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第3話【ミラーイリュージョン】

 外では変わらず黒いピエロが、都会の何処かに やって来る。

 足音も立てずに……。



 かおりが今勤める小さな製紙会社のオフィスビル。

 かおりは、一階の化粧室で手を洗う。後ろでは同僚達 何人かが、昨日観たテレビの話や上司への不満を好き勝手に言いたい放題である。

 しかし かおりの耳には一切情報は入って来なかった。そんな事より、昨夜の出来事の方が大事おおごとだったからだ。2人の……


 かおりを襲った男 と かおりを助けた男。

 ジョーカーと呼ばれた男 と サイレントと……。


 それぞれはクリス、という同一の人物らしい。

『お前を愛したクリスは』――沈黙の神とやらが、かおりに言った。

『お前がクリスに救われたのは今回で4度目』――4度も?


 キュ。

 水道の蛇口をひねり、流していた水を止めた。

 鏡に映った自分を見つめる。化粧をされた、外での自分の顔を。

(知らなかった……私が、誰かに見守られていただなんて)

 しかも沈黙という名の世界の住人。この世の者では無いのだ。鏡など一枚を隔てて、彼らは行き来できるらしいが……それをしてはいけないという、掟がある。

(いきなり愛しているなんて言われても……私は、どうしたら)

 掟を破ってまでも、かおりを助けにやって来てくれていたという。かおりには全然身に覚えが無かった……可哀想な事に、と。神はそれが皮肉だと言った。かおりは、罪悪感という念にかられっ放しで参ってしまっていた。

(いつ、彼に助けてもらっていたんだろう……子供の頃かな……?)

 鏡の中の自分を見続けて、姿を通して子供の時の自分を想像した。子供の……。


 するといきなり、自分の顔が全く違う顔へと化けた。

「!!」

 かおりは思わず声を上げそうになるのを堪えた。心臓がドキリと打つ。

 鏡の中の住人はニヤリと笑う。


 ジョーカー……!


 昨日、散々見た彼の顔だった。「ひっ……」小さな悲鳴を上げた。

 あの顔を見たくない。「どうしたの、かおり!?」

 ……。

 同僚の一人が悲鳴を上げたかおりの肩を揺さぶる。

「かおり?」

「ピエロが……」

 意味の分からない事を口走る。同僚は、かおりが見つめる先の鏡を見たが、すでに何の変哲も無く普通に かおりと同僚の姿が映っているだけだった。

(ピエロ……ピエロ!)

 おかげで、かおりの脳裏に ある一つの不思議体験が思い出された。



 それは かおりが小学5年生だった頃までさかのぼる。春の遠足で、学年全員で遊園地へ出かけた時の事だった。

 日が高く明るい内から、何処かの劇団かサーカスなどを呼び、盛大なパレードを行っていたのを覚えている。マスコットキャラクターや、王子やお姫様などが出入り口・園内で子供達の相手をしてくれていた。その中で派手で奇抜な衣装をまとったピエロが居たのが印象に今でも残っている。ただの普通のピエロで、裏の顔や怖さといった そんなものは無い。

 かおりはとても内気で、よく男子から からかわれていた。同じ班の男子からも。

 他の女子が居ない隙に、同じ班の男子達が かおりを呼んだ。そして男子達は半ば強引に。園内にある、壁が全て鏡張りでできた迷路『ミラーイリュージョン』へと、かおりを連れて行ったのだった。

 そして男子の皆に わざと置いてきぼりにされる かおり。

 かおりは泣きそうになっていた。

 迷路内は人気が無いのか、閑散としていて人は少ない。歩いても歩いても、人と会う事が さっぱり無かった。周りには不安そうな顔の かおりが鏡の数ぶん映って見えるだけで、余計に怖くなってしまったのだった。

 どうしよう、このまま一生ココの中に閉じ込められたら。

 皆 意地悪だ。どうして私がこんな目に遭わなきゃならないの……。

 かおりはついに泣き出した。


 たすけて。たすけて。たすけて……。


 誰でもいいからと。この場に居るはずの無い母や父の名前を呼んだりした。

 すると。


「こっち。右!」


 ……男の子供の声がした。知らない子の声。「……?」

 かおりは顔を上げた。涙で視界がにじんでいる。よくはっきりとは見えない。

「聞いて。右だよ、そっちからみて」

 声が何処から聞こえているのか……? でもそんな事は今のかおりには どうでもよかった。

 ただ、声の指示通りに進んで行くだけで。

「そう。次の角を左に曲がって」

「行き過ぎだ。一つ戻って」

 声は正確に、かおりを導いて行く。まるでココが自分の住み慣れた庭なんだと言わんばかりに。

 かおりはもう泣かなかった。小走りに、出口を目指して。

 声を信じて。


「さ……この道を真っ直ぐ行けば、ゴールだよ」


 かおりは最後の真っ直ぐな道を……駆け出す前に後ろを振り返る。

「……」

 誰も、居ない。

 誰が……。

 かおりは、嬉しそうにニコっと笑った。「ありがとう」

 向かうはゴール。かおりは笑顔になって、皆の元へ……。


 ……そして思い出となって、かおりの記憶の引き出しの奥へしまわれていった。



(きっとあの時の男の子だったんだ……)

 かおりは思った。

(あとの2回は、いつ……?)

 とても思い出せそうに無い。やっと一つを思い出せただけだった。


 今、かおりは少し先輩の同僚となる男の車に乗っている。まだ新人で分からない事だらけで、失敗も多いかおりをいつも長い目で見てくれている、面倒見がいい男。名前を新田にったといった。女性社員の誰からも熱い支持がある。かおりも まんざらでも無かった。

 帰りがけに一緒にどう、と。新田の方から声をかけられ、ちょうど小降りの雨が降ってきた所だったので。かおりは誘いに乗った。

 特に何というわけで無く。ただ一緒に帰るだけだった。


 車を走らせる。車は道なりに、視界が良好で無い雨の中を突き進む。

 国道の途中の交差点で信号待ちをしていて。今まで好きな音楽やテレビ、話題の芸能人の話などで盛り上がっていた2人に。

 突如『間』が空いた。

「……」

「……」

 車が動き出す。窓からの風景が全て流れて後ろの方へ。助手席の かおりは、嫌な感じに襲われた。

 沈黙。

(どうしよっかな……何か話題は……)

 もう話す事など無い気がしていた。早く家に着かないか……そんな事を外を見ながら考え出していた。


「綾野さん」

「え?」

 呼ばれて、慌てて新田の顔を見た。運転中の新田は前を見るしか無かったが、たまにチラッとかおりを横目で見ている。

「よかったら……この後 一緒に食事でもどうかな?」


 ……。

 無言のかおり。返答に困ってしまっていた。「どう? 予定ある?」

 かおりが答えられない理由は……。

 車のサイドミラー。かおりが居る助手席側の方。

 かおりはギクリとして体が凍りついてしまったのだった。


 クリス……!


 観ていた動画のシーンのようだ。踊って歌っているわけでは無いのだが。ミラーの面積 中央に彼が映ってこっちを見ている。昨日と今日と同じ格好同じ服装で、かおりを見ている。

 表情が無い。

 あなたはジョーカー? それともサイレント?

 ……


 かおりと目が合ったかと思ったら、ニコッと……嬉しそう? に笑った。何故か笑っていた。

(クリス……)

 かおりの気持ちが揺れた。「綾野さん……?」

 新田は、心配そうにまた声をかけた。

「ごめんなさい……悪いけど……また」

 とてもこのまま男と食事など、楽しめる気分では無い。そう思ってかおりは断るしか無かった。

「そう……じゃあ、また別の機会に誘うよ」

 新田は残念そうに。それから気を取り直して違う話をし出した。

 かおりは新田の話に笑う。先ほどの『沈黙』が嘘のようだ。車内は再び明るいムードへと。かおりには大変ありがたい事だった。

 頭の片隅にクリスの笑顔がチラつく。何故あなたは笑っていたの、好きな女が別の男に誘われているというのに……と。

 もうミラーの中は沈黙が過ぎ去った時と共に、通常の景色へと戻っていた。

 かおり達が談笑していると時間はあっという間に過ぎていくようで。車は かおりの住むマンションの前へ停まった。

「ありがとう、送ってくれて。今日は断ってしまってごめんなさい。また誘ってね」

 かおりは車から降りた後、新田に窓越しで笑いかける。新田も、陽気に かおりに手を振った。「おうよ。またね、綾野さん」

 車は発進する。かおりは小雨の中、傘も無いので急いで建物の中へ入る。

 エレベータが上の階から降りてくるのを待ちながら、髪の毛から滴り落ちる水滴の行く先を見ていた。ポタ、ポタ……と。地面を丸い水沫で染める。

(何故 道化師は笑うのだろう……)

 遊園地で会ったようなサーカスに居るピエロとは、わざと おどけて客を楽しませるけれど。かおりは何故か気になるワードの中に『道化師』も入れる事にした。沈黙、ピエロなどに続いて。

(何故 道化師は……)

 仕事だからじゃないか、と何処からか野次でも聞こえてきそうだった。



 クリス、あなたはきっと、私を悲しませない為に――



 ……そう答えが行き着くと、悲しく切なく。エレベータの出入り口が開き、かおりを中へと招き入れてくれた。



 かおりを家まで送り届けた後。新田は、自宅に着いた。

 新田もマンションで一人暮らしをしている。白い壁の、特段変わった所も無いありふれたマンション4階の一室。新田は部屋に入ってすぐ電気を点けた。

 ところが、点かない。

「あれえ……」

 何度かカチカチとスイッチを試してみても、全く照明に反応が無かった。

 困る新田。懐中電灯を、と取りに行こうとして あ、と嫌な事に気がつく。

 そういえば乾電池が切れて無かったか。……


 新田は仕方無く、玄関に向かう。放り投げた上着を拾い掴みながら。近くのコンビニへと仕方無い、面倒だが行くかと、玄関のドアを開けた。


 ガチャ。


 ドアが新田から前へ開くとすぐに、『人』が姿を現した。

「わ!?」

 急に居たと思い、驚いて相手に謝る。「すいません、どうも……」

 頭を掻きながら相手を見ようとすると……。


 ガシリ。


 ……。

 いきなり、玄関に足を踏み入れられ新田の顔面を片手が掴んだ。「……ッ!」

 突然の暗闇に、新田は もがいて相手の掴んでいる腕を自分から引きはがそうとするが……。


 ブスリ。


 気持ちの悪い音が新田を襲う。自分の腹に ゆっくりと熱いものが伝わってきた。すぐにそれが、痛みへと変わる。「ぐ……が……」

 ブスリ。もう一度。「……」

 もう……。


 バタンッ!


 玄関の重いドアは勝手に閉まった。

 不協和音、不協和音程にも聞こえる音。外の雨音をバックコーラスに奏でている。観客は誰も居ない。



 翌日、腐臭がすると見に来た隣人によって玄関のドアが開けられ、見るも無残な姿で新田は発見された。

 マリオネットのように、体をくねらせて。


 黒いピエロは何処でも笑う。




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