07
前日、王宮の執務室に泊まったマクシミリオは、朝食を一緒にとのジェイラスの誘いを受け、皇王の住居である小宮へと赴いた。
庭に用意されたテーブルの上には料理長自慢の朝食が並び、ジェイラスは焼きたてのパンに肉厚のベーコンを挟むと、がぶりとそれにかじりつく。
公ではない時のジェイラスは、作法など気にせず食事をする。その方が美味しく感じるからだと、以前マクシミリオに話した事があった。
「のう、マクシム」
ミルクがたっぷり入った紅茶で喉を潤したジェイラスは、満足そうな笑みを浮かべ異母弟の名を呼んだ。
「はい。なんでしょう陛下」
ナフキンで口もとを拭い、マクシミリオは菫色の瞳を兄へと向ける。
「マリーだが……どうにかならんか?」
「どうにか……とは?」
首を傾げるマクシミリオに、ジェイラスはふうっと溜息をついた。
「アレはそちの妻になるのだと、いまだに鼻息が荒いのだ。そちにはウィロックの末娘がいると言うておるのだが、聞く耳を持たぬというか……」
「……」
ゆるゆると首を振る兄王に、マクシミリオは秀麗な顔を歪めた。コンラットのすぐ上の姉マリアンヌ皇女の幼い頃の口癖は「マクシミリオ叔父様の妻になるの」だった事思い出し、それが今でも続いている事に少々驚きはしたものの、姪としてしか彼女の事は見ていないマクシミリオにとって甚だ迷惑な話である。
「皇女は来月で二十歳でしたか……いい加減輿入れ先を見つけなくてはいけませんね」
「うむ……」
できれば近場にして欲しい――と、ジェイラスはもう一度溜息をついた。コンラット以外は全員娘であるため、嫁に出す事には慣れている。しかし、姉妹の中でもやはり一番下というのは特別可愛いものであって、できることなら嫁に出したくないというのがジェイラスの本音だ。
「余はの、マクシム」
「はい?」
「余は、本当はそちに……マリーをもらって欲しかったのだ」
「兄上……」
きゅっと眉根が引き寄せられ、マクシミリオは苦しげにジェイラスを見た。
「すまぬ。そちを困らせるつもりで言ったのではない。娘可愛さ故の戯言だ」
忘れておくれ――と、ジェイラスはカップの中の紅茶を飲み干した。
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「暗い顔だな、マクシム」
色男が台無しだぜ――と、従騎士の青年はクッと片唇を上げた。
「……シリル」
はーっと息を吐き、マクシミリオは長イスに寝そべったまま、目だけを従騎士へと向ける。母方の従弟であるシリルは、エルビアンとはまた違った意味での気安さがあった。
「俺のいない間に何かあったのか?」
侍従騎士とは違い、王宮内では従騎士は四六時中警護対象者の傍に居る必要はない。そのためシリルはここに来る前、騎士団の鍛錬場で勝ち抜き選形式の剣術試合をしていた。
「お前、汗臭い……」
「あ、悪い悪い。さっきまで剣術試合をしていたんだ」
「ふん。勝ったのか?」
「いんや。準決勝でレリウス殿にやられた」
これで二十八敗目だ――と、シリルは悔しそうに顔を歪ませ舌打ちをした。
「レスに? それじゃあ彼が優勝したのか?」
「まさか。我等が副隊長クライブ=ロバーツ殿に決まっているだろ。とはいっても、今回もかなり危なかったけどな」
「ふぅん」
シリルは要人警護が主な仕事である第二部隊に属している。彼の直接の上司である副隊長のクライブはレリウスの同期生であり、士官学校時代からなにかにつけて競い合ってきた仲だ。エルビアンがマクシミリオの好敵手と言われているように、レリウスの好敵手はクライブであった。
「クライブ=ロバーツか……」
フォレスティンの黒豹と評されるクライブの流れるような剣技は、たいそう美しく華やかで見る者を魅了する。だが、暁の獅子ことレリウス=ウィロックの剣技はかなり高度ではあるものの、残念な事に彼のような華やかさはなかった。容姿に関して言えば、レリウスの方が断然上ではあるのだが………。
「剣なんて、もう何年も握っていないな」
もしも今、この場で刺客に襲われたら、すぐにあの世行きだろうなとおどけてみせるマクシミリオに、シリルはあからさまに顔を歪めた。
「んな趣味の悪い事を言うなよマクシム。俺の技量が疑われるじゃないか」
侍従騎士や従騎士になるためには、厳しい試験を幾つも受けなくてはいけない。特に侍従騎士は警護対象が王族であり、公私に関係なく常に傍近くにいなくてはならないため、仕える王族との相性も大切だった。クライブは皇太子の侍従騎士であり、教育係の長であるエルビアンとの関係は、レリウスとよりも良好であったりする。
「私が一人の時に襲われたら――って話だよ」
「あー……それなら納得だ。うん。殺られるな」
「お前が私の侍従騎士だったら、話しは別だろうけどな」
「ジョーダンだろ、それだけは絶対にゴメンだ」
心底嫌そうな顔をして、シリルは脚を組み替える。マクシミリオはのろのろと起き上がると、背もたれに背中を預けくしゃりと前髪を掻き上げた。
「そういえばメンデス侯の夜会……お前は招待されたか?」
「ああ」
それがどうしたのかと目で問えば、マクシミリオはやんわりと口角を上げた。
「シリル、お前【百合姫】をそれに誘え」
「はぁ?」
何を言っているんだ――と、シリルは大袈裟な動きで肩を竦めた。
「今回の夜会は、どうしても断れなくてね……。シリル、メンデス侯とウィロック伯は親しくはないんだ。おそらくウィロック家に、夜会の招待状は届いていないだろう」
「それで?」
「クリスティアに心細い思いをさせたくない。だからお前が【百合姫】を誘って出席してくれれば、ティアだって心強いし安心する」
「そりゃそうだろうけど……。でもなぁマクシム、あの【百合姫】が俺の誘いなんか受けるかよ。無理だ。絶対に」
「ああ、それなら大丈夫。私が一筆書くから、お前はそれを彼女に見せればいい」
マクシミリオは立ち上がると、執務机の方へと行き、引き出しから便箋を取り出し事情を書き込んだ。丁寧に折りたたみ封筒に入れると、蜜蝋で封印をする。もちろんラジュエル公爵家の紋章の印を、その上からしっかりと押した。
「お前だって知っているだろう? ウィロック伯爵家の兄弟姉妹は、皆、末っ子を溺愛しているって事をさ」
ウィロック兄弟の“末妹バカ”ぶりは有名で、王宮に勤める者でそれを知らない者など一人もいない。
「ん、まぁ一応はな」
シリルは苦笑し、マクシミリオからそれを受け取った。