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第2話【クリス・マークス】

 かおりには自分に何が起こっているのか、すぐに判断が出来なかった。

 鏡の中に誰かが居る。そして、その人物に身を引き寄せられて後ろから自分の首に腕をまわされたかと思ったら、冷たく硬い物が かおりの首筋にピタリと押し当てられた。

 それが鋭利なナイフだと分かった時。かおりは声を上げた。「い……いやあああ!」


 肩にまわされた何者かの腕を振りほどく。かおりは前方へと転びそうに逃げたが……。

 やはり、ベランダへのガラス戸の手前で前のめりに転んだ。そしてすぐに『何者か』の方へと体を向ける。 かおりには信じられないものを、見た。

 鏡の中から何の抵抗も無く、自然なように人が出てきたのだ。一人の、若い男。

 格好、服装に見覚えがあった。というより、似ている。よく似ている。


 動画の中で弾けて調子をとりながら遊ぶように歌っていた あのボーカル。

 顔は全然違う。でも着ている衣服や、笑い方、取り巻く雰囲気がそっくりだ。本当に動画から飛び出してきたのではないかとさえ思うほどに。もちろん、ただの偶然の一致だろう。

 重ね着したシャツにネクタイを締め、上から暖かそうなコートを。頭にも暖かそうな濃緑のニット帽を。そして日本人では無いというのか、金髪を……帽子の中に整えられ しまわれている。

 肌が白い……照明が切れた部屋の中で月明かりがそれをよく表してくれている。

 不気味なほどに……。


 かおりに微かに笑いかけ、片手にはナイフを。構えず、手荷物のように持っている。

 そしてかおりに ゆっくりと近づいて行った。

 言葉を発しながら。

「君を愛しているよ。かおり」

 語りかけるように。

「殺したいほど」

 言い終わった後に、顔中に『喜び』が広がった。頬骨が吊り上がり目が小さく細くなって、出来たえくぼが非常に怖く。かおりの背筋を凍らせる。


 怖、い。


 かおりの奥歯がカチカチと鳴った。全身が震えて、目が見開ききってしまって彼から逸らす事が不可能になっていた。魔術にかかってしまったのだ。罠に引っかかったんだと。

「た、たすけて……」

 目は離せずに、体は逃げようとする方を向いて何とか立ち上がろうと頑張って動かした。不格好でも、滑稽でも、かおりは這いつくばってでもいいから、立ち上がろうとした。

 ベランダのガラス戸にすがる。

 窓から見える景色は かおりに何もしてくれない。

「助けて……」

 男が忍び寄る。ガラス戸に両手をついて かおりはついに近寄る男から顔を背け、ベランダの下方を。


 そうして気がついた。ベランダに足がある……。

 黒い紐靴を履いたズボンの上方には。人の体が。要するに、誰かが外のベランダに『立って』いたのだ。かおりを見下ろして……そして迫る男の顔を見て。しかし……。

 姿、格好が かおりを襲う男と これまた類似していた。かおりは呆気にとられる。


「やめろ」


 高くも無く低くも無い、男の声。高揚を取り除いた声質は、何故か後ろから迫り来る男の声と似ている気がした。いや……。

 かおりはガラスを挟み立っている男を見上げ よく凝視した。月明かりの逆光で暗いので分かりにくさがあったのだが、笑っていないだけで男の顔は。

 かおりに迫る男とかおりの前に現れた男は2人とも。同じ顔だったのだ。

「サイレント」

 迫る男が言う。ナイフを持つ手は変わらずブランと ぶら下げて。

「かおりには指一本触れさせない。退け、ジョーカー」

 無表情に躍動感の無い声で。相手を『ジョーカー』と呼んだ。

(『サイレント』……? 『ジョーカー』……?)

 かおりに疑問符が浮かぶ。それぞれは相手の名前なのか。そして知り合っていたのかと。

 ジョーカーと呼ばれた男は舌打ちをする。「チッ……」

 今まで笑顔だった顔が初めて歪む。少し眉間に皺を寄せ顔を横に逸らしながら吐くように台詞せりふを捨てた。

「これでまた3年、お前に罪の罰が下される。人間の寿命なんざ たかが知れてるのになァ、サイレント? お前は一生、かおりとは結ばれない」

 皮肉を含む笑い方で挑発した。それに乗って名前を呼ばれたサイレントの方は感情をあらわに叫んだ。

「 黙 れ ! 消 え ろ ! 」


「クククククク……」


 言われた通りに、笑う男は後ろに後ずさって、鏡面に当たる事無く すり抜け消えていった。

 かおりを襲う男は居なくなって。ホッと見るからに安堵する様子を見せた かおり。ペタンと正座で、息を深くつき肩を落とす。「あ、ありがとう……助けてくれて……」

 かおりはベランダに立ったままの男に お礼を言った。最初、何かを言いたげに かおりの顔を見て口を小さく開けてみたものの、すぐに目を伏せ……やめたようだった。

「どういたしまして。……じゃあね」

 少し寂しそうに口元を作った。かおりは それを見て即座に立ち上がった。もう震えも恐怖も何処かに行ってしまって元気に。

 ベランダへの戸の鍵を開け、勢いよく戸をガラララ! と引き開けた。「待って! あなた達って!」

 呼ぶ。

 男はギョッとしたが何も言わなかった。

 かおりは開けた戸から「ひとまず中に入って」と招き入れた。男が中に入ると、すぐに戸は閉める。

 かおりはドキドキしている胸の内を悟られないように、男の顔を見た。目は真剣に。

「あなた達……何者なの? 何処から来たの? 違う世界から……来たの?」

 鏡をすり抜けたりしているのを見ている。目の前に居る男も……ここは、この部屋はマンションの3階なのだ。上からも下からでも、わざわざどうやって来たというのか。


 男は黙って俯き加減だった。言葉を選んでいるのか言うのをためらっているのか。時折、全然違う一点を見たりして考えていた。

 やがて重く口を開く。

「僕らは……沈黙世界から来た。決して、かおりの居るこちら側の世界とは関わってはいけないと……掟がある」

 ちんもくせかい……。

 かおりの脳裏に再び『沈黙』という言葉が蘇った。


 そんな世界が?


「でもあなたは助けてくれたわ。……何故?」

「それは……」


 その時。

 突然、2人を頭痛が襲った。「!」「うぐっ……!」

 稲光が走り直撃したような衝撃で。2人とも場に しゃがみ うずくまった。「痛いっ……!」

 苦痛の表情を浮かべ声に漏れた。

「何……!?」


 すると、耳の中を突き頭に響くような厳かな低い声が部屋中に降りかかった。


『また禁を犯したな、クリス・マークス……仕様が無い奴だ』


「沈黙の神……」


 クリス・マークス?

 沈黙の神ですって!

 かおりは頭を押さえながら、降りかかる声と彼との会話のやりとりを黙って聞いていた。

『お前に罰を与える。あと3年……それが加算され、残り6年。残り6年を、お前はまだ私の世界の下で過ごすように命ずる』

「……はい」

 頭痛はゆっくりと消えていった。力無く、彼は返事だけを。

 かおりは よく理解がまだ出来なかったが、悲しそうにも見える表情の乏しい彼に同情の念が芽生えた。

 でも、どうしてあげたらいいのか分からないから困る、と。かおりは彼の様子を見守るしか無かった。

 すると天からの――沈黙の神の声はあざけるように、今度は かおりに語りかけた。

『ふ。娘。教えてやろう……クリスの運命と、お前に襲いかかる悪魔の正体を』

「……!」

 ハッと驚いたのはクリスと呼ばれた彼の方だ。顔を上げて天を見た。

『お前を愛したクリスは、お前の為に複数の禁を犯す』


 私の為に?


 かおりも天井の方を見上げた。誰かが居るわけでは無い。

「やめろ……」

 クリスを見た。目は何処かを注視し少し声が震えた。

『一度禁を犯せば3年。お前がクリスに救われたのは今回で4度目である』

「やめてくれ!」

『皮肉なものだ。かおり、お前はクリスの想いに気がつかない。なのにクリスは想いばかりが成長し続けて』


「 や め ろ ーーー ッ !! 」


『自分の中のジョーカーを生み出し自分と戦う羽目になった。馬鹿な男だ』


 クリスの叫びは かおりの心に届く。

 かおりの前には、小さく うずくまって耳を塞いでいる男がひとり。


 沈黙が2人を包む。神はもう何も語りかけては来なかった。

 シーン、とも キーン、ともとれる静けさの音が脳天の端々まで染み行き渡り。

 2人を苦しめ、呼吸さえも満足に許さない『沈黙』が。


 かおりの苦手な『沈黙』が。


 ……訪れる。


 かおりは次の自分の するべき行動を見失って気持ちが奔走していた。あの消えた男のように笑えばいいのか、気持ち悪いと怒ればいいのか、泣けばいいのか、それとも……。


 だから、『沈黙』は嫌いよ。かおりはそう叫びたかった。


「さっきの男は、もう一人の……クリス?」

 かおりが恐々と話しかけると、クリスはガバッと身を起こした。「!」

 あまりに突然で後ろに尻もちをついてしまう かおり。立ち上がったクリスは開き直った顔で、少し赤らめながら、

「ごめんなさい、かおり!」

と、かおりを見もせずにガラス戸に突進して行った。

 戸にブチ当たる事は無く、そのままガラスに溶け込むように姿を消した。


 そして小さな奇跡が起きる。

 鳴らないはずの、ベッド脇に置いてあったオルゴールが頼りなく鳴り始めた。

 小さい音だけれど、沈黙の後の部屋に可愛らしく響く『サイレン』。ラッパを吹く兵隊の人形が、音を奏でている間は回り続けている。

 そしてその曲は動画の曲とも恐らく違う、かおりには聞いた事も無いメロディだった。


 一曲一通り鳴らした後……またオルゴールは静かになってしまった。




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