがままに調子の音波おとなみに乗っている。

 歌は洋楽なので歌詞は理解できなかった。しかし気にする事は無い。

「来て、クリス!」

 先に飛び出したかおりが踊り出す。両手をグーに、足でテンポをとって。

 クリスの前で、回ってみせる。


 クリスも、真似するように踊り出す。

 周囲の客と一緒に。

 音楽と一緒に。

 照明の光と一緒に。


 自分が どれほど恋焦がれても、決して手の届かなかった……かおりと。

 腕を振り回して。手を広げて。

 かおりの手をとって。


 光と音と熱の空間の中で2人は。


 まるで永遠の時を過ごすように いつまでもいつまでも……踊り続けた。

 ずっと、ずっと。

 次の、次の曲になっても。……



 ……


 やがて。休む暇も惜しんで踊り続け疲れを感じてきた2人は、次の曲へと変わるのを機に一方が話しかけるに至った。

「休もうか、かおり」

「うん」

 2人、仲良く手を正面から組むように繋げて、席に戻るまでは決してお互いの手を離さなかった。それがまた、2人にとって自然なように。

 今度はソファ席では無くカウンター席に並んで座る。またフルーツカクテルを注文した。

 かおりは まだ興奮が冷めきってはいない様子で、カウンターに大げさに突っ伏してみせる。そして横を向いてクリスに笑いかけた。「ああ楽しかった……」

 クリスも片肘をつき傾げた首で、かおりを眺める。かおりの一挙一動が、クリスの心を騒がせずにはいられなかった。何なら、今すぐにだって――


「そうそう、クリス。私、思い出したのよ」


 ドキッと、クリスは我に返った。頭を横に軽く振る。そんな仕草に、「どうかした?」と かおりに聞かれて。恥ずかしさを見られたくないと、クリスは鼻をこする振りをして顔を逸らしながら「何でもない」と返した。目は天井を。かおりは不思議に思ったが、気を取り直して再びクリスに問いかけた。

「思い出したの……あなたが私を助けてくれた思い出」

 無言でクリスは かおりを見つめる。

「私を遊園地のミラーイリュージョンで、助けてくれたでしょ? ……違う?」

「……」

 クリスは、何処かホッとして相槌を打った。そしてニッコリと笑う。「そうだよ」

「やっぱり。私も あなたもまだ子供だったのね……あの時、本当に嬉しかった。思い出せてよかった……でも」

 途端に顔を曇らせる。

「……馬鹿ね。そんな事で、3年も……」

「本当だ。自業自得だね」

 クリスがそう あっけらかんと返してくれたおかげで、かおりの曇った表情が解けた。

「ふふ」

 つい、笑みがこぼれてしまう。

 すると、注文したフルーツカクテルが2人の前に一つずつ順番に置かれた。少しずつ飲んで、かおりは話を続けていく。

「……でもね。あとの2度が どうしても思い出せそうに無いの……。ああ私って何て記憶力が悪いんだろう。情けないよ。頑張ってあなたの事を知ろうとしているのに。どうしてなんだろう……」


 クリスは笑うのをピタリと止めた。「ねえ。教えて?」

 しかしクリスは黙っている。

 黙って、カクテルの入ったガラスコップに付着して流れる水滴を見つめていた。

(クリス……?)

 かおりの胸が騒ぐ。どう見たって、触れてはならない事柄に触れてしまったと、かおりはそう感じた。これも突如訪れた変な沈黙といえるのか。

「……僕にも君にも、知られたくないし思い出したくない事がある。だから聞かないで」

 そんな風にクリスは言った。少し、寂しげに……。

「ごめんなさい……」

「気にしないで! 君が悪いわけじゃないんだ。悪いのは僕だから」

 慌ててかおりの前で大きな声を上げるクリス。落ち着かなく、カクテルを一気に飲み胸を張った。

 かおりの中に、じんわりとした想いが こみ上げる。クリスのする事 言う事 なす事が、全て愛おしくてたまらない。かおりはギュッと自分の丸めた手に、そっと……口づけた。

「ありがとうクリス……優しいんだね」

 クリスのハッとした顔を、かおりは一生離さない。



 ……一方、同時刻。

 かおり達の居る繁華街の他、都会のすべてを自分の足元に置く事のできる高層、上空で。

 空は黒く白い雲すら黒く、夜という名のとばりが下りて地上のものを天という神は支配する。その下では都会のイルミネーションが、天や神に逆らい人々を堕落させ、眠る事を許そうとはしなかった。

 自分の足元に街が。人が。生物が、建物が。『時間』が……存在する。高層ビルの頂上、屋上で。絶対に飛び越えるなと言わんばかりの高さの手すりの上に乗り、立って空をも含む地上を地平線の彼方まで見渡し目を細める男が一人。

 彼もこの世界の中では ちっぽけな存在にしか過ぎない。

 下方を見下げる。

 男は、一点を見下ろした。

 幾十ものビルや店が整列し、点々とした光を星のように瞬かせて色めいている、広い大街並みの中で。

 地下で隠れて見えはしないが、かおり達が居るバー。肉眼では見えるはずの無い距離の高さから、男は確実に かおり達を見ていた。

 楽しげに ひとときを過ごす、かおり達を。

 ただ……見ていた。

 コートの中に両の手の平を突っ込んで。

 彼は白い息では無く言葉を吐く。


「罪な女だ。またクリスの心は加速する」


 男はニヤリと笑う。快楽のように。

 そしてグラリと体を前に。……そのまま堕ちた。

 何のためらいも恥じらいも無く……手は両方ともコートの中にしまわれたままで。

 ドミノ倒しのドミノのようだ。


 下降する。夜の闇の中へ。ドブ底の中へ。……笑いながら消えた。



 少し都心からは離れた、廃虚と化したさびれたビル。シンと静まり返った屋内の至る所には、崩れ落ちた天井の一部や壁から剥がれた塗装が、居るはずの無い人間の代わりに落ち着いて居座っている。

 誰も……居ない。犬ころ一匹、居やしない。

 誰も居ない。人間は。

 人間は。

 生きている……人間は。


 廃墟を写すカメラは、ビルの建物の奥深く。上の階へと静かに移動し、ある部屋へと進む。

 月の光に差しこまれて部屋の中は、昼とは違った質の明るさを演出し暗さを持つ者を仲間に誘うように優しく導く。例え先に何が待っていようとも。

 白い薄汚れた壁の絵画にされるは、女性の亡骸なきがら。まだその肉体は若く、絶命して間も無い。魂を入れなおせば まだ間に合うと言ったとしても。それは所詮 無理な事。女性の目は閉じ首は力を失い垂れ、両手両足は十の字を表す格好で。

はりつけ』にされていた。


 不思議な事に、切り刻まれては いない。

 体が ずり落ちないようにと最低限に杭が打ち込まれているのみで、切り傷は一切無い。異常ではあるが、異質である感がする今殺人。

『黒いピエロ』の凶行。

 杭の打ち込まれた箇所から壁伝いに流れる新鮮な血は、何かを表すのか。

 犯人本人のみぞ知る。


 女性は かおりに背格好がとてもよく似ていた。



 朝の7時。高い音でピピピピピと、ベッドの脇に寝る前に置かれた、目覚まし時計が軽快に鳴る。そんな明るさとは裏腹に、かおりは少し頭を重く感じてベッドから起きた。

「う……」

 泥酔はしていないが。睡眠不足がたたっている。かおりは早朝、朝日が出る前までクリスと共にバーに居たのだ。夜通し覚悟の上で、クリスとの時間を。

 朝になれば仕事に行かねばならないと分かっていても。

 かおりは、9時までには会社に出社しなければならない。

「はあ……」

 悪いのは、自分。クリスじゃないんだ、自分がこの日を選んだんだから、と。

 かおりは両手を高く天井に向かって伸ばして、グリグリと上半身だけを捻った。少し運動をしただけで、だいぶ活動がしやすくなったと感じた。「行かなくちゃ!」

 ベッドから離れ、テレビをつける。そして台所へ。

 朝はいつも紅茶を飲む。収納スペースの一部には、多種の紅茶が山積みだ。かおりは棚の前で一瞬だけ思考をし、片手に一種の紅茶パックを取った。

『キャラメルティー』。……かおりが紅茶に砂糖を入れないのは、甘い紅茶を好んで飲むからである。


 クリスと別れる前――。

 紅茶の話をすると、かおりはすごく おしゃべりになってしまった。クリスの前でも。

 時間を忘れる。忘れてしまいたかった、最後まで。

 かおりはフト、朝が来たら会社に行かねばならない事を思い出してしまった。カウンターで、底に数センチほど残っているフルーツカクテルを悔しそうに見ながら。やり場の無い気持ちに、嫌気がさす。

 つまらない事を思い出したおかげで、クリスに話しかける口数が少なくなってきてしまった。

 このままでは。このままでは、来る。沈黙という、怪物が……。

 かおりは、下口唇を噛んだ。


「かおり。今日は楽しかった」


 ギクリ。かおりはサッとクリスを見た。

 まるで顔色を読まれてしまったかのように、タイミングが良過ぎだと思った。

「朝から仕事だね。じゃあ……もう帰らなくちゃ」

 ニコニコと笑いながら、底に残っていたカクテルを飲み干したクリス。カランと、残された氷が軽く音を立てる。

 分かっていても、悲しかった。「うん……」


 会計を済ませ、クリスの後ろについて行く。店を出た2人は、外を出たすぐ隣にあるガラス張りの店の前で立ち止まった。

 陽気な男達が酔っ払って肩を組みながら歩いていたり、数メートル離れた場所の道隅で若者の集団が しゃがみこみ、たむろっていたりと。辺りはまだ夜の暗さでライトが目立っていたが、あまり静かでは無かった。

 その方がかおり達にはありがたい。沈黙の神に見つからずに済むからだ。……


 少しの間の後、2人はお互いを見つめあった。横のガラス窓には、2人の姿が映っている。どちらも名残惜しむかのように、黙って突っ立っている。

 しかしせきを切ったように話を切り出したのはクリスの方だった。

「ココから帰るね」

 また、笑う。

「そう……だね。うん……」

 かおりも、微かに笑う。俯き加減で。


「次、いつ会える……?」


 勇気を出してかおりは聞いた。今のかおりに出せる、精一杯の勇気だった。

 そして、怖かった。

 次なんて、あるのだろうかと。

「また、沈黙の神の目を盗めそうな頃合いを見計らって君に知らせるよ」

 クリスの片手が、かおりの頬に優しく触れる。

 触れた頬を伝うもの。それは涙だ。かおりは本人の自覚も無く、涙を流していた。

 もう、行ってしまうのね。

 目がそう、言ってしまった。

「かおり」

 クリスの声がかおりを包む。


 それは自然だった。時の流れのように。

 クリスは、かおりに口づけを。


 別れと、再会の約束の意味のキスを。


「それじゃ……」

 クリスは笑顔で……ガラスを通して、消えて行った。

 行った……。

「……」

 かおりの足元を、冷たい風が塵くずと共に走り抜ける。


 かおりは手を組み、胸の前で息を吹く。


 クリスが好き。愛している。

 動画の中で、かおりにピエロと称された男がクルクル笑いかけながら、おどけている。



“何故 笑うの”

“それはね、君を悲しませたくないからさ”




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