07「シュトーレ」
シュトーレの引き取り手は、身寄りのないお婆さんであるそうだ。
体が弱ってきているので、住み込みで世話をしてくれる人を探していたらしい。
シュトーレは屋敷でもそうした仕事を何度もしてきたので、この話を断るわけもなかった。彼女は仕事と住まいを得て、孤児院をさることになったのである。里親というよりは、自立したというほうが正しいような感じだ。
これは、私を納得させるに十分なものだ。嘘でなければ、だが。
私はとりあえずシュトーレに別れを告げ、旅立ちを祝った。
そのあとでクオードに裏庭の惨状を報告したが、彼には私の仕業だと見抜かれて怒られた。
どう考えても私しか容疑者がいないからだろう。見事な観察眼である。
反撃したことは特に責められなかったが、その事実を隠そうとしたことを非難された。なるほどごもっともである。彼からすれば、私は自分の行いに向き合わず、有耶無耶にしようとする小賢しい子供に見えたのだろう。そのとおりだ。
まったく反論のしようがないので、私はおとなしくクオードに怒られた。
他の大人からならともかく、クオードに怒られるのは結構こたえる。私のメンタルは結構もろいのである。前世からそうであるし、今の私は体こそ頑丈であるものの、やはり子供なのだ。
しかし落ち込んでばかりもいられない。シュトーレは連れて行かれてしまったのだ。
あまり面と向かって親しく話す機会はなかったものの、彼女はとても優しく勤勉な性格だ。顔だって悪くない。
いつだったか、彼女が作ってくれたパイを食べたことがあったが、あれはすばらしい味だった。甘いものに餓えていた私はそれで救われた気になったものである。クオードが手渡ししてくれなければ私が食べることはかなわなかっただろうが。
本題だ。シュトーレは本当にお婆さんの介護をしに行ったのだろうか。
あのお爺さんが何者なのかはわからないが、人身売買をしていることは間違いない。
お爺さんが関わっている限り、シュトーレが本当に今後幸せに暮らしていけるのか非常に疑わしい。何とかして、シュトーレの様子を探りに行かなければならない。私は作戦を練ることにした。
私は孤児院の中ではヒエラルキーの最下層に位置している。だから味方はほとんどいない。
クオードはギリギリで味方といえるかもしれない。
今まで彼と交わした言葉から察するに、どうやら彼は本当に子供が好きらしい。子供しか愛せない、やばい性癖の持ち主というわけではない。結婚はしていて、娘も一人いるとか。さぞかし溺愛していることだろう。
しかし奥さんはすでにおらず、両親に手伝ってもらって子育てしているらしい。彼も家に帰れば父親なわけだ。
そんな彼は信用するに足る。
他に誰か信用できそうな相手がいるかと言われれば、これが全くいない。孤児院にいる子供は私を無視するか、いじめているかの二択だ。
シュトーレは本当に数少ない例外である。彼女は一度だけだが私がいじめられている現場に遭遇して、いじめっ子たちを止めてくれた実績がある。その行為に私は感謝している。今度は私が恩を返すのだ。
情報を集めたいが、5歳児の行動範囲で何ができるというのか。
となると、やはり非常手段をとるしかない。私は部屋の隅でいつもどおりぼろきれのような毛布をかぶって、夜を待つことにした。
誰もかまってくる者がいないので、存分に昼寝をする。座ったままだが慣れれば余裕である。
夕食の時間だけ起こされて、それが終わったら口をゆすいでからまた元の位置に戻って眠った。
今夜、行動を起こすためにできるだけ睡眠時間を稼いでおきたかったのだ。何しろこの5歳児の体は、すぐに眠くなる仕様だ。
「カリナ、寝るのなら横になってください。そんなところで寝たら風邪をひきますよ」
寝入っていたところに、クオードが通りかかったらしい。彼に抱かれる感覚があるが、目を開いてみる余裕はない。
周囲から物音が一切消えるまで、私はそのまま目を閉じていた。
深夜になったと確信したところで、私は身を起こした。体には毛布が肩までかかっていたようだ。クオードがそうしてくれたのは間違いなかった。面倒見のいいことだ。
周囲にいる子供たちは深い眠りに落ちている。私以外におきている者はいない。
私はいつもかぶっているぼろきれのような毛布を引っ張り出し、マントのように羽織った。たぶん、帰るころにはずぶ濡れになるだろうなと思いながら。
闇の中で私は窓を開いた。そこへ足をかけて、外へ飛び出す。
眠気はかけらもなかった。シュトーレを救うために、私は闇夜を駆ける。
始まりの村は、濃霧に覆われた。私の痕跡を隠すために。
最も治安の悪そうな、裏通りへと進んだ。深夜であるにも関わらず、出歩いている若者がいた。
へらへらと笑っている男二人である。濃霧を恐れることもなく、野外で酒をあおっている。
「なんだか霧が出てるな、最近多くねえか」
「別にいいじゃねえか。何が変わるわけでもねえしよう、逃げやすくなって具合がいいだろ」
逃げるという単語がでるあたり、この二人はあまりお日様の下を堂々と歩ける職種ではないのだろう、と私は判断する。
何度も練習を重ねた、火の最下級魔法を私は放った。狙い通りの威力で。
私の指先から飛び出した炎が、二人の若者の前に落ちて、ひときわ大きく燃え上がった。狐火のように。
「なんだっ、なんだこりゃ?」
「誰だ? 誰かそこにいるのか」
男二人は、誰何の声をあげる。
彼らが注目する、炎の燃えた場所。私はそこにいない。実は民家の屋根の上にいる。
「質問に答えなさい」
私は、できるだけ低く、抑揚のない声で問いかける。
「何言ってるんだ、わけわからんことを」
男のうち一人がそんな風に、へらりと笑った。私は即座にその男を指差す。
地面から炎がわきたって、その男を包み上げる。
「ぐあっ!?」
男が苦痛に悲鳴を上げてのたうちまわるのを見てから、私は魔法を解いた。
そうしてもう一度問いかけた。
「質問に答えれば何もしない。質問に答えなさい」
炎に包まれなかった男は激しく首を縦に振る。これなら質問に答えてくれそうである。
魔法で焼いたほうの男も、死んだわけではない。軽いやけどを負わせただけだ。『魔法使い』は治療魔法を使えないから治療まではしてやれないが。
「若い女を定期的に扱っているような、人身売買を行っている老人を知っているか」
あのお爺さんの正体を知るところから始めなければならないだろう。
クオードにいくら訊いても、「孤児院にいる子供たちに里親を紹介してくれるお爺さん」ということしかわからなかったからだ。彼も、私がお爺さんの身分を聞いても理解しないだろうと思ったから、それ以上説明しなかったのだろうと思われる。
とはいえ少しでも情報がほしい私にとってそれは妨げにしかなっていない。あまりかぎまわるのも5歳児としておかしいし。
そこで私はこうした手段をとるに至ったのである。
まあ霧の魔法さえ使っていれば、私の正体が露見するようなことはないだろう。