02
「ラジュエル公爵からの使者だって!?」
ウィロック伯爵はイスから立ち上がると、妻におかしな所は無いか確認してもらう。大丈夫ですわと微笑む妻の頬に口づけてから、使者に会うため控えの間に向かった。メイヤーもその後に続く。残った家族達は、皆顔を見合わせメイヤー夫人の方を見た。
「本当に、あのラジュエル公爵家からなの?」
「はい。間違いございません奥様。使者は公爵家の紋章の入った馬車でやってきましたし、ラジュエル公爵の使いだとハッキリ言いました」
「そう……」
伯爵夫人の顔が曇り、子供達も首を傾げる。ラジュエル公爵といえば、この世のものとは思えないほど整った容貌で、その立ち居振る舞いは優美且つ繊細……国中の女性の憧れの貴公子である。独身であるため、年頃の娘を持つ貴族にとっては、これ以上の良縁はない相手だ。
「エルビアン兄さまは確か…公爵様とは王立学院時代のご学友でしたわよね?」
「おや? 良く覚えていたねフィーリア」
当然だとばかりに、フィーリアはふふんと鼻を鳴らす。その横でクリスティアは目を輝かせ、ある事を確かめたくてうずうずしていた。そんな末妹が可愛らしく、長兄は手で口もとを隠しくすりと笑う。
「ティア、何か言いたそうだね?」
言ってごらん――と、優しく言う兄に、クリスティアはパッと瞳を輝かせた。
「あの、あのねエル兄さま。あの噂……本当なの? その、公爵様のお顔が……この世のものとは思えないほど美しいっていう……」
興味津々といった様子で、クリスティアはエルビアンに問う。これには三兄もどう答えたら良いものか、困ったように顔を見合わせた。男と女では美醜感覚が違うため、男である三兄からしてみれば、彼を美形だとは思うものの、この世のものとは――とまでは思わない。
「確かに……女性がうっとりと見惚れてしまう顔立ちをしてはいるが……」
言葉を濁す長兄に、妹二人は顔を見合わせ首を傾げる。
「まぁ、そうだなぁ……一応この私は、彼の好敵手らしいよ」
それを聞き、フィーリアが片眉を跳ね上げた。
「兄さまが好敵手ですって? それでしたら公爵様は、たいしたことありませんわね。エルビアン兄さま程度でしたら、そこらじゅうに掃いて捨てるほどいますもの」
つまらないわ――と、フィーリアは大袈裟に肩を竦めた。だがクリスティアはますます興味を持ったようで、美形の兄に負けるとも劣らない公爵に、一度くらい会ってみたいものだと思った。おもいきって兄さまに頼んでみようかしら?――と、口を開きかけたその時、蒼白な顔の父がふらふらしながら戻ってきた。
「あなた、どうなさいましたの?」
「あぁ、ミレディ……大変な事になったよ」
「大変な事?」
妻に支えながらイスに座ると、伯爵はがっくりと項垂れる。
「父上、どうなさったのです? 公爵が何か文句でも言ってきたのですか?」
そう問うエルビアンに、伯爵はふるふると首を横に振る。じゃあ何が大変なのだと、痺れを切らしたレリウスが強く言い放つ。そんな短気な兄に、アレクシスが苦笑いを浮かべた。
「それが、その……」
伯爵はのろのろと頭を上げると、視線を末娘へと向けた。
「ラジュエル公爵が、ティアに結婚を申し込んできた」
一拍の間をおいて、伯爵以外の全員が、「ええ―――っ!!」と驚きの声をあげた。
「ど、どどどどどういう事ですか父上? な、何故、何故マクシムがティアをっ!?」
「そんなもんは断ってくださいっ! 今すぐです、今すぐ――っ!!」
「そうです父上、絶対に断ってください。だいたい何故ティアなのです? ここは順番からいって、どう考えてもフィーでしょう普通は!!」
「ぎゃーっ、止めてよアレク兄さま! わたくし、そんなのゴメンだわ!!」
ぎゃーぎゃー騒ぐ子供達とは反対に、伯爵夫人は青褪める末娘をそっと抱き寄せた。エルビアン以外は接点の無い相手からの、いきなりの結婚の申し出に、クリスティアは酷く混乱していた。
何故自分なのか?――公爵の意図が解らない。
政治的な駆け引きがあるとは、到底考えられなかった。自分と結婚しても、公爵には何の利点もないのだ。むしろウィロック家の方だけが、かなり得をする。ぶるりと震えた末娘に、伯爵夫人はやわらかな笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよティア。きっと何かの間違いでしょう……」
「お母さま」
「すぐに取り消されますよ」
「はい」
こくりと頷くクリスティアの頭をそろりと撫でて、夫人は頬に優しく口づける。母の言葉に安心したのか、そこでようやく愛らしい笑みを浮かべた。だが―――。
「実はあの後すぐ、王宮から陛下のご使者が来たんだよ。公爵とティアの結婚を望んでいるという、陛下直筆の書簡を持って……。すまないクリスティア、どうがんばってもお父さまは、この申し出を断る勇気がないよ」
それはつまり、公爵からの申し出を受ける――という事だ。今にも泣きそうな顔で伯爵は、妻に抱かれている末娘に頭を下げた。
「冗談じゃないっ! 父上が断れないのなら、私が行って断ってきます!!」
鼻息荒く捲くし立てる嫡男に、伯爵は頭を振った。
「やめなさいエルビアン。今日中にこの話は、王都に住む貴族全員が知るだろう。いや、もう知っているかもしれない。それにいくら皇族族籍から抜けたとはいえ、マクシミリオ殿は陛下の弟君……彼を拒むという事は、皇家を拒むも同じだ。反皇家派とみなされたら、それこそウィロック家はお終いだ」
いくらなんでもそれは考え過ぎだろう――そう思うものの、だがそう簡単に破談にはできないのは確かだった。
同等の相手からの突然の申し出ならば、こちらも断りを入れ易い。
だが、相手は格上であり、その後ろにはこの国の主がついている。
「お父さま……」
「ティア」
すまない――と、もう一度頭を下げる父に、クリスティアはふるりと頭を振った。
「お父さま、わたくしが直接公爵様にお会いして、理由を確かめたいと思うのですが……それはできますか?」
「あ、ああ。今日は屋敷にいらっしゃると言っていたから……」
まずは相手に訪問の許可を得てからでないと――と、話す父に、エルビアンが横から口を挟んだ。
「そんな悠長な……。いいですか父上、今回ばかりは少しでも早い方がいい。今から私がマクシムの所へティアを連れて行きます。知己である私ならば、訪問の許可は必要ないですからね」
いきなり訪ねて行っても大丈夫だと言い張る長兄に、皆もその通りだと頷いた。
「あ、ああ……頼んだよエルビアン」
「はい。さあ、行こうティア」
「はい」
エルビアンはクリスティアの手を握ると、玄関先に馬車を回しておくようレリウスに頼み、身支度を整えに屋敷内へと入った。