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7 シドニア公爵家の水差し②

 豪華な馬車がシドニア公爵家の門を堂々と入っていく。だがこの馬車を止める者は誰もいない。

 

 警護に携わっているロドリゲスは溜息をついた。まさか王子の馬車を検閲する事は、いくらロドリゲスでも憚られた。

 

 この国の王子を見る事は少ない。所謂、引きこもりの王子なのだ。よほどの事がない限り城から出てこない。必然的に王とは意思の疎通が上手くいかず仲が悪い。そんな親子関係もあってか、周りの者は王子の事に触れようとはしない。王にとってはとんだ厄介ものだ。

 しかし、王子は一人しか居ない。どうにかこの王子を、使い物になるようにしなくてはならい。王子付きの側近たちは、焦っている。しかし、そんなことはどこ吹く風とばかりに高を括り、部屋から出てこない。


 だが、どうしてその王子がシドニア公爵家へと来たのだろうか。ロドリゲスはシドニア公爵夫人を捜す。広い屋敷の中、どこにいるのかさえ把握出来ない。これで盗賊からお宝を守れるだろうか、ロドリゲスは辟易していた。


「公爵夫人はどこにおられますか?」

 

 ロドリゲスの大きな太い声が広い屋敷のホールに響く。

 しかし返事は聞こえない。


 暫くすると、メイド姿の女中が現れ、小声で「案内致します」とロドリゲスを呼びに来た。


 女中はロドリゲスを奥の小部屋に案内する。

 そこにはシドニア公爵夫人がロココ調の大きな椅子にどっかと座り、女中に鳥の毛で作った大きな団扇で扇がせていた。

 この国の温暖な気候は、シドニア公爵夫人には不向きなようだった。

 これまた大きなレースのハンカチで他の女中に、滝のように流れ出る顔の汗を拭かせている。

 

 夫人は丸々と太り、夕食の豚の丸焼きをロドリゲスに思い起させる。

 元来ロドリゲスは戦場向きの将軍であり、このような上品なご夫人と接するようには出来ていない。

 夫人を見ているロドリゲスまで汗が出てくる。


「わたくしをお捜しとか? ロドリゲス将軍」

 

 座っているだけなのに、息を切らしながらシドニア公爵夫人は尋ねた。

 きっと彼女の心臓は悲鳴を上げている。

 

 ロドリゲスは夫人の前に跪き、胸に手を当てる。


「はい、先程、王子様の馬車がこちらのお屋敷に入っていかれましたのでご確認を、と思いまして」


「ほうっ、ほうっ、ほうっ……」


 甲高い声で公爵夫人は可笑しくもないのに笑った。


「王子様がお越しになられたのでしょう? 今日はわたくしのお誕生日ですの、ですから今夜の舞踏会に王子様をご招待致しましたの」

 得意げに丸い顔を上気させ、さっきより大きな声でロドリゲスに言った。


「そうですか、引きこもりの王子様がこちらの舞踏会に?」


「まあ、なんて失礼な事をおっしゃるのかしら、引きこもりだなんて。いくらロドリゲス将軍でも許しませんわよ、夫の耳に入れなくては……まあ、今日は例の水差しが無事であれば告げ口だなんて下品な事は止めてもよくてよ」


 ロドリゲスは自ら豚の丸焼きを想像した。上手いご馳走だと思えば許すことも出来る、何とも下品な女だ。


「王子様はどちらに?」


「ご用意致しました控えの部屋で御くつろぎ頂いておりますわ」


「案内して頂いてもよろしゅうございますか?」


 夫人はあからさまに嫌な顔をした。

「どうしてあなたが、王子様のお部屋に行くのですか?」


「一応、王子様を確認致しませんと……」


「本当に失礼な方ですわね、今、娘のポーラが王子様にご挨拶をしているところですわ。いくらロドリゲス様でも許しませんわよ」


 ロドリゲスは噂は本当だと思った。

 シドニア公爵が自分の娘を王子の側室に迎えるよう画策をしているというのが、もっぱらの噂だった。

 先代から王家とは親しい間柄ではあったが、流石にあの王子には手こずっているようだった。

 

 現にシドニア公爵の姉君は今の国王の側室であった。側室とはいっても子に恵まれず、寵愛もそこそこではあったが、その権力を利用できるだけ利用していた。

 国の嫌われ者である。金や地位目当ての貴族達は、このシドニア公爵には逆らわないのだが……


 潔癖を好むロドリゲスがシドニア公爵を嫌っていたのは言うまでもないことだ。

 だが、他にもロドリゲスには理由があった……


「ロドリゲス将軍、そんなに嫌なお顔をなさらなくても宜しいではありませんか、将軍は門の番でもなさって宜しいのでは?」


 夫人は肉に埋まった片方の目だけを閉じ、ウィンクというものをしたようだった。

 ロドリゲスは見てはならぬものを見てしまった。

 丸焼きの豚のウィンクなど、見たくはない。


「……案山子のように門の番だけをする事は出来ませんな。わたしはそんな無能では無い、シドニア公爵に直談判させて戴きます」


「夫は今、お城へ上がっております、不在ですの。今、この屋敷の全ての権限はわたくしにありますのよ」


「では、水差しは守れませんな」


「あら、ロドリゲス将軍は有能だとお聞き致しておりますわ。何はともあれ、水差しを守るのは当然ですわよ!」


 豚の丸焼きはオーブンから出てきたばかりのように、湯気を上げた。




 その頃、ナタリアも受難を受けていた。

 王子の側近の格好をして、執事と共に王子の部屋に居た。


 「ナタリア、やっぱりお前は少年にしか見えない、はっ、はっ、はっ……」

 

 王子は笑い転げようとしたが、思い留まった。

 昨日のことを思い出したからだ。

 あまり馬鹿にするとナタリアは怒るのだ、それが王子が昨日学習したことだった。


 年老いた執事のキラーは、王子が人を馬鹿にするのを止めた事に驚いた。

 王子はいつも、どこか人を馬鹿にしている。それは国王に対しても同じだった。

 人に気遣う事などない。

 

 ましてや今回のように、人に会う為に王子が外出するのは何年ぶりだろうか。

 昔はよくこのシドニア公爵家へ遊びに来たものだった。

 シドニア公爵夫妻は王子を招き、晩餐会を開いてくれた。

 ところが、娘のポーラが美しく成長するや否や、あの手この手でポーラを王子に押し付けようとする。それを王子のアンドレアは最も嫌った。


「王子様、ナタリアをどうなさるおつもりですか?」


「これからの事はナタリアには指示してある。ただ、爺が協力しなくては、事は運ばないんだ」


「はあ……ですが、どうもその泥棒というのは……」


「爺まで、コソ泥のように言うんじゃないよ。これは立派な盗賊だよ、紳士的に盗まなければならない」


「何が紳士的だよ、これじゃあ、ただの王子様のいたずらだよ!」とナタリアは小声でブツブツ呟いた。

 王子の目がキラリと光る。

「聞こえてるよ、ナタリア。今、聞き捨てならない事を言ったね……」



 ナタリアの目の前に王子の剣が突きつけられる。ナタリアから血の気が失せる。

 だがナタリアが声を上げるより早く、キラーが王子の剣を手で撥ね退けた。


「王子様、お戯れが過ぎます。ナタリアはもう脅さなくても、王子様の言うとおり働きます」


 丁度そこへドアをノックする音が響く。


「アンドレア王子、ポーラです」


 砂糖菓子よりも甘ったるい声で、その訪問者は名を名乗った。


 



 

 



 



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