02
「でも良い? 紗千。だからと言って夜見君が紗千の大嫌いな人そのものって訳じゃないんだから。少しは仲良くやりなよ? それじゃ、また明日ね」
軽く優衣に説教をされてから、別れる。特に駅前で買い物をする物もなかったから、私は真っ先に家に帰る事にした。
……そうだよ。優衣の言う通り。夜見君があの時出会った男の子と瓜二つだからって、本人な訳ないよね。だってよく考えてみたら……もしあの時の男の子なら、彼はもう少し身体が成長していたって良いと思う。
押しかけてみるのはやめようかな? でもこのモヤモヤ感はなかなか消えない。やっぱり押し掛けてみよう。そんな事を考えながら。
翌朝、珍しくかなりスッキリと目が覚めた。不思議な事もあるものだと思う。今日は何時もより早く学校に行ってみよう。
昨日がちょっと気分悪かったから、少しは良い事がある筈。優衣と同じクラスになれた事以外、良い事が全くなかったから尚更にそう感じる。
何時もと同じ事をして、お母さんに“今日は早いのね”なんて珍しがられたりしてから、外へと出る。春とはいえまだ少し寒いかな? 近くの公園から舞ってくる桜の花びらを見ながら歩いていたら、突然背後から口を塞がれた。突然の事に何が何だか分からなくなる。
今日は絶対に良い事なんてないって確信する。でなければ今こうして誰かに襲われる事もないから。助けを呼ぼうにも呼ぶ事が出来ず、ただ私は放してと言わんばかりに暴れるだけだった。
何でこんな時に限って誰も外に出ていないんだろう。何時もは犬の散歩とかしているおじいちゃんとか見かけるのに。
「~~~~っ!」
「少し大人しくしていろ。すぐに終わる」
それは聞き覚えのある声。何処で聞いたのかが思いだせない。低いトーンの声は、まるで周りを凍りつかせてしまうよう。私は瞬間に思った。殺される、と。そんなのは……絶対にお断りだ!
足で背後にいた男の足を踏みつけようとしたその時だった。車が通った訳でもないのにブワッと突風が吹き荒れて、私の口を塞いでいた手も背後に誰かがいる気配も、最初から何もなかったかのようになくなっていた。
誰かが来たから逃げたという訳でもなければ、勿論私が攻撃を仕掛けようとしたからいなくなった訳でもない。私は誘拐される事もなければ、殺される事もなく無事だ。
とりあえず目の前の危険は回避されたけれど、これからまた同じような目に遭わないとは限らない。早く人通りの多い所に出なければ。そう思った私は走り出す。全速力で。
そして学校に着く頃には死ぬんじゃないかってくらいに呼吸が苦しくなった。こんなに走ったのは去年の学校行事であるマラソン大会以来じゃないかと思う。グラウンドや音楽室から聞こえる朝練習の音を聞きながら、のろのろと教室へと向かって行った。
やっぱり朝練習のない人でこんなに早く来ているのは私も含めて数少ない。殆ど人に会う事はなかった。朝って本当に静かなんだなあ……と、普段こんなに早く来ない私はそう思った。
ガラリと教室の扉を開け、私はそこにいた一人のクラスメイトと鉢合わせになった。どうやら外の景色を眺めているようだ。黒い髪、ブレザーを脱いだワイシャツ姿。
そんなクラスメイトは何人もいるから顔を見るまでは、誰がそこにいるかなんて分からない。じっと彼の後姿を眺め、誰なのかを探っていたら私の気配を感じたのか彼の方から振り向いた。
色の白い肌に青い瞳。昨日とは違って少しゆるく着崩している制服。そう、そこにいたのは私が今日押し掛けてみようと思った相手、夜見君だったのだ。
喜ぶべきである場面で私は思わず挨拶もせずに、
「よよよよ、夜見!?」
と、動揺しっぱなし。まさかこんなにも早く押し掛ける事が出来るとは思わなかったしね。しかも呼び捨てってかなり失礼だと思う。
「何故、動揺する。動揺する理由なんて何処にもないだろ?」
少し不機嫌そうな声色で彼はそう言う。そうだよね、不機嫌になる理由は十分あるから怒っても仕方ないよ。私は深呼吸をしてから、ゆっくりと言葉を発する。
「おはよう。動揺したのはごめん。私の名前は岩し……」
「知っているよ。岩代紗千だろ?」
「そうだけど、何で……」
「俺をバカにするな」
名乗ろうとしたらこんな態度を取られて、私は頭がこんがらがりそうだ。だって私昨日彼と一言も会話をしていないし、名乗ってもいない。クラス名簿を見たとしたって顔と名前は全く彼の中では一致していない筈。
それにしても……何で知っているかを聞いただけで、そんな大きな態度を取られなきゃいけないの!? なんかムカつくなあ……。
「早いんだね。部活も入っていないのに、こんなに早く来る人って珍しいかも。家が遠いとか? 家が遠いと早く来すぎちゃう事あるみたいだし」
その苛立ちを抑えつつも、私は冷静を装って彼に接触をしようと試みた。いきなり“貴方は四年前に人を殺しましたか?”なんて聞ける訳ないしね。
「これが俺の日課だから。朝は一人で歌うか詠むかをするって決まりなんだよ」
一人で歌うか詠むか……歌うのはまだ練習だって分かる。でも詠むって? 一人で詠むってなんか変な気がする。寂しい人だ。
でも、会話を此処で絶やしてはいけない。誰かが来る前に出来るだけ多くの事を聞かないとね。
「どんな歌を歌うの?」
「……レクイエム。俺なりの」
間を開けてから夜見君はそう答えた。そう言う彼の表情は何故かとても恥ずかしそう。顔が少し赤くなっているのが分かる。そんなに恥ずかしい事を私は聞いてしまったのかな……じゃなくて!
「レクイエムって、死者を送る歌でしょ? しかも日課って……」
「毎日死んでいく奴にこうやるのはいけない事か?」
「いけない事じゃないよ。宗教か何かで?」
その私の質問に夜見君の赤かった顔はどこにもなくなっていて、どこか不機嫌そうな態度を取られてしまう。更にした質問に対してだって、言葉を発するのも嫌になったのかただ首を振るだけ。
変な事を聞いちゃったのかもしれない。だとしたら謝らないと。
「変な事を聞いたなら謝るよ。……ごめんね」
「別に。俺は人間の作った宗教なんか興味ない。一緒にされたら困るだけだ。さっきも言ったが、これは俺の日課であり仕事だ。それ以上でもそれ以下でもない」
更に夜見君は付け加えて“人前で聞かせるような物じゃないから、どっかへ行け”と言う。きっとその日課を果たす前だったんだろうな。だってもし途中なら私の耳に嫌でも入ってくるから。
事情は何となく分かったとはいえ、シッシッと手を振る彼の姿がまたムカつく。
「あー、はいはい! 勝手に歌っていて下さいね。私は学校一周してきますよっと。遠慮なくその超音痴な歌を歌っていれば?」
それが私の精一杯の怒りのぶつけ方。勿論彼の歌が下手だという根拠は何処にもない。それなのに夜見君は図星だと言わんばかりの様子だ。表情が固まっているのが可笑しく思える。
そんな夜見君を放っておいて、私は勢いよく扉を開き外へと出て行った。本当に学校一周をしてやろうかとも思ったけれど、彼の歌声が凄く気になったから去っていくフリをして、廊下の壁にしゃがみ込んだ。
「いるのは分かっている。早く何処かへ行け」
教室にいた時よりも、大きな声が聞こえてくる……バレた?