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prologue

 落とせない女はいない――それが彼の口癖だった。

 それを裏付けるものを、彼は持っていた。

 それを証明できる事実を、彼は持っていた。


「けどさぁ……いくらお前だって、あの【薔薇姫】は落とせないだろう?」


 遊び仲間のその一言に、彼は持っていたカードをテーブルの上に放り投げる。それを見て他の三人が、「ぎゃあ」と悲鳴のような声をあげた。またしても彼の勝ちだからだ。


「冗談。言っただろう……僕に落ちない女なんか、国中探したってどこにもいないって」


 賭け金を集めながら、彼は不遜な笑みを浮かべ、菫色の瞳を細めながら十枚ごとにコインを積む。それを見ながら、他の三人は呆れたように肩を竦めた。


「たいした自信家だなきみは。じゃあさ、今夜なんてどう? 伯爵は領地に視察に行っていて屋敷には居ないみたいだよ」


 緩く波打つ赤い髪の青年がそう言えば、黒い短髪の青年が白い歯を見せる。


「お、いいねぇ。俺、あそこの侍女を一人知ってるぜ。どうよ?」

「へぇ……侍女を、ねぇ」


 いつからだと訊けば、もう半年にもなると、黒髪の彼はニヤリと口端を上げた。


「自信があるんだろう? それとも口先だけか? そうだよなぁ、相手はあの【薔薇姫】だ。いくらお前でも、孤高の薔薇と謳われた彼女を、そう易々と落とせるわけないよな。お前が恥をかくだけだ」


 カードを切りながら、焦げ茶色の髪の青年が炊きつけるような事を言い、他の二人も「絶対に彼女は無理だ」と頷いた。


「じゃ、賭ける? 僕が【薔薇姫】を落とせるかどうかを」


 もちろんだ――と、三人は大きく頷いた。




❈❈❈❈❈❈




 貴族の屋敷が建ち並ぶ一角に、キーニス伯爵邸はある。ここには【薔薇姫】とも、【薔薇の女王】とも呼ばれている女性が住んでいた。

 その名はユウジェニー。

 気高く美しい深紅の薔薇。

 強引に彼女に触れようとすれば、その身に纏った棘に刺され大怪我をする。

 だがそうと解っていても、何人もの貴公子が彼女を得ようと求婚し、そして木っ端微塵に砕け散っていた。

 それは今でも語り継がれるほどで、彼女はフッてフッてフリまくったのだ。

 そんな彼女が恋に落ち、自分から求婚したのが夫であるセルジュ=キーニス伯爵である。彼はとても穏やかな性格をしており、実年齢よりもかなり若く見られる容貌をしていたため、ユウジェニーも彼の事を最初は二十五~二十六歳くらいだと思っていた。

 だが、実際には二人の間には十五もの年齢の差がある。

 けれどもそんな事を感じさせないほど、キーニス伯爵は若々しかった。




「もうこんな時間か」


 小さな欠伸を一つして、読んでいた本を閉じると、ユウジェニーはそれをテーブルの上に置いた。夫は領地の視察に行っていて、昨日から屋敷を空けている。彼がいない間寂しくないようにと、今日は実家から末妹が遊びに来てくれていた。つい三十分ほど前までここで、絵本を読んで聞かせてあげていたのだが、今は安らかな寝息をたてて夢の中――隣室のふかふかした、寝心地の良いベッドの中で末妹はすやすやと眠っている。


 室内の明かりを消し、末妹の眠る寝室に移動すると、ユウジェニーはその幸せそうな寝顔にそっとキスをした。彼女の柔らかな髪を優しく撫でながら「ふふふ」と笑う。十一も年が離れている所為か、五人いる弟妹達の中で、彼女はこの末っ子が可愛くて仕方がなかった。それは彼女の夫も同様で、まるで自分の娘のように可愛がっていた。


 否、ユウジェニーやキーニス伯だけではない。

 彼女の弟妹達も皆、末っ子(このこ)が可愛くて仕方ないのだ。

 誰もがこの末っ子をかまいたくて、誰もがこの末っ子を愛しく思っていて、皆自分がこの末っ子に一番懐かれていると自負していた。


「明日は何をして遊ぼうか……」


 くすりと笑ってもう一度キスを額に落とすと、夜着に着替えるため、ユウジェニーは体の向きを変えた。だが、一歩前に出た彼女の足がピタリと止まる。いつの間にか寝室の入り口に人が立っていたからだ。暗くて顔は見えないが、そのシルエットから相手が男である事が判る。


「こんな時間に来客とはな。執事は何も言ってはいなかったが……わたくしの記憶違いだったか?」


 スッと目を細めると、この招かれざる客を鋭く睨みつけた。男はヒュウと小さく口笛を吹く。


「さすがは【薔薇姫】ですね。慌てず騒がず……落ち着いている」


 感嘆の息を漏らす侵入者に、ユウジェニーはフンと鼻を鳴らす。


「妹が寝ているからだ。大きな声をだして騒いでは、この子が起きてしまう。遊ぶ事もそうだが、睡眠をたっぷりとる事も子供が成長する過程においてとても重要なことだ。貴様、そんな事も知らないのか?」


 クッと片方の口端を上げ、ユウジェニーは末妹が眠るベッドの、その枕の下に手を差し込んだ。そして護身用にと隠してあった(それ)を躊躇う事なく引き抜く。彼女の持つそれは暗闇でも判るほど、鋭く冷たい光を放っていた。


「どうやって屋敷内に入ったのかは知らないが、命が惜しければさっさと出て行け」

「おや? 随分と物騒なものを、あなたは持っているんだね」


 可笑しそうにクツクツと喉を鳴らし、男は剣先を自分の方に向けて構えているユウジェニーの方へと足を進めると、切っ先スレスレのところでピタリと止まる。その時、月を半分ほど隠していた雲が流れ、室内に月光が射しこんだ。それにより男の顔がハッキリと浮かび上がり、それを見たユウジェニーの若葉色の瞳が大きく見開かれた。


「き、貴様は……」

 

 艶やかな笑みを浮かべた侵入者に、彼女は見覚えがあった。

 否――この王都に住む者で、彼を知らない者などいない。


「僕を知っているの? 嬉しいなぁ」

「……」


 構えた剣を足もとへと下す。だが、視線は外さない。


「怒った顔も……あなたはとても美しいね」


 空いている方の手を掬うように持ち上げて、その甲に唇を押し付けると、ムッと唇を歪ませるユウジェニーから彼は視線を移した。


「……」


 ベッドの中には、幸せそうに眠る少女が一人……楽しい夢でも見ているのか、いきなり「えへへ」と笑った。


「っ!!」


 驚いて、彼は目を瞬かせる。そのまま黙って見ていると、今度は怒ったような顔になり……泣きそうな顔になり……嬉しそうにふにゃりと笑ったり……寝ているだけなのにとても忙しい。子供とはこういうものなのか?――と考えていると、その小さな唇がゆっくりと開いた。


「ユウジェニーねーさまのドケチっ!」

「……」

「……」


 ちらり――とユウジェニーを見れば、夜目でも判るくらい顔を真っ赤にしてプルプルと体を震わせている。どうやら噂に高い【薔薇姫】も、妹の前では随分と違うらしい。男は堪らず声を上げて笑ってしまった。


「うわっ、バカ者っ! 静かにしろ、起きてしまうじゃないか!!」

「いや、だって……だってさ、ケチって……ドケチって……うわっはっはっはっはっ! 【薔薇姫】がド、ドケ、ドケチ……いーっひっひっひっひっ……」

「笑い過ぎだぞ、貴様っ!」


 男の胸倉を掴んだユウジェニーの耳に、「うう~ん」と愛らしい声が聞こえ、ハッとしてそちらを見れば、薄っすらと目を開けた末妹と目が合ってしまった。


「ねーさま?」


 仔猫のような可愛らしい声の持ち主――ベッドの中の少女は、眠たそうに目を擦りながら、姉が掴みかかっている人物を見上げた。


「おにーさまは……だあれ?」

「僕?」


 ユウジェニーの手をやんわりと掴んで外すと、男は寝台の端に座り、とろりとした目で自分を見上げる少女の頬を撫でる。くすぐったそうにその瞳が細められた。


「僕はきみの姉さまの知り合い……友達だよ。近くまで来たものだから、挨拶をしにきたんだ」

「そーなの? あぁ、おにーさまの目……わたしの好きな菫の花の色ね。とても……きれ、い………」


 すとんと目蓋が下りて、再び安らかな寝息をたて始める。この様子なら今の事は、明日の朝には綺麗サッパリ忘れているだろう。男はクッと笑って、柔らかな頬にキスをひとつ落とした。彼は少女の寝顔を見ながら、何かを考えるように自分の喉もとを擦る。ユウジェニーはそんな彼を、訝しげに見ていた。もちろん彼女の右手には、鋭く光る剣が握られたままだ。


「ねぇ【薔薇姫】……彼女は今、何歳なの?」


 唐突な質問に、ユウジェニーは片眉を跳ね上げた。


「……九歳だが。それが何か?」

「九歳……僕の半分か。あぁでも、確かあなたと伯爵は、十五ほど離れていたよね?」

「ああ。だからそれがどうしたというのだ。貴様には関係ないだろう」

「だったら九歳差なんて、たいした事ないよね。うん、そうだよ。決めた」


 すくっと立ち上がると、「もう帰るよ」と言って男は早足で寝室から出ていった。 ユウジェニーはポカンと口を開け、一体何をしにきたのだと首を傾げる。


――九歳差なんて、たいした事ないよね

――決めた。


 この時の言葉の意味を彼女が知るのは、この夜から八年の後の事である。





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