04
前庭とは違い、建物の裏に広がるのは、作られた物ではない自然の姿。
小さな中洲のある湖に小さな森――野ウサギが跳ね、リスが木を駆け上がり、小鳥が可愛い声で歌っている。
湖の中洲には色とりどりの花が咲いていて、クリスティアはあちらへ渡れるのかとマクシミリオに訊ねた。
「もちろん。けれど今は無理だよ。小舟が壊れてしまってね、新しい物を作らなくてはいけないんだ。出来上がったら、一番最初にあなたを乗せてあげよう」
わあ――っと、おもわず手を叩き飛び上がりそうになり、クリスティアはいけないと右手を握り締めた。小さな子供のような行動は、貴婦人のする事ではない。そんな事をしては、ただでさえ埋められないほどひらいている姉達との差が、さらに大きくなってしまう。
こほり――と咳払いを一つして、クリスティアは先ほどから気になっている事を口にした。
「公爵様、前に一度わたくしと会っているというのは……それは本当なのですか?」
「ああ。本当だよ」
知りたいかい?――と問う彼に、クリスティアは頷いた。
「あの時私は遊び仲間と賭けをしていて、その賭けのためにキーニス伯爵の屋敷に忍びこんだんだ。そこで九歳のあなたに会って、その場であなたを妻にすると決めた」
「……」
九歳――クリスティアはこめかみを中指で押さえ、記憶を手繰り寄せるものの……やはり何一つ思い出せない。ただ、一つだけ彼女にも判ることがある。寝ぼけていたという事は、自分が寝ている所に彼がきた―という事で、忍び込んだ目的が何であるのか……想像するのは容易い。
「その“賭け”とは……何ですの?」
「ん? あぁそれは……その……」
口もとを手で覆いスイッと視線をそらすマクシミリオに、クリスティアは軽く顔を顰めた。この様子からいって、やはり“褒められた内容”じゃないのはあきらかだ。大方、美姫と名高い姉に良からぬ事をしようとしたに違いない。
所詮公爵も、その辺は他の男達と一緒なのだ。
艶やかで美しいものが好きなのだ。
面白くない――クリスティアはふいっと視線を横へとずらした。
「姉さまは色々な意味でお強いですから、あなた様など姉さまにしてみれば、赤子のようなものでしょうね」
「確かに彼女は強い。強い――が、それがあの方の魅力でもあるね」
あの夜の事を思い出し、マクシミリオはうっとりと微笑んだ。それを見た瞬間クリスティアの中に、もやもやとしたものが湧き上がる。それは過去に何度も彼女が味わってきた苦いものだった。
「……ね」
「ん?」
「あなたも同じなのね」
「クリスティア?」
「姉さま達に近づために、わたくしを利用しようとしているのね!!」
「なっ……」
マクシミリオの腕に置いていた手をパッと離し、クリスティアは素早く一歩後ろへと下がる。ギリッと奥歯を噛みしめ、呆然と自分を見つめるマクシミリオを睨んだ。
「でもまあ、結婚を申し込んでまでそうしようとしたのは、あなたが初めてでしたけど」
自嘲気味に笑って、クリスティアはまた一歩後ろへと下がる。
「クリス……」
眉を顰めるマクシミリオに、フフンとクリスティアは鼻を鳴らした。
「あなたがどうがんばったって、ジェニー姉さまがセルジュ義兄さまと離婚する事はないわ。残念でした」
「何を言って……」
「あなたみたいな人を、わたくしは何人も知っているの。わたくしを好きだと言うけれど、本当は姉さま達に近づきたかっただけ。わたくしが姉さま達に可愛がられているのを知っているから」
「待ちなさい、さっきからあなたは何を言っているんだ?」
延ばしたその手を、クリスティアはパシリと叩いた。
「いくら……いくらわたくしがウィロックのみそっかすだからって、バカにしないで!! しかも何よ、お父さまが断れないように陛下まで利用するなんて……あなたって最低だわ。それとも何? 噂に高い麗しき公爵様は、どんな酷い事をしても、にこりと笑ってごめんって言えば許されるとでも思っているの?」
握った拳をぶるぶると震わせて、クリスティアは歯を食いしばり泣くのを必死に堪えた。
どうして彼女がそういう答えを弾き出したのか――マクシミリオは大袈裟に溜息をつくと、自分を睨むクリスティアに困ったように微笑んだ。
「どうもあなたは私を誤解しているようだ……。別に私は【薔薇姫】に近づく為に、あなたに結婚を申し込んだ訳じゃない。もちろん【百合姫】にもだ。私が欲しいのはあなたであって、あなたの姉君なんかじゃないよ」
「嘘よ」
「嘘じゃない。信じて欲しい」
「無理よ。そんなの信じられないわ」
「どうしたら、あなたは私の言う事を信じてくれる?」
「そ、それはっ………」
ぐっと眉間に深い皺を刻み、クリスティアはどう答えようかと思案した。
「わ、わたくしはあなたなんて好きじゃないわ」
「私は好きだよ」
「わたくしは好きじゃない。それにわたくしは、好きでもない相手と結婚なんてしたくないし、それを無理強いするのであれば修道院に行って神の花嫁になるわ」
「は? 修道院だって!? それだけは絶対にダメだ。冗談じゃない。あぁそうだ……それじゃ私とゲームをしようじゃないか」
「ゲーム?」
「ああ。ゲームといっても、それは軽い気持ちでするんじゃないよ。いいかい? これはあなたと私の、この先を賭けた真剣勝負だ」
「この先?」
「そうだよ。あなたと私の将来だ。どうする? 私と勝負するかい?」
ぎゅっと唇を引き締め、怖いくらい真剣な顔で問うマクシミリオに、クリスティアは数拍おいてから承諾する意味で小さく頷いた。それを見て口もとと目もとを少し緩めたマクシミリオは、さり気ない動きで彼女との距離を縮める。そしてそのゲームは難しいのかと問うクリスティアに、彼はゆるりと首を振った。
「期限を決めて、その間にあなたが私を好きになってくれたら……あなたは私と結婚する。好きになってもらえなかったら、その時は潔く……本当はとても嫌だけれど……私はあなたを諦める――ただそれだけだ」
簡単だろう?――と、マクシミリオは彼女の手をふわりと掬い上げると、その指先に優しくそっと口づけた。